第7話

 「莉緒ちゃん」


 あの日、俺がメッセージを送った相手は莉緒ちゃんだった。今日は、直接話したいと言って、ファミレスに呼び出した。


 俺を見つけた莉緒ちゃんは笑顔でこちらに駆けてきて、俺の向かい側の席に座った。


 「思ったより、元気そうじゃん♪」


 弾んだ声で莉緒ちゃんが話しかけてくれる。

 それなりに重い話をしに来たはずが、なんだかデートの待ち合わせをしているカップルのような雰囲気に戸惑う。俺は莉緒ちゃんから目線を外して、メニューを渡した。


 「な、なにか頼む? 今日は俺が奢るよ」


 「うれしー! じゃあねぇ……この季節のパンケーキ頼んでいい?」


 「うん、もちろん」


 この前、遅くまで付き合わせてしまった御礼もある。今日はケチケチせずに奢るつもりだった。ウェイターを呼び、注文を済ませる。


 「この前はありがとう……。あの、これ」


 俺はこの前借りたタオルを返した。本当は俺が使ったものなんて返されたくないと思ってるかも……と、新しいタオルを買うことも考えたのだが、どんな柄のタオルを買ったら良いかわからず、結局洗って返すことにしたのだった。


 「ありがとー! あげても良かったけど、このタオル、気に入ってたから戻ってきて嬉しい!」


 「ううん、こちらこそ……。本当にこの間は迷惑かけました」


 俺がそう言って頭を下げると、莉緒ちゃんは柔らかく笑ってくれた。


 「莉緒、おにーさんが連絡くれて、嬉しかったよ。……雄大からおにーさん達カップルは長いって聞いてたから、もしかしたら別れないって選択肢もあるかもって思ってたから」


 「うん……でも、目が覚めたんだ。相手を大事にしたいと思ってたのは俺だけだったんだって……。由衣が高校に入って変わったことはわかってたけど、それを俺は認めたくなかった。

 ……本当は気持ちが釣り合わなくなった時にもう離れるべきだったんだ。それを先延ばしにしたから、こんなことになって。ほんと情けないーー」


 「情けなくなんてないっ!」


 莉緒ちゃんが机を叩いた。莉緒ちゃんはそのまま頬を膨らました。


 「おにーさんには、少し自信が足りないだけ。悪いのはあいつらじゃん。そんなに卑屈にならないで!」


 「……ご、ごめん」


 なんだか悪いことを言ったような気がして、思わず謝る。それを見て、彼女は口を突き出して、不満そうだ。


 「だから、なんで悪くないのに謝んの?」


 「あー……そう、だね」


 少し気まずい空気が流れた後、莉緒ちゃんが頼んだパンケーキが届いた。それを莉緒ちゃんはスマホで写真を撮ってから、嬉しそうに頬張りはじめた。


 「んまーっ!」


 くぅーっと目を閉じて、食事を堪能する姿はどこか幼く見えて、可愛い。パクパクと食べ進めながら、莉緒ちゃんは再び話を進めた。


 「で、おにーさんは本当に彼女さんと別れる、でいいんだよね?」


 「うん……そうだね。流石にもう、無理だな……って」


 「それでいいと思う! 浮気女といても良いことなんてない! 優しいおにーさんには、一途な彼女が似合ってるよ、私みたいな」


 「……え?」


 「もーっ! 反応薄っ」


 莉緒ちゃんは少し拗ねている。

 俺は突然のことに驚きすぎてまともに反応できなかっただけなんだが、彼女には反応が薄いと取られてしまったようだった。


 (……もちろん冗談、だよな? 俺みたいのが相手されるわけないし……)


 「で、今日の本題なんだけどーー」


 グルグルと考え事をしていると、莉緒ちゃんがまた話し出した。もうパンケーキは食べ終わったらしい。こんなに細いのに、意外によく食べるみたいだ。


 「雄大に一発かましてやるなら、私協力するよ?」


 「雄大に……?」


 「うん。だって、このままじゃムカつくじゃん。流石に元カノさんは無理だけど、雄大は兄弟だし、一発くらい殴ってもただの兄弟喧嘩ってことでーー」


 (は? ……殴る??)


 「えっ……待って! 待って!!」


 「ん?」


 莉緒ちゃんは不思議そうな顔をして首を傾げる。


 「もしかして『一発かます』って言うのは、拳で殴るって話なの?」


 「うん。そだけど」


 まさかの回答に俺はポカンと間抜けな顔をしていただろう。


 てっきり『一発かます』というのは、二人に何か復讐めいたことをするのだと想像していた。


 (ざまぁをする……だなんて、ラノベの読み過ぎ、か。でも、莉緒ちゃんの作戦は無理だろ……)


 「あの……情けない話なんだけど、雄大は運動神経が抜群で、俺は力とかじゃ絶対に勝てないと思うんだ。俺のパンチなんて易々と躱されて、お返しに重いパンチが返ってくる想像しかできないよ」


 俺は苦笑いをしながら、グッと机の下で拳を握った。雄大に勝つことなんてとっくの昔に諦めたはずなのに、惨めな気持ちが胸に込み上げて、苦しくなる。


 「だろうねー」


 あっさりと莉緒ちゃんに肯定されて、驚くと同時にショックを受けてる自分がいた。


 (だよな……誰が見ても俺が雄大に勝つなんてーー)


 「でも、それは今のままじゃ、でしょ?」


 「え……」


 「出来ないなら出来るようになったら、いいだけじゃん。それに私、それを現実にする方法知ってるよ?」


 「それを、現実に……。俺が、雄大を……殴る?」


 「そう。暴力で解決するつもりじゃないけどさ。ここまで傷を負わされたんだから、慰謝料がわりに一発くらいかましてやろうよ」


 そう笑う莉緒ちゃんに嘘はないような気がした。


 「……本当に俺にそんなことが出来るのかな……」


 子供の頃からずっと雄大に負け続けてきた。兄なのに何一つあいつに勝てなくて、何度も泣いてきた。そのうち、あいつと競うことから逃げるようになって、負けても仕方ないと思うようになっていった。そんな俺の気持ちを見透かすように、莉緒ちゃんは言った。


 「できるよ。おにーさんは、できる」


 少しブラウンがかったその大きな瞳には芯の強さが見て取れる。

 ……俺も、強くなりたい……。もう逃げながら生きたくない。


 「……莉緒ちゃん。……俺、やりたい。

 あいつに、雄大に、一発かましてやりたい」


 俺は気付いたら、そう答えていた。


 

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