第34話 運命を変える神風スマッシュ

 向うのサイドへ駆け、留美がネットに着き、七菜がサービスのポジションについた。

「ゲームカウント0-1」

 と正審がコールした。

 四人の選手がかん高い声を張り上げ、戦いの態勢に戻った。

『さっきのゲームの一本目、緑子先輩はポーチに出て来ているから、ここは出ない可能性が高い。わたしはまず、真凛先輩に打ち勝つがよ』

 そう自分の心に言い聞かせ、七菜はトスを上げ、空に輝く白球を睨んだ。ミドルを狙い、体を跳ね上げてサービスを放った。真凛がバックハンドを振り切って鬼のように恐いアタックを放った直後、留美の泣く子も黙るバックボレーが炸裂した。観衆がどよめいたが、副審が手を上げ、正審が「フォルト」とコールした。

 七菜のセカンドサービスを、真凛はストレートへロビングでレシーブした。ドライブで振り切られていて、一瞬アウトと錯覚するボールだが、鋭く曲がり落ちてコーナーに突き刺さり、グーンと伸びる。

「わたしは神風セブンだあ」

 と叫びながら七菜は走った。毎日繰り返してきた一、五秒以内の十一メートルダッシュが体に染みついている。尻の圧力を足へ送り、前傾姿勢で歩幅を広げ、つま先の指の力で加速した。白球を睨み、右足を軸に左へジャンプしながらバックハンドのシュートをストレートへ振り切った。だけどそこへ緑子がポーチに飛び出してきたのだ。

「よっしゃあ」

 と雄叫びを上げながら緑子はフォアボレーをミドルへ放ち、サイドラインを駆け抜けた。

 体重が左にかかっている七菜には追うことができない。

 唇を噛みしめながら七菜は考えた。

『どうして、また、一本目から、ポーチに出たが? 緑子先輩は、わたしの心も研究したがか? だとしたら、わたしは今、次はもう絶対ポーチはないと思っているから、またポーチに出るってこと? さっきのゲームも、二本続けてポーチに出たし・・でも、かわしのテニスじゃ、県大会、通用しなかったし、ここはほら吹きコーチの言う通り、【振り切ってフォロー】をやり通すしかないがやろか?』

 留美が苦悶の表情を浮かべる七菜に駆け寄り、手を取って声をかけた。

「今のもナイスボールだったよ。七菜の最高のボールを打っていれば、前衛に取られたとしても、ミスることより百倍もいいことなんだ。さあ、すぐに挽回だ。まずはファーストサーブを入れて、先に攻めるんだよ」

 汗ばむ指が心に絡み、熱情の瞳が胸を熱くした。

「はい、必ず挽回します。一球一球、命を懸けて攻め続けます」

 指を離しても、心の炎は一つに燃えていた。

 留美はネットへ歩きながら、次のレシーバーの緑子を見つめた。

『緑子より先にボールを取らなきゃ負けちまう。緑子はすでに、三本ポーチを決めているから、あたいとは勝負せず、七菜を狙ってレシーブするだろう・・」

「0-1」 

 と正審がコールした。

「絶対負けない」

 と七菜は叫び、トスを上げた。緑子の正面にファーストサービスを入れ、一歩下がって構えた。

 留美がポーチに飛び出した時、フォアに回った緑子は、ストレートへロビングでレシーブした。

 七菜は猛ダッシュしながら考えた。

『また走らせてポーチに出るつもり? でも、逃げても相手のペースになるだけだ』

 緑子のロビングもトップスピンが効いていて、コーナーにバウンドすると七菜から逃げて伸びていく。緑子の大きな体が前進しながら中央へと踏み出すのが視界の片隅に見える。七菜は白球だけに視線を集中させ、右足を軸に駆け抜けながら、力の限りクロスヘと打ち込んだ。そこに緑子は出て来なかった。彼女はスマッシュ狙いで後方へとターンしていたのだ。七菜のフラットで振り切ったシュートは、コーナーへと伸びていったが、真凛にとっては打ちごろのボールだった。しかも七菜が走った勢いでコートから走り出るのが見える。

「トドメですわ」

 と叫び、チャンスを逃すまいと、ストレートへハイスピードのロビングを放った。

 遠い彼方の白球に、七菜はワアワアもらしながら走った。

 だけど七菜を続けて走らせまいと、留美がそれを狙っていたのだ。バックのステップからフォアのクロスステップに切り替えて足をフル回転させ、右足で大きくジャンプすると、生き物のように曲がり落ちる白球だけが世界の中心で輝いていた。

「うおー」

 叫び声が留美から溢れ、疾風迅雷のジャンピングスマッシュが逆クロスへ叩かれた。バックボレーでブロックしようとした緑子のラケットが弾き飛ばされ、留美の動きの速さとスマッシュの爆発力に観衆がどよめいた。

「な、何だよ、畜生・・」

 緑子は細い目を見開いてラケットを拾った。二か月前の県大会では、撥ね返していたボールだった。

 留美と七菜が万歳すると、応援の仲間たちも両手で空を掴めるほど飛び跳ねていた。

「うわあ、あれは何だ?」

 と明美が叫ぶと、紅玉応援団は踊りだし、声を張り上げた。

「大砲?」

「火山の大噴火?」

「カミナリ?」

「いいえ、稲妻留美だあ」

「そうだ、我らがスーパーヒーロー、稲妻留美だあ」


 試合の流れは紅玉に傾き、留美のサンダーフラッシュと、七菜のバックハンドのサイドパスで、さらに二本続けてポイントした。


 正審が「3-1」とコールすると、ネットについた留美はレシーバーの真凛を見つめながら考えた。

「このカウント、今までのデーターなら、マリリンはミドルへ打ち込んでくる確率が高い。あたいが動くと思って、そこへ打つだろう。でも、俊はさっきこういった・・マリリンはさっきのゲームであたいがミドルを狙ったのを見ているから、ミドルは打ちにくくなっているって。だったらここは逆にぎりぎりのサイドパスを打ってくる。それを押さえなきゃ、負けだ』

 七菜がファーストサービスをきっちりミドルへ入れた。留美はポジションを変えず、サイドを守る形を見せたが、一瞬後、ポーチに出るモーションを見せた。だけどそれはフェイクで、サイドへ動いていた。だけど真凛は勝負してこなかった。バックハンドでクロスへ高くロビングでレシーブした。

 七菜は後ろへ下がり、前衛アタックの牽制を入れながら前へ踏み込んだ。トップ打ちでクロスへドカンと打ち込む。それを真凛はフォアのロビングで七菜の前に深くつなぐ。

『マリリンはロブでつなぎながらも、サイドパスを狙っている・・』

 留美は県大会でやられたことをひしひし思い起こしていた。そして数本続いて真凛がバックスイングした時、留美は右後ろへ二歩動いて後衛前のロビングを狙うモーションを見せた。真凛は待ってましたとばかり、フルスイングでボールを叩いた。その一瞬前、留美はストレートパス狙いで左前へターンしてバックボレーのモーションに入っていた。だけど真凛が打ち込んだのはクロスだ。しかも県大会より破壊力が増している。それでもそれを七菜のシュートが撥ね返す。昔イジメた先輩とイジメられた後輩、どちらも絶対に負けられないのだ。だけど鉄壁のディフェンスを固めていた緑子が、そのシュートを狙ってクロスへ飛び出した。

「うわっ」

 と叫んで七菜はフォローに走った。

 留美もさっと下がってフォローの面を作った。

「よっしゃあ」

 の叫びとともに、緑子のフォアボレーポーチが炸裂すると、白球は留美のブロックの面とは逆のミドルよりに突き刺さって行く。

『届かない』

 と誰もが思った時、七菜の足は加速して、火を噴くように人工芝を蹴っていた。頭からダイブし、宙を飛んだ。命がけで伸ばしたラケットが白球を弾き、観衆が「おおっ」とか「すげえ」とかどよめいた。しかし打ち返されたボールはネットに当たって手前に落ち、うつ伏せの七菜は人工芝を拳で叩いた。

 周囲から拍手と歓声が沸騰した。

 その三割ほどは東青山学園の応援団や真凛のファンやアンチ留美の者たちだったが、残りの七割は七菜の執念に感動した観衆だった。

 留美が手を差し伸べて七菜を立たせた。

「あんた、ほんとにカッコイイよ、七菜。あたい、あんたとペア組めて、幸せだ。でも、ああ、また膝を擦り剥いちゃったねえ。それにしても七菜の手足ときたら、傷とかアザだらけじゃないか」

「留美先輩だって、同じじゃないですか。この試合に勝ったら、この傷もアザも、わたしらの勲章ですね?」

「ばかだね、あたいら、ただ飛び込み方がヘタなだけだよ」

 正審が「レッツプレイ」と促し、留美はネットへ歩きながら自分に問う。

『今、緑子がポーチを決めたから、次はあたいが負けずに出てくるとマリリンは考えるだろうか? やっぱり七菜の前にロビングで続けながら、サイドパスを狙うだろうか? それとも今のように? ああ、あと一本、あと一本さえ取れれば、このゲーム取れるのに・・・』

 留美はイエローカード覚悟で振り返り、七菜へと駆け戻った。

 そして七菜の耳に口を寄せた。

「あたいが真凛にプレッシャーを与えて、今みたいに七菜の前へロビングを上げさせるから、七菜がそれを狙って前進スマッシュするんだ。七菜も毎日スマッシュ練習してきたんだから、絶対できるよ。いいかい、この一本で、この試合が大きく動くんだから、気持ちを込めて思いっきり叩くんだよ」

 正審がもう一度「レッツプレイ」とコールし、イエローカードを提示した。

「ごめんよ」

 と正審に頭を下げ、留美はネットへ駆け戻った。

「3-2」

 と正審がコールする。

「さあ来い」

 と留美が叫ぶ。

「絶対負けない」

 と叫ぶ七菜の目がギラギラ光った。

 七菜がファーストサービスを逆クロスへ入れると、レシーバーの緑子は七菜の前へロビングでリターンする。緑子のネットダッシュを見て、七菜は逆クロスへの深いロビングで攻めた。真凛はそれが分かっているというふうにスタートを切っている。

「ここだよ」

 と留美が叫び、逆クロスへのポーチのモーションを見せ、右後ろへステップし、ストレートのパッシングやロビングに備えた。

 真凛はその動きを見定めながら、フォアに回り込み、決して負けませんわよと、逆クロスの七菜の前へロビングでつないだ。その瞬間、七菜の足が前へ動いていた。

「チャンスは大ピンチ」

 と叫びながらさらに前へ動く。

 白球が青い空と白い雲の狭間で穏やかに向かって来る。運命の瞬間が飛んで来る。仲間たちみんなの夢と希望が落ちて来る。それを凝視すると、白球が大きく輝いて見えた。小刻みに足を前進させながら、それを渾身の力でスマッシュした。

「神風スマッシュ」

 という叫びがコートを切り裂いた。

「何で?」

 驚いた真凛は、フォローに走れなかった。

「何だあ?」

 不意を突かれた緑子が、慌ててラケットを出したが届かない。

「ゲーム、チェンジサービス」

 という正審のコールを、拍手と喝采がかき消した。







































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