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令和三年十月一日――十三時二十分。
四限目は体育である。昼食を早々と切り上げ更衣の為、男女それぞれの更衣室にて体操服へと着替えていた。
「うへぇ……食べ過ぎた……」
「幾らなんでも食べ過ぎだろ……先の事考えて行動しろよ」
「今年こそは行きてぇんだよ」
「?」
「甲子園――去年はあと一歩だったんだ……俺があの時、ヒットさえ打てていれば……俺にもっと力があったら、あの打球は抜けていたんだ」
「キュウジ……」
「だから俺はもう、後悔したくないんだ。だから無理をしてでも食わないとダメなんだよ」
キュウジの無謀とも言える定食三人前の注文……これは、身体が小さいという凡人ならではの努力なのだ。
身体が小さい――パワーがない――力をつける為の食事……。
そう述べるキュウジに、シンは感心した。
「お前はすげぇよ」
「え? シン、今俺の事凄いって言った!? 褒めてくれた!?」
「……言ってないし。褒めてない」
「嘘つけ今絶対言ったもん! 俺は聞いた! 間違いない!」
「……言ってない」
「あははっ、照れんなって! このツンデレ野郎!」
キュウジはそう言いながら、満面の笑みでシンの肩を組む。
対するシンは少し恥ずかしそうな表情で返答する。
「照れてないし、ツンデレでもないし。そもそも俺は褒めてなんていない……」
そんな素直になれないシンを見て、キュウジは朗らかな気持ちを抱いた。
「なぁ……シン」
「何だよ」
「俺、お前が親友で良かった」
「何だよ急に、小っ恥ずかしい事言いやがって……どういう風の吹き回しだよ」
「さぁ? どんな風が吹いたんだろうな? 俺にも分かんねぇや」
「何だそれ……」
「お、もうこんな時間だ。行こうぜ、遅刻したら先生に怒られるぞ」
「お、おう……」
二人は急いで着替えを済まし、男子更衣室から出る。
時計の針は十三時二十八分を指していた為、少し小走りで体育館へと向かった。
体育館に着くと、既にクラスメイト達が勢揃いしていた。それぞれ、ボール遊びをしたり、壁に持たれ話をしていたりと、自由に授業開始までの時間を過ごしていた。
『混ぜてくれ』と率先してボール遊びに混じったキュウジに対して、シンは後者を選択した。
壁に持たれるように床に座りぼーっとする事にした。
そんなシンに掛けられる声。
「シンくん。今日はバスケするんだってさ」
マナカだった。
「……そうなのか……」
「どうしたの? 元気ないね」
「いや、なんて言うか……キュウジの眩さに当てられてさ……頭がクラクラする」
「愛内くんの?」
二人の視線が、ボール遊びをしているキュウジへと向けられる。
そしてシンの口から本音がこぼれる。
「あいつ……すげぇよな。甲子園目指して毎日頑張っててよ。眩しいよ」
「そうだね」
「対して俺には何も無い」
「え?」
「キュウジみたいに運動も出来ないし、ハヅキやマナカ……子安みたいに勉強も出来ない……空っぽだよ」
「空っぽ?」
「ああ……」
シンは曇った表情で続ける。
「マナカやキュウジ……他の皆には色んなものが詰まってる。羨ましいよ」
「……シンくんは、特別な人になりたいの?」
「特別な人? いや、そういう事が言いたい訳ではないけど……何だろうな、俺は一体、何になりたくて、何を思って、こんなに暗い気持ちになってんだろうな……自分の気持ちって、分かんねぇもんだな」
「シンくんは特別だよ」
「へ?」
シンは突然入って来たその言葉に、目を大きくする。ゆっくりと、マナカへ視線を移す。
目の前には、頬を赤く染め、鋭い目付きでシンを見つめるマナカの姿があった。
「少なくとも……私にとって、シンくんは特別だよ。それじゃダメかな?」
「……マナカ、お前……」
「私、シンくんの、そういう普通な所。好きだよ」
「へ?」
「努力する姿が輝いて見えるんなら、私から見ればシンくんだって、輝いて見えるよ。だってシンくんほど、自分の現在地を知って、上を見ている人知らないもん。きっと、シンくんなら――やれば出来るよ」
「やれば……出来る?」
「そ、やれば出来るんだよ!」
マナカはニカッと笑い、頼りなさそうな力こぶを作り続ける。
「まだまだ人生先が長いんだよ! まだ私達は高校二年生、こんな狭い世界で打ちひしがれる前にもっと前を見ようよ。世の中には、私なんかより……こういう言い方はアレだけど、キュウジくんよりもハヅキちゃんよりも、ネネちゃんよりも、凄い人がたっくさんいるんだから。色んな分野で、ね」
「…………」
「断言しても良いよ。勉強でも、スポーツでもない。別の分野で、シンくんなら輝ける。だからさ……暗い顔してないで、明るく今を過ごそうよ。私……シンくんの笑った顔の方が好きだな」
そう言って、手を差し伸べてくるマナカ。
その時のマナカは、とても輝いているように見えて……。
シンの顔から、自然に笑顔がこぼれる。そしてマナカの手を取った。
「ああ……そうだな」
「うん!」
そして、ちょうどその時、シンの視界にある物が入り込んで来た。
バスケットボールだ。
ボール遊びをしていたボールが逸れてきたのだろう。
そのボールはマナカへ向かっている。
危ないと思ったシンは、マナカを庇う為身体を差し出す。
「ぎゃふんっ」
「っ! シンくん!?」
バスケットボールがシンの顔面に直撃した。
そして勢いそのまま勢い良く転倒。頭をゴツンと打ちシンは意識を失った。
「シンくん! シンくん!!」
「あまり体を揺らすなマナカ! 倒れた時に床で頭を打っている可能性がある、一先ず落ち着け」
「ネネちゃん……」
咄嗟に駆けつけたネネが的確な指示を出す。
「手の空いてる男子! 猫崎を保健室まで運ぶから手伝ってくれ!」
『お、おう』男子数名が腰を上げ、ネネがシンの頭側を持ち、もう一人の男子が足を持ち慎重にシンを持ち上げる。
「あまり振動を与えないように、ゆっくりと運ぶぞ」
「は、はいっ!」
ついつい、手伝いの男子生徒が敬語になってしまう程の圧でネネは指示を出していた。
そして指示を出し終えた所で、バスケットボールをシンにぶつけた男子生徒数名を睨み付ける。
「ボール遊びも、程々にしときなさいよ」
その男子数名はシュンとなり……『すみません……』と声を落とした。
そのまま、シンは保健室へと運ばれる事になる。
この時の時刻は十三時三十六分。
この日たまたま、先生が授業に遅れていた故に起こった悲劇であった。
しかしこの悲劇が後に、シンの運命を――
そして、人類の運命を――
大きく変える事になる。
この時はまだ、それを誰も知らない。
知る由もなかった。
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