第4話 僕は絡まれる
『テメエ、いったい誰の許可でここを歩いてやがんだ?』
ヤンキーな猫がドスの利いた声で詰め寄ってくるが、もともと人間だった僕からすれば大して怖くもない。僕は度胸がある方でもないけれど、たぶん人間から猫になるなんていうとんでも体験を経たこともきっと僕を強くしたのだと思う。
『えーっと、神様?』
『は? ふざけてんのか』
『いや至って真面目だけど……』
どう答えるのが正解だったんだろう。
もしかして、チンピラ特有の謎かけかな。だとしたら僕にはわからない。
そんなことをぼんやりと考えていると、
『間抜けな顔しやがって』
なんて言われた。
失礼な、とは思いつつも口には出さない。逆上されても面倒だ。
『ヤコク様の縄張りに、勝手に入ってきてんじゃねえって話だよ』
『ああ、通行料を寄こせってこと? なんだ、それなら早く言ってくれればいいのに』
僕は持っている煮干しを彼らに差し出した。
本来だったら金出せってなるところなんだろうけど、生憎何も持ち合わせていない。そもそも相手は猫なわけだから、食べ物でも差し出しておけばなんとかなるだろう――って思ったんだけど、そうでもなかったみたい。
『おう、ありがとな……って違うわ!』
見事なノリ突っ込みで返してきた。
地団駄を踏むキジトラ猫を前に、この猫もしかして案外扱いやすいんじゃね?って思い始めたときだった。
『そう、騒ぎ立ててやるなよ』
そんな声とともに、暗がりから大きな黒猫が姿を現したのだ。
その黒猫は、この場にいるどの猫よりも大きくがっしりとした体躯で。右目には三本の傷痕があり、厳つい顔つきで口に魚の骨らしきものを一本咥えてこちらへ歩いてくる様はなかなかに迫力がある。
『ボス!』
『ヤコク様!』
キジトラの猫が頭を垂れた。他の二匹もそれに続く。
どうやら彼が、『
確かにボスと言われるだけの風格を持つ黒猫は、その威厳を見せつけるようにゆっくりとした動きで僕の前に歩み寄ってくる。
『俺の部下どもが失礼したな』
『いや、そんなことは……』
あるけど。失礼なうえに迷惑だけど。
でもここで文句をつけたら、間違いなく面倒なことになる。
『お前さん、飼い猫だろ』
『え? ああ、うん、そうですけど』
『じゃあ知らねえだろうがな、ここら一帯は俺たちの縄張りなんだよ』
『さいですか』
縄張りって言われても、正直僕にはあまりピンとこない。
不可視の境界線を勝手に主張されても、って感じのは僕がおかしいのかな。もともと僕が人間だからだろうか。
『どうだい、俺たちにつくってのは? そうすりゃあ、今後ここを通って文句をつけられることもなくなるぜ』
思いがけず勧誘された。てっきり邪険にでも扱われるのかと思ったら、意外と紳士的な対応をしてくれる。部下たちは違うけど。
『ボス、こんな間抜けなやつ仲間にしてどうするんすか?』
『黙れ』
異を唱えたキジトラ猫に対して、ヤコクはその一言で黙らせた。
そして、さらに告げる。
『すべての猫には選ぶ権利がある。お前らが勝手に決めるな』
そんな風に言い添えてから、こちらに向き直った。
ヤコクの言葉には説得力があり、三匹の猫も黙ってそれに倣う。
彼らの視線が、僕に集中した。
ごくりと唾を飲む。多分この返答ひとつで、今後の僕の方針が決まる。
そんなプレッシャーの中で、僕は答えを出した。
『お断りします!』
土下座の要領で平伏し、敬意を込めて丁寧に意思を伝える。
勧誘を受けた時点で、実は僕の答えは決まっていた。それをどう伝えるべきかと悩んでいたんだけれど、これだけ誠意を示いておけばきっと理解してくれるはず……。
なのに、妙に長い沈黙が続く。
応えがない。
恐る恐る顔を上げて様子を窺うと、呆然とこちらを見る猫たちの姿があった。僕はそれを見て怪訝な表情で首を傾げた。
みなさん呆気に取られていますが、僕何か変なこと言いました? お断りしますってちゃんと誠心誠意伝えたはずなんだけど。これで許してくれますよね?
『お、お前……それ本気で言ってるのか』
『すげえ、断るやつ初めて見た』
え、だってメリットなさそうだし。仲間になったら何させられるかわかったもんじゃないし。
そりゃあ行く当てもなければ考えないでもないけどさ。でも今は、そんな不安要素しかない世界に飛び込んでる場合じゃないんだ。僕にはやることがある。こんなところで、チンピラ猫たちと戯れている暇なんてない。
『……と、いうわけなので』
別れの挨拶もそこそこに、僕はこの場から立ち去ろうとする。
剣呑な空気になりつつあるのはなぜだろう。選ぶ権利があるのだと言うなら、僕の選択は許されて然るべきはずだ。
にもかかわらず。
『はい、そうですか……って行かせるわけねえだろ!』
キジトラ猫が飛びかかってきた。
だけど、慌てることはない。僕はひょいと横に跳んで、それを躱してみせる。
『この野郎!』
続いて、僕を取り押さえようと両サイドから飛びかかってきた三毛猫を一歩前に跳んで躱した。すぐに振り返ってみると僕を捕らえ損ねた二匹が見事に衝突し、互いの顔を打ちつけ合っている。うん、思った通りの結果だ。
僕は決して喧嘩が強いわけではない。人間だった頃の僕は、小柄なうえに中性的な顔で女子に間違われることまであったくらいだ。強いはずもない。殴り合いの喧嘩なんてしたことないけど、負けるのは目に見えている。
だけど、今は猫である。
それでも体格は劣るけど、塀すら超えられなかった昨日の僕とは違う。ここに至るまでの冒険が経験値となって僕を成長させ、これくらいのことならなんとかなりそうなくらいには心にも余裕が生まれている。
とかなんとか言って、調子よかったのはここまで。
右横に大きな気配を感じて。
次の瞬間。
黒猫の拳が、僕の腹部に食い込んだ。
『ぐふおっ!?』
腹部を突き抜けた衝撃に一瞬呼吸が止まる。
見事な猫パンチだった。僕の体は驚くほど軽々と宙を舞い、そして弧を描きながら落下し壁際で動きを止める。ヤコクの一撃はかなり強烈で、意識が持っていかれそうになるのを必死で堪えた。
視界の中で、こちらを見下す黒猫の姿が見えた。
あれ、さっきすべての猫に選ぶ権利があるとか言ってなかったっけ。これじゃあ、権利なんてあったもんじゃないじゃないか。
と、文句のひとつでも言ってやりたいところだけど体が思うように動かない。声も出せない。
『連れて来い』
ヤコクの命令で、三毛猫の兄弟が僕を捕らえようと近づいてくる。
そのときだった。
――カッ!
と小石が地面を跳ねた。
三毛猫たちは反射的に跳び退くと、その石が飛んできた方に向き直り、威嚇の唸り声をあげる。
彼らの視線を追うと、そこに一匹の灰猫が立っていた。
***
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