青い目と髪を持つ人達は水に流されて、緑の髪と目の人は風に吹かれて、赤い目と髪を持つ人達は炎に巻かれて、そうして夜の国にやってくる。もちろん、ほかにもいろいろな人々がいろいろな方法で、夜の国にやってくる。歩きに歩いてようやくたどり着いたのだ という人もいるし、何もわからない乳飲み子はどうやってここに来たのかもわかっていない顔をしている。本当に、色々な見た目の、様々な風習を持つ人々が夜の国には住んでいた。種族も、年齢も、見た目も、性別も、何もかもがバラバラの人々。唯一共通しているのは、ひんやりとした体の冷たさ。

 夜の国は死者の国。生きた人が最後にたどり着く、最期の場所。

 なんの変化もない、暗い場所だった、とルルスは語る。人の声には力がなく、幼い子供であってもどこか暗い。死んでいるのだもの、と大人達は頷き合って、あんな子供がねぇ、可哀想に、とささやきあう。赤子はいつまでも赤子で、子供はいつまでも子供で、大

人はいつまでも大人だ。そんな中、ルルスは生まれたのだ。


「生まれた?」

「はい。死者しかいない世界に、ある時、黒いもやに包まれて、元気な泣き声を上げていたのが私なのだそうです」


 幼い子供を残して流行病で死んでしまったばかりの女性が、その泣き声を哀れに思い腕にだいた黒いもやは、よしよし、とあやしているうちに人の子の形になった。そして、女性ははらはらと涙を零した。腕にだいた子供が、温かかったので。


「彼女が、私の育ての母となりました」


 何も育たない死者の国で、母は赤子を頑張って育てたのだ。埋葬された権力者などは副葬品と共にやってくる。そうでなくとも別れを悼んだ家族が何かしらを持たせることはある。新しい死者が訪れたと聞けば、女性は赤子を抱いて何日でも歩き、食べるものを分け

て欲しいと頭を下げた。食事は死者に不要だ。快く分けてくれる者が多かったが、中には生前の身分に固執して拒否する者もいたそうだ。


「最初は苦労したそうです。でも、私が物心着いた頃には、既に私という生きた子の存在は夜の国に知れ渡っていました」


 まだ死の苦痛を知らない幼子。触れれば温かな体の子供。生きたい、と騒がしく泣く赤子。それだけで死者たちは彼女を愛した。


「私は夜の国の正統な子供なのではないか、と識者の方々が言ったそうです。当時、髪や目の色が濃く精霊に近いほど、その国の中枢を占めていることが多かったそうで......ならば夜に愛された夜の子供なのではないか、と」


 死者達は色めきたった。なにせ彼らは何もすることがないのだ。 生前の知識しかなく、死後新たに何かを作り出すことも出来ない。 研究者達にとっては地獄にも等しい。新たな理論を考えようとして も、思考は滑ってしまう。そんな彼らにとって、成長し、知識を吸収していく子供は格好の教え子だった。人という種が生み出したあらゆる賢人が教師となった。詩人はかつて編み出した詩を送り、画家はかつて描いた絵の再現ならば出来ると描きなおした絵画を捧げた。かつて子供がいた大人達は入れ代わり立ち代わり彼女を撫でて、愛情を惜しみなく与えてくれた。


「私は、そうして育ちました。死者に育てられた」 「......愛されて育ったんだね? 名前は?」

「彼らは死者でした。だから、私に与える新しい名前を考えることはできなかった……」


 生きている子、夜の国の子、死の国の子、彼女は様々に呼ばれた。愛されたが故に、名前を与えられなかったと言っても良いだろう。他の誰かの名前ではなく彼女だけの名前を与えたいと皆が思っていたからこそ、誰も名前を口に出せなかったのだ。死者は、新しい物を作り出せない。


「人として愛されて人として育ちました。でも、ある日、私は夜の声を聞きました。私の母......私を夜の国に産み落とした、です」

「私が、父である神の炎アッカツネの声を聞くように?」

「ええ、おそらくは。は私を優しく抱いて、あやして、そして世界の理を私に教えてくれました。そろそろ釣り合っていた天秤が夜に傾くこと。全てが夜になり、また世界が始まること。やがて死と生が分離して死者は夜の国に追いやられるだろうけれども、それまで、私はきっと、話に聞くだけだった生者の世界を見れること」


 だから、私は待ち望んでいたのです。青空と星空の下にある世界が、夜に覆われるときを。全てが飲み込まれた後に「産む」という役割を果たして新しい世界が生まれて、そこで、私は日差しを浴びて、他人の温もりを感じてみたいと思ったのです。


「待ち望むことの罪深さを、今の私は知っています」

「そうか、うん......そうだね。私達はどうにか夜を退け......」


 なるほど、とソルタは理解した。彼女の言葉が正しいならば、この村は夜に飲まれなければならないのだ。


「......私は炎だ」

「ええ。創世の神話を思い出してください。闇があり、炎が生まれる。そうして世界は始まるのです」

「それは」

「あなたが私を妻に、と希ってくださった、それが私はとても嬉しかったし、今も嬉しいです。きっと炎と結びついて、世界は再生するだろうと母は言っていました。それがなくとも、あなたは誠実で優しく、私を愛してくれた」

「そうだね。私はルルスを愛している、だが私はこの村の人々に願われて人の姿をとった、ソルタなんだよ、ルルス」


 ルルスの言うことを受け入れるならば、ソルタは夜を退けることをやめなくてはいけない。夜に呑まれて、ほどけて、一度、人の世界は本当に終わってしまうのだ。


「ええ......だから私は......どうすれば良いのでしょう。私は、この村が好きです。でも、正しく生に満ちた世界が、在り方として正しいと思うのです」


 そろそろだ、のの一言で、夜の国の皆は溶けていきました。安らかな顔で、混沌の海に還っていった。あなたの産む新しい世界が楽しみだ、今度は私があなたの娘になるのね、と育ての母は私を抱きしめて還りました。みんながいなくなった後の世界は寒くて暗くて、それはずっと暮らしてきた夜の国と変わらなかったけれども、とても寂しかった......の気配も薄れてただ暗く、炎や光に出会うこともなく、漂っているうちに何もわからなくなった。どれだけの時間が過ぎたのか......。長は三百歳だと言うけれども、夜の中と時の流れがこの村と等しいとも限らない。

 畳み掛けるようにルルスは言葉を口に乗せていた。ソルタにはわからない言葉や、初めての言葉、考えたことの無い概念が詰められていて混乱したが、ただ、ルルスがソルタを愛してくれていること、この村の人々を惜しんでくれていること、しかしそれが失われた後に訪れるはずの世界を楽しみにしていることは理解した。

 世界、とソルタは考える。長の語る朝日の眩しさ、照らされた露のきらめき、もやが漂い湿り気を帯びる、甘やかな朝の香り。波揺れる大海原、熱い砂、湿り気を帯びた空気と夕立の香り。野菜や果物、肉など色々な生き物のものが食べられる世界。全てがソルタにとっては空想の物語だ。


「世界は美しいはずなのかな」

「私はそう聞きました」

「とても広い?」

「夜の国の誰も、世界の全てを見たことは無いと言っていました」


 ソルタは物語と、神殿に残っているわずかな書類の類から、かつての世界に人がたくさんいたことを知っている。信者からの喜捨、寄進が文字と数字で残されていたが、あれが正しいならばこの村を埋め尽くしてしまうほどの小麦がほんの十日ほどで集められていた のだ。小麦というのは豆のようなものだと、長は言っていた。それだけの小麦を育てて収穫して運べるだけの人がいて、その人たちの誰も、世界を隅々まで見たことはないのだという。


「ルルス。私にはわからない。おそらく君が思うよりも、私はずっと見識が狭いんだ。私は生まれた時からこの村しか知らない。今この村にいる九十八人。私が物心ついてから炎に還った十九人。合わせて百十七人が私の知る人のすべてなんだよ」

「それは」

「死者すべてが住むなら、きっと夜の国は広い土地を持った場所なんだろうな。君の育ての母も、食べ物を求めて何日も歩いたと。私の足で、炎に広がるまでもなく、神殿から世界の端まで歩いてぐるりと一周するのに一日あれば十分だ」


 だから、夜に侵食されていないか、見回るのは楽だ。浸食されているなら炎を呼んでそこで燃えてもらえばよい。ソルタが生まれるまではどんどん狭くなっていた土地も、いつでも燃料のいらない神の炎を呼べるソルタがいるからこそ、狭くなることはないのだ。


「きっと、暮らしていけるだろうと思う。ルルスの知る美しさも、 楽しさもないのかもしれないけど、この村で細々と。ねぇ、人に恋して恋されて、ぬくもりを分け合って新しい命の誕生を喜ぶのは、だめだろうか」


 ソルタが握ったルルスの手は震えている。


「ソルタ様......村を、広げるという話はないのですか」

「村を?」

「ええ。ソルタ様が、私が夜であるように、本質が炎であるソルタ様がいるのであれば、少しずつ土地を広げることも叶うでしょう? アッカツネを呼び、少しずつ村の外輪を広げる。新しい土地を得て、 畑を耕す。産めや増やせや、と土の民は言っていました。水の民も、 風の民も、......ソルタニーイェ、炎の民も、みな、そういっていました。人は生きて広がる、未知の世界への探求心を忘れることのできない生き物だ、と。新しいことはもう何も生み出せない死者であることが歯がゆいほどに、と、みなそう言っていました」


 土地を広げる。外に出ていくこと、それはきっと冒険だろう、とソルタは思った。とても、心躍る響きだ。そして、きっともう人が、忘れ、失ってしまった心なのだろう。


「......私は、正直なところ、美しい世界を見たいと思うよ。見れないのであっても、のちの人のために美しい世界を作ることができる のであれば、それでもかまわないと思う」

「ソルタ様」

「君はきっと、今まで生まれてきた人々すべての願いを背負っているんだな」


 だから、単純にこの村を選ぶことができない。でも、人のぬくもりを初めて知ったからこそ、この村を簡単に捨てることもできない。つらいだろう、とソルタはルルスを抱きしめる。愛されていたのは間違いないだろう。だが、生まれてから一度もぬくもりを知らないというのは、どういう気持ちなのだろう。


「……少し、長と話してくるよ、ルルス」


 話してくれてありがとう、とソルタはルルスに囁いた。

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