第41話 百万カラットの夕焼け

 三か月半後・・


 入院していた大学病院を出る増田俊を、紅のウインドブレーカー姿の娘が出迎えた。

 肩まで伸びたナチュラルウエーブの栗色の髪を、イチョウの黄葉が一枚、二枚、ひらひらかすめて舞った。大きな二重の目が、西の空の大きな太陽を反射して、俊を呑み込んだ。

「やっと退院かい」

 丸い頬が赤みを帯び、声も少し高揚している。

「留美、その顔、白くなったな。だけど、どうしておいらの退院、知ってるんだい?」

 と俊は問う。

「七菜に聞いたのさ。七菜も、この病院にかよっているからさ」

 八重歯が白くこぼれた。

 俊は鳶色の目を見つめ返した。

「留美は? 進路は決まったのかい?」

 留美の目が細くなった。

「ああ、ああ、全国優勝のおかげで、幾つも大学から、ソフトテニス特待生のお誘いが来たよ。あたい、地元の明光大学に決めたんだ。あんたの後輩になるってわけさ」

「うわあ、びっくり」

「それで、今は、あたい、紅玉の後輩と練習してるってわけさ。だから、今日、あんたを迎えに来たんだ」

「へっ?」

 留美の目が三倍に膨らんだ。

「へっ、だってえ? あんたがまた入院したせいで、紅玉高校は、新人戦、東青山学園にボロ負けだったんだ。エースの七菜は、肘のケガが治ってなくて、左手で練習して試合に出たけど、通用しなかったし。おまけに、七菜、インハイ決勝以来、二重人格になっちゃって、精神科にも通っているんだよ。それから、キャプテンのキララは、ケンカで停学くらっているし。まゆは負けたショックで、失語症だし。サッコも、ミーコも、リンリンも、みんな谷底へ転げたように落ち込んで、暗い顔で練習してるんだ。それもこれも、みんなあんたが悪いんだよ。だからさ、ほら、あたいが、こうやって迎えに来たんだ。あんた、もう、杖なしで歩けるんだろ?」

「へっ? へっ?」

 目を丸くする俊の腕を猫パンチのような早わざで奪い、留美は腕を組んで歩き出した。

 娘の髪から発せられるフローラルな微粒子にくすぐられ、俊は戸惑った。

「テニス教えるのは、留美を日本一にするまで、って約束じゃなかったっけ? 男と女の約束は、法律より絶対だし、地球より重い、って言ってなかったっけ?」

 留美は組んだ腕をぐいぐい引っ張りながら言う。

「あたいの日本一は、もう終わったことさ。すべての終わりは、すべての始まり、って言うじゃないか。あたいも、紅玉の一二年生たちも、あんたが退院するのを、みんな、ろくろ首になるくらい、首を長くして待っていたんだ。みんな、あんたのホラでその気になって努力したのに、新人戦で砕け落ちて・・だからあんた、責任取ってもらうからね」

「へっ? へっ?」

 俊の肘が娘の胸に引き寄せられた。


 市営コートに着いた時、太陽はさらに紅く膨らんで、西の山脈を燃やしていた。

 入口からコートに入ると、マネージャーの璃子を含めた六人の娘が、俊と留美の前へ駆け寄って来た。

「ほら吹き俊だ。ほら吹きコーチが帰って来た」

 と最初に叫んだのは、いつも笑顔の璃子だった。

 続いて、天然パーマ髪の細い顔に大きな目の遠山佐子が、いきなり胸のボタンを外し、桜吹雪の下着をチラリと見せて啖呵を切った。

「おうおう、ここで会ったが百年目、あんたのその顔とあまたのホラ、わたしのこの胸に咲いた桜吹雪が忘れちゃいねえんだぜ」

 留美が俊に教えた。

「キララが停学中で部活来れないから、サッコが、今はキャプテン代行なのさ」

 俊は佐子に笑顔を見せた。

「やあ、遠山のサッコさん、今日も桜吹雪がセクシーだね」

 そう言った瞬間、隣の留美にゲンコツ喰らった。

「だからおめえは、ヘンタイ、って呼ばれるんだよ」

 それを受けて口を開いたのは、丸顔でアイドルのように美しい黒い瞳の相沢美衣子だ。

「今の発言、セクハラだよね、リンリン」

 コマイヌのように濃い顔の李鈴も、俊を責める。

「これはもう、犯罪ですね。指名手配して、死刑だわ。遠山さま、いかがしましょう?」

 佐子がまぶしい桜模様をさらにさらけ、役者顔負けの目を剥いた。

「おうおう、てめえの悪事、お天道様が目をつむっても、この桜吹雪が見逃さねえんだよ」

 おいら、女子高校生なんて嫌いだ・・

 と心でつぶやきながら、俊は救いを求めて、黙っている残りの二人を見た。

 失語症だと留美が言った山本真由は、ノラネコのような臆病な目で俊を見つめている。

 真由の隣の小原七菜に俊は願い出た。

「やさしい七菜ちゃん、助けて」

 ショートの黒髪をピンピン尖らせ、七菜の細い目が眼光鋭く俊を一刀両断、

「我は、神風セブン、七菜なんて、知らぬ」

 と重低音で言うじゃない。

 留美が俊の耳元で教えた。

「言っただろ、七菜は二重人格になっちゃったって。今、このこは、七菜じゃなくて、神風セブンという人格みたいよ」

 キャプテンは、ケンカ好きで停学中・・キャプテン代理は、遠山の金さんオタク・・故障中のエースは、二重人格・・一年生のエースは失語症・・おいら、こんな選手たち・・・

 俊は、一歩、二歩、後ずさりながら言った。

「あ、おいら、大事な用を思い出しちゃった・・もう、行かなきゃ」

 青年の腕に、留美の腕が再び絡みついた。

「あんた、まさか逃げようなんて、思っちゃいないよね?」

「へっ?」

「あたいら、このままじゃ、おさまりがつかないんだよ」

「へっ?」

 七菜、いや、神風セブンが、俊のもう片方の腕を、機械のような怪力でつかんで言う。

「おまえがずっと入院なんかしてやがるから、我らは新人戦で東青山に打ちのめされたんだ」

「へっ?」

 美衣子がセーラームーンのポーズを華麗に舞い、

「こんなかわいいミーコたちを見捨てるなんて、月に代わっておしおきよ」

 と決め台詞を発すると、鈴が手をパンと叩いて提案する。

「そうだ、春の県大会の時のように、今回も、ほら吹きコーチを裁判にかけましょう」

「へっ?」

 尻込みするばかりの俊の前で、佐子がなおも桜吹雪を見せつけた。

「おうおう、ほら吹き俊の悪事の数々、百の弁論より、この桜吹雪がお見通しなんでえ。留美裁判長様、即刻、判決を下されよ」

「そんな、めちゃくちゃなあ」

 と、もがく青年の腕を離し、留美は閻魔のような大目玉で俊を見た。

「遠山奉行に指名されちゃあ仕方がない。あたいが判決を言い渡すよ。被告、ほら吹き俊・・あんたはこの娘たちに、きつい練習やトレーニングでしごき続けた。これをパワハラと言わずに何と言おう。なのに大事な新人戦前はこの娘たちを見放し、無残な敗北を味合わせた。そしてサッコに言ったさっきのセクハラ発言も、まぎれもなき犯罪じゃないか・・」

「へっ?」

 俊の額から冷たい汗がツーと落ちて、首筋まで流れた。

 そして留美は春の県大会の時と同じような判決を続けたのだ。

「この犯罪に至っては、極悪非道、悪辣狡猾、人面獣心に厚顔鉄面皮、ついでに無節操無神経無責任、天と地が砕け散っても、釈明の余地はないんだよ。この明々白々の大罪、お天道様が許しても、この稲妻留美が許さないのさ。よって、被告、ほら吹き俊・・あんたは、今日から、あたいとこの娘たちにテニスを教え続け、この娘たちが、春や夏になったら、東青山学園にリベンジし、日本一になれるようにしなくちゃいけないのよ」

「へっ?」

 留美の目が和らいだ。

「あ、もう一つあるわ、俊、あたいらは、本当はとってもやさしいんだ。あんたは、あたいと七菜を日本一にしてくれた。だからさ、あたいら、あんたの願い事、一つだけ叶えてあげるよ」

「へっ?」

 留美の瞳が夕陽を反射し、天使のように輝いて見えた。

「ほんと?」

 俊は考えた・・

『どんな願い事を言えばいいのかな? ボールがツーバウンドするまでは、全力で走り続けることを、この娘たちに約束させようか? それとも、どんなことが起こっても、夢や希望を失わないことを、誓わせようか?』

 ためしに聞いてみた。

「どんな願いでも、おまえたちにできることなら、叶えてくれるのかい?」

「もちろん。乙女に二言はないわ」

 と留美は言う。

『もしかしたら、こんなチャンスは、もう一生来ないかもしれない・・』

 と俊の心が叫び声をあげた。

「そ、それじゃあ、今こそ、いつかの、約束を、果たしてくれないか」

 と俊は言っていた・・少しうわずった声で。

 留美は訝しげに彼を見つめた。

「何だよ、いつかの約束って?」

「おまえ、何度か、おいらに言っただろ? キスしてあげるからって。だから、おいらたちの親愛のしるしに、お、おまえの、やさしいキスを」

 娘たちは一瞬きょとんとし、それから顔を見合わせた。

 留美が顔を赤くして言う。

「はあ? あたいのキスは、ダイヤモンドよりも高いんだよ。百カラットのダイヤをくれなきゃ、ムリな話だね」

 俊も頬を熱くして、夕陽の方へ手を差し伸べた。

「百カラット、なんてケチなこと言わず、この百万カラットの夕焼けを、晴れた日は毎日おまえにあげるから」

「あんた、やっぱり、正真正銘のほら吹きだね」

 と留美は言って、後輩たちと目と目で話をし、それから部員同士でコソコソ耳打ちもした。

 そしてついに、決意を固めたようだ。

「オーケー、ほら吹き俊。あたいの、なんてケチなこと言わず、あたいらみんなの熱いキスをあげるから、目をつぶりな」

 と留美が燃えるような目で俊を見つめて言った。

 俊は言われた通りにした。目を閉じると、心臓の鼓動が暴れ太鼓のように高鳴るのが自分にも聞こえた。

 十秒ほどの沈黙の後、

「せーの」

 という声が聞こえた。

 おかしいと思い、俊が目を開けると、娘たちは皆、片手に数個ずつボールを持ち、片手でラケットを振り上げているじゃない。

「撃てえ」

 という留美の声とともに、たくさんの白球がいっせいに俊を襲った。

 おいら、やっぱり女子高生なんて嫌いだ・・

 ラケットを振り上げて追いかける娘たちと、足を引きずり逃げる青年を、まぶしい夕陽が紅く照らしていた。


















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太陽もひとりぼっち ピエレ @nozomi22

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