第8話 僕は再起する

「私、あなたに助けてもらったんだけど。やっぱり覚えてないかな?」

『ああ……』


 そう言われて、ようやく僕は思い出した。

 何か見覚えがあると思っていたけれど。

 僕がまだ人間だった頃に遭遇した、そして猫になったきっかけでもある交通事故。そのとき僕が身を挺して守ったのは、女子高生で。ボブカットに小柄な、ちょうどこんな雰囲気の女の子だったように思う。

 それは、三船飛鳥ではなかったか。

 いや、彼女本人だ。

 見たのはほとんど一瞬みたいなものだったけど。こちらを覗き込む彼女の顔をなんとなく覚えている。思い出してきた。


『なるほど。道理で覚えがあるわけだ』


 ずっと答えを出せなかった難問を解き明かしたかのような快感に包まれる。

 すっきりした。実は声を聞いたときから、ずっと引っ掛かっていたのだ。その謎が今ようやく解けた。


『まさか今度は僕が助けられるなんてね』

「ねー、びっくりだよ」


 僕は彼女を助け、そして彼女が僕を助けた。

 不思議な縁でつながっている。だから言葉も通じるのかもしれない。


「それでね。あの事故の後なんだけど」


 飛鳥が話を戻す。

 僕も続きが気になるので、黙って話の先を促した。


「お礼を言いたくてあなたに会いに行ったの。でも、なんとなく違う気がして」

『違う?』

「そう。色々話していて、何かね。何かが違うなって感じたの……」


 事故以前の僕たちは、それこそ初対面だ。

 そんな相手から違和感を見つけ出すのは難しいように思うけど、彼女には何か感じるものがあったらしい。初対面の相手にまで違和感を持たれるとか、どんな対応したんだ片桐のやつ。


「そうしたら夢に烏が出てきて言うの。『雪城渚は猫である』って」

『な……』


 言葉に詰まった。唐突すぎる展開だけど、それ以上に的確すぎて驚いた。

 烏と聞いて最初に思い出したのは、僕に情報をくれたあいつだ。あいつがそう言いながら飛び回ってる姿がなぜだか容易に想像できて。もしかしてあの烏、本当に神の使いだったんじゃって本気で思わずにいられない。あれ以来、出会わないし。


「それでね、忘れないうちに絵を描いたの」

『絵を?』


 そんな夢を信じて、わざわざ絵まで描くとは。

 半ば呆れ顔を浮かべる僕に対して、飛鳥はテーブルに置いてあったタブレットを手に取って操作し、そして表示した画面を僕に向けて差し出した。


『す、すげー』


 見た瞬間、僕は思わず感嘆の声をあげた。

 タブレットの画面には、猫の絵が描かれている。いくつか違った視点から描かれる茶トラの猫は、まさしく僕そのもので。近くにあった鏡で思わず確認してみても、顔つきや毛並みまでまったく一緒で驚いた。いやもう、慄いた。


『凄すぎる』

「そんなに驚くことかな」


 とんでもない才能の持ち主だった。

 この娘、大丈夫かなって正直心配だったけど。なるほど、そういう才能の持ち主だったか。それならどこか変わっている独特な雰囲気を持っていても不思議でない気がする。偏見かもだけど。


『だから僕だってわかったわけか』


 これだけ完璧に特徴を捉えていると、僕だと確信するのも頷ける。

 しかし、雪城渚に扮した男との会話で生じた違和感と夢で烏が叫んだのとでよくこの状況を信じたものだ。普通信じないよ。僕だったら信じてないと思う。


「うん、私もそう思う。でも私、普通じゃないから」

『なるほど……』


 小さい頃から、人が見えないものが見えたりしていたらしい。そのせいで過去に色々あったらしいけど。でもそんな霊感や直感を持っている彼女だからこそ、この現象を受け入れることができたということだった。


「それで雪城さん」

『ナギでいいよ。猫をそんな風に呼んでたら変だろ』

「確かに」


 納得したようで、頷いて飛鳥は話を続ける。


「それでナギくん、ナギくんはどうしてあんな所にいたの?」

『それな……』


 思い出したくもない映像が脳裏に浮かぶ。僕の顔で、僕になりすました男から告げられた言葉。突きつけられた言葉。今でもそれは心に刺さっている。


「話したくないなら、無理に話さなくてもいいよ」

『いや、話すよ。これからのことも考えないとだし』


 これからどうするのか。

 一度はいっそ死んでもいいやとさえ思った僕だけど、今は助けてくれた彼女のために生きたいと思っている。それが助けてくれた彼女への恩返しだ。

 ただそうなってくると、やっぱりこの問題にも向き合わないといけないだろう。

 でも僕には昔から『自分の苦しみは、自分で背負え』っていう考えがあって。だから、この話をするのは何だか自分の問題を押し付けるみたいで気が引けてしまう。

 とはいえ、ここに来てこの現状を握り締めていたって仕方がないのも事実だ。話しても変わりはしないとは思うけど、何もしないよりはきっとマシなはず。

 だから僕は、自分の置かれた状況をすべて飛鳥に話すことにした。


「そっか。それで、あなたは……」

『……うん』


 別に死のうとしたってわけじゃないけど、生きることを諦めていたのも確かだ。

 今だって、正直どうしたらいいかわからない。


「でも、ナギくん」


 真剣な顔になって、飛鳥が僕を呼ばわる。

 それを見て僕も居住まいを正した。


「ナギくんはそれでいいの? このまま諦めちゃうの?」

『戻りたいよ。でも……』


 戻れない。戻る方法はない。

 それは、他でもない僕の体を奪ったあの男から突きつけられた言葉だ。


「本当にそうかな?」

『え?』

「だって、その人も猫になってたんでしょ? そこからあなたの体を盗んだんだったら、あなただって取り戻せるはずじゃない?」


 飛鳥に指摘されて、僕ははっとなった。

 そうだ、そうだよ。何で僕、あんなやつの言葉を真に受けているんだ。信じちゃってるんだ。他人の体を乗っ取るようなやつが、真実を言うわけがないじゃないか。


『うん、飛鳥の言う通りだ。きっとできるはずだ』


 顔を上げて、そう答えた僕の瞳にはきっと希望の光が戻っている。

 飛鳥の表情もどことなくさっきよりも明るく見えた。


「そうだよ、諦めちゃだめ。私も手伝うから一緒に戻る方法探そう」

『ありがとう、飛鳥』

「お礼を言うのはまだ早いよ、ナギくん」


 確かにまだ何も解決したわけじゃない。それでも彼女がいなければ、僕はきっと生きる意味を失ったままだった。思い切って話してよかったと僕は思っている。

 そんな風に感謝の気持ちで胸がいっぱいになった僕の横で、飛鳥が徐に立ち上がった。


「そうと決まったら、まずは親に報告しないとね」

『え? 報告?』


 何を? まさか僕が猫になったことを親に話すの?

 確かに、僕たちには手に負えないような事案ではあるけれど。でもだめだよ、そんなこと言い出したら、ついに精神病だと思われちゃうよ。


「違うよ、一緒に住んでいいか訊くの」

『いきなり同棲!?』


 思わず素っ頓狂な声をあげた僕に、とてつもなく冷めた視線が突き刺さる。

 僕を見る飛鳥の目が痛い。

 でも、それで気がついた。

 そういえば僕、猫でしたね。

 ペット飼っていいかって、そういうお話か。親に報告とか一緒に住むとか言い出すから、勘違いしちゃったよ。恥ずかしい。




  ***

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