第7話 僕は君と再会する

「――やっと見つけた!」


 頭の中に響いたその声は、どこか聞き覚えがあった。

 どこだろう。ぼんやりと、いまいち判然としない思考の中で僕はその答えを模索した。記憶を辿って、だけど思い出せそうで思い出せない。

 答えはすぐそこまで出かかっている。なのに出てこないという、そんなもやもやとした感覚は何とも気持ちが悪くて堪らない。

 はっと、そこで僕は顔を上げた。

 思い出したわけではない。目を覚ましたのだ。


『ここは……?』


 見知らぬ部屋で、僕はブランケットに包まれていた。

 ふわりと香るいい匂い。壁際には僕もよく知る学校の制服がかけられていた。部屋の真ん中あたりには桜色のラグマットの上に白いテーブル。近くにはテレビがあり、台の上にはぬいぐるみなんかの小物がきれいに並べられている。

 ぐるりと見回して、『女子の部屋だ』と思わず居住まいを正してしまう僕だった。

 そこで、ふと気がついた。


『あれ……死んで、ない……?』


 その場で僕は自分の体を確認する。

 前足に胴体に後ろ足、尻尾に至るまで、どこにも悪いところは見当たらない。頭も大丈夫そうだ。倦怠感はあるけれど、大きな怪我などはひとつもなかった。


『よく死ななかったな』


 目の前に迫る車の姿が脳内にフラッシュバックし、思わず身を震わせる。

 奇跡かな。猫であることに変わりはないけれど、それでも生きている。生きていた。

 そういえばあの瞬間、女の子の声が聞こえた気がしたけどあれは……と考えているときだった。


「――あ!」


 と声が響く。

 びっくりして振り返ると、少女の大きな瞳がこちらを見ている。

 彼女はそのまま僕のもとまでやってきて。


「目が覚めたんだね、よかったー」


 僕を持ち上げ、思わずという感じで抱き締めた。

 黒髪ボブで、背は低め。顔立ちは整っているけど幼さが残り、どこか小動物めいた雰囲気を感じさせる。可愛らしいという言葉が似合いそうな、そんな少女だった。

 艷やかな髪はしっとり濡れていて、頬はほんのりと赤く染まっている。お風呂上がりかな。ほかほかと湯気を纏う体は小柄だが、出るところはしっかり出ていて、Tシャツ越しに当たる柔らかな感触が心地良い。


「本当によかった。死んじゃうかと思ったよ」


 心の底から安堵している。そんな彼女の想いが伝わってくる。

 その優しさと温かさに触れていたら、さっきまでの煩悩なんて一瞬で吹き飛び、ぶわっと感情が溢れて涙が出そうになった。僕はそれを誤魔化すように、慌てて声を絞り出す。

 

『……君は?』

「私は三船みふね飛鳥あすかだよ」


 問いかけた僕に、少女は自然の流れで答えた。

 何のことはない、ごく普通の会話。

 だけど、今の僕たちは猫と人間で。


「って、しゃべった!?」

『言葉が通じた!?』


 ほぼ同時に、驚愕の声が響き合う。

 体を離し、大きく開いた目で互いを見る。


『え? どういうこと?』


 言葉、通じるの?

 いやでも、ペットとして割と長いこと過ごしてきたけど、こんなことは一度もなかった。まさかずっと無視されてたなんてことはないだろうし。

 三船飛鳥と名乗った彼女も彼女で、


「そうよね、そうだよね。元は人間だもんね。しゃべれて当たり前だよね。いや当たり前じゃないか。でも話が通じるのは助かるというか、助かったというか……」


 何やらひとりでぶつぶつ言っている。

 このままではあれなので、僕は恐る恐る声をかけてみた。


『あ、あの三船さん?』

「私のことは飛鳥でいいよ」

『あー、うん』

「あなたは雪城渚さん、だよね?」

『う、うん。そうだけど……』


 僕を知っている? 何で?

 そんな疑問を抱く僕に構わず、飛鳥は続ける。


「私ね、あなたをずっと探してたの」

『僕を? 人間の方じゃなくて?』

「そう、猫のあなたを」


 なぜに?

 普通、人間が猫になっているなんて思わないはずだ。なのに彼女は、この姿の僕を『雪城渚』だと認識している。そのうえ探していたと言うのだ。

 彼女の言葉に疑問符が浮かぶ。僕がよほど怪しいものを見るような顔をしていたのか、飛鳥が慌てたように言い添えた。


「あ、大丈夫! 私はあなたの味方だから!」

『はあ……』

 

 味方とか言われても、そもそも敵味方なんて考えもしていなかったわけで。

 でも確かに、僕の体を乗っ取っているあいつを敵とするなら彼女を味方と考えるのは妥当かもしれない。とはいえ、目の前にいるこの少女だって十分怪しいんだけど。

 本当の意味での善人が、果たして自分は味方だなんて言うだろうか。善を名乗るということは、悪とされる存在がいることを前提にしているということ。その時点で、何だか怪しい気がしてしまう。

 なぜかわからないけど、初めて会うのに僕のこと知ってるし。というか、この状況を理解しているというのは、さすがにちょっと知り過ぎじゃないだろうか。もしかしてあいつの差し金なのでは、なんて思うのは少々穿ちすぎかな。


「あれ? 会うの初めてじゃないんだけど覚えてない?」

『……うん?』


 さらに疑問符が増した。もう疑問だらけだ。

 会うの初めてじゃないって、彼女とどこかで面識があったっけ。

 確かに僕が卒業した高校に通っている後輩のようだけれど、そもそも部活とかやってなかった僕にはクラス以外に人脈はない。彼女みたいに明るくて可愛い女の子と出会う機会はなかったと思う。


「やだ、可愛いだなんて嬉しい」


 頬を赤らめて、恥ずかしそうにする飛鳥。

 おかしいな。僕、口に出してないはずなんだけど。

 いやちょっと待って。さっきも初めて会ったっていうことに対して……。

 ということは。


『……あのさ。もしかしてなんだけど、僕の考え伝わってる?』

「うん。少しだけど、なんとなくわかるよ」

『マジか……』


 言葉が通じるだけじゃなくて、心の内まで筒抜けなのか。

 でも別に全部っていうわけじゃないらしい。僕に意識を集中してるとって感じなんだとか。それならよかった。いや、よかったのか?

 それにしたって、一体どういう仕組みなんだ。




  ***

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