第1話 始まりは|残《ざん》|酷《こく》で|愛《いと》しくて
エリアナ・ミラー王女の一日は、まずアーリーモーニングティーから始まる。
ベッドの上で飲む紅茶は、なんと
それから新聞を読み、国民の生活を知る。政治、経済、文化、果てはゴシップまで。朝の習慣だった。
その次にはバスタイムで、
女の
そうして身支度が終わると、届いた手紙の返事をひたすら
昼食後はひたすらお茶会に参加して、または
「はぁ。王女も楽じゃないわね」
午後のお茶会が終わり、自分の部屋に
自室には気心の知れた侍女と護衛騎士だけがいる。思う存分気を
「ですが、
「ありがとうユーイン。あなたにそう言ってもらえると自信がつくわ。でも、もっと頑張らないとね」
彼はエリアナの騎士の中でも、特に尊敬の念を伝えてくれる
背が高く、
なのにむさ苦しい
ただ一つ、思うところがあるとすれば。
(相変わらず
もう何度そう思ったことだろう。
近衛隊にいた彼をひと目見て、エリアナが父王に
周りは、エリアナが彼の
けれど実際は違う。
ユーインは、前世のエリアナの恩人なのだ。
領主の娘、シルヴィア。恩人で、
とてもとても大切な、エリアナの友人。
ひと目見て、ユーインが〝彼女〟だと
姿は全く
エリアナがアルバートにユーインを
ユーインに思いきり
「ふふ」
「? どうされました、王女殿下」
つい思い出し笑いをしてしまって、聞きつけたユーインが不思議そうに小首を
「いえ、少し思い出してしまっただけよ。あなたとアルバートが初めて会ったときのこと」
ユーインの
なんともかわいそうな話だが、彼はアルバートが苦手らしい。
そして彼には、前世の記憶がない。
「ずっと疑問なのですが、なぜ殿下はあの方と親しくしているのです?」
心底理解できないといった
彼は
そこはシルヴィアと全く同じで、やっぱり魂は同じなんだと実感する。
「なぜと言われても、彼は私の
「ですが、それだけです。幼少の頃は婚約者候補だったらしいですが、それももう外れたと聞いております」
「ええそうね。今はもう違うわね」
子どものとき、それを理由に顔合わせをさせられた二人だったが、実は婚約者というわけではない。
というより、エリアナに今、婚約者はいない。
おそらく兄王子の婚約者が決まるまでは、エリアナの話も進まないだろう。
それにほっとしているような、もどかしいような。
(またアルバートが
だから、もし自分の結婚にわがままを聞いてもらえるなら、本当は他国に
何よりも、自分の視界から物理的に彼を追い出せる。
(本当は別に今だって、遠ざけようと思えば遠ざけられるのにね)
なにせエリアナは王女で、アルバートよりも身分が高い。
それもあって、ユーインはあんな疑問を口にしたのだろう。──なぜ殿下はあの方と親しくしているのです? と。
アルバートが気安くエリアナの
自分でも気づいているこの
ただそれは、たったひと言に置き
──彼に、恋をしているから。
好きだから、他の女性を
好きだから、少しでも
「……
少し
「失礼いたしました。
ソファに座るエリアナの前にやってくると、彼は
そんなところもまた、シルヴィアと同じだった。彼女もまた、当時の貴族にしては
だからこそ、恋敵であろうとも、前世の自分は彼女を
「エリアナ、ちょっといい? 相談したいことが──って何してんの!?」
ちょうどユーインがエリアナの手の甲に
彼の次の行動が容易に想像できたエリアナは、さりげなく自分の手を引っ込める。
案の定。
「シルヴィが膝なんかついちゃだめだろっ。ほら立って。ああ膝が
アルバートがユーインの膝についたわずかな
(あ、まずいわ)
「アルバート。それ以上はストップよ、アルバート。いい加減気づいて」
「え?」
目が合った彼に伝わるように、ユーインへと視線を
そこでやっと自分が何をやらかしたのか、アルバートも理解したらしい。
彼の顔から血の気が引いていく。
「ユ、ユーイン。あの、今のは……」
「アルバート・グレイ
「っ、はい!」
「どうやら貴殿は王女殿下に対する
アルバートがひくりと口角を引きつらせた。
ユーインは絶対
エリアナは額に手を当てた。
「やめなさい、ユーイン。私は構わないから、少し落ち着いて」
「ですが
「そこまで!? いや、確かに名前を間違えたのは悪かったけど、別人ではないっていうか……」
「私の名はユーイン・ロックウェルです。もう二十三回目です、貴殿に名乗るのは」
「ああ、うん。よく数えてたね」
はは、とアルバートが
彼の言いたいことを理解できるのは、世界中どこを探してもエリアナだけだろう。彼と同じく前世の
(姿は違うけど、
前世の恋人と、その生まれ変わりであるユーインを。
きっとアルバートは、まだ現実を受け入れられていないのかもしれない。
(無理もないわ。ユーインと会うまで、ずっと言っていたものね)
──〝俺、絶対にシルヴィを見つけるよ。見つけて、今世こそ彼女の幸せを見届けるんだ〟
前世で
なのに
それでも最初の
「だいたいね、私とアルバートは幼馴染よ。いちいち挨拶されるほうが
「殿下がそうやって甘やかすから調子に乗るのです。やはり
そんなことを本人の前で言う彼も、なかなか失礼だとは思うけれど。
(まあでも、ユーインの
敬愛する王女に対する無礼はおろか、男の自分に対して女の名を呼ぶ。
そりゃあプライドはズタズタだろう。
「そうねぇ。距離を、ねぇ」
ちらりとアルバートを
でもその理由は、エリアナと離れたくないから、ではないのだ。
(どうせ
アルバートはユーインを
エリアナを訪ねれば、その護衛
だから、シルヴィアが男としてこの世に生を受けた今世でさえ、エリアナはアルバートの心がまだ彼女に向いていることを嫌でも理解させられる。
だから、今世もまた、アルバートに想いを告げられない。
(ほんと、なんでこんな面倒くさい人を好きになっちゃったのかしら、私)
自分でもわからない。
前世の自分は、死に
『リ、ジー……?』
今世で再会した彼が、前世の自分の名前を呼んだ
『リジーっ!』
なりふり構わず
太陽みたいに明るい笑顔は変わらなくて、その
嫌いになれるなら、とっくに
「エリアナ? どうしたの、ぼーっとして。もしかして体調でも悪い?」
アルバートが心配そうに
「違うわ。ちょっと考え事をね。それでなんだったかしら、距離を置くという話だったかしら? 悪いけど、今のところそれは考えてないわ。ごめんなさいね、ユーイン」
エリアナがきっぱり言うと、アルバートは喜色を
しかしすぐに自分の立場を思い出したように、ユーインが
「差し出たことを申し上げました。お許しください、殿下」
本当に、
だから今世も、
「私は気にしてないわ。だからあなたも気にしないで」
「はい、ありがとうございます」
ふわり、ユーインが優しく笑う。その笑みを見て、エリアナもまた
きっかけはある意味不純だったけれど、エリアナはユーインを自分の騎士にして良かったと思っている。
なぜならエリアナは、ユーイン・ロックウェルという男を存外気に入っているからだ。
シルヴィアの生まれ変わり、だけではなく。
ただのユーインとしても、気に入っている。
というより、ここまであからさまに親愛の情を伝えてくれる彼に、
「それで、アルバートは何か用があったんでしょ? なんだったの?」
話題を変えるために
まるで予想外のものでも見たような、あるいは小さな
「アルバート?」
「えっ?」
「『えっ?』じゃないわよ。だから、何か用があって来たんでしょ? どうしたの?
「いや、全然
「……そう。じゃあ、今は
「うん。二日に一回はエリアナの顔を見ておかないと心配だからね。今日は仕事が
ああ、本当に。アルバートはこういうこともさらりと言ってくるから困る。
でもその言葉にエリアナの望むような意味が
アルバートは前世に
彼より先に死んでしまった
(それもあるって知ってるから、余計に無下にできないのよね)
彼のこの
エリアナでさえ、気づいたのは最近だ。
最初はユーインを見て安心したように表情を緩めているのかと思っていたが、ユーインがいないときにも同じ表情を見せる彼に気づいたとき、エリアナは無言で
赤い顔を
「大丈夫、無理なんてしてないよ。それに、これは俺の自己満足だからね」
アルバートが
その表情に弱い自覚はあった。
「無理をしてないならいいわ。じゃあちょうどいいから、お茶にしましょう。私もこれから休憩だったし、お茶を飲みながらあなたの話を聞かせて」
「もちろん。ならこれ、お茶のお供にどうぞ。君の好きなスコーンを買ってきたんだ。最近人気の店なんだって」
「まあ! さすがねアルバート。そういう
「ポイントって……。まあでも、君の中のポイントが上がるなら買ってきたかいがあったかな」
「……そうね、
ふふ、と
(大丈夫、わかってるわ)
彼の言動を真に受けて、過度な期待を
そうして彼が選んだのは、自分ではない、
悪いのは彼じゃない。勝手に期待した、自分だ。
(だから、今世では絶対に期待しない。大丈夫、大丈夫)
だって彼は、エリアナの心を
彼にとって自分は家族で、特別で、きっと、
そう思ってもらえるだけでも、十分だと思わなければ。
「それで、聞いてくれるかい? 相談したかったのは、妹のハンナのことなんだけど──」
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