第4話

 俺たちが座る席は後ろから三列目の右端の席だった。

 由衣と雄大が座る席は俺がチケットを取った中央席。俺の席からは由衣と雄大の様子がそれなりに確認できた。


 (莉緒ちゃんに押されて、こうなっちゃったけど、由衣が嫌がるような素振りを見せたら、すぐに助けに行かなきゃ)


 そう思っていると、俺の右腕にぐっと何か柔らかいものが押しつけられた。俺の腕にしっかりと莉緒ちゃんの腕が絡む。


 (こ……この感触は……っ!!)


 「おにーさん。

 今は、莉緒が……彼女♪ね?」


 莉緒ちゃんは、耳元でそう囁いた。

 確かに視界には楽しそうに雄大と笑い合う由衣が入ってはいるものの、俺の神経は右腕に集中してしまっていた。


 「り、莉緒ちゃん……こういうことはーー」


 駄目だと言おうとした時に、照明が落とされる。


 「ほら、始まりますよ……おにーさん、集中して」


 (な、何に集中しろって言うんだ?!

 あぁ、もう……なんかいい匂いまでするし……)


 俺はガチガチだった。莉緒ちゃんの視線を感じるものの、緊張しすぎてそちらを見ることすらできない。相変わらず右腕は優しくホールドされているし、なんなら腕を引かれて、俺の指先は莉緒ちゃんの腿の上に置かれている。


 (莉緒ちゃんの体温が伝わってくる……。それに指先に触れる肌の感触が……すべすべだ……)


 そんなことを思っていたら、指先が動いていたらしく、莉緒ちゃんが「ん……」と小さく声を漏らした。その声にハッとして、指先を止める。一気に汗が出てきて、身体がより強張る。


 (やばい……何か言われる……?)


 しかし、莉央ちゃんは俺の予想に反して、コテンと甘えたように肩に頭を預けた。


 俺の右肩から下は全て莉緒ちゃんに触れている……なんて幸せな右腕……。


 映画がどんどんと進んでいくが、ストーリーなんて微塵も入ってこなかった。時々甘えたように俺に身体を擦り寄せる莉緒ちゃんが可愛くて……まるで試されているような気分だった。


 (大体なんで莉緒ちゃんはこんなことをするんだ……? 喧嘩をした雄大への当てつけなんだろうが、今こんなことをしても雄大には見えてないのに……)


 その時、ありえない一つの考えが頭に浮かぶ。俺が雄大に勝てる部分なんて一つもない……雄大の彼女が俺に興味を持つなんてあるはずなんてないのに。


 幼い頃からそうだった。雄大は俺の一つ下なのに、俺の真似をしてるうちになんでも俺より上手くやった。最初は仲良く遊んでいても、俺は雄大の方がうまくやるのが面白くなくて、そのうち一緒に遊ばなくなった。雄大から見たら、戦いから逃げてばかりのかっこ悪い兄貴だろう。……馬鹿にされても仕方ない。


 そう我に返ったら、莉緒ちゃんに腕を絡ませてられて、有り得ない妄想をしている自分が情けなく、恥ずかしくなってくる。


 「……莉緒ちゃん。あの、やっぱり腕をーー……っ」


 チラッとそちらを向くと、莉緒ちゃんとガッチリ目が合う。

 俺は大きく力強いその瞳から目が離せなかった。


 「だーめ。離してあげない」


 そう囁く莉緒ちゃんの唇はフルンとして、俺を誘っているように見えた。拗ねたように唇を少し突き出してーー


 (あぁ……なんて可愛い唇……)


 吸い込まれるように莉緒ちゃんを見つめる。莉緒ちゃんも熱い視線を返してくれているように見えーー


 「やめてっ!!」


 ハッとしてスクリーンを見ると、ヒロインは目に涙を浮かべていた。


 そのシーンを見て、ハッとする。


 (俺は一体何をしようとして……。由衣がいるのに、雄大の彼女である莉緒ちゃんにキスしたいと思うなんて……!俺は本当の豚野郎になるところだった!!)


 胸に罪悪感が込み上げる。そこから、映画が終わるまで、俺は莉緒ちゃんの方を見ることが出来なかった。


 それでも……弱い俺は莉緒ちゃんが絡みつく腕を振り解くことが出来なかったけど。


   ◆ ◇ ◆


 「意外に楽しかったね」


 終わってみれば、由衣の映画の評価はそれなりに良かった。予想外に面白かったからか、機嫌が良い。


 「他人の意見に左右されちゃダメだね。やっぱり私の好みを一番わかってるのは翔吾くんだよ!」


 ニコニコと由衣は俺に笑いかけながら映画の感想を語るが、映画の内容なんてまるっきり入っていない俺は、なんとか相槌を打つくらいしか出来なかった。


 映画が終わると、あっさり莉緒ちゃんは俺の腕を離し、雄大のところへ戻っていった。何もなかったような顔をして「良かったら、また四人で遊ぼうねー!」と笑顔で去っていった。


 あの映画館での触れ合いはなんだったのか……結局、俺をからかっただけだったんだろうか……


 「ねぇ、翔吾くん……?」


 グッとシャツの裾を引っ張られ、俺は足を止めた。


 (やばっ! 由衣とのデート中なのに)


 「あ、そのーー」


 慌てて誤魔化そうとしたが、何故か謝ったのは由衣の方だった。


 「ごめん」


 「は?」


 「……翔吾くんは私と映画観たかったのに、私が雄大くんでも良いなんて言ったから怒ってるんでしょ? 私のために良い座席まで予約して取ってくれたのに、翔吾くんはあの煩いギャルと端の席に座ることになっちゃったから」


 俺は意味がわからず固まる。由衣は上目遣いで俺の手を軽く握った。


 「翔吾くんも大変だったよね。あんなギャルの相手をすることになって。私、ああやって男に取り入ることしか考えてないような人種って本当苦手。男性にはわかんないかもだけど、ギャルなんてメイクとったら、超不細工だったするんだよ? 自分に自信がないから、ああやって本当の顔隠して。てか、雄大くんもあんなギャルじゃなくて、もっと可愛い子を選んだら良いのにーー」


 驚いた。


 何に驚いたかというと、由衣が莉緒ちゃんのことを貶めるようなことを言ったことにだ。好きなメイクして、好きな顔になることの何がいけないんだろうか? ……以前の由衣は軽々しく誰かを傷つけるような発言をする人じゃなかったのに。


 中学時代、由衣は決して目立つ存在じゃなかった。暗くて、あまり喋る方でもないので、通っていた中学校では陰口の対象になることも多かったと話していた。由衣もそれで傷ついてきたからこそ、そういう発言をしない子だろうと思っていたが……


 (由衣は、元々こういう人だったんだろうか……?)


 俺は、由衣の瞳を真っ直ぐに見返すことが出来なかった。

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