第10話
「し、しぬ……」
ジムから帰った後、俺は玄関先で靴を脱ぐことも出来ずに倒れた。
あの後、「準備してくる!」と言って、トレーニングウェアに着替えた莉緒ちゃんはなんとも美しかった。贅肉のない綺麗な腹筋に、くびれたウエスト。そして、ウェアに押し込められつつも、主張してやまない胸元。ぴっちりとしたトレーニングウェアは彼女の美しさを余すことなく表現していた。
その姿に俺はすっかり見惚れた。
「そんなに見ないで……っ」
と、恥じらう莉緒ちゃんの姿まで最高だった。
こんな彼女が隣にいてくれるなら、何も辛いことなんてないじゃないか……!
だが、そう思ったのは最初の二十分だけ。
控えめに言っても、莉緒ちゃんのトレーニングは地獄だった。
もう無理だ、やめたい、出来ないと、俺が何度懇願しても、やめることは許されなかった。むしろ「口を開く余裕があるなら、まだまだいけるね!」と、とても良い笑顔で続きを促された。
「おにーさんは、莉緒のパートナーなんだから、ねっ!」と。
もう途中から汗なのか涙なのかわからない液体を俺は垂れ流しながら、とにかく身体を虐め抜くこととなった。やっている最中、俺はなんとも酷い顔をしていたと思う……。
今思えば良い疲労感を感じた前半のバイトなんておまけのようなものだった。
莉緒ちゃん……見た目は天使なのに、トレーニング中には悪魔のように見えてくる。
あんなに目の前で人が辛そうにしているというのに、ニコニコと心底楽しそうに追い詰めるのだから。
あのイキイキした表情を見て、彼女の目的は一緒にトレーニングをしてくれる仲間が欲しかっただけなのだと理解した。こちらの都合なんて関係ない、ただ自分の享楽のみを追求する眼だった。
もう指一本だって動かしたくない。
俺は動く気力もなく、そのままゆっくり目を閉じた……
それから、俺を見つけた母さんが叫ぶまで、朝方まで玄関先でぐっすり寝てしまったのだった。
◆ ◇ ◆
俺はなんとかシャワーを浴びて、自分の部屋に入った。
あの後、母さんからは何があったのかと聞かれたが、バイトを始めることにしたんだ、とだけ説明し、話を無理矢理終わらせ、二階に上がった。母さんは、元々仕事が忙しく家にほとんどいないし、俺には大して興味もないだろう。今日も土曜だというのに、もう仕事に出掛けて行った。父さんも、雄大もいないらしく、家には一人だ。休むのにちょうどいい。
バタっとベッドに横になり、身体を休ませる。
動かなくても、全身痛いものは痛い。
「今日が休みでマジでよかった……」
海さんからは、次のバイトは明後日だと言われたし、今日の予定は何もない。一日、ゆっくり寝ていられる。
息を大きく吸って、もう一眠りしようと目を閉じたところでーー
スマホがブルル……と震えた。
腕を上げるのもつらくて、スマホさえ見る気になれない。
「俺は寝るからな」
そう小さく宣言して、目を瞑る。
しかし、何度もスマホは振動し、俺の睡眠を妨げる。
「あぁ、もうっ!!」
イラッとしてスマホを手に取ると、思いがけないメッセージ。
「今、家にいる?」
「向かってるんだけど」
「会えない?」
「寝てる?」
「おーい」
「ねぇ」
「もう着いちゃったんだけど」
莉緒ちゃんだ!!
俺は慌てて、部屋のカーテンを開けて、下を覗き込むと、こっちを見て、手を振る彼女がいた。
ポニーテールがめちゃめちゃ似合ってる……可愛い。
俺は痛む身体に鞭を打って、急いで下に降りた。
少し緊張しながら、玄関の鍵を開ける。
そこには確かに莉緒ちゃんがいた。
「あの……どう? 身体は」
彼女は、少し申し訳なさそうに俺の顔色を伺う。
(……心配させちゃ悪いよな)
「あー……身体は平気だよ」
本当は全然平気じゃないが、隣で同じメニューをこなしてた莉緒ちゃんがこんなに平然としているのに、一歩も動きたくないほど辛いとは言えなかった。
「良かったー! 実はおじさんに初日からやりすぎだって怒られちゃってさ。様子を見にきたの」
「あ、ありがとう」
「ううん、こっちこそ昨日は無理させちゃってごめんね」
そう言って彼女は、上目遣いで、小首を傾げた。
うぅ……タイプすぎる。
俺は彼女の可愛さに胸が苦しくなり、少し目線を外して、答えた。
「いや、ほんと気にしないで。大丈夫だから」
「ほんと?」
「ほ、本当だよ」
その上目遣いで、ますます顔を近づけないでほしい。
視線に困った俺の目は泳いでるだろうし、顔もどんどん熱くなる。
それでも、彼女はじーーっと俺を見つめた。
「あの……っ、莉緒ちゃーー」
「つん」
「っ!!!!」
莉緒ちゃんが俺の腹をつついたその瞬間、ピシーッと痛みが走る。
「り、莉緒ちゃん……なんで……」
「やっぱり全然平気じゃないじゃん。もう痛いなら痛いって言ってよ。お邪魔しまーす」
莉緒ちゃんはズカズカと家の中に入ってくる。
そして、スタスタと階段を登っていく。
痛くて、彼女に追いつけない。
やっとの思いで階段を登り、俺は部屋の扉を開けた。
そこには、俺のベッドの上に座る莉緒ちゃんがいた。
(俺の、ベッドの、上に……)
変な想像をしてはいけないと思うのに、俺の喉はゴクッと鳴る。
「おにーさん、早くこっち来て」
莉緒ちゃんの唇が……やけに赤く見えた。
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