第20話 奈落へ堕とされた三年前の退学
「すべて、きみ一人で起こした事件なんだね?」
縦長顔の教頭が鷹のように鋭い目で睨む。
ここは校長室。壁の上方から、額の中の歴代校長たちの写真も睥睨している。
テーブルを挟んで椅子に座る留美は、狛犬のように見返したままだ。
白髪の校長が腕組みをしたまま、一つ咳払いする。
その隣の担任教諭の田辺京子が悲しい目を見開いて、ソプラノ調の早口で言う。
「ソフトテニス部員のみんなに聞いていますのよ。全国優勝の祝勝会と三年生の引退会を兼ねて、カラオケ店で歌っていたら、あなた一人が抜け出して、不良とケンカして、止めに入った店員を、持っていたナイフで刺したんですってね?」
留美は唇を震わせ一度うつむいたが、すぐに京子先生を見返して低い声で言った。
「店員を刺したのは、間違いないよ。だけど、不良とのケンカは、あたいより、副キャプテンの真凛か、緑子に聞いた方が、よく知ってると思うよ」
教頭がテーブルを叩いて怒った。
「きみ、先生に対して、何だ、その口の利き方は?」
校長がまた乾いた咳をする。
京子先生は目を剥いて言う。
「山下さんにも、高橋さんにも、まっ先に聞きましたよ。これは部活停止に関わる事件ですからね。表沙汰になったら、東青山学園全体の不祥事となっちゃうんですよ。二人とも、私用で先に店を出たから、事件のことは、何も知らないと言ってますわ。坂東さん、あなた、どうしてナイフなんか持ち歩いているんです?」
留美は顔を背け、壊れかけた目を窓へ向けた。
「ちぇ、ナイフなんて、知らねえよ。あの店に、落ちていたんだ」
「嘘おっしゃい」
と京子先生が叫ぶ。
留美は窓を見たまま、顔をゆがめて笑った。
「ああ、嘘だよ。あのナイフは、あたいが、護身用に持っていたんだ。これでいいかい?」
「それで、ケンカを止めに入った罪もない人を、刺したってわけ?」
「ああ、ああ、そうだよ。あたい、あの人に、ひどいこと、しちまった」
作り笑いが崩壊して、涙の堰きも決壊した。
教頭が厳しい顔で言う。
「いいか、よく聞きなさい。きみはもう、決してその被害者と会っちゃいけないよ。わたしらが、ちゃんとその人に礼を尽くして、この事件が表沙汰にならないようにするからね。もしマスコミに嗅ぎつかれたら、わたしらは記者会見を開かなくちゃいけなくなるし、きみだって『前科者』のレッテルを一生貼られることになるんだよ。陸上の元オリンピック選手の坂東敦子の娘で、日本短距離界のエース坂東由紀の妹が、傷害事件を起こしたと世間に広まればどうなることか? 分かるだろ? きみのお母さんは、もうテレビ番組に出れなくなるんだよ。それだけじゃない。ソフトテニス部は部活停止になって、きみは、きみの後輩たちの夢も奪ってしまうんだよ・・」
留美は唇を噛んで泣き声を抑えていたが、溢れる涙は止まらなかった。
教頭はそんな生徒に眉をひそめたが、やがて静かに、明確な声で告げた。
「それからね、分かってると思うけど、われわれは、きみを、この学園に在籍させておくことはできないんだ。早急に、きみの保護者に来てもらって、退学届けを出してもらうよ」
留美は涙で見えない相手に問う。
「あたいは、ここの高等部で、ソフトテニス日本一になるって、心に誓っているんだ。ここの中学を退学になっても、また東青山学園高校を受験することはできるだろう?」
教頭は仮面をつけたような顔で答えた。
「それはきみの自由だけど、わたしらは、きみを合格させるわけにはいかないんだよ。そもそもこの学園には、全中個人一位の山下・高橋組がいるんだ。きみはもう、この学園には必要ないんだよ」
教頭の唇がわずかに吊り上がった。
校長がまた、短い咳をした。
留美の蒼ざめた顔が、みるみる赤くなった。涙はまだ止まらない。肩を震わせて立ち上がり、頭を下げた。
「分かったよ・・今までありがとうございました。これがあたいの、お礼だよ」
と低い声で言うと、留美は座っていた椅子を持ち上げるやいなや、放り投げた。
椅子は両手で顔を守った教頭の頭上を飛び、心砕ける音をを発して窓ガラスを破壊した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます