第14話 レインボーロブとメガトンスマッシュ

「えー、太陽も踊りだしそうな五月晴れの今日、わたしどもは、我らが陸上クイーン、坂東敦子さんの次女、留美さんが出場しているソフトテニスの大会に来ています」

 そうテレビカメラに脳天気にしゃべるのは、有名キャスターの三田喜久雄だ。

 続いて美人女子アナの吉田アリスが百万人の男たちを悩殺する笑顔をカメラに向ける。

「今日の大会は、インターハイの県予選の団体戦で、たった一枚の全国大会への切符を賭けて、高校生たちが闘うんです。敦子ママ、今朝は留美さんに何て声をかけられましたか?」

 美人アスリートの敦子も、磨き抜かれたカメラ目線のスマイルで答える。

「『負けたら、もう私の娘じゃないから、家に返って来るな』と、言いました。なあんて、嘘です。『留美の好きなオムレツよ』って言って、弁当渡しただけですよ」

 アリスは『わあ」と感嘆の声をもらした後、カメラ向かって解説した。

「さて、そんな留美さんの紅玉高校は、午前に一、二回戦を勝ち抜いて、三回戦でいよいよ優勝候補の東青山学園との対戦が決まりました。東青山学園といえば、全国でもトップの強豪校です。特に山下・高橋ペアは、全国高校ランキング一位で、絶対王者と呼ばれています」


 この大会の団体戦は、ダブルス三ペアが対戦し、二勝したチームが勝ちとなる。

 それぞれの試合は一ゲーム四ポイントの七ゲームマッチで、四ゲーム先取したペアが勝ちだ。

 紅玉高校の一番目は、永松由由・遠山佐子ペアだ。その日の調子で強くなったり弱くなったりする度合いの激しい由由は、最初に出て、のびのびプレーした方が力を発揮できるだろう。

 対する東青山学園の先鋒は、三年生後衛の伊藤さくらと二年生前衛の矢代みゆきだ。

 紅玉高校がその校名通り紅色のゲームシャツとショートパンツを身にまとっているのと同じように、東青山学園のユニホームも学校名に入っている色のブルーのユニホームだ。

 虹のように鮮やかな高速ロビングが得意なさくらは、『レインボーさくら」と呼ばれている。ホームベース型の顔に二重瞼の愛くるしい目をしている。

 長身のみゆきは、細い顔、細い目、細い鼻、細い唇で、体はごっつく、サービスとスマッシュが半端ない破壊力なので『メガトンみゆき』というコートネームが有名だ。


「いいかい、ゆーゆ、相手に得意のハイスピードロブを打たせないためには、どうしたらいい?」

 と、試合前に俊は由由に聞いた。

 由由は首を傾げ、目を白黒させた。

「ゆーゆ、難しいこと、分かんない」

 泣きだしそうな彼女の手を俊は握った。

「簡単さ。ゆーゆの得意の速い球で、打ち勝てばいいんだ」 

 由由の曇った顔に晴れ間が差した。

「ゆーゆ、速い球、得意だよ。振りきりゃ、いいんだね?」

「そうだよ。ゆーゆは賢いんだね」

「うん、ゆーゆは賢いから振り切る」

「それでも相手がいいロブを打ってきて、あの大きな前衛に、得意のスマッシュを打たれないようにするには、どうしたらいい?」

 由由の顔が再び雨模様になった。

「ゆーゆ、難しいこと、分かんないよお」

 うなだれる黒髪をやさしく叩いて、俊は教えた。

「簡単さあ。走らされても、力いっぱい打ち返せばいいんだ。ゆーゆの足は、一歩目さえ素早く動き出せれば、スーパーマンみたいに速いんだから。いいかい、すべての一球一球で一番大切なことは、素早い一歩目だよ。そのことだけに集中すれば、あとはすべてうまくいくよ」

 由由の顔はまた光に満ちた。

「うん、ゆーゆは、すべての一歩目を素早く動いて、スーパーマンみたいに速く走る。走らされても、力の限り打ち返す。そしたら、勝てるんだね?」

「勝ち負けなんて難しいこと、ゆーゆは考えなくていいんだ。ただ、スーパーマンみたいに走って、ゆーゆの一番いいボールを打てばいいんだ。ゆーゆのボールの速さは世界一なんだから」

「うん、ゆーゆは、スーパーマンになって、世界一速い球を打つよ」

 俊は佐子にもアドバイスした。

「佐子は、いつもより二歩後ろのポジションに立って、相手後衛の得意のロブを狙うんだ。それを二本スマッシュで押さえたら、一本ポーチボレーをする。そしてまた、ロブを狙うんだ」

 佐子は由由の二倍の大きさの目を見開いたまま、ガチガチに緊張して固まっていた。

 輝羅がそんな佐子の硬い背を思いっきり叩いて、ハスキーボイスで励ました。

「やいやい、サッコ、何涙目になっているんだよ? あんたの胸の遠山桜、このコートに、ぱあっと咲かせるんでしょう?」

 蒼ざめていた佐子の細い頬も、紫色だったふくよかな唇も、さっと赤みが差し、萎びていた天然パーマの黒髪も怒りでビンビン跳ね上がった。

「痛いじゃないか、キララ、あんたの悪事、この桜吹雪が見逃さないんだからね」

 コーチの前でまたもシャツをめくり上げる佐子を、留美が危うく制止し、背を押して送り出した。

「ほら、早くコートに行きな」


 トスに勝った伊藤・矢代ペアがサービスを選び、永松・遠山ペアが風上のコートを選択した。

 伊藤さくらのサービスで試合は始まった。

「ゆーゆ、最初からフルスイングで攻めるんだよ」

 とベンチの前に立つ留美がネットの向うの由由に叫んだ。

 さくらのボディーへのファーストサービスを、由由は軽やかなステップでフォアに回り込んだ。するとそのボールは、由由には止まって見えるほどの絶好球となったのだ。膝をしっかりと曲げ、「世界一」と叫びながらフルスイングした。ボールが砕けるような音をたて、今まで経験したことのないような会心の剛球がミドルへ飛んで行った。それは眠り姫を百年の眠りから覚ますはどの凄い当たりだった。驚いてボレーを差し出したみゆきのラケットにはかすりもせず、白球は紅玉高校のベンチへとノーバウンドで飛び込んだ。そして留美の開いたままふさがらない口に、すっぽり入ってしまった。

「あ、あれっ? ごめん、留美、許して」

 と由由は涙目で謝った。

 単純でお天気屋の由由を怒ったら、彼女が立ち直れなくなって試合を壊してしまうことを留美は知っている。だから留美は作り笑いを震わせ、そのボールを噛み砕きながら言う。

「ふぇ、ふぇーきよー」

 ボールが使えなくなったので、紅玉高校はたった一本目でイエローカードを食らった。


 結局、由由は四本連続味方のベンチに打ち込んでゲームを失い、うなだれてベンチへ戻って来た。

「ゆーゆ、大丈夫だよ。今度は風下だから、絶対入るよ」

 と俊は言った。

 キャプテン留美も由由の髪を撫でながら励ます。

「それに今度は向こうが相手ベンチだから、相手全員を破壊するくらい、ゆーゆの世界一の剛球を打ち込んでやりな」

「でも、ボールがゆーゆの言うこと聞かないんだ。勝手にどこまでも飛んで行っちまうんだよ」

 と言いながら、由由は泣きだしてしまった。

 俊は熱く語った。

「いいかい、ゆーゆ、相手は天下の東青山学園だ。振り切らなきゃ、勝ち目はないんだよ。でもね、相手が東青山学園だと思っちゃいけない。東青山を意識するから、力が入りすぎるんだ」

「じゃあ、相手は誰だと思えばいいの?」

 と由由は涙をぬぐいながら言う。

「相手は、ベースラインくんだよ。ベースラインくんに打ち込んどきゃ、これから風下だから入るのさ。そして大事なのは一歩目だよ。すべての一歩目に集中すれば、あとはうまくいく」

「ほんと? ほんとにゆーゆ、大丈夫?」

「うん、絶対大丈夫」

 由由の頬に希望の赤みが差した。


 第二ゲームは、由由のサービスから始まる。

 ファーストサービスがオーバーして、由由はセカンドサービスを丁寧に入れ、さくら得意のロビング警戒で体重を左へかけた。

 さくらはクロスへ角度の厳しいレシーブで攻めてきた。

 一瞬逆を突かれた由由は、滑りながらも必死に足を動かした。白球が矢のようにサイドラインに突き刺さるのを、小さな目を見開いて睨みつけた。そして届かないと悟った刹那、スーパーマンになって体を投げ出していた。風に乗って伸びて逃げるボールから目を離さず、ラケットを振り回しながら飛び込んでいたのだ。カット気味に返球できたのを知覚した直後、彼女は生身の人間に戻っていた。右肩に強い衝撃を受け、続いて右側頭部がゴンっと不穏な音をたてた。それでも視覚は青空へ昇って行く白球を追っていた。「イケナイ」と心が叫んだ。すぐに立ち上がってプレイを続けようと、倒れた体を回転させようとした。だけど全身痺れて動けない。

 長身の矢代みゆきが目を躍らせて笑みを浮かべ、ラケットを振り上げた。

 佐子が慌ててフォローに下がった。

『ゆーゆ先輩が命を投げ出すようにつないでくれた一球だ。死んでもフォローしてやる』

 と佐子は心に誓い、相手が打つ一瞬前に足を止め、腰を据えた。

「メガトンスマッシュ」

 と叫びながら、みゆきがフルスイングした。

 目にも留まらぬ超高速なのに、佐子にはそのボールがバレーボールのように大きく見えた。佐子を狙ったアウトボールだけど、避けるには手遅れだった。佐子は大声を上げてボレーを突き出したが、その球速は想像以上だった。突き出したラケットよりも速くボールは佐子の顔面に食い込んでいた。バーンという破壊音が右目から直接脳へ響いていた。右の眼球が炎に焼かれたように熱くなった。

「あら、ごめんなさい。でも、わたしのメガトンスマッシュ、逃げないと、生きて帰れませんわよ」

 と言う相手前衛の声が赤い炎の向うから聞こえた。

「な、なんでえ、てめえのスマッシュなんか、痛くも痒くもねえぜ」

 強がる佐子の充血した目から、止まることを知らぬ涙が溢れていた。


 タイムを取り、織江先生が持って来た濡れタオルで、コブが出来た由由の側頭部と、妖怪のように腫れあがった佐子の目を冷やした。佐子の右目は、試合中に回復するには絶望的だった。由由も首をひねっていて、首を回すと劇痛に悶絶した。膝にも痛々しいアザができていた。

「二人とも、すぐに病院へ行かなきゃだめよ。わたしが送りますから」

 と織江先生は言う。

 由由が痛みに顔をしかめながら、声を絞り出す。

「ゆーゆたち、今日のこの試合のため、死に物狂いで練習してきたんだよ。棄権して病院へ行くと言うのなら、病院の屋上から飛び降りて死んでやるから」

 それを受けて、佐子も訴えた。

「わたしの目は、この試合のために二つあるのよ。わたしも、ゆーゆ先輩に地獄の底までついて行きます」

 彼女たちの生きざまを見てきた織江は、涙を流しながら由由の顔を胸に抱きしめた。

「分かったわ。あなたたちのこと、わたしが一生かけても責任取るから、この試合だけ、精いっぱい闘っておいで」

「織姫、く、首が、痛い痛い」

 と由由は悲鳴をあげた。


 試合が再開されたが、首が回らない由由と、片目が見えない佐子は、東青山学園のレギュラーペアの相手ではなかった。

「レインボー」

 と叫びながら炸裂する伊藤さくらの高速ロビングが、情け容赦なく連射された。

 膝の痛みをこらえて由由は走り続けたが、返すのが精いっぱいだ。それが少しでも甘くなると、矢代みゆきの恐ろしいメガトンスマッシュ餌食となった。それを撥ね返そうと、佐子は見える左目を凝らしてボレーを突き出した。だけど胸や腿に次々と被弾し、呪われたような赤黒いアザが増えていった。それでも佐子は逃げなかった。由由も全身血まみれになってもフォローしようと何度もボールの方へ飛び込んでいった。絶対に負けられない戦いなのだ。今この時のために、命懸けで練習してきたのだ。だからこの一本一本に命を燃やすのだ。

 それでも結局一ゲームも取れず、二人は敗れた。彼女らはスーパーマンにはなれなかった。それでも、スーパーマンを超えた人間になった。

 試合終了後、由由と佐子は、織江先生に病院へ運ばれた。














  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る