第15話 負けたら花火となってパアッと散るんだからね
団体戦の二番目は、紅玉高校が小原七菜・坂東留美ペア、東青山学園が山下真凛・高橋緑子ペアの大将対決だ。
「あたいの望み通り、あいつらと対戦させてくれて、ありがとうよ・・」
と留美はオーダーを出した俊に言った。
俊は頬を震わせて笑っただけだった。実のところ、相手の大将ペアは一番目に出てくると思っていたのだ。
「あたい、ぜってえあいつらに復讐してやる。そのために今まで必死に生きてきたんだ。俊コーチ、あたいだって、あいつらに勝てるって、言ってくれたよね?」
「うん、勝てるさ。留美にはその能力があるんだ。それに留美には、おいらや仲間たちがついているから、きっと勝てるよ。でも、絶対勝つと思うんじゃなくて、絶対負けないと一球一球念じて闘うことが大事だよ」
俊を見つめる留美の瞳が炎となった。
以前から計画していた作戦通り、真凛の最初のレシーブを留美はクロスへポーチに飛び出し、「稲妻ボレー」と叫びながら決めた。真凛のシュートボールは女子のスピードを超えていたが、由由の剛球を見慣れている留美には怖くない。留美は次に真凛のミドル打ちを読んでボレーを決め、続いて厳しいサイドアタックもコートを切り裂くようなバックボレーで撥ね返した。とどめは真凛の高速ロビングをジャンピングスマッシュで仕留め、一ゲーム目を取ったのだ。
紅玉高校の応援の生徒たちは皆、百年の戦争が終結したかのようなお祭り騒ぎだった。
留美は真凛を指さし、高飛車に笑った。
「ふっふっふー、マリリンの打つコースなんぞ、百年先までザックリお見通しなんだぜ」
だけど真凛も不敵な笑みを返すのだ。
「あら、相変わらずおバカさんなのね。一つだけ忠告させていただきますけど、わたくしを本気にさせると、一生後悔しますことよ」
そして試合は真凛の言う通りになったのだ。
真凛は戦術をガラリと変え、後衛の前へ深いロビングでつなぎ、留美がそれを狙おうとすると、鮮やかなパッシングショットを決めた。勝つテニスから、負けないテニスに変えたのだ。七菜がどんなに強いシュートを打っても、どんなに鋭い中ロブで攻めても、『そんなボール、何千本でもつないでやりますわ』という具合に、真凛はカモシカのように軽快に走り、余裕で打ち返し続ける。七菜も足が速くて相手前衛をかわして打つのが天才的なのだが、真凛はその数段階上なのだ。
緑子も『モンスター』の異名通り、ボレーもスマッシュも恐ろしい破壊力で、試合の後半は、七菜の配球を読み切り、大事なポイントでエースを取り続けた。
最後は、留美がレシーブを打ってネットダッシュするところを、真凛が「レーザードロップ」と叫び、伝家の宝刀のショートクロスパッシングを鮮烈に振り抜いた。その遠すぎるボールに頭から飛び込んだ留美は、コートに突っ伏したまましばらく動けなかった。ゲームカウント1-4で七菜と留美は負けたのだ。
三番手に回せずに紅玉高校は敗退した。
夕刊バラエティーの吉田アリスのインタビューに、留美はうつむき、ひと言も応えずに去った。
留美の表情は虚ろで目は壊れていた。木陰で力なく膝を抱え、言葉を失い嗚咽するばかりだった。
明美マネージャーがその横に肩を触れ合わせて座ると、夢香も反対側に腰を下ろし、留美のナチュラルウエーブの栗色の短い髪を細い指で撫ぜた。
その背中にアンが座って、後ろからそっと留美の手を取り、やさしく声をかけた。
「ナイスファイトだったよ。負けた者にかける言葉なんてないって言うけど、アンは、心の底から感動したんだ。ほんとだよ。うまく言えないけど、人生が変わるくらい感動したよ」
七菜と輝羅も留美の後ろに座って、しゃくりあげながら次々声をかける。
「留美先輩、弱いわたしが、悪いっちゃ。留美先輩が、死ね、と言ったら、わたし死にます」
「留美姉御、あたしは姉御に天国でも地獄でもどこまでもついて行きます」
真由、美衣子、鈴、璃子の四人も、すぐ近くに来て座った。一年生たちは泣いている先輩たちを時折うかがいながら神妙にしていた。
やがて明美が口を開いた。
「なあ、織姫が言っていたこと、覚えとるやろ? たとえ、今日、試合に負けたとしても、胸を張って欲しいって。織姫が言う通り、昨日までのみんなも、今日のみんなも、本当に輝いとったとばい。留美も七菜も、病院に行ったゆーゆもサッコも、本当に美しかった。だって、みんな、後悔する一打など、一球たりともなかったとやろ? 一球、一球、死に物狂いで闘い続けたとやろ? だから応援するうちらみんな、声を嗄らしても、声を裏返しても、ガムシャラに叫んで、叫んで、叫び続けれたとよ。うちらみんなの汗も涙も、キラキラ美しく輝いてたとよ。織姫の言う通り、青春の栄光って、勝つことだけじゃなくて、何があってもあきらめずに戦い続けた、あの一球一球にあるんじゃないのかい? ゆーゆや留美の試合を見て、うちはそう感じたし、そんな試合を応援できて、うちは心底、幸せだったとばい。負けたけん、うちもいっぱい泣いたけど、ただ悔しくって、ただ悲しくって、泣いたとやない。負けたけど、こんな熱い感動を、うちの人生で体験することができて、嬉しくても泣いたとよ」
それを受けて夢香も語った。
「わたしたち、今こんなに泣くほど練習してきたんだ。今、こんなに、泣くほど頑張ったんだ。うまく言えないけど、以前のわたしがこんなわたしたちを外から見たらさ、可愛そうな人たちって同情するか、バカじゃないって鼻で笑うと思うよ。でも、今は違う。ほんとに、何て言ったらいいか分からんけど、今は違うんだよ」
しばらくして、木漏れ日の向うから俊が現れた。
膝を抱えてうなだれる娘たちを、俊は一人一人見ていた。
やがて怒った声でこう切り出した。
「何だい、何だい? 負けたくせに、こんなところでイジイジしやがって」
誰もが俊の怒れる目を見返した。その瞳の奥に大切な何かを探すように。
明美が食ってかかった。
「あんたが、東青山学園にも勝てるって、ほら吹いたとに、負けたから泣いとるとやろが」
「ああ、負けたさ。でもね、世の中なんて、いつも思い通りにはいかないものなのさ・・」
と俊は悲しみを怒りで振り払うように言う。
「だからこそ、おいらたち、負けた今が何より大事なのさ。負けたことの教訓を、おいらたちのこれからにどういかすかで、おいらたちの価値は決まるんじゃないかい?
おいらたちは、生きている限り、チャレンジャーなんだよ。だからやることは一つ。今日負けたのなら、なぜ負けたのかを一つ一つ考え、明日勝てるように工夫しながら前進していけばいいんだ。つまり、おいらたちの心がけしだいで、今日の負けが、おいらたちに、明日の勝利のヒントを与えてくれるんだ。おいらたちには、共に闘う素晴らしい仲間がいる。だからおいらは信じている。おいらたちは、これからも力を合わせて前進を続けるってことを。そしてね、前にも言ったけど、おいらたちにとって勝利って、ただ試合に勝つことだけじゃないんだよ。きっとそうさ。たとえば、この中の誰かにとっちゃ、今までできなかったような厳しい練習を今日までやり通せたことが一つの勝利なのかもしれない。またある者にとっちゃ、仲間のために声を嗄らして応援したことが一つの勝利なのかもしれない。そしてまた別の者にとっちゃ、自分や、自分たちや、相手のために死力を尽くして闘ったことが、一つの勝利なのかもしれない。みんな、今日までの生き方において、自分や自分たちにとって、何が本当の勝利だったのかを考えてみて欲しい。そして今も、これから先も、困難にぶつかったり、くじけそうになることも多いと思うけれど、自分や自分たちにとって、何が本当の勝利なのかを考え、闘って欲しい。そしておいらたち、これからも、一歩一歩前進するんだよ。そして一日一日、紅玉高校ソフトテニス部の新しい歴史を、より素晴らしい歴史を作っていくんだ。そのために大事なのは、いつもいつも、今日、この時、なんだよ。いいかい? 明日は個人戦なんだよ。三年生にとっちゃ、負けたら終わりの大切な試合なんだ。そして、もう、その個人戦は始まっているんだ」
夢香が心の痛みを払拭する烈しい眼光で俊を見返して問う。
「明日の個人戦がもう始まっているって、どういうことよ?」
「今日、今、何をするかで、明日の試合が変わるってことさ・・たとえば、明日対戦する相手が、今、試合をしているとするなら、観戦して、相手の得意や不得意を研究することができる。たいして力の差がなければ、たった一本の差で勝負が決まることも多いだろう? そこで大事になるのは、相手の得意を前衛が狙うとか、相手の苦手なコースを後衛が攻めるとかが、とても大事になるってことだよ。相手の配球パターンを知っておくことも重要だ。またあるいは、学校に帰って、今日ミスしたことを明日はポイントに変えれるように、目的意識を持って練習することも大事だよ」
絶望に震えていた留美が、ふいに立ち上がり、尖った目で俊を睨んだ。
「言いたいことは、それだけかい?」
「へっ?」
「あたいはね、このままじゃおさまりがつかないんだよ」
「へっ?」
「あんたは、あたいらだって、東青山学園に勝てるって言ったんだ」
と留美が糾弾すると、夢香も立ち上がって続いた。
「うん、ほら吹き俊は、確かに言ったわ・・わたしたちだって日本一になれるって」
「うちは知ってたとよ。こいつ、やっぱり嘘つきのペテン師だ」
と明美も立ち上がりながら責めると、留美が皆に問いかける。
「嘘つきのペテン師には、どんなお仕置きがいい? さあ、みんな、今から裁判を行うよ。被告はここにいる、ほら吹き俊だ。みんな、このペテン師にどんな罰がいいか、考えておくれ」
すると他の者も目をぎらつかせて立ち上がったのだ。
輝羅がすぐに提言した。
「水族館のピラニアの水槽に放り込んじゃいましょうよ」
七菜も負けずに発案する。
「理科の解剖実験に使った方が有意義っちゃ」
明美が首を振って言う。
「そんなんじゃ、面白くないばい。打ち上げ花火に縛り付けて、大空へドーンと打ち上げるとよかやん?」
「へっ?」
『おいら、女子高校生なんて嫌いだ』
と心で叫んで、俊は後ずさりした。
だけど、逃亡の気配を察した輝羅と明美にさっと両腕を確保されてしまった。
「留美姉御、ほら吹きコーチが逃げようとしています」
と輝羅が報告すると、明美も言った。
「留美キャプテン、ほら吹き俊に、裁きを言い渡しなよ」
俊は恐る恐る留美の大きな目を見た。
留美は俊の前へ歩み出て告げた。
「じゃあ、あんたに、判決を言い渡すよ。被告、ほら吹き俊は、あたいらが東青山学園に勝てるだとか、日本一になれるだとか、あまたの嘘をつき、あたいらを朝早くから散々しごき続けた。この犯罪に至っては、極悪非道、悪辣狡猾、人面獣心に厚顔鉄面皮、ついでに無節操無神経無責任、天と地が砕け散っても、釈明の余地はないんだよ。この明々白々の大罪、お天道様が許しても、この稲妻留美が許さないのさ。よって、もしも明日、あたいらが個人戦で勝ち抜いて、全国大会へ行けなかったなら、明美の提案通り、打ち上げ花火に縛り付けて、夜空にドーンと飛ばし、派手に咲かせてやるからね」
「へっ?」
蒼ざめていた留美の頬に活気の色が戻った。
「そうと決まれば、元気が出てきたよ。なあ、みんな、ゆーゆとサッコのお見舞いに行くぜ」
そう皆に呼びかけると、留美はそそくさ身づくろいを始めた。
後に続こうとする俊に蹴りを入れ、留美は毒づいた。
「俊コーチ、何ついて来ようとしてるんだよ?」
「おいらも、お見舞いに行かなくっちゃ」
と言う俊の心臓を人差指で小突き、留美は深い水底へ呑み込むように見つめた。
「あんたには、ここに残ってやるべきことがあるだろう?」
「へっ?」
「あんた、あたいらのコーチなんだから、明日あたいらが対戦する選手たちの試合を見て、あんたがさっき言ってた、得意とか不得意とか配球パターンとか、その他色々記録しなきゃいけないだろ? 明日、あたいらが負けたら、あんた、夜空に花火となってパアッと散るんだからね」
「はあ、どうも、ごめんなさい」
木陰から陽光の中へ去って行く娘たちを一人見送る俊の瞳が、木漏れ日に揺れて少し光った。
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