第10話 もっと派手過ぎる化粧で涙笑のミーティング
水曜日は低気圧が訪れ、「今日は休め」と空が泣いた。
週一、体を休める日を設け、今週は雨天の水曜日にした。俊と部員たちは、コート近くの留美の家に集まり、個々や二人組でのストレッチングを念入りに続けた。次に二台あるパソコンを使い、二組に分かれてソフトテニスの動画を見た。地元の最強のライバルである東青山学園の山下真凛・高橋緑子組が優勝した夏のインターハイ決勝だ。俊は皆に紙とペンを持たせ、二人の配球パターンなどを細かく書かせた。それから、彼女たちに勝つには、どんなプレーが出来るようになればいいかを書かせ、話し合わせた。
「マリリンは、合気道師範の娘で、有段者なんばい。うちのジャックナイフでもかなわんどころか、この肩を脱臼させて、うちからテニスば奪ったとよ。緑子はモンスターと呼ばれるくらい力が強いし、あいつらに仇を討つには、ジャックナイフよりももっとすごい武器がいるけん」
と明美が怒りに震え、ギリギリ歯軋りしながら言う。
「あのう、ケンカじゃないんだよ」
と俊が言っても、七菜も明美の無念に応える。
「わたし、中学時代、あの二人にさんざんイジメられた。もう負けないように、格闘技、練習するがよ」
体格がレスラーなみの輝羅もそれに乗って、
「格闘技なら、あたし、自信あるよ。留美姉御、ネットで技を調べましょう」
「だから、ケンカじゃないって」
と俊が注意しても、留美は早速『格闘技の技』を検索するのだ。
「じゃあ、みんな、何事も練習だよ。まずは、この、腕ひしぎ十字固めだ。キララ、やってみな」
と、皆に画像を見せながら、留美は言う。
「わあ、これは痛そう。姉御、誰に技をかけましょうか?」
と輝羅が聞くので、誰もが顔を見合わせ、わたしは嫌だよと首を振り、やがて皆の視線が俊へと集中した。
「ふっふっふー」
と留美が俊を見つめて笑った。
「へっ?」
嫌な予感という文字が頭にふつふつ沸騰して、俊はゆっくり後ずさった。
「あ、おいら、大切な用を思い出した。もう、行かなくっちゃ」
と告げて逃げかける俊の両腕を、輝羅と明美ががっちり捕獲した。
「な、なーにをするのかなあ?」
と俊は恐る恐る聞いた。
「マリリンと緑子に勝つための練習たい」
と言って、明美は輝羅と一緒に俊の足を払って床に倒した。
「だから、ケンカじゃないんだって。あ、ダメ、そんなことしちゃ、ダメダメ」
明美が仰向けになった俊の右腕に、輝羅が左腕に、足を絡ませ技を決めると、部屋に男の悲鳴が「うぎゃああ」と沸きあがった。
パソコンを眺めていた留美が、
「この、四の地固め、っていうのも、面白そうだねえ。よし、あたいも挑戦してみよう」
と言い、傷ついている俊の足に彼女の足を絡ませた。
両腕と両足を極められ、俊の悲鳴は絶叫へと昇りつめた。
「どうだい? 効いてるかい?」
と留美が聞いても、返事がない。
「あ、あれ?」
三人が技を解き、俊を見ると、泡を吹いて気絶してるじゃない。
一昨日のように、皆で男を留美のベッドへ運んだ。
寝息をたてている男の頬にさわりながら、アンが青い目を輝かせて言う。
「コーチの寝顔はかわいいかも」
すると留美の心に、またもや火がついてしまった」
「ちぇっ、こんな情けないやつの、どこがかわいいのよ」
今宵も姉の真っ赤なルージュとブルーのアイシャドウをこっそり借りて来た。そして歌舞伎の筋隈のように、俊の寝顔に派手に太い紅線を何本も描くのだ。唇も前回以上四倍の太さに紅を塗り、アイシャドウも眉まで盛った。誰もが大喜びだ。
「でも、さすがに二度目は気づくんじゃない?」
とアンが言うと、夢香も腹を抱え笑いながら、
「こんなに盛っちゃったら、気づかないはずないよ」
「こんなにたくさん口紅使っちゃったら、メイク代、高くつきますね」
と佐子が言った時、俊が目を覚ました。
「へっ? ここはどこ? おいらはだあれ?」
と言いながら起き上がる俊に、留美は教えた。
「ここはあたいの家で、あんたはあたいらの最高のコーチさ」
最高のコーチなどとおだてられ、俊は照れ笑いしたが、歌舞伎役者も真っ青の筋隈メイクのため、怒り狂ってるようにしか見えなかった。
「最高のコーチって、おいらが?」
と俊は確かめずにいられない。
青い目のアンが、すかさず、
「こんなコーチはブリティッシュにもいないわあ」
と言うと、夢香も重ねて褒める。
「泣く子も黙るくらい、最高のコーチだわ」
「笑っている子は泣きだすけどね」
と留美はぼそっとつぶやいた。
そして誰もが、俊の顔を目を丸くして見つめ、次々称賛する。
「コーチ、最高?」
「コーチ、カッコ良すぎ」
「コーチ、コーチを見ているだけで、わたし、胸がドキドキします」
「わたしは、コーチのその顔を思い出すだけで、今夜は眠れそうにありません」
『わあ、何て素直で純心な娘たちなんだろう・・』
と俊は心で叫んだ。
それでも平常心を装って、部員たちに尋ねた。
「ところで、山下・高橋組に勝つ方法を・・勝つって、テニスでだけどね、みんな、ちゃんと話し合ったのかい?」
留美が俊の顔を見て笑った。そして皆に目配せしながら答えた。
「あ、あったりまえじゃねえか。あたいら、あんたが寝ている間に、大激論を交わしていたのさ」
留美の笑くぼが微かに引き攣るのを、俊は眼光鋭く見逃さなかった。
「ほう、そいつはすごい。聞かせてもらおうか」
「な、何だよ? 結局、そうさ、こういうことだよ・・マリリンはさ、精密機械みたいで、ほとんど自分からミスらないじゃないか。でもよ、マリリンだって、勝てない相手がいるだろ?」
と必死に考えながら言う留美を、俊は面白そうに見つめながら言う。
「勝てない相手って、誰?」
「そ、それは・・」
留美はあれこれ考えるのだが、目の前の派手過ぎる化粧を見ると、笑いをこらえるのが苦しくて、つい、相手の顔を指さしてしまう。
「へっ? おいら?」
と俊が聞くので、留美はうなずいた。
「そ、そうさ。学生時代の、増田俊、だったら、マリリンに負けるはずないだろ?」
「そ、それは、そうだけど・・」
「だったら、あたい、これから死に物狂いで努力して、昔のあんたみたいに、コートの隅まで走って、ボレーもスマッシュも決めれるようになる。あんたが足をケガして出来なくなったプレーを、あたいが代わりにやってみせる。あたいがあんたになって、あんたの夢を叶えてあげる。あたい、あんたがなれなかった、日本一になってみせるよ」
留美は俊の歌舞伎顔から目を離さずにしゃべったが、最後は笑いをこらえるのがあまりにも苦しすぎて、息もできず、唇を嚙み、涙がこぼれてしまった。
俊は何も言葉にできなかった。眼前の娘が、こんなにも自分のことを思ってくれていると勘違いし、思わずもらい泣きしそうになったのだ。だけど、女の子たちに涙を見せるのはカッコ悪いので、「あ、おいら、仕事を思い出した。もう、帰らなくちゃ」と告げ、ぎりぎり涙が溢れる前に、そそくさ家を出た。
彼が消えた留美の部屋では、我慢していた皆の笑いがいっきに大噴火、震度五強で家を揺るがせた。誰もが床を転がるほど哄笑した。
傘を叩く雨音で、俊はその笑い声に気づかなかった。涙溢れるままに陶酔していた。
「ああ、留美は、何て心の美しい娘なんだ・・」
と感動の言葉をもらしていた。
「あたいがあんたになって、あんたの夢を叶えてあげる」
と涙ながらに言った留美の懸命さが、俊の胸を焦がしていた。
「おいら、生きててよかった。おいらのこの命、あの娘たちのために捧げよう。この手がちぎれても、あの娘たちに上げボールをし続けよう」
泣いている自分を見て、すれ違う人が変な目をしても、彼は気にならなかった。嬉し泣きなら誰に見られても恥ずかしいもんか、と素直に思えた。だから「おいら、幸せだあ。世界一の幸せ者だあ」と泣き叫びながら歩いた。土砂降りの雨の中なのに、彼の心はそんなに光り輝いていたのだ。一人暮らしの部屋に戻り、鏡を見て、今宵も「うぎゃあ」と叫ぶまでは。
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