第36話 留美は俊のほらが好き?
「居眠りなんかしちゃいないさ」
と赤い目で俊は言う。
留美の目も血走っている。西の太陽を指して言う。
「ほら吹きよ、あんたの嘘は、あのでっかく燃える夕陽のように明白なんだよ。だいたいあんた、鼻の下も赤いじゃないか。また、鼻血を出したのかい?」
俊は顔の下半分にタオルを当て、
「留美のジャンプスマッシュが、あまりにセクシーで、鼻血が出たのかも」
「はあ? またはぐらかしやがって・・」
怒る留美と俊の間に、七菜が割って入った。
「留美先輩、ケンカしてる場合じゃないがです。コーチも、早よアドバイスをしないと・・」
留美が七菜を押しのけ、燃える目で言う。
「そうだよ、俊コーチ。あんたは、あたいらを、日本一にしなきゃいけないんだ。それまで、この炎天下の中、居眠りも、鼻血も、絶対禁止なんだよ」
二人を見つめ返す俊の瞼が震えた。
「今の流れを相手に渡してしまったら、勝てる相手ではないって、分かっているよね? だけど、次のゲームをもぎ取ることができたら、ゲームカウント3-1リードになって、楽になる。でも、取られたら、ゲームカウント2-2で、さらなる地獄が待っている。だから次のゲーム、今まで以上に踏ん張って、一球一球、さらに成長してみせなよ。まずは、相手のレシーブに対して、どう勝負するかを決め、ファーストサービスを、魂込めて入れるんだ」
「ゲームカウント2-1」
と正審がコールした。
手の中の白球を見つめ、七菜は胸の中で自分に言い聞かせる。
『絶対流れを変えない。勝てると思って、少しでも安心したら負けるがよ。緑子先輩は、流れを変えようと、まずは横の勝負で仕掛けてくるだろうから、わたしはファーストサービスを入れて、返ってきたら、中ロブで攻めるんだ』
ネットについた留美も、自分に心で語りかけていた。
『二ゲーム目にファーストが入った時、あたいはサイドへ動くフリして止まり、三段モーションでまたサイドへ動いた。マリリンはロブを上げながらその動きを見ていて、頭に焼き付けているだろう。そして、ここは、流れを変えようと、クロスへ振り切ってくる確率が高い・・』
「さあ来い」
と留美が叫んだ時、七菜がファーストサービスをミドルへ正確に入れた。
真凛がバックハンドのバックスイングをした時、留美は体重をサイド側にかけた。そして真凛のスイングの一瞬前に、つむじ風のようにクロスポーチへ飛び出した。
真凛の腰がギュンと回った。
「ハーイ」
甲高い声が響き、その場の空気の色を一瞬で変えるようなストレートパッシングレシーブが炸裂した。
観衆の拍手を浴び、ソフトテニス女王の笑みを浮かべながら、真凛は緑子にしゃべりかけた。
「緑子、この世界のトップスターはわたくしたちだと、あいつらに思い知らせましょう」
緑子は細い目でネットの向うの七菜を刺すように睨む。
「マリリン、おれはもう、七菜のテニスがおおかた解ってるんだぜ。この試合、負けるはずがないぜ」
次のポイント、七菜のシュートの後のロビングを狙った緑子の豪快なジャンピングスマッシュがコートを突き抜けた。
「ガオー」
とモンスターの叫びを発した緑子に、真凛が握手しながら言う。
「緑子、とうとう本気の怪物の顔になりましたね。わたくしも、ギアを最高レベルに引き上げますわよ」
さらに、緑子のボレーと、真凛のパッシングショットで、あっという間に、そのゲームを東青山学園が奪い取った。
ゲームカウント2-2となっても流れは変わらず、七菜は真凛の圧倒的な打撃力に押され、真凛のパッシングショットと、緑子のスマッシュ三本で、容赦なく奪われたのだ。
泣きそうな顔でベンチに戻った留美と七菜の首を氷嚢で冷やしながら、俊は言った。
「オーケー、留美も七菜も、最高の試合をやってるよ」
「バカ野郎、あと一ゲーム取られたら、何もかも終わりなんだぜ」
と苦しげに留美が言うと、
「負けたら、舌噛んで死ぬっちゃ」
と七菜もベソかいた目で俊を睨む。
俊は両手を広げて観客席を示した。
「大丈夫だよ。ほら、見てごらんよ・・こんなにたくさんの人が、おいらたちを見て、心を動かしているんだよ。これがどんなに奇跡的で、幸せなことか、分かるかい? 勝ち負けよりも大事なことは、留美と七菜にとっての、そしてみんなにとっての、本当の勝利だよ。それは、これまでの一球一球の中にもあったけど、かんじんなのは、いつも、次の、【この一球】なんだ。すべての一球が、おいらたちの人生で、二度と帰らない、唯一無二の一球なんだから。すべての一球が、とてもとても重いものだし、おいらたちを成長させてくれる一球なんだ。すべての一球が、おいらたちの人生だから、みんなを感動させることができるんだ。そして、忘れないで・・おいらたちは、あきらめない限り、ずっとチャレンジャーなんだ。勝利の女神は、あきらめない者に味方をするし、奇跡は、あきらめない者におきるものなんだ。今、戦ってる相手は、二人に刺激され、さらに強くなろうとしている。ならば、二人も、負けずに強くならなくっちゃ。一球一球、相手より成長できた方が、この試合、勝利するんだから」
とび色の目を見開いて話を聞いていた留美が、少し怒った声で言う。
「ほら吹きコーチ、最後まで、ほら吹くんだね」
「だって、留美、おいらのほらが好きだろ?」
「はあ? バカ言ってんじゃねえよ」
留美と七菜が戦場へ戻る時、その背中を、紅の太陽と紅玉高校の仲間たちの声援が熱くした。
「留美、最高の試合をやってくれてありがとう。わたし、今まで留美と過ごせて幸せだよ」
そう夢香が叫ぶと、由由も、
「ゆーゆも、幸せだよお」
と声を裏返す。
だけど明美はこう脅すのだ。
「うちは勝たんと許さんけんね。留美、七菜、負けたら、あんたらに捧げたうちの青春、返してもらうけん」
「次のゲームよ。せめてこのゲームだけ、ゲットして」
とアンも背中を押す。
一二年生や先生や母や姉の声も後押ししている。
燃え盛る太陽が、揺らぐように傾いてゆく。
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