第2話 僕は壁を越えられない
僕が、僕を探して、僕に会いに行く――なんて、よくよく考えてみると何とも奇妙な話だ。でも、これが現実。考えてばかりいないで、僕にできることをやってみるしかない。
『って意気込んではみたものの……』
その前に、乗り越えなければならない問題があった。
窓の外へと視線を向け、僕は塀を恨めしげに睨みつける。
家の敷地を囲う高い塀。
今の僕には、空に向かって聳え立つ巨大な壁に見えて。
ここから外へ出るためには、まずあの塀を越えなければならない。
第一の関門だ。
最初のボスって感じ。
すごく大げさに言っているように思われるかもしれないけど、
『でも僕じゃ届かないんだ、あれ……』
前にやってみたことがあるけど、まったく歯が立たなかった。
猫であれば、当然高いところに登るのは得意なはずだ。きっと塀の上に登るなんて朝飯前だろう。
だがしかし。
僕はもともと人間で、運動がそれほど得意というわけでもない。むしろ苦手とする方である。そのうえ、猫の体になってまだ数日だ。この体に慣れきっていない。そのせいで本来持つ猫の能力ってやつを十全に発揮することができないのだ。
何かコツみたいなものがあったりするものなんだろうか。
人間だったとき塀の上を悠然と歩く猫に何の疑問も持たなかったけれど、今はどうやって上がったのか教えてほしいくらいだ。かといって、教えを乞うような猫もいないわけで。
『……頑張るしか、ないか』
自力でどうにかするしかない。
僕は前足で器用に網戸を開け、ぴょんと中庭に着地する。
『よーし、今度こそ!』
と気合を入れて、地面を蹴った。
たっぷりと助走をつけ、力いっぱいジャンプする。
『どぐへえっ!?』
勢い余って壁に激突した。
思わず変な声が出た。くるくると眩暈がする。やや遅れてやってきた強烈な痛みに悶絶し、頭を抱えて地面に転がった。
だけど。
『くそ、もう一度だ!』
諦めない。これくらいで諦めてたまるものか。
すぐに起き上がって、もう一度挑む。
『えいやっ』
両の前足を精一杯伸ばし、僅かな出っ張りを踏み台にもう一回ジャンプ。
さっきまで果てしなく高く遠く感じていた塀の上までの距離が一気に縮まった。
『行ける! 行けるぞ!』
目標が手の届くところまで近づいて、気持ちが高まっていく。
しかし、それも束の間。
『……あ、だめだ』
伸ばした前足は僅かに届かず、空を切って体は落下した。
体を捻って華麗に着地を決める。思わずドヤ顔なんかを浮かべたりして、僕はすぐに首を振った。格好つけている場合じゃない。
『それなら……』
と、別の方法を探して角の方に植えられている木に視線を向けた。
僕だって学習しないわけじゃない。ストレートに登れないのであれば、あの木を伝うなりして上に行けばいいのだ。
『ほっ、やっ、よっ!』
そんな掛け声とともに、さっそく僕は猫らしく身軽に小気味よく木を登っていく。
そして枝を踏み込み、塀の上目掛けて跳んだ。
今度こそ塀の上に立つ自分を見た……気がしただけだった。
『……あっ』
枝のしなりで、僕は踏切を失敗。
まるでスーパーマンが空を飛ぶかのように、前足後ろ足をぴんと伸ばした態勢で宙に浮く。空中で一瞬時間が止まったかに思われたその直後、重力に引かれて一気に急降下する。今度はどこかのアトラクションで味わったような感覚に襲われた。
『くっ……』
思わず呻き声が漏れる。
お腹から落下する僕は途中枝に引っ掛かり、そのままぐるんと向きを変えて背中から地面に落っこちた。
『……痛い』
僕は涙目になって、そのままぐったりと地面に転がる。
幸い、途中で枝に引っ掛かったお陰でそれほど大きな怪我をせずに済んだ。とはいえ、それなりの高さから落ちたらやっぱり痛い。背中と、お腹が痛い。ダブルで痛い。
そこへ止めとばかりに、
『うわー、あの猫ダッセー』
と、どこからかそんな声が聞こえてきた。
声の方に振り向いてみると、隣家の屋根に烏の姿があった。僕に事故の情報を教えてくれたのとはまた違うやつだ。
『あーあいつか。またやってるんだな』
『懲りないわねー』
続いて、別のところから男女の声。
これには覚えがあった。視線を向けると、やっぱり塀の上に番の鳩。前回僕の挑戦を今と同じように高みから見物していたカップルだ。あのときも笑われた。
『うるせえ! 食ってやろうかこの野郎!』
思わず鳩に向かって叫ぶ。
事が上手くいかなくて他人に怒りをぶつけるとか。我ながらみっともないと思いつつも言わずにはいられなかった。
『あんなこと言ってるわよー』
『ふん。だったらここまで来てみろってんだ。まあ、できっこないだろうけどな』
嘲笑さえ浮かべて、こちらを見下ろしくる鳩たち。
完全に馬鹿にされているが、もはや返す言葉も出てこない。
『ぐぬぬ……』
唸り声をあげる。
悔しい。次やればきっと踏切で失敗することもないだろう。どうにかあいつらを見返してやりたいところだったけれど、どうやら時間切れのようだった。
「琥珀、ご飯よー」
飼い主が呼んでいる。夕ご飯の時間だ。
どっちにしても体力も限界だった。今日の挑戦は諦めて、呼ばれるままに僕はご主人のもとへと駆けていく。
この日僕は、結局外に出ることはおろか壁を越えることすらもできなかった。
***
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