第13話 今ここにある栄光
県大会前一週間は、後衛は『ラケットを振り切ると同時にフォローダッシュ』という攻めのテニスの練習を徹底的にやった。前衛も『確率の高い方へ打たせ、動いてボレー・スマッシュ』という考えの元、逆を抜かれても後衛が走ってカバーする十メートルダッシュを繰り返した。
県大会団体戦前日、紅玉高校内にあるコートで練習している男子ソフトテニス部のキャプテン安田晃司がアンの彼氏だということで、アンに頼んで、市営コートに来てもらい、男子の最強ペアと練習試合を行った。
「ダーリン、女子に負けたら、バイバイだからね」
とアンが晃司にプレッシャーをかけた。
晃司は冷や汗を流しながらも、強がって言った。
「このぼくが、女子なんかに負けるはずないだろう? アンにウイニングボールを捧げるために、ぼくは生まれてきたんだよ」
「わあ、ダーリン、なんてクールなの」
アンが胸の前で拳を握って喜ぶのを見て、留美は鼻で笑った。
「ふん、何がクールだよ? 臭いだけじゃないか。臭すぎて、あたいの鼻も腐りそうだよ」
アンは頬を赤くして怒った。
「こんなクールな愛の言葉、言われたことないくせに、アンのダーリンをバカにしないでよ。ねえ、俊コーチ、コーチも留美に何かクールな言葉、言ってやってよ」
急に振られて首を傾げる俊に、留美は怒って言う。
「あんた、そんな変なこと言ったら、叩くよ」
「何で怒るの?」
と俊が聞くと、留美は危うい目で彼を睨み、何も答えず、コートへ入った。
安田晃司は男子の中でもパワーヒッター後衛であり、ペアの武田誠も強いサービスやスマッシュには自信を持っていた。だけど毎日のトレーニングで鍛えている七菜と留美のスピードと比べると、二人とも見劣りした。七菜のライジングシュートに誠は動けなかったし、晃司は打つと留美にポーチボレーされ、打ち負けてロブで逃げると留美得意のジャンピングスマッシュの餌食となった。晃司がやっとサイドを抜いてポイントしたかと思ったのに、七菜が風のように走って返球してくる。最後に留美が「サンダ―フラッシュ」と叫ぶと、大地を引き裂くようなノーバウンドストロークが決まり、男子ペアは一ゲームも取れず敗退した。
うなだれる晃司に、怒りのアンが引導を渡した。
「こんな弱い男、もうアンのダーリンじゃないわ」
男子ペアが泣く泣く去った後、俊は選手たちを集めて言った。
「これが今のおいらたちの実力だよ。この半年間のトレーニングで、男子に負けない強いボールを打てるようになっているんだ。たった半年間だったけど、おいらはお前たちと過ごせたこの日々を、決して忘れないよ。なぜって、みんなと一緒に一つの夢を追いかけて命を燃やせることって、誰もがそう多く経験できることじゃないからさ。一文の得にもならないのにさ。社会人になると、みんなお金に振り回され、大切なことを忘れちまう。損か得かで、人と付き合うようになっちまう。でもね、おいらたちは、ここで、自分と仲間たちのために、夢を追いかけて闘ってきたんだ。そしてそれは、本当に幸せなことだったんだ。まず、このことを忘れないで欲しい・・」
娘たちの若々しい瞳が、夕陽のオレンジに揺れながら俊を見つめていた。その一つ一つを見返しながら俊は続けた。
「そして、明日の決戦を前に、この半年で二、三年生は、以前より強い人間になったってことを知って欲しい。おいらたちは、今まで経験したことのない、きつく苦しい思いを、朝夕の練習で体験したことだろう。目標があり、共に戦う仲間がいたから、乗り越えて来れたんだと思う。これからの人生でも、また幾つもの試練がおいらたちを待ち受けていることだろう。でも、おいらたちは大丈夫だ。おいらたちはたくさんの厳しい特訓を乗り越えて来たんだから。これからだって、どんな困難も超えていけるさ。そしてそのたびに、、さらに強くやさしい人間になっていけるんだ。明日の試合でも、全国大会へ勝ち進めるかどうかで、おいらたちの人生がかかっていると言えるだろう。だけど、技術的には、おいらたちはまだ足りない。東青山学園に比べたら、まだ劣るだろう。だけど、明日の試合では、おいらたちがきっと勝つと、おいら、信じている。と言うのは、試合に勝つのは、うまいプレーヤーではなく、強いプレーヤーだからだ。おいらたちには、他校に負けない粘り強さがある。他校に負けないチームワークがある。ピンチになればなるほど、おいらたちはそれを発揮できるだろう。ミスをした時、次のプレーで、おいらたちは自分のミスを取り返すだろう。ペアがミスをした時だって、次のプレーでおいらたちはさらに強くなってペアのミスを取り返すだろう。おいらたちは、相手チームより苦しいトレーニングをやって来たんだから、おいらたちのほうが相手チームよりも精神的に粘り強いんだ。そして、明日の試合で、おいらたちが東青山学園に勝つ唯一の方法を教えよう。それは、巡って来た数少ないチャンスに、おいらたちの最高のプレーをして、その一本をもぎ取ることだ。チャンスに強くなることだ。例えばチャンスというのは、レシーブゲームなら、0-2でリードした時の後衛のレシーブ・・この一本を何としてももぎ取って、0-3にすれば、そのゲームはかなり高い確率で取ることができる。前衛レシーブなら、1-2,2-3,アドバンテージレシーバーなどでリードした時だ。そのチャンスで、おいらたちの最高のプレーをするんだ。そのチャンスで、本当に強い人間になるんだ。そして、いいかい、このことはテニスだけじゃなくて、人生の他のさまざまなことにもいかすことができるんだよ。人生のいろんなピンチやチャンスに強い人間になるんだ。ある時は一人で、ある時は誰かと力を出し合って、人生のピンチやチャンスに闘える、強い人間になるんだ。いいかい、テニスは人生だよ。試合の中に、おいらたちの、今までの、そして現在の、あるいはこれからの人生が凝縮されているんだ」
五月色の空に一番星が光り、西の山脈は紅が濃くなった。
キャプテン留美が、俊を焼き尽くすように見つめて口を開いた。
「あたいは、明日、東青山学園のマリリンと緑子に復讐するために、今日まで生きて来たんだ。死んでも負けないぜ」
その言葉を受けて、ペアを組む七菜も言う。
「わたしだって同じっちゃ。その二人にどんなにイジメられたことか。そしてわたし、留美先輩に救われたこと、一生忘れんがです。だから、わたしも明日の試合に、この命捧げるがです」
由由が小さな目を輝かせて続く。
「ゆーゆは、世界一って叫びながら一球一球打つの。だからゆーゆは、絶対に負けないのよ」
由由のペアの佐子がそれに続いた。
「わたしのこの胸の遠山桜、明日のコートで見事に咲かせて見せるのだあ」
興奮した佐子が俊の前でシャツをめくるので、留美がぎりぎり制止した。
輝羅が緊張したハスキー声で言う。
「あたしは一球たりとも悔いの残らない試合をするわ。そして、石にかじりついても、相手の首にかじりついても勝ってみせる」
無口な真由は口を閉ざしたままだ。
青い目のアンが、代わりに言う。
「真由ちゃん、アンの分までファイトだよ」
夢香が、
「わたしを全国大会に連れてって」
と言うと、明美マネージャーも選手たちの肩を叩きながら励ました。
「あんたたち、勝たんと承知せんけんね」
最後に織江先生が皆に言った。
「まずわたしは、みんなに謝らなくちゃいけません。去年の春、わたしはこの部活の顧問にならされても、このコートに寄り付きもしませんでした。教師の仕事は忙しいし、婚活が人生最大の目標だったわたしには、土日も真っ黒になって練習する部員たちの気持ちが理解できませんでした。本当にごめんなさい。でも、増田コーチが来て、コーチが一流企業の社員だと勘違いしをしたわたしは、婚活のターゲットを彼に絞って、毎日コートに来るようになりましたよね。でも、ある日、彼がただのカラオケ店の手伝いだと知って、わたしの彼への執着心は雪が溶けるように消え去ったのです。ショックでしばらくわたしはここに来ませんでしたが、でも、その後、わたしはここに来るようになりました。どうしてだと思いますか? 日本一なんて馬鹿げた夢をいだいて、あきらめることを知らなくて、毎日毎日馬鹿みたいに限界までトレーニングするあなたたち大馬鹿者たちが、愛しくなったからです。そしてわたしも、お馬鹿な夢を見るお馬鹿さんたちの仲間になれるかも、と思ったからです。そして一つだけ、明日決戦を迎えるあなたたちに伝えたいことがあります・・明日、全力を尽くしたのであれば、どんな結果になろうとも、たとえ試合に負けたとしても、胸を張って欲しいのです。なぜって、栄光は、夢を叶えることじゃないって、ここへ来ているうち、わたしは感じるようになったからです。今、ここに、栄光がある・・これこそが、私がここにまた来るようになった理由です。夢を追いかけて走り続けている、今のあなたたちこそ、キラキラ輝く栄光であり、かけがえのない幸せだと、感じるんです。今、あなたたちみんな、わたしには本当に美しく輝いて見えるし、それを見るわたしの心も嬉しくて震えているんです」
西の空の紅は叫び疲れたように薄くなり、一番星は金の輝きを増していった。
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