第28話 勝つまで泣かないと言う娘の涙
次の土曜日、朝刊を配り終えた留美は、朝陽がまぶしいコートで一人、壁打ちをした。
【緑壁剛】と、壁に命名し、ストローク、ボレーボレー、スマッシュアンドフォローで対戦した。
「やい、緑壁、今日こそ、てめえを打ち倒してみせるぜ」
コンクリートの緑壁に、今日も挑戦状をたたきつける。
だけど、緑壁剛は、どんな速いボールにも微動だにせず、ボールの方をパンクさせては、「百万年早いぜっ」と舌を出すのだ。
皆が集まり、基本練習とトレーニングの後、今日もまた留美と七菜は、輝羅と佐子と交互にペアを組む横江拓也と試合を重ねた。だけど留美たちが一ゲームも取れぬまま二連敗したところで、強い雨が降り出し、土のコートはカエルが嬉し鳴きするくらいの大海と化してしまった。
「勝ち逃げなんて、許さねえぞ」
と、軒下で留美は拓也に詰め寄った。
「こんなんじゃ、試合なんてできないよ」
と拓也はコートを指さして言う。
留美は彼の股間を指し、鼻息荒く言う。
「だったら、あんたの鉄のパンツと、あたいのこの足蹴りで、いざ、勝負しやがれ」
留美が足蹴りの素振りを放つと、カミナリが鳴り響いた。
「きゃあ」
ともらして拓也は俊の陰に逃げた。
俊は皆に言った。
「じゃあ、今日は、雨が止むまで、おいらの伯父さんの店で、カラオケだあ」
「そこって、あの、因縁の場所かい?」
と留美の応援に来ている明美が問う。
「カラオケ【蘭蘭】、明美が肩を脱臼し、おいらが足を刺された店さ。そこで、歌って踊って、この豪雨のように、昔のことを洗い流そう」
「それって、あんたのオゴリかい?」
と明美は確認する。
「しゃあないや。おいらの給料から、出してもらうよ」
俊が肯定すると、雷鳴にも負けない歓声が軒下を揺るがせた。
拓也の車と、各自の自転車で、【蘭蘭】に移動した。
一番広い部屋に入り、酔っぱらいの集団のように、どんちゃん、歌って踊った。
一年生の李鈴の高音ボイスはプロ顔負けで、一年生マネージャーの槇原璃子のダンスの艶やかさにも皆が驚かされた。それに対し、片山輝羅の唄は店にヒビを入らせるほど音を外したし、遠山佐子の踊りは歌舞伎にしか見えなかった。
夕方になってようやく雨は小降りになり、西の雲の切れ間から陽が差した。
雨天キャンセルが出ている人工芝の県営コートを電話予約して、俊と拓也、留美と七菜、そして綺羅と佐子の六人で移動した。
そこで十七時から十九時まで、試合の続きをやった。ひと試合が終わる頃に小雨は止み、四試合やった。だけどやはり留美と七菜は一ゲームも取れない。
「このままじゃ、死んでも帰れねえんだよ」
と留美は火を吐くように言う。
「わたいたちには、明日はないがやから」
と七菜もべそをかく。
「もう今日は終わりだよ」
と俊が言い聞かせても、
「首輪をつけられて、鎖で引かれても、勝つまで、ぜってえ動かねえからな」
と留美は吼えた。
親に連絡させ、ナイターで二十一時まで続けることにした。
たまたまナイター練習に来ていた拓也の知り合いの男子を呼び寄せ、輝羅と佐子は強制的に帰宅させた。
コンビニおにぎりを食べ、照明の下で試合をした。
拓也が留美と七菜に、小柄な青年を紹介した。
「こいつは、ぼくのライバルだった、新城大学四年の、柏木蓮だ。たぶん、東青山学園の山下選手より強いよ。今度はぼくが高橋選手のプレーを真似て前衛をやるから、心してかかってきなさい」
「この娘たち、本当に強いの? ちっちゃい娘は小学生?」
と蓮は聞く。
七菜の頬がみるみる煮えたぎった。
「絶対勝ってやるっちゃ。わたしは神風セブンながやから」
と七菜が言うと、留美も大きな目を剥いた。
「あたいのかわいい後輩を小学生呼ばわりするやつは、あたいの稲妻ボレーで八つ裂きにしてやるからね。だいたい、あんただって、ちっちゃいだろ。七菜が小学生なら、あんたは園児かい?」
蓮は自慢の力こぶを見せつける。
こんな筋肉りゅうりゅうの園児なんているかい? 悔しかったら、一ゲームでも取ってみな」
まぶしい照明に虫たちがわーいわーいはしゃぐ時刻、七菜のサービスで試合は始まった。
ファーストサービスが入ると、留美は先制パンチを食らわそうと、いきなりポーチに飛び出した。だかどミドルよりに打ち込まれた蓮のレシーブは、経験したことのない剛球で、うなりを上げて襲いかかって来る。留美はフォアに構えたラケットを懸命にバックボレーへ切り返したが、ラケットは弾き飛ばされ、ボールは隣のコートまでアウトしてしまった。
ふっふっふと笑って、蓮は言う。
「今宵のラケットは、切れ味マックスだぜっ」
痺れる指でラケットを拾いながら、留美は強がった。
「今のは指がすべっただけさ。次こそあたいの稲妻ボレーを見せてやる」
だけど次のポイントから、蓮の先を通す剛球に留美は追いつけず、七菜が打ち負けて上がって来るボールを拓也に次々スマッシュされた。さらに蓮のサービスはワンバウンドでフェンスまで届く勢いで、七菜も留美も返すのがやっとで、拓也に簡単に叩かれてしまう。
「ダイナマイト」
とサービスが決まるたびに蓮は叫んで、筋肉ムキムキのポーズを決めた。
それでも七菜と留美はあきらめず、立ち向かった。
「ダイナマイトが百万本あっても、わたしらの負けず魂は破壊できんがよ」
と七菜が叫ぶと、留美も目を吊り上げて咬みつく。
「あたいらか弱い乙女に、力まかせに勝とうとする幼稚な男は、この稲妻留美が許さないんだよ」
すると拓也が不敵に笑い、
「それなら、これならどうだい?」
と言って、彼が後衛にチェンジし、蓮が前衛になった。
東青山学園の山下真凛を真似て、拓也は後衛の前へ深いロビングで続けながら、留美が隙を見せたらサイドアタックで攻めた。七菜がうまく攻め切って留美がスマッシュを追っても、蓮にさっと下がられ、スマッシュをフォローで攻め返されてしまう。
結局、夜の九時までやっても、留美たちは一ゲームも取れず、七菜がしゃがみ込んで泣きだした。
「ふえーん、これじゃあ、また真凛先輩たちに負けるがよお。わたしのせいだあ。わたしが打ち勝てないから、留美先輩がかわいそうだよお」
そんな七菜の肩を掴み、留美が言った。
「あたいがかわいそうだってえ? 冗談じゃないよ。あたいはね、七菜という強い味方がいるから頑張れるんだ。いいかい、七菜、あたいら、勝つまで泣かないんだよ。七菜ならぜってえ大丈夫さ。あたいら、きっと勝てるようになるんだ」
七菜は留美の胸で涙を拭いて、尋ねた。
「留美先輩は、いつも、何時に起きて、新聞配達してるがです?」
留美は真摯な瞳を見つめ返した。
「何だよ、急に? 二時半だよ。二時半に目覚ましが鳴って、すぐに販売店へ走るんだ」
「だったら、わたし、二時半はムリでも、毎朝、四時に起きる。四時に起きて、コートのローラーかけを、二時間やる。そしたら、もっと足腰鍛えられて、日本一強いボールが打てるようになるがよね?」
留美は首を横に振り、七菜を抱きしめた。
「あのローラーは、一人じゃつらいよ。それが毎日なら、地獄だよ。七菜にそんなこと、させられないよ」
「いいえ、いいえ、わたしが、日本一強くなりたいがです。そのための努力なら、地獄じゃなくて、天国です。長い人生のうち、たった一ヶ月だけです。それに一人じゃないですから。わたしの心には、いつも、もっとつらい思いをしてもっと頑張っている留美先輩がいるがやから。どんなことをしても、わたし、留美先輩と一緒に、リベンジしたいんです」
七菜の腕も留美の背に絡むと、七菜のはねた黒髪に熱い涙がこぼれた。
コートの照明がすべて落とされ、西の雲の切れ間に、青白い真珠星が燃えていた。
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