第25話 織姫、おばさんと呼ばれ、パトカーを呼ぶ
数日後の土曜の朝、市営コートで紅玉高校ソフトテニス部女子が練習していると、またまたシルバーの軽ワゴンがやって来た。降りて来たのは、そう、長身で西洋系の彫りの深い顔、横江拓也だ。懲りもせず、踊るキウイのような爽やな笑顔で、手を振りながら入って来るじゃない。
赤毛の髪を揺らして、好奇心旺盛なアンが寄って行った。
「ハロー、アンはね、あんたのこと、知ってるよ。あんた、誰だっけ?」
とアンが尋ねると、青年は顔をほころばせ、握手の手を差し出した。
「ハロー、ぼくは、横江拓也、きみは何てかわいいんだ。アンっていうの? 赤毛のアン?」
アンは嬉しそうに大きな指を握った。
「ワーオ、ミスター拓也、アンの名前を知ってるなんて、アンのファンかしら?」
後ろから七菜が注意した。
「アン先輩、気をつけなされえ。その男は、留美先輩のストーカーながですよ」
アンは握手した手を振り払って、ストーカー男を睨んだ。
「オー、マイゴッ、ユーは、犯罪者だったのね?」
拓也は両手を胸の前で振って弁解する。
「違うよ。ぼくはただ、留美ちゃんのファンなんだ」
七菜が佐子の背を押して言う。
「ほれ、遠山のサッコさん、何とかおっしゃってくだされえ」
佐子は胸のボタンを全部外し、シャツをさっそうとめくった。
「おうおうおう、てめえの悪事、この桜吹雪がお見通しなんでえ」
鮮やかな桜吹雪の下着に、拓也は一歩後ずさった。その股間の一瞬の隙を、近くにいた輝羅は見逃さなかった。
「このストーカー野郎」
と輝羅は叫び、今日もまた、股間目がけて蹴り上げるじゃない。
だけど、
「いてえ」
と悲鳴をあげたのは輝羅のほうだったのだ。
足を手で押さえて輝羅はうずくまった。
ふっふっふと、拓也は不敵に笑った。
「ふっふっふ、もう二度と同じ手は、いや、同じ足は食わないのさ。今日は、鉄のパンツで、鉄壁のガードをしているんだぜ」
一番弟子の綺羅が足を痛めて、キャプテン留美が黙っているはずがない。顔を真っ赤にひきつらせ、怒りに震える人差指を、留美は拓也の股間へ向けるのだ。
「ぬあーんだってえ? じゃあ、その鉄のパンツと、あたいのこのつま先の、どっちが強いか、勝負してやるぜ」
拓也の頬から首へ、冷や汗がツーと流れた。それでも彼は、四股を踏んでどっしり構え、裏返った声で叫んだ。
「かかって来いやあ」
天下分け目の戦いを予感させる風の中、後輩たちの固唾を呑む音に見守られ、留美がまさに襲いかかろうとした時、女性の高い声が響いた。
「留美さん、このかたは、どなたですの?」
皆が声の方を向くと、織江先生が入口から入って、近づいて来る。
武者震いをしている留美の代わりに、うずくまった綺羅が教えた。
「織姫、この男は留美姉御のストーカーなんだ。こいつのせいで、あたしは足を痛めちまった」
「何ですってえ?」
織江は男を睨み上げ、鼻息荒く告げた。
「いいですか、あなた、この娘たちに手を出したら、警察を呼びますわよ」
「おばさん、誰?」
という男の問いかけが、織江の逆鱗に触れた。
「お、お、おばさん、ですってえ? んまあ、んまあ、なんてヤクザな男でしょう」
懐から一瞬で携帯を出し、織江は110番にかけるじゃない。
「もしもし、わたし、紅玉高校ソフトテニス部顧問の白鳥織江と申します。ちなみに二十八歳独身です。女子テニス部の練習に、不審者が乱入し、被害を受けていますので、すぐ来て、現行犯逮捕してください。ここは、中牟田市運動公園の端の中牟田市営テニスコートです」
そう織江は携帯電話にまくしたてた。
拓也の顔が蒼白になっていった。後ずさりしながら唇をゆがませ、うわずった声で言った。
「ぼ、ぼく、だ、大事な用事、思い出した。もう、行かなきゃ」
だけど留美の合図によって、彼は乙女たちに完全に包囲されたのだ。
「あたい、目の前で誰かが逮捕される瞬間を、今まで見たことがないんだ。あんたが初めてなんだから、逃がさないよ」
と留美が言うと、アンも瞳を青空に負けないくらい輝かせ、
「アンも、初体験よ。ワーオ、ワクワクが止まらないわ」
拓也はどこかに逃げ場がないかとキョロキョロしながら言う。
「ぼく、犯罪になるようなこと、何もしてないよねえ?」
輝羅が眉を吊り上げて責める。
「あたしの足を、こんなに痛めたじゃないか」
「そ、それは、濡れ衣だあ」
拓也が首を振って否定すると、七菜も責め立てる。
「わたし、この目でちゃーんと見ていたがよ。あんた、サッコの桜吹雪の下着を見たっちゃ。これはりっぱな覗き見だっちゃ」
「そ、それも、濡れ衣だあ」
と言う拓也の声が、娘たちの「キャー、痴漢」だの「ヘンタイ」だの「嫌らしい」などの黄色い声にかき消された。
警察署は近いので、もうパトカーのサイレンの音が近づいて来た。
「だいたいね、あたいのストーカーこそ、りっぱな犯罪なんだぜ」
と留美も責めた。
「わたしを、おばさん、と誹謗中傷したことだって、名誉棄損で訴えてやります」
と織江先生も目くじらを立てる。
「な、何でえ?」
と言いながらも、拓也は逮捕から逃れようと、小柄な七菜と真由の間へ強行突破を試みた。
だけど七菜と真由の馬力は、彼の想像を超えるものだったのだ。
「キャー、痴漢、ヘンタイ」
と叫びながら、七菜が彼の胸をボカボカ殴ると、
「キャーキャーキャーキャー」
と真由も絶叫して、彼の脛をバンバン蹴った。
その破壊力に倒れ込んだ拓也の髪を、留美がむんずとつかんだ。
「逃がさないよ」
「ごめんなさい・・」
痛みとサイレンの恐怖に涙をちびりながら拓也は謝った。
「でも、ぼくは、ただ、頼まれただけなんだよお。夏まで留美ちゃんたちをコーチしたら、バイト料くれるって言うから、ここに来たんだよお」
「はあ? この嘘つきめ。だったら、誰に頼まれたか、言ってみな?」
留美の問いに、拓也は眉間にしわを寄せて首を振る。
「それは、言えないんだ。言ったら、バイト料もらえなくなるから」
留美は青年の髪を引っ張り上げて、筋トレで鍛えた恐ろしい腕力で揺さぶった。
「やっぱり、あたいらをだまそうとしてるんだな。警察に突き出して、極刑にしてもらうぜ」
「嘘じゃないよお」
「じゃあ、誰に頼まれたんだい?」
コート横にパトカーが止まり、サイレンが静まった。
制服警官が二人、駆け寄って来た。
「増田先輩」
と拓也は小さな声で白状した。
女生徒に髪を掴まれてコートの黒土に膝をついている青年を指さし、警官の一人が女教師に聞く。
「不審者というのは、この男ですか?」
「ええ、ええ、そうです。すぐに逮捕してください」
と織江は言ったが、
「ちょおっと待ったあ」
と留美が叫んだ。
そして拓也を閻魔のように睨み、
「あんた、今、増田先輩、って言ったのか? どういうことだい?」
逮捕されまいと、拓也は懸命に言った。
「ひと月前、増田先輩は、留美ちゃんの暴行の報道を止めさせようと、テレビカメラを奪って逃げたんだ。でも、痛めてる足が動かなくなって、車にはねられたんだ。それで今、絶対安静で入院中だから・・」
拓也の言葉を遮って、留美は彼の髪を引っ張り上げて立たせ、彼を真っ二つに斬り裂くように叫んだ。
「今すぐ、今すぐあんた、あたいを彼のいる病院に連れて行かないと、逮捕させるよお」
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