第33話 宿命の対決の火蓋は切られた

 夕刻、北の空に立ち昇った入道雲が遠い雷鳴を響かせたが、人工芝のコート上はなおも四十度超だ。

「留美も七菜も、本当に強くなった。おいら、そんな二人とここにいれて、もう、いつ死んでもいいさ」

 と決勝前に、コート後方のベンチで俊が言う。

 留美が大きなとび色の瞳で俊を見つめた。

「はあ? 何言いやがる? だいたいあんた、さっきの試合も、半分寝てただろ?これがあたいの最後の試合なんだから、目ん玉ひん剥いてよーく見ておきな」

「留美も七菜も、山下・高橋ペアの試合は、もう何百回と研究して、対策も練って来ただろ? だから、大丈夫。でもね、最後は、二人の精神力で勝負は決まるんだ。自分たちの限界に挑み、それを超えた者が勝利するんだ」

 俊の言葉に、七菜が応じた。

「わたしは、この試合のために、今日まで血を吐く思いで生きてきたが。だから、死んでも自分を超えてみせる」

 留美も同調した。

「あたいも、この試合のために、今日まで生きてきた。あたいにとっちゃ、この試合が人生そのものなんだ。そして、ほら吹き俊、あたいが今こそ、あんたの代わりに、てっぺん取ってみせるよ」

 俊は二人の手を取り、熱く見つめ返した。

「だったら、一球一球、負けない、負けない、って心で叫びながら打つんだ。どんなピンチに陥っても・・チャンスの時はさらに大ピンチだと自分に言い聞かせて、死んでも負けない、負けない、って絶叫して、打ちまくってみせなよ」

 フェンスの後ろから、紅玉高校の仲間たち、織江先生、そして敦子ママや由紀姉さんも励ましの言葉を投げかけた。その熱唱に背中を押されながら、真紅のウエアの留美と七菜はネットへ歩いて行く。

 対して、向こうから歩いて来るのは、青いユニフォームを身にまとった東青山学園の絶対王者、山下真凛と高橋緑子だ。今や一般女子の全国大会をも制している怪物ペア・・セクシーな大きな二重の目にプルプルの厚みのある唇の真凛は、豊満な胸を揺らしてモンローウォークで歩き、観客の目を釘付けにする。身長175センチのモンスター緑子は、逆立った剛髪の上に帽子をかぶっていて、男に負けぬがっちり体型なので、180センチの巨漢に見える。

「真凛先輩、緑子先輩、中学の時のイジメのお礼、この試合で果たしてみせるがよ」

 といきなり七菜が吹っ掛けた。

「裏切り者のくせに・・」

 と怒る緑子を制して、審判の手前、真凛は怯えた声を出した。

「まあ、ウワサ通り、この二人、怖いですわあ」

 審判は、正審が四十歳くらいの男性で、副審と線審が学生っぽい青年だ。

 七菜がさらに突っかかりそうなのを留美が止めて、言う。

「マリリン、緑子、あたいはこの試合、あんたら二人のためにも全力で戦うって、決めているんだ」

 四人の眼力がぶつかり合ってバチバチ火花を散らせた。

「はあ? お尋ね者には、似合わねえ言葉だな」

 と緑子が毒を吐いた。


 超満員の観衆に囲まれたテニスコートに、正審のコールが響いた。

「サービスサイド、東青山学園、山下・高橋組。レシーブサイド、紅玉高校、小原・坂東組。セブンゲームマッチ、プレイボール」

 異例の拍手が広がり、大きな渦巻が海中へ沈むように静まり返った。

 七菜はレシーブの構えをして、前衛の緑子を睨んだ。

『緑子先輩は、いつも最初は相手後衛の様子を見てくる。だからわたしは、サービスがミドルへ来てもクロスへ来ても、クロスにレシーブを打ち込むだけだ。そして必ず打ち勝ってみせる』

 そう自分に言い聞かせ、フォアもバックもフルスイングリターンのイメージを描いた。

 穏やかな西風が左から吹いていた。

 甲高い声を上げ、真凛がファーストサービスをミドルへ打ち込んだ。スピンが効いていてバウンドして伸びてくる。七菜は白球を睨み、バックハンドのステップを刻んだ。一瞬、緑子がポーチに出るのが感じられた。だけどそれはモーションだけだろうと七菜は思った。

「おりゃあ」

 と叫び、七菜は熱い気持ちを込めてクロスへ打ち込んだ。

 そこへ緑子が飛び出していた。

「よっしゃあ」

 と吼えながらフォアのポーチボレーをコートの右隅へ叩いた。

 七菜は懸命にフォローに走るも、ボールは地の果てだ。

 留美も緑子が飛び出すのと同時に左後ろへフォローに動いていたが、届きそうにない。それでも『死んでも負けない』と心で叫び、ワンバウンドでサイドラインを越えて行く白球へラケットを伸ばし、「わあ」と声をもらしながら頭から飛び込んでいた。奇跡のようにラケットの先がボールを弾き、周囲から「おおっ」と驚きの声が発せられた。だが相手コートには入らない。

 最初のポイントでボレーを決めたのは緑子だったが、多くの観衆の心をつかんだのは留美だった。紅玉の仲間たちからも「ナイスファイト」とか「すごくかっこいいわあ」とかの声援が噴出した。

 留美はくるりと回転して起き上がると、自分のレシーブの位置へ歩きながら、七菜に呼びかけた。

「取られたけど、いいレシーブだったよ、七菜。すぐに挽回するよ」

「はい、絶対に負けんがです」

 強い炎を目に燃やして七菜は考えた。

『緑子先輩がいきなりポーチに出てくるなんて、どういうことがか? でも、次はサイドに誘ってくるに違いないっちゃ。数本は後衛と打ちあえるがよ』

「1-0」

 と正審がコールする。

 真凛がワイドへ入れたファーストサービスを、留美はバックハンドのロビングで逆クロスへつなぎ、ネットダッシュする。そして緑子に負けじとレシーブアンドポーチに飛び出した。だが真凛は逆クロスへの高速ロビングで攻めてくる。

 七菜がチーターのようなダッシュ力で追いついた時、緑子がセンターライン近くで止まるのが見えた。

『ストレートが抜ける』

 と直感したが、そこを待っているだろうと思い、バックハンドで狭い逆クロスへ打ち込んだ。

 それを長い手足のたった一歩で緑子のバックボレーポーチが伸びてきた。それを見た留美がフォアの面を作りながら二歩下がった。

「おりゃあ」

 というモンスターの咆哮と、

「サンダーフラッシュ」

 という野獣の絶叫が交錯した。

 またも観衆がどよめいた。

 緑子のバックボレーを、留美のノーバウンドストロークが撥ね返したのだ。白球はクロスのベースライン付近を突き抜けた。目を凝らしても見極めれない電光石火に、誰もが何が起こったのかと興奮した。

 線審がボール跡を確かめて手を上げ、正審が「アウト」とコールした。

 このポイントも、ボレーを決めたのは緑子だったが、観る者の心を鷲摑みしたのは留美だった。

 

 次のポイントは、驚異のスピードで駆け抜ける留美が、ボレーの直後に副審に触れてしまい、3-0となってしまった。

 その後、留美のポーチとスマッシュで、紅玉ペアが二ポイント返したが、最後は真凛のミドルアタックを撥ね返した留美のボレーがわずかにアウトして、東青山学園ペアが一ゲーム目を奪取した。

 

 ベンチに戻った七菜が、スポーツドリンクを飲みながら、俊に尋ねた。

「緑子先輩が、最初に続けてポーチに出てきたのは、どうしてが? わたしにかわしのテニスをやらせて、それを狙うため?」

 痛々しい目を俊は見返した。

「最初から、そうする作戦だったのさ。でもそれは、七菜と留美に恐れを抱いてるからなんだ。もう、今までのように力の差はないって、気付いているんだ。きっと、昨日今日の、七菜のテニスデーターを、相手も研究したんだろう。ただね、さっきのゲーム、相手はすべてのファーストサービスを入れてきた。だからぎりぎりゲームを奪えたんだ。じゃあ、次のゲーム、おいらたち、どうする?」

 俊の問いに留美が答えた。

「ならばあたいらも負けずにファーストサービス、全部入れるまでさ」

「そうさ、まずはそこからだよ・・」

 と言って、俊は七菜の手を取った。

「そして七菜、今のテニスを変えちゃダメだ。常に一歩目に集中し、ライジングを意識して、『振り切ってフォロー』をやり通せ。シュートでもロブでも、打ち勝つテニスをやるんだ。そしていつも相手前衛の気持ちになって、ここはポーチで勝負と考えてると思ったら、かわしのロブで逃げずに、アタックアンドフォローで攻めまくれ」

 俊は留美の大きな目も見返して手を取った。

「留美は今、最高に輝いている。だからこの大舞台の上で、最強のスターを演じ切るんだ。一球一球、常に相手の気持ちを読み、相手は上げボーラーと思って、ボレーもスマッシュも練習通り足を動かして、魂込めて叩き込むんだ。留美の動きの速さは今や日本一、いや、世界一なんだから、それをこの大観衆に見せつけてやれ」

「次のゲーム、一本目からポーチに出ていいかい?」

 と留美は聞く。

 俊は握った指に力を込めた。

「さっきのゲーム、留美は二本ポーチに出て、そのうち一本決めている。最後はボレーがアウトしたけど、ミドルアタックを読んでボレーしている。次の一本目、相手はそう素直に後衛前のシュートは打ってこないだろうし、できることならサイドの厳しいパッシングを打ちたいと思っている。だからそう簡単にはポーチに行けないよ。でも、行けるチャンスは必ず来るから、その時は、何本サイドを抜かれようと、勝負に出なきゃいけない。相手はもう、ミドルは怖くて打ちづらくなっているから、ボレーもスマッシュも、練習通り、はっきり動くことが大事だよ」





































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