第23話 新コーチ現れキャプテン留美復活
「がんばれー、がんばれー」
「ファイト、ファイト―」
夕刻の中牟田市営テニスコートに、紅玉高校ソフトテニス部女子たちの掛け声が響いていた。
そのコートの横にシルバーの軽ワゴン車が駐まり、青年が一人降り立った。バレーボール選手のような長身で、二十歳過ぎに見える。フェンスのドアから入ってくるその男は、短い黒髪、彫りの深い西洋系の顔で、ネイビー系のポロシャツとハーフパンツを身に着け、肩からラケットバッグをさげている。
女子高校生たちは乱打を止め、ひとかたまりになって彼をじろじろ見た。
「こんばんわ」
と男はあいさつし、白い歯を見せて笑った。
一番体の大きな輝羅が、ハスキーボイスで尋ねた。
「あんた、誰さ?」
青年は笑顔のまま聞き返す。
「きみが、あの、テレビに出ていた、坂東留美ちゃん、かい?」
輝羅の頬がヒクヒク笑った。
「あたしは、姉御に似ているって、たまに言われるけどさ、留美姉御なら、ここにはいないよ。ちょいとワケありでね。それであんた、誰なんだよ?」
「ぼくは、横江拓也。テレビで坂東留美の練習や試合を見て、ちょっと対戦したくて、ここへ来たけど・・留美ちゃんがいないなら、ぼくの相手になる子は、いないんだろうなあ」
そう言う拓也に、佐子が目を剝き、七菜の肩に手を当てて口を開いた。
「おうおう、何ほざいてやがる? ここにいる七菜はね、その留美先輩のペアなんだ。だから今度の全国大会で、優勝を狙っているんだ。あんたの方こそ、相手にならないんだからね」
拓也は七菜のピンピンはねているショートヘアーを見下ろし、ひと言もらした。
「ちっちゃ」
はねた黒髪から湯気を吐きながら七菜は青年を睨み上げた。
「ちっちゃ、言うな。あんたが、バカでかいだけっちゃ」
と七菜が怒ると、佐子も加勢する。
「あんた、この子はちっちゃくても、神風セブンって呼ばれるくらい足が速いんだ。こんなにちっちゃくても、テニスじゃあんたに負けないよ」
「サッコも、ちっちゃ、ちっちゃ、言わんでよ」
七菜の四角い頬が膨らんでフグになる。
拓也が意地悪な笑みを浮かべた。
「だったら、試しにぼくとシングルスのマッチをしようよ。まあ、一ゲームも取れないだろうけど」
輝羅が横槍を入れた。
「今の言葉、聞き捨てならねえ。じゃあ、あんた、七菜があんたから一ゲームでも取ったら、どうしてくれるんだい?」
拓也は鼻で笑った。
「きみたちみんなに、何でも好きなもの、買ってあげるさ」
「遠山の金さん、今の言葉、確かに聞いたね?」
と輝羅が佐子に確認すると、金さんオタクの遠山佐子はポロシャツのボタンを外し、自慢のさくら模様の下着をさらけ出すのだ。
「おうおう、わたしのこの桜吹雪が、今の言葉、確かに聞いたぜえ」
「な、何で?」
拓也はその鮮やかさに思わず後ずさっていた。
かくして、七菜はその不審者と、シングルスで勝負することとなったのだ。
「みんな、何でも欲しい物、今のうちに言っとくがいいっちゃ」
とレシーブの位置へ歩みながら七菜は言った。
早速、輝羅が言う。
「あたしは、おうち。贅沢言わない。二階建ての小さな家でいい」
佐子もすかさず言う。
「わたしは、彼氏。わたしも贅沢言わないわ。イケメンで、カッコ良くて、やさしくて、何でも買ってくれて、わたしだけしか好きなならない彼氏なら、それだけでいいわ」
一年生の美衣子も、アイドルのような大きな黒い瞳を輝かせて言う。
「ミーコも贅沢言わない。現金だけでいいわ。部屋いっぱいの一万円札に埋もれて、一度寝てみたかったの。そしたら、どんな夢見られるかしら?」
輝羅が七菜に問う。
「七菜は、何が欲しいんだ?」
七菜はレシーブの構えをしながら、翳りのある声で答える。
「わたしが欲しいのは、ただ一つ・・留美先輩に戻って来て欲しいだけっちゃ」
拓也がトスを上げ、高い打点でラケットを一閃させると、爆音を発したサービスが目にも留まらぬ恐ろしいスピードで七菜の右を突き抜け、フェンスへ食い込んでいった。
その頃、留美は市営コートのすぐ近くの自宅の二階で、英語の問題を解いていた。
仁科明美とアン西田が留美の後ろに立っている。
「留美、レッツゴー・テニスコート。ペアの七菜が待ってるよ」
とアンが誘う。
留美は振り向きもせず、
「あたい、宿題で忙しいんだ」
「ユーアーライヤー。さっきから、一問も解いてないじゃない」
「嫌味なやつだね。あたいは、アンのように、英語が得意じゃねえんだ」
留美のナチュラルウエーブの栗色の髪を、明美の指が撫ぜた。
「留美はもう、試験休みを合わせると、一ヶ月もボール打ってないとばい。全国大会まで、もう一ヶ月ちょっとしかないとばい。こんなんで、どうやって日本一になると言うとね?」
「ちぇっ、日本一なんて、今のあたいに、そんな資格、ないんだよ」
「せからしかあ。だったら何で、毎朝十キロ以上もランニングで朝刊配っていると? それにうちら、何のためにここに毎日来よると思うと? 日本一になる資格っていうのはね、日本一の練習をした者に与えられるとじゃなかとね? だったら、これからでも遅くなか。これから、人の何倍も、日本一の練習をすればよか。うちら、その手助けを、日本一するけん。ねえ、ほら吹き俊だって、それを望んでるとじゃなかね?」
留美は肩をピクッと震わせて振り向いた。
「あいつが・・俊コーチが、コートに来たのかい?」
明美の目が曇った。
「あいつ、県大会が終ってから、一度も来やしない。あんな人でなし、もう、忘れた方がよか」
アンの青い目が留美を見つめた。
「アンたち、あいつを尋ねて、カラオケ店【蘭蘭】に行ったけど、増田俊はもういないってさ。あいつ、姿を消しやがった。留美を捨てて、あたいらを捨てて、どこかへ行きやがったんだよ。もう、あんなやつ、忘れなよ」
留美の拳が机をドンと叩くと、鉛筆が跳ね上がった。
「あたいを捨てるのは仕方ねえけど、紅玉のみんなを捨てるなんて、許さねえ」
怒りの声が部屋を震わせた時、チャイムが鳴り、家の外から、
「留美あねごー」
と呼ぶ声が聞こえた。
「輝羅の声ばい」
と明美が言う。
アンが階段を降り、玄関へ向かった。
やがて輝羅が階段を駆け上がる荒々しい足音が響いた。
留美は背を向け、宿題を解いてるふりをした。
輝羅は部屋に入るなり、
「留美姉御、大変です」
彼女を追いかけてきたアンが聞いた。
「ホワットハップンド? どうしたの?」
「変な男が、コートに来て、姉御と対戦したいと言うので、いないと言うと、代わりに七菜がシングルスの試合をすることになって・・でも、その男、めっちゃ強くて、一ゲームも取れない七菜に、全国大会まで、テニスのコーチをしてやると言いだして、周りのみんなも乗り気みたいなんです。俊コーチも来なくなったし、その男、俊コーチより背が高くてイケメンだし・・」
「ぬ、ぬ、ぬあーんだってえ?」
椅子を弾き倒しながら留美は立ち上がった。
「許さねえ。あたいの心臓が爆打っているうちは、ほら吹き俊の居場所を奪うやつは、ぜってえ許さねえんだよ」
そう叫ぶと、留美はあっという間に階段を駆け下り、家を飛び出した。
テニスコートまで猪もびっくりの猛進で走り抜け、入口の扉を蹴り破った。
輝羅の言う通り、コートには見知らぬ長身の青年がいた。佐子と鈴にボレーのフットワークを教えていたその男は、派手に登場した娘を見て、白い歯を夕陽に輝かせた。
「やあ、きみこそ、かの有名な坂東留美ちゃんだね? ぼくはきみを待っていたんだ」
そう言って、彼は留美に近づいて来た。
だけど彼より先に、七菜がキャアキャア駆け寄って、留美の胸へ飛びついたのだ。
「留美先輩、わたし、ずっとずっと、待ってたがですよお」
と言うと、留美にひしと抱きついて、泣きじゃくるのだ。
他の部員たちも皆、涙目で、逃がさないぞと言わんばかりに、留美の名を呼びながら、ぎゅうっと取り囲んだ。
「留美先輩、戻って来てくれた。ああ、これからも、一緒に闘ってくれるがですね?」
と七菜はしゃくりあげながら聞く。
留美は自分も泣いていることにも気づかず、
「ちぇっ、ちぇっ、しょうがないやつだなあ」
と思わず抱きしめていた。
選手たちの囲いの後ろから、青年が声をかけた。
「留美ちゃん、ぼくは横江拓也っていうんだ。テレビで見て、日本一を目指すきみの姿にぼくは感動したんだ。きみらが日本一になれるよう、これからぼくがサポートしてあげるよ」
なんて笑顔で言う。
留美は七菜を七菜を胸から離し、男の前にいる山本真由と李鈴に言った。
「まゆ、リンリン、そこをどきな」
留美がゆっくり男に近づくと、
「よろぴくね」
と拓也はおどけながら、握手の右手を差し出した。
だけど留美は手の代わりに足であいさつしたのだ。右足が蹴り上げられると、必殺の足先が戦慄の速さで男の股間に激突した。
「くううう」
男の人生も終わりだというような呻きをもらし、拓也は急所を両手で押えて崩れ落ちた。
「あたいらには、増田俊というコーチがいるんだ。ほら吹きで、変なやつだけど、今まで一緒に歩んできたんだ」
拓也は黒土の上でのたうちながらも、悲鳴まじりに言う。
「そ、その人は、あ、足が悪い、って、聞いたよ。ぼくなら、くううう、何倍も、うまくコーチ、できるううう。それに、その人、もう、いないんだろ?」
「ぬあーんだってえ? あんた、タマタマ、全部潰されたくなかったら、今すぐ消えな」
そう凄んで、留美が再び蹴りを入れる構えをすると、拓也は「いやーん」ともらしながら立ち上がり、内股でピョンピョン跳ねながら遠ざかった。コートの出入り口で、明美とアンと輝羅とすれ違い、「また来るよー」と言い残し、その怪しい青年はシルバーの軽ワゴンで去って行ったのだ。
明美が留美の前に来て、角が立ったままの目を見つめた。
「これでよかったと? 留美が引退した後も、あの男、うちらの後輩たちのコーチをしてくれるかもしれんとに」
アンの青い目もさみしそうに留美を見つめた。
「アンは、あのイケメンと、テニスしてみたいなあ」
留美の頬が夕陽にたぎり、それが瞳にも燃え移った。
「コーチなら、このあたいがしてあげるぜ。さあ、みんな、練習をやるよ・・」
と留美は吼えた。
「あたいと七菜は、日本一になる特訓をやるからね。他のみんなは、秋の新人戦で、東青山学園にぜってえ負けないように、心してボールを打つんだよ」
キャプテン留美の復活に、誰もが拳を振り上げ、大声を出し、血沸き肉躍らせ練習した。
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