第6話
俺たちは近くの小さな公園のベンチで隣り合って座っていた。
莉緒ちゃんは俺の泣き顔を見て、目を丸くはしたが、何も言わないでいてくれた。すぐにニッと笑って「また付き合ってくれる?」とだけ言うと、俺の手を引いてこの公園に入ったのだ。
公園と言ってもほぼ空き地だ。大きな木が一本とベンチと水道くらいしかないこの公園には誰もいなかった。ベンチで項垂れる俺の隣で、莉緒ちゃんは空を眺めていた。
思い出したくないのに二人の会話が何度も頭の中でリピートされる。
『翔吾くんとそんなの考えられないもん』
『付き合ってるのは、俺とヤる時の背徳感がたまらないからでしょ?』
もう泣きたくなんてないのに、情けなくも涙が溢れて、俺は莉緒ちゃんが隣にいるにも関わらず嗚咽を漏らした。俺は必死に袖口で涙を拭き、声を抑えようとした。しかし、思うようにいかない。
(くそ……っ! どこまでかっこ悪いんだよ、俺は)
そう思った時、スッと横から可愛らしいピンク色のタオルが差し出された。
「どーぞ」
俺が無言で受け取らずにいると、莉緒ちゃんは無理矢理、俺の手にタオルを押し付けた。
「泣きたい時は思いっきり泣くの! 出し切っちゃいな!」
「り゛、りお゛……ちゃん゛……っ。ゔっ……うぅ~」
「はいはい」
莉緒ちゃんは優しく俺の背中をさすってくれた。
それが、嬉しくて……でも、やっぱり情けなくて。
莉緒ちゃんは気になるはずなのに、何も聞かずにただ一緒にいてくれた。彼女は俺が何かを話すことを待っていたのかもしれないが、俺はずっと話せなくて、気持ちが落ち着いてきた頃にはすっかり日が暮れていた。
「……ごめん、付き合わせて」
「ううん、別に暇してたし! おにーさんといられて嬉しかったよ! 私、邪魔じゃなかった?」
「全然。……本当に、あの……ありがとう」
「よかったー!!」
ずっと沈黙していてつまんなかったはずなのに、屈託なく彼女は笑った。しかし、同時にその笑顔の奥に雄大が一瞬浮かんで、俺は彼女から目を逸らした。
「……おにーさん。言いたくないなら、無理に聞かないけど……もしかして雄大と何かあった?」
答えに詰まる。由衣と雄大の浮気はほぼ確実だ。
だけど、それを安易に彼女に伝えて良いものか迷う。
(知らないで上手く行っているなら、知らない方が幸せなんじゃないか……今日までの俺のようにーー)
しかし、そんな俺の心内を見透かしたように真剣な顔で莉緒ちゃんは言った。
「もし私に関係あることなら、ちゃんと言ってほしい」
そう言って、莉緒ちゃんは俺を真っ直ぐ見つめた。
(……莉緒ちゃんにも知る権利がある、よな……)
俺は決意を決めた。
「由衣が浮気をしていたんだ…………雄大と」
莉緒ちゃんは一瞬ピクっと反応したが、「そう……」とだけ言葉を返した。
そして、俺はポツポツと出来るだけ自分の感情が入らないように、今日の状況を伝えた。俺が聞いて欲しかったのかもしれないが。
「……酷い」
全てを聞いて、莉緒ちゃんはそう呟いた。そして、目に涙を溜めていた。
彼女も付き合い始めたばかりの彼氏に裏切られて、辛いのだろう。
(由衣も……雄大も…………何やってんだよ……!)
莉緒ちゃんの涙を見て、ふつふつと怒りが込み上げてくる。
「おにーさんは、これからどうするつもり……?」
「え?」
「……彼女さんのこと、裏切られてもまだ好きなの?」
眉を困ったように下げて、莉緒ちゃんは俺に尋ねた。
その瞳はまだ濡れていて、綺麗だ……なんて、こんな時にも莉緒ちゃんの可愛さに目を奪われる自分に呆れる。
でも、これからのことなんて、考えてもいなかった。今はただ由衣に裏切られたのが悲しくて、雄大に寝取られたのが悔しくて、逃げてばかりの自分が情けなくて……由衣との交際をどうするかなんて決められない。
俺が唇を噛み締めて、下を向くと、莉緒ちゃんは言った。
「もし……おにーさんがこのまま気づかないフリをして、彼女さんと幸せに過ごしたいって言うなら、あたしは何も言わない」
確かにそういう選択肢もあるのかもしれない。雄大も由衣も付き合っている感じではなかったし、今は盛り上がっているが、時間が経てばこの関係性はそのうち終わるのかもしれない。俺が知らないふりさえすれば……
「でもーー」
莉緒ちゃんの声で現実に引き戻される。
「おにーさんが二人に腹を立てていて、別れようって思うなら、私に連絡して。一発かましてやろうよ」
拳をまっすぐ突き出して、彼女は悲壮感など微塵もなくニッと笑った。
◆ ◇ ◆
自室で一人、メッセージアプリの画面を眺める。そこには確かに「りお」という名前がある。俺はあの後、莉緒ちゃんと連絡先を交換して別れた。
(一体どういうことなんだろうか。一発かましてやろうと言うわりには、俺が望むなら何も言わないって言うし……)
「俺はどうしたいのか……な」
帰ってきて雄大の顔を見たら、腹は立ったが、予想以上に落ち着いている自分がいた。雄大に何かを取られることには慣れてしまったのかもしまって、諦めているのかもしれない。
それに「一発かましてやろうよ」と言った莉緒ちゃんの言葉がやけにはっきりと脳内に響いて、今は何もしない方がいいかと、気持ちが抑えられた。
しかし、由衣からの電話は取ることが出来なかった。雄大とあんな風にいちゃついていたのに、その夜に彼氏に電話をかけられるその神経を疑いたくなる。今までもそういうことがあったんだろうかと思うと、全身に鳥肌が立った。
それに由衣は俺がいることでの背徳感をスパイスとして雄大との交わりを楽しんでいるかのような口ぶりだった。由衣にとって、もう俺は彼氏でもなんでもなく、自分が楽しむための玩具のような存在に成り下がっていたのだと今更ながら気付いた。
スマホがピロンとなり、由衣からのメッセージを画面に表示した。そこには、「浮気でもしてるんじゃないの?」とあった。
「どの口が言ってんだよ……っ」
自分にやましいことがあるから、こうやって俺のことを疑うのだとようやくわかった。
俺は、スマホを掴んで、メッセージを送った。
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