第1話 始まりは|残《ざん》|酷《こく》で|愛《いと》しくて

 エリアナ・ミラー王女の一日は、まずアーリーモーニングティーから始まる。

 ベッドの上で飲む紅茶は、なんとゆうで特別感あふれるのだろう。れられたダージリンを、砂糖もミルクもなしで飲むのがエリアナの好きな飲み方だ。前世の養護院生活では考えられないぜいたくである。

 それから新聞を読み、国民の生活を知る。政治、経済、文化、果てはゴシップまで。朝の習慣だった。

 その次にはバスタイムで、あせをすっきりと落とすと、じよにメイクをしてもらうのだ。

 女のたくは時間がかかる。前世によってそれを知っていたエリアナでさえ、王女の身支度の長さには驚いた。もう少し簡単でもいいのよ、と言いたいところだが、それで侍女やメイドたちから仕事をうばうのも気が引けた。

 そうして身支度が終わると、届いた手紙の返事をひたすらしたためたり、しゆうをしたり、勉強をしたり。あとは、自分が行っているぜん活動に精を出すこともある。

 昼食後はひたすらお茶会に参加して、またはしゆさいして、人脈作りにいそしむ。

「はぁ。王女も楽じゃないわね」

 午後のお茶会が終わり、自分の部屋にもどってきたエリアナは、お気に入りのクロムグリーン色のソファにもたれかかった。

 自室には気心の知れた侍女と護衛騎士だけがいる。思う存分気をいた状態でつぶやけば、騎士のユーインが答えてくれた。

「ですが、殿でんはとてもよくがんっていらっしゃると思います。国民の評判も良いですし、私としましても、まんあるじです」

「ありがとうユーイン。あなたにそう言ってもらえると自信がつくわ。でも、もっと頑張らないとね」

 彼はエリアナの騎士の中でも、特に尊敬の念を伝えてくれる健気けなげな騎士である。

 背が高く、こんいろの騎士服の上からでもわかるくらい、筋肉におおわれている男。

 なのにむさ苦しいふんはなく、所作も王族に仕える近衛このえにふさわしい洗練されたものだ。すずやかなアイスブルーの瞳は、いつも真っぐとエリアナを見守ってくれている。

 ただ一つ、思うところがあるとすれば。

(相変わらず前世むかしおもかげかいね)

 もう何度そう思ったことだろう。

 近衛隊にいた彼をひと目見て、エリアナが父王にたのみ込み、自分の騎士になってもらったのはずいぶんと前のことである。

 周りは、エリアナが彼のしい姿にれたからだ、とおくそくする。

 けれど実際は違う。

 ユーインは、前世のエリアナの恩人なのだ。

 領主の娘、シルヴィア。恩人で、こいがたきでもあった人。

 とてもとても大切な、エリアナの友人。

 ひと目見て、ユーインが〝彼女〟だとわかった。

 姿は全くちがうのに、たましいが同じだと直感的に思ったのだ。それはエリク──今世ではアルバートの名をあたえられた彼も同じだった。

 エリアナがアルバートにユーインをしようかいしたとき、アルバートが感きわまって彼にきついたことは王宮中の笑い話となっている。

 ユーインに思いきり殴られた拒絶されたことまで、王宮ではおもしろおかしくうわさされていた。

「ふふ」

「? どうされました、王女殿下」

 つい思い出し笑いをしてしまって、聞きつけたユーインが不思議そうに小首をかしげた。

「いえ、少し思い出してしまっただけよ。あなたとアルバートが初めて会ったときのこと」

 ユーインのけんにしわが寄る。

 なんともかわいそうな話だが、彼はアルバートが苦手らしい。

 そして彼には、前世の記憶がない。

「ずっと疑問なのですが、なぜ殿下はあの方と親しくしているのです?」

 心底理解できないといったぜいで、ユーインがたずねた。

 彼はなおだ。良い意味でも、悪い意味でも。

 そこはシルヴィアと全く同じで、やっぱり魂は同じなんだと実感する。

「なぜと言われても、彼は私のおさなじみよ?」

「ですが、それだけです。幼少の頃は婚約者候補だったらしいですが、それももう外れたと聞いております」

「ええそうね。今はもう違うわね」

 子どものとき、それを理由に顔合わせをさせられた二人だったが、実は婚約者というわけではない。

 というより、エリアナに今、婚約者はいない。

 ねんれい的にいてもおかしくはないのだが、諸事情で兄王子の婚約がされたとき、エリアナの婚約話も白紙に戻っている。王位けいしよう順位第一位の兄王子に気をつかった結果だった。

 おそらく兄王子の婚約者が決まるまでは、エリアナの話も進まないだろう。

 それにほっとしているような、もどかしいような。

(またアルバートがほかの女性と愛し合うところを見るよりは、先にけつこんでもして、彼を遠ざけられたらいいのに)

 だから、もし自分の結婚にわがままを聞いてもらえるなら、本当は他国にとつぎたいと思っている。そうすれば、彼も今のように気安く訪ねてくることはできないだろう。

 何よりも、自分の視界から物理的に彼を追い出せる。

(本当は別に今だって、遠ざけようと思えば遠ざけられるのにね)

 なにせエリアナは王女で、アルバートよりも身分が高い。

 それもあって、ユーインはあんな疑問を口にしたのだろう。──なぜ殿下はあの方と親しくしているのです? と。

 アルバートが気安くエリアナのもとを訪ねられるのは、エリアナが許しているからだ。

 自分でも気づいているこのじゆんを、口で説明することは難しい。

 ただそれは、たったひと言に置きえることもできてしまう。

 ──彼に、恋をしているから。

 好きだから、他の女性をおもう彼を見たくなくて。

 好きだから、少しでもいつしよにいたいと願ってしまう。

 はなれたいのに、離れたくない。おかしな矛盾。

「……だいじようよ、ユーイン。あなたはきっと、婚約者でもない男性と仲良くしていると私の評判に傷がつくかもって、そう心配してくれているのよね? でも大丈夫。節度は守るわ」

 少しなつとくのいかない顔をするが、ユーインはすぐに表情を切りえた。

「失礼いたしました。すべては、王女殿下のこころのままに」

 ソファに座るエリアナの前にやってくると、彼はひざをついてエリアナの手を取る。そのまま手のこうくちびるを落としてきた。

 真面目まじめな彼は、よくこうしておのれの忠誠心を示してくれる。

 そんなところもまた、シルヴィアと同じだった。彼女もまた、当時の貴族にしてはめずらしいほど真面目で一直線な性格だったから。

 だからこそ、恋敵であろうとも、前世の自分は彼女をきらいにはなれなかったのだ。

 しようしていると、侍女の一人が客を連れてきた。アルバートだ。

「エリアナ、ちょっといい? 相談したいことが──って何してんの!?」

 ちょうどユーインがエリアナの手の甲に忠誠キスを落としたところにやってきた彼は、部屋に入ってきて早々、その目をぎょっとさせた。

 彼の次の行動が容易に想像できたエリアナは、さりげなく自分の手を引っ込める。

 案の定。

「シルヴィが膝なんかついちゃだめだろっ。ほら立って。ああ膝がよごれてるじゃないか」

 アルバートがユーインの膝についたわずかなほこりはらう。

 いやな予感がして、されるがままのユーインをいちべつすれば、彼の口元がふるえているのをエリアナは見た。

(あ、まずいわ)

 あわててアルバートを止める。

「アルバート。それ以上はストップよ、アルバート。いい加減気づいて」

「え?」

 目が合った彼に伝わるように、ユーインへと視線をゆうどうする。

 そこでやっと自分が何をやらかしたのか、アルバートも理解したらしい。

 彼の顔から血の気が引いていく。

「ユ、ユーイン。あの、今のは……」

「アルバート・グレイ殿どの

「っ、はい!」

「どうやら貴殿は王女殿下に対するれいをどこかに落としてきたようです。取りにもどられるがよろしいでしょう。出口はあちらです」

 アルバートがひくりと口角を引きつらせた。

 ユーインは絶対れいのオーラを放っていて、あやうく部屋のすみひかえているじよたちにまでえいきようおよぼそうとしている。

 エリアナは額に手を当てた。

「やめなさい、ユーイン。私は構わないから、少し落ち着いて」

「ですが殿でん、彼は殿下にあいさつもなく、しかも何度注意しても人のことを別人の名で呼ぶような失礼な人間です。どう考えても殿下にはふさわしくありません。そつこくえんを切るべきかと」

「そこまで!? いや、確かに名前を間違えたのは悪かったけど、別人ではないっていうか……」

「私の名はユーイン・ロックウェルです。もう二十三回目です、貴殿に名乗るのは」

「ああ、うん。よく数えてたね」

 はは、とアルバートがかわいた笑みをこぼす。

 彼の言いたいことを理解できるのは、世界中どこを探してもエリアナだけだろう。彼と同じく前世のおくがある、エリアナだけ。

(姿は違うけど、こころが同じだから。だから、重ねちゃうのよね)

 前世の恋人と、その生まれ変わりであるユーインを。

 きっとアルバートは、まだ現実を受け入れられていないのかもしれない。

(無理もないわ。ユーインと会うまで、ずっと言っていたものね)

 ──〝俺、絶対にシルヴィを見つけるよ。見つけて、今世こそ彼女の幸せを見届けるんだ〟

 前世でかなわなかった願いを、彼は今世にかけていた。

 なのにふたを開けてみれば、想い人は男に転生しているというなんとも悲しい現実が待っていたのだ。そう簡単に受け入れられないのもうなずける。

 それでも最初のころよりも、アルバートがユーインの名を呼びちがえる回数は格段に減っている。

「だいたいね、私とアルバートは幼馴染よ。いちいち挨拶されるほうがめんどうだわ」

「殿下がそうやって甘やかすから調子に乗るのです。やはりきよを置くべきです」

 そんなことを本人の前で言う彼も、なかなか失礼だとは思うけれど。

(まあでも、ユーインのおこる理由もわかるのよねぇ)

 敬愛する王女に対する無礼はおろか、男の自分に対して女の名を呼ぶ。

 そりゃあプライドはズタズタだろう。けんを売っているのかとりたいに違いない。

 そうほうの気持ちがわかるから、エリアナはいつも頭をなやませている。

「そうねぇ。距離を、ねぇ」

 ちらりとアルバートをうかがえば、彼は勢いよく首を横にっていた。

 でもその理由は、エリアナと離れたくないから、ではないのだ。

(どうせシルヴィア様ユーインと離れたくないから、なのよね)

 アルバートはユーインをれんあい的な意味で好きなわけではないけれど、ユーインに見るシルヴィアのおもかげを求めて、よくエリアナを訪ねてくる。

 エリアナを訪ねれば、その護衛であるユーインにもほとんどの場合でそうぐうできるからだ。

 だから、シルヴィアが男としてこの世に生を受けた今世でさえ、エリアナはアルバートの心がまだ彼女に向いていることを嫌でも理解させられる。

 だから、今世もまた、アルバートに想いを告げられない。

(ほんと、なんでこんな面倒くさい人を好きになっちゃったのかしら、私)

 自分でもわからない。

 前世の自分は、死にぎわ、そんなつらこいが嫌で、もう二度と恋なんてしないと決めたはずなのに──。


『リ、ジー……?』

 今世で再会した彼が、前世の自分の名前を呼んだしゆんかん

『リジーっ!』

 なりふり構わずきしめられて、一瞬で前世むかしの想いがよみがえってしまった。

 太陽みたいに明るい笑顔は変わらなくて、そのひとなつっこいふんも一緒で。

 やさしく細められるまなしに、心がきゅうと切なく鳴いた。

 嫌いになれるなら、とっくにえんを切っていた。


「エリアナ? どうしたの、ぼーっとして。もしかして体調でも悪い?」

 アルバートが心配そうにのぞき込もうとしてきて、慌てて思考の底からじようする。

「違うわ。ちょっと考え事をね。それでなんだったかしら、距離を置くという話だったかしら? 悪いけど、今のところそれは考えてないわ。ごめんなさいね、ユーイン」

 エリアナがきっぱり言うと、アルバートは喜色をかべ、ユーインは不満げな顔をする。

 しかしすぐに自分の立場を思い出したように、ユーインがていねいこしを折った。

「差し出たことを申し上げました。お許しください、殿下」

 本当に、ちようがつくほど真面目な男だ。

 だから今世も、彼女かれにくめない。

「私は気にしてないわ。だからあなたも気にしないで」

「はい、ありがとうございます」

 ふわり、ユーインが優しく笑う。その笑みを見て、エリアナもまた微笑ほほえんだ。

 きっかけはある意味不純だったけれど、エリアナはユーインを自分の騎士にして良かったと思っている。

 なぜならエリアナは、ユーイン・ロックウェルという男を存外気に入っているからだ。

 シルヴィアの生まれ変わり、だけではなく。

 ただのユーインとしても、気に入っている。

 というより、ここまであからさまに親愛の情を伝えてくれる彼に、ほだされないわけがなかった。

「それで、アルバートは何か用があったんでしょ? なんだったの?」

 話題を変えるためにたずねれば、珍しくアルバートがエリアナを見てほうけた顔をしていた。

 まるで予想外のものでも見たような、あるいは小さなしようげきでも受けたような。

「アルバート?」

「えっ?」

「『えっ?』じゃないわよ。だから、何か用があって来たんでしょ? どうしたの? つかれてるならもう帰ったほうがいいんじゃない?」

「いや、全然だいじよう! 今のはちょっとおどろいた? だけというか。ユーインにはそんなふうに気のゆるんだ顔で笑うんだなって、なんとなく、思っただけだから。それに俺、このあとまた仕事に戻らないといけなくて、どちらにしろまだ帰れないんだよ」

「……そう。じゃあ、今はきゆうけい時間なのね?」

「うん。二日に一回はエリアナの顔を見ておかないと心配だからね。今日は仕事がおそくなりそうで、この時間しか空いてなかったんだ」

 ああ、本当に。アルバートはこういうこともさらりと言ってくるから困る。

 でもその言葉にエリアナの望むような意味がふくまれていないことは、すでに学んでいるのだ。

 アルバートは前世にとらわれている。それは何も、シルヴィアのことだけではない。

 彼より先に死んでしまったエリアナリジーに対しても、彼は異常なほどの心配を見せる。

(それもあるって知ってるから、余計に無下にできないのよね)

 彼のこのした訪問が、実はまさか生存かくにんの意味合いも含まれているなんて、いったいだれが気づくというのだろう。

 エリアナでさえ、気づいたのは最近だ。

 最初はユーインを見て安心したように表情を緩めているのかと思っていたが、ユーインがいないときにも同じ表情を見せる彼に気づいたとき、エリアナは無言でおうぎを広げていた。

 赤い顔をかくしながら思ったのは、そんなこと気づきたくなかった、というこうかいだ。

「大丈夫、無理なんてしてないよ。それに、これは俺の自己満足だからね」

 アルバートがまゆじりを下げて笑う。

 その表情に弱い自覚はあった。

「無理をしてないならいいわ。じゃあちょうどいいから、お茶にしましょう。私もこれから休憩だったし、お茶を飲みながらあなたの話を聞かせて」

「もちろん。ならこれ、お茶のお供にどうぞ。君の好きなスコーンを買ってきたんだ。最近人気の店なんだって」

「まあ! さすがねアルバート。そういうづかいは、女性のポイントがとっても高いわよ」

 ただよったあいしゆうはらうかのように、わざと明るい声を出した。

「ポイントって……。まあでも、君の中のポイントが上がるなら買ってきたかいがあったかな」

「……そうね、みぎかたがりだわ」

 ふふ、とみをりつける。こんな思わせぶりなことを言うのに、彼の好きな人は自分ではない。

(大丈夫、わかってるわ)

 自惚うぬぼれたりなんかしない。前世はそれで失敗したのだ。

 彼の言動を真に受けて、過度な期待をいだいたこともあった。

 そうして彼が選んだのは、自分ではない、かすみそうのようにれんせいれんな女性。

 悪いのは彼じゃない。勝手に期待した、自分だ。

(だから、今世では絶対に期待しない。大丈夫、大丈夫)

 だって彼は、エリアナの心をもてあそんでいるわけではなく、本心からそう思って言っているだけなのだから。

 彼にとって自分は家族で、特別で、きっと、おもい人の次に大切な存在。

 そう思ってもらえるだけでも、十分だと思わなければ。

「それで、聞いてくれるかい? 相談したかったのは、妹のハンナのことなんだけど──」

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