第9話 僕は君とともに
『優しい人でよかった』
「お母さんたちは優しいよ。怒ると怖いけどね……」
とりあえず飛鳥の両親から許可を得て、僕たちは再び飛鳥の部屋に戻ってきた。
今日から猫を飼うなんていきなり言われても難しいお話だと思うけど、意外とすんなり受け入れてもらえてほっとした。
まあだめだったら元の家に戻ればいい話なんだけどね。でもこれから活動するにあたって一緒に住んだ方が何かと都合がいいということで、飛鳥のもとで生活できるのは非常に有り難い。
ただ女子高生と同じ部屋に住むなんて、何だかいけないことをしている気がしてしまうのは僕が成人した男だからかな。
「あ、今やらしいこと考えてたでしょ」
『いやいや、そんなことしてないよ』
ぶんぶんと首を振って全力で否定するも、怪しいって目でこちらを見ている。
何だか信用されていない。僕そんなに悪いことしてないと思うんだけどな。
『それより飛鳥、お願いがあるんだけど』
「お願いって何?」
身を守るように自分の肩を抱き、あからさまに警戒の態度を示される。
『もう! 君を傷つけるようなことはしないよ!』
話の流れ的にまずかったか。変な意味に取られてしまったみたい。
「うん、わかってる」
『わかってるならやめてよ!』
「何だか苛めたくなっちゃうんだもん。可愛い男の子を相手にしてる気分」
『僕、君より年上なんだけど!』
「あ……」
『あ、じゃないよ。忘れないでくれるかな。敬えとまでは言わないけどさ!』
「ナギくんっておもしろいよね。変わってるっていうか普通と違うっていうか」
『飛鳥に言われたくないよ』
「むー、ひどい」
頬を膨らませる飛鳥。
思わず可愛いとか思ってしまって、何だか負けた気分だ。悔しいからそのことは言わないでおこうと思ったんだけど、頬を赤らめた飛鳥の顔を見て思い出した。
僕の心の内、飛鳥に伝わるんでしたね。
『……それで、頼みたいことなんだけど』
少し間を置いてから、気を取り直して僕は飛鳥にお願いする。
彼女も今度こそ真面目に応じてくれた。
『前の飼い主に会ってほしいんだ』
「前の飼い主に?」
『うん、僕は無事だって。理由は何でもいいから、飛鳥と一緒に過ごすことになったって伝えてほしいんだ』
真実を求めて、僕は家を飛び出した。でもそれは僕の都合であって、飼い主が悪いわけじゃない。むしろ路頭に迷っていた僕を温かく迎え入れてくれて、とても感謝している。それこそ感謝してもしきれないくらいだ。
だから、あの家で過ごした時間をなかったことになんてできなくて。このまま何も伝えずに過ごすことなんてできなくて。
『飛鳥には悪いけど。それでもお願いしたい』
土下座するような姿勢で、僕は深々と頭を下げた。
図々しいお願いなのはわかっている。飛鳥には嘘をつかせてしまうことになるし、たぶんないとは思うけど酷いことを言われる可能性だってある。それを彼女にさせようと言うのだ。僕も誠意を見せなければならないと思った。
「わかった。ちょうど雨も止んだみたいだし、行こっか」
そう答えた飛鳥は、優しい笑顔を浮かべていた。
***
そして、一週間が過ぎた。
結局僕たちは何の手掛かりも得ることができないまま、月曜日の朝を迎えていた。何かそれらしい噂とかあればと色々当たってみたが、さすがに人間から猫になる、あるいは猫が人間になるなんてぶっ飛んだ話はひとつも出てこなかった。
『どうしたものか……』
窓辺で青空を見上げながらため息を吐く。
僕の背後では、朝からバタバタと慌ただしく動き回る音が響いていた。
「何でもっと早く起こしてくれなかったの!」
『起こしたよ、何度も』
「起きてないんだから、それは起こしたとは言わないんじゃないかな!」
『いや、そんなこと言われても……』
こんなやり取りも、今となっては日常のひとつだ。
飛鳥は朝が弱い。もともと弱いらしいが、最近は夜遅くまで絵を描くことに熱中していることが主な原因だ。その集中力たるや凄まじく、最初こそある程度遅い時間になったら『早く寝なよ』とか声をかけていたけれど、今は邪魔しないように見守ることに徹している。
僕だって彼女の才能を潰したくはない。ただ、学生としての本分を忘れてはいけないんじゃないかとも思うわけで。彼女曰く夜が一番集中できるってことらしいけど、もう少し考えてはどうかなと思うところもないでもない。
背後から衣擦れの音が聞こえてくる。飛鳥が後ろで制服に着替えている音だ。僕が窓辺で空を見ているのはそれを見たいようにするためなんだけど、着替えの音を聞いているだけで思わず想像してしまうのは男だからしょうがないよね。
「ナギくん!」
『うえっ、ごめんなさい!』
ビクッと体を震わせ、僕は全力で謝った。
名前を呼ばれて一瞬僕の思考が伝わってしまったのかと思ったら、どうやら違ったみたい。狼狽える僕に、続けて声がかけられる。
「何してるの。着替え終わったから行くよ」
振り返ると、すっかり学制服に着替え終わった飛鳥が鞄を手に立っていた。
「……何か今、変なこと想像してた?」
『いや、何もしてないです』
飛鳥は天然そうで、実は鋭いから厄介だ。
平静を装いつつ、僕はできるだけ自然に話を切り替える。
『それより本当に行くの?』
「いいから早く! 遅刻しちゃう!」
押し切られるように、飛鳥が広げたスクールバッグへ飛び込んだ。
無造作に持ち上げられた鞄の中で体が揺さぶられ、僕は目を回す。気持ち悪い、吐きそうだ。もう少しや優しくしてくれと訴えても、それを完全にスルーして飛鳥は階段を駆け下りていく。
そして、リビングでお弁当を受け取り、朝食のパンを手にして玄関へ。
「いってきます!」
こうして慌ただしくも元気よく家を飛び出し、僕を連れた飛鳥は学校へ出発した。
***
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