第16話 天国か地獄かの全国大会決定戦

「レディース・アンド・かわいこちゃーん、三田喜久雄だよーん。今日もわれわれ『夕刊バラエティー』のメンバーは、日曜も休まず、ここ、千住丘総合公園テニスコートに来ていまーす。今日は、ソフトテニスダブルスの個人戦県予選大会、いよいよわれらが陸上クイーン、坂東敦子の次女、坂東留美の負けたら最後、天国か地獄かの試合をウオッチしに来ましたあ。われわれが追いかけてきた留美ちゃんは、勝って全国大会の切符を得るのでしょうか?」

 そう喜久雄が派手なジェスチャーでカメラに話すと、美人アナウンサーの吉田アリスが、

「今日ここでは女子の個人戦が行われます。それでは留美さんに、今の気持ちを伺いましょう」

 と言って、留美の口元へマイクを差し出す。

 留美はカメラに大きな目を剥いて、高らかに宣言した。

「あたいの対戦相手だって、きっと勝って全国大会へ行きたいんじゃないかな? だけどあたいは、ここにいる誰よりも厳しいトレーニングや練習を続けてきたんだ。だから、あたいは、努力が花咲くってことを、ここに証明しに来たのさ」

 いつもの調子で喜久雄が持ち上げる。

「うわあ、何て素敵なセリフだあ。留美ちゃん、どこでそんな言葉覚えたの?」

 留美はアリスからマイクを奪い取ってしまった。

「あたいらのコーチが、いつも臭い言葉を並べるからさ、あたいにもその匂いが染み付いちゃったんだ」

 留美が離さないマイクに口を寄せて、アリスが問う。

「臭いって、例えばどんな言葉を増田コーチはおっしゃるんですか?」

「青春は短い、だとか、最後は根性とか執念が強い方が勝つ、とか、とにかくカメムシの大群も逃げ出すくらい臭いんだ。ガスマスクを着けなきゃ聞けないくらいさ」

 留美が臭い顔をすると、喜久雄も鼻をつまんで言う。

「うわあ、確かにカビが生えているくらい古臭い言葉だ」

「増田コーチは、イケメンで、とてもクールな男に見えますのに・・」

 と言いながらマイクに顔を寄せるアリスの髪を、留美がふいに掴んだ。

「なあんだってえ? あいつのどこがイケメン? クール? 変なこと言うと、この稲妻留美のサンダーフラッシュをお見舞いするよ」


 満身創痍の永松由由・遠山佐子ペアは三回戦で敗れ、李鈴・玉本夢香ペアも三回戦、アン西田・相沢美衣子ペアは四回戦で敗れたが、小原七菜・坂東留美ペアと山本真由・片山輝羅ペアは五回戦まで勝ち残った。ここで勝てば、全国大会出場が決まるのだ。小原七菜・坂東留美ペアの対戦相手は、昨日の団体戦で由由と佐子を痛めつけた東青山学園の伊藤さくら・八代みゆきペアで、山本・片山ペアの相手は、同じく東青山学園のレギュラー、真鍋愛結・香川智恵美ペアだ。


 先に留美たちの試合が始まり、俊がベンチコーチに入った。

 東青山学園中等部時代、さくらには勝ち越していた留美は、負ける気がしなかった。

「昨日の団体戦で、あたいの大切なゆーゆとサッコをボコボコにしてくれた落とし前、今日、あたいが百倍にして返してあげるよ」

 と試合前のトスでラケットを回しながら、留美は言った。

 みゆきが「表裏」のどちらかを言うかわりに、こう返した。

「まあ、相変わらず留美先輩は怖いですわあ。だけど、今日、わたしのメガトンスマッシュの餌食になるのは、留美先輩ですから」

「何だってえ? みゆき、昔、いっぱい面倒みてあげたのに、近頃ちっとも可愛くないねえ」

 そう言いながら留美が自分より大きなみゆきの肩を叩くと、さくらが小柄な七菜の髪を撫ぜて言う。

「可愛くないのは、わたしたちを裏切って出て行った七菜ちゃんじゃないの?」

 七菜も負けてはいない。

「その前に留美先輩を裏切ったのは、さくら先輩たちじゃないがけ? その後、わたしをさんざんイジメたお礼、ここで百万倍にして返してあげるっちゃ」

「ばかじゃないの? 全日本の強化メンバーのわたしが、県予選なんかで敗退するわけないでしょ?」

 さくらは七菜の頭から手を離す時、髪を数本引き抜いていた。

 トスが終らないので、審判は早くもイエローカードを両者に出した。

 選手四人は、目からバチバチ火花を散らし合いながら、サーブレシーブの位置へ歩いたのだ。


 七菜が神風と呼ばれる俊足と天才的なかわしのテクニックでみゆきに触らせず、さくら得意のレインボーロブを、留美がそれ以上の脚力でジャンピングスマッシュするという展開で、小原・坂東ペアが簡単に二ゲームを連取した。

『もう勝てる』

 そう感じて二人が少し安心した時、逆にさくらとみゆきの心に『もう負けられない』という必死の炎が燃え上がり、戦いの流れが変わった。

 いつもチェリーのように明るい笑くぼを見せているサクラが、鬼の形相で風上から強打を連打し、七菜が仕方なく後衛前へつなぐロビングが甘くなったところを、みゆきの最大の武器であるメガトンスマッシュが炸裂した。

 チェンジサイドとなり、風下となっても、さくらは得意のレインボーロブをチラつかせながら、フルスイングのシュートで攻めてきた。七菜も打ち合いに応じたが、風でボールが伸びて先にアウトした。

 ゲームカウント2-2になり、留美が流れを変えようと一本目をポーチに出たところを、サクラは読んでいて、サイドパスでエースを取った。次はみゆきがポーチを決め、留美が横の動きでしか勝負できなくなった時、さくらが「レインボー」と叫び、必殺の高速ロビングで攻めてきた。結局三ゲームを連取され、もう後が無くなって七菜と留美はベンチへ帰った。

 ほんのちょっとの安心がこの逆転を生んだのだ。風下でのゲームカウント2-0では、まだ本質ではリードではなかったのだ。相手が強豪の場合、わずかな気の緩みでそのゲームを落としてしまえば、次は不利な風上となり、逆転劇を生むことは多々あることなのだ。チャンスはいつでもピンチと背中合わせなのだ。

 水分補給をさせながら、俊がコーチングする。

「さっきのゲーム、相手後衛は、まずサイドパスで攻め、それから後衛と打ちあった後、得意のロブで攻めてきた。今度は相手が風上だから、三ゲーム目と同じように強いシュートで攻めてくる確率が高い。たとへロブを打たれても、七菜が俊足だから大丈夫だ。だから一本目、ファーストサーブが入ったら、留美は早めにポーチに出るモーションを見せるんだ。そしたら相手は、留美がサイドに戻ると思って、かまわずクロスへ打ってくるだろう。ミドルもあるけど、あの後衛ならクロスの確率が高い。そして必ず流れを変えるボレーを決めるんだ」

 留美は悲壮な顔で言う。

「さくらはさっき、サイドパスから始めたんだ。また打たれて負けちまったらどうするんだよ?」

「留美がそう考えていると、相手も思っているさ。相手の監督もそう思っているから、まず一本目は風上のクロスで打ち勝てと指示しているはず。もしサイドを抜かれても、また次に勝負すればいい。七菜が負けずに必死に粘って、留美が一球一球、相手が打つ確率の高い方で勝負するしかないんだ。留美がボレー・スマッシュを決めたら勝ちだし、決めなければ負けだ。でも、留美ならできる。いいかい、いつだって相手は上げボーラーなんだよ。練習通りに、留美の稲妻ボレーを決めるんだ。そしてそのチャンスは、この一本目なんだよ」

 震える背中を叩いて、俊は留美を送り出した。


「ゲームカウント2-3」

 と正審がコールした。

 留美は泣きたいくらい怖かった。追い込まれた今、一ポイントが、死刑執行のように重く感じられる。フォアボレーに出るぞと、相手を威嚇するようにラケットを出しても、心臓が胸を突き破るくらいバクバクうねっている。

 七菜も胸が押し潰されそうだった。機関銃を構えて待ち伏せしている相手に槍一本で突っ込んで行くような気持ちで、手足がどうしても震えてしまう。サービスのトスを上げ、カッと目を見開き、ボールを睨んだ。

『絶対にこの一本を入れなくちゃ、負けてしまう』

 と心で叫びながら、強いファーストサービスをサクラのフォアに入れた。

 留美は右足を一歩出し、止まった。時間も止まった気がした。二段モーションでストレートのバックボレーに行くにはぎりぎりのタイミングだった。三段モーションでクロスのフォアボレーに行くにはベストの瞬間だ。サクラの左肩がストレートへ向いた。留美は本能的にストレートへステップを踏んでいた。俊コーチの指示通りポーチに出ることは、怖くてできなかった。サクラは大声を発し、渾身のクロスレシーブを打ち込んだ。

 留美がポーチに出ると思って、七菜はサイドへカバーに走ろうとしていた。そこへ矢のようなシュートが風に乗って伸びてきた。打ち負けるわけにはいかない。ロブで逃げたら、みゆきに得意のスマッシュで叩かれる。とっさの腰を下ろし、呻る白球だけを睨んで必死にクロスへ打ち返した。だけどそのボールへみゆきが躍動していた。獲物をしとめる鷹のようにみゆきの目は輝き、かん高い叫びがほとばしった。恐ろしい爆弾のようなポーチボレーがコートを引き裂き、留美や七菜の心も破壊したのだ。

「ナイスボレー」

 と天にも届く声を上げながらサクラが飛び跳ね、みゆきに駆け寄って握手を交わした。

 東青山学園の応援も、花火が一斉に上がるような盛り上がりだ。

 さくらは熱い炎が渦巻く瞳でみゆきを見つめて言う。

「もう一本だけ先行するよ」

「もう一本だけ」

 みゆきも同じ目でうなずく。

 留美の心はひび割れたガラスだった。溢れ出る涙に気づかず、払うこともできなかった。俊コーチのアドバイスを実行できなかった自分が何より悔しかった。

 その微妙な表情をさくらは見逃さなかった。

『あいつ、今、ポーチに出れなかったことを後悔してやがるな。次、焦って出てくるぞ』

 そう心でつぶやいていた。

 紅玉高校ベンチでは、俊が祈るように留美を見つめていた。

『留美、出れるチャンスを逃したら、次のチャンスが来るまで我慢するしかないよ』

 そう心で訴えた。

「0-1」

 と正審がコールする。

 負けるものか、と七菜が逆クロスへ強打のファーストサービスを打ち込むが、わずかにフォルトする。ダブルフォルトしたら取り返しがつかないので、七菜は丁寧にセカンドサービスを入れる。みゆきの逆クロスへの長いレシーブを、七菜は懸命に回り込み、呻き声を発しながらストレートへ打ち返した。さくらはさっと右へ動き、左足を右前へ踏み込んだ。留美の方は一瞥もせず、ストレートへ打ち込む構えだ。風上から好きに振り切られちゃ負けてしまう、と留美の心が悲鳴に似た叫びをあげる。ポーチに行くしかないと留美は思い、バックボレーのステップでストレートへ突進した。その瞬間、「おりゃあ」と吼えながらさくらはクロスへパッシングショットを放っていた。七菜が地の果てまで走っても及ばない。

 一度手放した流れは二度と戻ってこない気がして、留美は唇を嚙みしめた。次は留美のサービスだ。次のポイントを取られたら、ほぼ試合が決まってしまう。どうすればいいのか、心も体もパニックで、蛇に睨まれた蛙だ。心臓が乱れ太鼓のように高鳴り、体が震えるばかり。気がつくと、サービスの位置に自分がいて、「0-2」とコールする正審の声が聞こえた。悪い夢なら覚めて欲しい。「一本だけ」と祈る仲間たちの声が聞こえる。それは留美の心の声でもある。いつも次のこの一本だけのために、トレーニングをし、何万本も打ち込んできた。絶対に負けられない戦場で、大声を張り上げている自分がいる。震える手でトスを上げると、白球がぼやけて虚空に消えた。それでもサービスのタイミングは体が覚えている。力の限りファーストサービスのスイングをした。なのに当たらない。

「フォルト」

 と言う審判のコールが胸に刺さった。

『えっ? 何が起こったの?』

 極度の緊張と恐怖で目が見えないのだろうか。

「大丈夫。絶対大丈夫』

 と仲間の声が聞こえる。

 留美が左手の甲で目をこすると、涙で濡れた。紅色のゲームシャツで両目の涙をふき取ると、視界が復活した。

「大丈夫。絶対大丈夫」

 と留美も叫んで、さくらを睨んだ。

 さくらは余裕の笑みを浮かべている。

 留美はセカンドサービスを慎重に入れて構えた。さくらのレシーブのバックスイングの面が、一瞬スライス系で止まった。ドロップショットの打ち方だ。

『あっ、イケナイ』

 留美の体に危機を知らせる電流が走り、慌てて前へ走りだした。

 七菜も同じ思いで前へスタートを切りかけた。

 だけどそれはさくらのフェイクだった。さくらはカットショートを打つ形から強引にミドルへシュートを打ったのだ。逆を突かれた留美は足を滑らせて追えない。ただ死にゆく獣のように悲しい目で白球を見つめるばかりだ。七菜は夜叉の形相で追うが、振り切ったレシーブは追い風に乗って矢のようにミドルを突き抜けていく。センターマークのあるベースラインの数ミリ後方に発現した運命のボール跡を見て、七菜は拳を天へ突き上げて叫んだ。

「ラッキー」

 留美も両手を上げて「うおおお」と咆哮していた。

「入ってるでしょう?」

 とさくらが怒りの声を上げた。

 正審が自らボール跡を確認しに行き、「アウト」を宣告した。

 もし風が吹かなかったら『0-3』となり、絶体絶命となっていただろう。七菜と留美の胸の炎も神風に揺れた。だけど、次のポイントを奪われたら、マッチポイントを取られてしまう。崖っぷちに追い込まれていることに変わりはないのだ。留美はもう一度涙をシャツでぬぐい、七菜と互いの瞳の炎を確認し合った。

「もう一本だけ挽回するよ」

「絶対追いつきます」

 その瞳の熱さと声の重さが胸に響いて。二人はもう決して負けない気がした。

「1-2」

 と正審がコールした。

『さくらは、この試合の最大のチャンスをレシーブミスで逃した。だから、この一本さえ奪い取れれば、流れはこっちに来るんだ』

 留美は心でそう自分に言い聞かせ、声を張り上げてみゆきのバックへファーストサービスを打ち込んだ。

 みゆきはバックハンドレシーブを逆クロスへ振り切り、ミドルへ前進してくる。

『攻められたら、相手以上の気迫で攻め返すしかない』

 と留美の闘争本能が叫ぶ。

 全身の細胞へ闘魂の血潮が駆け巡り、留美は素早く足を回転させてフォアに回り込み、白球を睨みつけた。セオリー通りミドルへ打ち込んでも、さくらがそれを待っていることは分かっている。留美はミドル打ちの構えから前へ踏み込み、打点を遅らせて鋭くトップスピンをかけた。逆クロスへのパッシングショートだ。みゆきは逆を突かれかけたが、長い手足をいっぱいに伸ばし、バックのローボレーでどうにか拾った。七菜の前へチャンスボールが上がり、留美はネットへダッシュした。みゆきはネットへ前進し、さくらはクロスへ戻ろうと動いている。七菜は前へ動きながら二人の逆を突き、ライジングのストレートロビングで攻めた。思い切りトップスピンをかけた高速ロビングが逆風で沈んだ後、ドライブ回転のバウンドで伸びた。さくらが懸命に走るが、バックの裏面スライスロビングで返球するのが精いっぱいだ。チャンスボールが留美の近くへ上がってきた。チャンスボールだからこそ、これを決めなきゃ負けてしまうだろう。チャンスはいつでもピンチでもあるのだ。白球は逆回転と追風で生き物のようにホップして揺れ、伸びてくる。みゆきがフォローのためにクロスへ下がるのが分かる。さくらは走った勢いでコートに戻れていない。留美は最後まで細かく足を動かし、白球を鬼の目で睨んだ。

「稲妻スマッシュ」

 雷鳴がとどろくように叫んで、留美はさくらとみゆきの間へスマッシュを打ち込んだ。コート内でバウンドしたボールは、熱い夢と希望を乗せてベンチの俊の胸へと突き刺さった。

 ベンチの仲間たちが万歳をした手で拍手すると、留美も七菜もその手が太陽に届くほど飛び跳ねて万歳した。だけどすぐに駆け寄り、手を取り合ってもう一度互いの瞳の激情を確かめ合った。

「もう一本だけもぎ取るよ」

「これからが本当の勝負です」

 次は七菜の正クロスのサービスだ。

「2-2」

 と正審がコールする。

 追いつきはしたが、次を取られたら相手のマッチポイントになることには変わりはない。ずっと土壇場での戦いは続くのだ。技術面では互いに変わらぬ高度なものを身に着けている。ここでは精神的に成長したペアが勝つのだ。

 七菜はサービスの構えをして考えた。

『みゆきは今、わたしのロブが有効打になって、ポイントを失ったがよ。今度はわたしがクロスへ打つと思って、ポーチに出てくるがやろか? でも、このゲームの一本目、みゆきはポーチに出ているから、わたしがサイドに打つ構えをしたら、そう簡単には動けんがよ。よし、ここは何が何でも打ち勝つっちゃ』

 その時、ネットの手前でボレーの構えをする留美はこう考えていた。

『このゲームの一本目、あたいはレシーブポーチに出れんかった。だからさくらは、ここであたいがポーチに出ると考えているはず。だから、あたいがポーチに出る構えをしたら、サイドパスを打ってくるかもしれない。だけどこのゲームの二本目に、あいつはクロスパスを決めている。ならばあたいがパスを警戒していることも感じているだろう。そしてあたいらも追い詰められているけど、あいつらも苦しいはず。ならば今こそ、さくらの一番得意なレインボーロブに頼って打って来る確率が高い。風上でも、さくらのロブは恐ろしく正確だ。ならば今、あたいはそれを狙うしかない』

 トスを上げた瞬間、七菜はファーストサービスが絶対入る気がした。手首を利かせてさくらのボディーへ伸びのあるサービスを打ち込んだ。サクラは忍者のように俊敏に足を動かし、フォアに回り込んだ。一瞬、留美がセンターへ踏み出すのが見え、さくらは『よし』と思ってストレートへ高速ロビングで攻めようとした。だけど留美が一転、スマッシュ狙いで下がるのが見えた。サービスも思った以上に伸びてきた。コースは変えられず、「レインボー」と絶叫しながら、膝を曲げ伸ばしし、思いっきりトップスピンの高速ロビングを放った。

『よし、来た』

 と留美の胸が叫んだ。

 フットワークのスピードなら、日本の女子前衛で誰にも負けない自信があった。回り込みながら高速で五歩クロスステップを踏み、力の限り後方へジャンプすると、外からカーブして来る生きた白球が頭上に揺れながら輝いていた。それはさくらの熱き魂の一打。ならばそれ以上の灼熱の思いをぶつけなければ撃破できないだろう。

「どりゃあああ」

 留美は怒れる鬼神のような叫びとともに、フォローに構えるみゆきのバックへ渾身のスマッシュを振り切った。みゆきも歯を食いしばってバックの面を伸ばしたが、留美と紅玉の仲間たちの夢と希望を乗せた白球はそのラケットを弾き飛ばした。紅玉の選手もコーチも応援のみんなもいっせいに飛び上がって歓喜した。青空も雲も太陽も風も大地も輪になって踊りだした。だけどすぐに留美と七菜は手を取り合い、声をかけ合ったのだ。

「まだまだ負けているんだ。次の一本取って、やっとファイナルに追いつけるんだ。今、やっと、あたいらに【流れ】が来てるんだ。この【流れ】を相手に渡したら負けなんだぜ」

「ここで一本取られたら、また百倍きつくなるがやから、この一本、百倍集中するがです」

 七菜が逆クロスのサービスの位置に着き、留美が前衛のポジションに構えた。

「3-2」

 と正審がコールした。

 レシーバーのみゆきを睨みながら留美は考えた。

『ファーストサービスが入ったら、ここはレシーブポーチに出るべきだ。だけどみゆきは、このレシーブであたいと勝負しない。七菜の前へロブを上げて前へ出るだろう。もし、みゆきが勝負するとすれば、あたいがポーチに出ると思って、サイドパスを打つ時だけだ。ならば、あたいはそれを待つだけだ。さしてさくらは、風上だし、次は流れを変えようと強いシュートで打ち勝とうとしてくるぞ。このゲーム、普段は打たないクロスパスを打っているから、それももう簡単には打てないはずだ』

 サーバーの七菜はボールを睨みながら自分に言い聞かせていた。

『俊コーチは言ってたちゃ・・チャンスに強いものこそが勝利を得れるって。ここは絶対ファーストサービスを入れて、一本だけ、わたしの最高のボールを打ち込んで見せるがよ』

 ワイドへ強いサービスを入れると、みゆきはバックで七菜の前へロビングでレシーブし、センターへ前進した。七菜は逆クロスへロビングで攻める構えをした。だけど前へ踏み込んで、「おりゃああ」と火を吐くように吼えながらストレートへライジングシュートを打ち込んだ。さくらは左へ走りかけていたが、鍛え上げられたフットワークで右へ戻り、七菜の魂が込められた剛球を睨んだ。風上だから打ち負けはしない、と思った。さっきクロスを抜いているから留美も簡単にはポーチに出れないだろう、と考えていた。腰を落とし。ボールに体重をぶつけるようにフォアストロークを振り抜いた。視線の片隅に赤い影が飛び込んできたが、かまわずフルスイングした。留美は体でそのボールにぶつかるように突進していた。ストレートポーチだ。ボールの勢いに負けぬよう、大声を発し、バックの縦面で鋭くストップボレーを放つと、白球はサイドラインの内側に落ちて小躍りしながら外へ弾けていく。留美は背中に羽が生えた気分で隣のコートまで万歳しながら駆け抜けていった。













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