第32話 アンチヒーローの晴れ舞台に増えるにわかファン
女子個人戦初日、空は晴れ渡り、気温は火を噴く龍のように上昇した。
留美と七菜の初戦は二回戦からで、太陽が高く吼える頃に始まった。
相手は、高峰大付属高校の双子ペア、岩本・岩本ペアだ。
力士のような監督がベンチを軋ませて座り、
「あんなワルに負けたら、恥だからな」
と姉妹に言う。
一本目、七菜のファーストサービスがややクロス寄りに入ると、サウスポーの後衛、岩本詩音は、すばやくフォアに回り込んで、目の覚めるようなサイドアタックでレシーブした。留美はポーチに飛び出しており、白球が全国大会のレベルの高さを叫ぶように鮮やかに突き抜けた。
「ちぇっ、あいさつ代わりの一発、顔面にぶち込んだのに、逃げやがった」
と詩音は鼻で笑う。
「うちがしばいたる」
と前衛の岩本麻衣が言って、左サイドのレシーブの位置に着く。二人とも顔も声もそっくりだが、麻衣は右利きだ。
七菜のファーストサービスはフォルトした。
『ペアがサイドアタックした後だから、ミドルへアタックしてくれたら解りやすいんだけど・・でも、続けてサイドアタックが来ても、止めないと負けてしまう・・』
と留美は考えた。そしてミドル七割。サイド三割のアタックを意識して、身がまえた。
七菜のセカンドサービスが入ると、フォアのバックスイングをする麻衣の左足がストレートへ向けられた。留美はサイドに隙を作らぬよう、ボールの正面へ動いた。うなり声をあげ、麻衣はミドルへアタックしてきた。フルスイングで叩かれた剛球は、留美と七菜の夢を真っ二つに切り裂く勢いだったが、その瞬間、留美のラケットがバックボレーの横面へと一閃した。
「おりゃあ」
という叫びとともに、稲妻が双子の間を突き抜けた。
「あたいも、あいさつ代わりの『稲妻ボレー』で返させてもらったぜ」
と言って、留美はサービスの位置へ歩いた。
それから、その試合は一方的となったのだ。
かわしの天才で俊足ゆえに【神風セブン】と呼ばれていた七菜は、ローラー引きなどの日々のトレーニングで、大学生男子にも負けない圧倒的なパワーシュートも打ちまくれるようになっていたし、相手が打ち負けて上がってくるボールは、留美の驚異的な脚力と全身のバネでベースラインまで追われ、稲妻のようなジャンピングスマッシュが何発も炸裂した。詩音の得意の巻き込むようなアタックも、留美に待ち受けられ、稲妻ボレーの餌食となった。
全部で三ポイントしか奪われずに、留美と七菜は勝利した。
試合後の礼をして、ベンチに戻ると、コーチが居眠りをしている。
留美が俊の頭を小突き、
「やい、ほら吹き俊、試合、終わったぜ。こんな熱いとこで寝やがって、死にたいのかい?」
俊は目を開いて、見まわした。
「へっ? ここはどこ? おいらはだあれ?」
「ここはあたいらの晴れ舞台で、あんたは日本一のバカ野郎さ」
留美は俊の耳を引っ張って立ち上がらせた。だけど俊の鼻の穴から赤い血が垂れるのを見ると、左手で自分のタオルを取り、彼の鼻を押さえた。
「へっ?」
驚きの目を向ける俊の腕を右手で支え、留美は歩いた。
「鼻血出てるよ。あんた、病気治ってないのか?」
俊は留美のタオルを奪って、自分で鼻を押さえた。
「留美があんまり魅力的だから、鼻血が出たのさ」
「叩かれたいのかい? あ、ああ、そうだった・・新幹線の中で、あたいが頭を蹴っちまったから・・そのせいかい?」
涙目で見つめる留美から目をそらし、俊は笑った。
「ああ、そうかも・・あの時、留美のパンツが見えたから」
留美の爪が俊の腕に食い込んだ。
「その頭、もう一回蹴って欲しいみたいだね? サイテーなセクハラ野郎め、今は制服じゃないから、パンツ見えないぜ」
「おいら、トイレに行かなくちゃ」
俊は留美の腕を振り切って、タオルで鼻を押さえたまま、逃げるように洗面所へ向かった。
夕方に行われた三回戦は、留美と七菜は二ポイントしか失わなかった。そのコートの観客席を通りかかった誰もが、二人の動きとボールのスピードに目を見開いて足を止めた。留美と七菜が横江拓也に初めは歯が立たなかったように、各県トップクラスの高校女子選手たちも今の彼女たちの敵ではなかったのだ。留美が「稲妻ボレー」と叫びながら放つ逆クロスバックボレーポーチが、ワンバウンドでフェンスにぶち当たると、「うわあ」という驚愕の声があちこちから沸き起こり、豪快なスマッシュがコート内で跳ねた後、フェンスを越えて観客席へ飛び込むと、「すげえ」という叫びがいくつも噴出した。留美と七菜がヒーローであれ、過去に事件を起こしたアンチヒーローであれ、そのアメージングなプレーに興味をそそられ、にわかファンになる者たちも増えていった。だけど彼らは知らないのだ。その華麗すぎるプレーの陰に、心を圧し潰す苦悩や、骨身を砕く努力があったことを。だから彼らには理解できなかった・・ベンチのコーチやその後ろの応援の女子たちが、なぜ泣きながら拍手をしているのかを。
女子個人戦二日目の朝も、空はどこまでも晴れ渡り、留美と七菜の晴れ舞台を太陽がギラギラ照らしていた。今日一日で、四回戦から決勝までの六試合、すべてが行われるのだ。
「ファイナルマッチまでゲット・ウインして、山下・高橋ペアに、プリーズ・リベンジよ」
とアンが青い目を輝かせると、明美が留美と七菜の手を取った。
「璃子の振りつけたダンスを、股が裂けるまで踊って、応援するけんね」
その手を夢香と由由も握った。
「留美と七菜は、わたしたちの夢なんだからね」
「二人なら、日本一になれるんだよ」
織江先生の目には、光るものがあった。
「留美、七菜、ここまで連れて来てくれて、ありがとうね。わたしも、最後まで夢を見させてね。今日、この日を、わたしも、かけがえのない宝物にするからね」
留美は皆の顔を見まわしながら言葉を返した。
「あたいが今、ここにいられるのは、みんなのおかげさ。みんなの誰が欠けても、今のあたいはないのさ。だから今日一日、あたい、みんなのためにもっと成長して、もっと強くなってみせる」
新キャプテンの輝羅が、観客席の後方を指して言う。
「留美姉御、お母さんとお姉さんも来てますよ」
有名人である母の坂東敦子も姉の由紀も、濃いサングラスと大きな帽子で顔を隠している。
「ママとお姉ちゃんのためにも、頑張ってくだされい」
と佐子も言う。
「うん。あたいのせいで苦労をかけたママとお姉ちゃんのためにも、やってやるぜ」
明美が留美の肩を叩いて、声を高める。
「そして、ほら吹きコーチのためにも、頑張らんとね」
「はあ? 何であたいがこんなほら吹きのために・・」
留美の大きな目に睨まれ、明美は「あらあら、せからしかあ」と笑った。
留美が口ごもると、俊が口を開いた。
「留美、おいらの望みを覚えているかな? 自分や仲間たちのために戦うんだけど、それだけじゃなく、対戦相手のためにも戦うってこと。そして試合を観てくれるすべての人のためにも最高の試合をやるってこと・・たとえゲームカウント0-3の0-3で負けていようとも、たとえ観る者たちのみんなが留美を非難し、幾千万のブーイングを浴びたとしても、その試合に関わるすべての人々のために、最後の一本まで、絶対負けない気持ちで命を燃やして欲しい。勝負の世界だから、勝つか負けるか分からないけど、たとえ試合に負けても、留美の、そしておいらたちの、本当の勝利を、今日、すべての一本一本で、つかみ取るんだ」
留美は頬を赤くしてうなずいた。
「ああ、ああ、一試合、一試合、一ポイント、一ポイント、これが人生最後の一球だと思って、試合を観てくれるすべての人のために、誰が何と言おうと、あたいの力を出し切ってみせるし、さらに進化してみせるよ。たとえ負けても、それがあたいらの本当の勝利なんだね?」
俊は留美を見つめ、静かに笑った。
七菜が、留美以上に頬を紅潮させて言った。
「わたし、紅玉高校に入って、本当によかった。東青山でいじめられた日々も、今ではよかったと思ってるがよ。おかげで、見返すためにこんなに頑張れたし、紅玉で、こんないい先輩や仲間たちと過ごせたがやから」
佐子が七菜の前に出て、胸のボタンをいくつも外した。
「七菜のかたき討ち、このわたしの胸に咲いた桜吹雪が見届けるからねえ」
桜模様の下着を披露しようとする佐子の腕を、留美が押さえた。
「よしな。ほら吹き俊に見られちゃうだろ」
インターハイ女子個人戦二日目の初戦は、四回戦で、関西ナンバーワンの光瀬学園の風間真紀・夏川リンダペアだ。
「なんや、新幹線で一緒だった、犯罪者の坂東留美やないか。また会うたで。試合に参加してるなんて、おうちゃくやなあ」
格闘技選手のような体格の真紀が、留美たちに聞こえるようにそう言った。短い黒髪で丸顔の彼女は、大きな目で留美を睨んでいる。
ハーフ顔のリンダは、鼻にかかった甘え声で光瀬学園の応援席に呼びかける。
「あんな人を刺すような人、大会に出たらあかんちゃう?」
審判に促され、選手四人がネットへ集まった。真紀とリンダが黒のテニスウエアで、留美と七菜が紅のウエアだ。挨拶して、トスをしている時、光瀬学園の応援席からヤジが飛んだ。
「犯罪者の坂東、帰れ、帰れ・・」
そのヤジに興味をそそられ、周囲から野次馬たちが集まって来た。前日に留美と七菜のにわかファンになった者たちも押し寄せ、彼女たちの晴れ舞台に観衆が溢れた。
「あのヤジをやめさせなさい」
と正審の青年が真紀とリンダに注意したが、留美が笑って言った。
「いいんだよ。あたいら、叩かれれば叩かれるほど、強くなれるんだ。こんなに人も集まって、クソヤジ、大歓迎だぜ」
真紀が鬼の目で睨んだ。
「あんたら、この大勢の前で、恥かいて、消え去るんやで。このマッキー爆弾の爆弾シュートで、二度とコートに立てんようにしちゃるわ」
「きみ・・」
と注意する正審を、留美がまた制した。
「いいんだよ。あたいらは挑発されればされるほど強くなれるから、今の言葉もおいしくってたまんねえんだ」
試合は真紀のサービスで始まった。
真紀はラケットでレシーバーの七菜を指し、忠告した。
「おチビちゃん、うちの爆弾サーブ、逃げないと吹き飛ぶでえ」
七菜はショートの黒髪のくせっ毛をピンピン怒らせて構えた。
真紀は高くトスを上げ、筋肉質の体を大きく反らせてジャンピングサービスを打ち込んだ。バンッと烈しい音が響き、観る者の多くが「おおっ」と声を上げるほどの剛球がクロスのコーナーへ突入した。だけどそれは横江拓也や柏木蓮たち大学男子のサービスと対してきた七菜にとって、何でもないボールだったのだ。目にも留まらぬ鋭い足さばきで追いつき、七菜がフルスイングでレシーブすると、恐ろしいまでの打球音が炸裂した。ネットに着いたリンダも、サービスを打った真紀も、ボールが視界から消え、何が起こったのか分からなかった。だけど真紀の逆サイドのコーナーに白球が突き刺さる音と、ワンバウンドでフェンスにぶち当たる音が聞こえ、周囲から「うわあ」とか「すげえ」とかの声が溢れ、パッシングリターンを決められた現実を知ったのだ。
「チビ言ったら、許さんがよ」
と七菜が吼えた。
紅玉高校の応援に花が咲き、紅の服が乱舞した。
「ま、まぐれや。次こそは、エースを取ったるでえ」
そう言って、真紀はボールを拾い、逆クロスのサービスの構えに入った。そして正審が「0-1」とコールすると、トスを上げ、うなり声を発してサービスをワイドへ放った。会心の一撃のはずなのに、留美はいとも簡単に追いついて、バックのロビングで真紀の前に深く返してくる。
「ならば、うちの爆弾シュートをお見舞いしちゃる」
と叫んで、真紀はミドルアタックを撃ち込もうとした。だけど留美が信じられない速さで前進してボレーの壁を作るのが見える。トップアスリートの直感が、アタックは止められると警鐘を鳴らした。それなら後衛に打ち勝とうと、真紀は「そりゃあ」と雄叫びを上げながらストレートへトップ打ちでフルスイングした。それも無敵の剛球のはずだった。だけどその一瞬前に、留美がストレートへのポーチのステップを蹴っていたのだ。獲物を狩るチーターのように留美が駆け抜けると、「おりゃあ」という叫びに弾かれ、稲妻のようなボレーがコートを切り裂いた。その熾烈なスピードに、真紀もリンダも指一本動かすこともできなかった。勢い余った留美は、隣のコートまで駆け抜けていた。
観衆から仰天の声が荒海のようにうねった。
「何だ今のは?」
「魔神か?」
「たまげたあ」
「はええー」
それから先も留美と七菜のスーパープレーが続いた。スピード、パワー、テクニック、すべてで紅玉の二人が数段上だったが、留美も七菜もいっさい手を抜かず、相手の心が折れた後も、集中力を切らさなかった。光瀬学園の応援団も、途中からヤジを飛ばさなくなったし、それどころか相手の壮絶なプレーに感嘆の声をもらした。彼女たちにとって留美は犯罪者の悪人から、恐怖の悪魔になり、万能の大魔王となっていった。その試合で風間真紀・夏川リンダペアが取れたのは、ネットインの一ポイントだけだった。
五回戦、六回戦と勝ち進むごとに、留美と七菜のにわかファンは、昨日以上に増えていった。特に留美の派手なポーチやベースラインまで追う豪快なスマッシュは観衆を驚かせ、それを決めた後のガッツポーズの笑顔の裏にある翳りある表情が、にわかファンたちの心を揺さぶって虜にした。
午後からの準々決勝も準決勝も、紅玉ペアはさらに凄みを増して勝ち進んだ。
そして決勝戦は、インターハイ女子ソフトテニス史上初めてであろう、一ゲームも失わなかった圧倒的な強者同士の対決となったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます