第6話 タピとオカと猫

 ゼン=コンタムの営む薬屋もとい錬金術のアトリエを出た後、街をさらっと回った俺たちは、最後に噴水のある広場に着いたところだった。

 広場に並ぶ出店の中で、ある1店舗が俺の目に留まった。

「なああの店……」

 看板に描かれているのは円筒の容器に満たされた茶色の液体と、そこに沈む黒い団子の絵。飲料のようなデザートのようなそれを見て目が輝いた。

「タピか!!?」

「あぁ、あれはオカだね。若い子の間で人気らしい」

「オカ? タピじゃなくて?」

「うん。タピじゃなくてオカ」

 なんでだよ。ニアミスの仕方おかしいだろ。

 俺の歯がゆい心を汲んだのかわからないが、クロキは素晴らしい提案をした。

「買ってこようか?」

「いいのか?!」

「仔猫ちゃんの笑顔が見られるならなんだってするさ」

 「なんだってする」の使い所としてはいささか役不足ではあるが、実に素晴らしい提案だ。俺は1文無しだが美少女だからな。美少女たるものタピらなければ……いや、オカらなければ意味が無い。

 クロキが屋台へ向かい、楽しみに待ちながら辺りを見回すと、広場から少し外れた所にタピ以上に目を引く建物を発見した。

 クロキの並んでいる屋台の行列が途方もないことを確認して、建物へ近づき窓を覗く。

 窓の向こうに広がっていたのは酒場。斧や剣を携えた物騒な人混みで賑わっており、俺の瞳を輝かせた。

 冒険者協会。「異世界といえば」の代名詞であり、俺(男)が目指していた場所でもあった。

 やっぱいいよなー、冒険者! 今はクロキの屋敷で面倒見てもらえるかもだけど、1文無しには変わりないしいずれ仕事は欲しい……!

 なるとしたら王道の剣士か、異世界らしく魔法使いか! ダンジョンがあるなら盗賊みたいなお宝探し向きの職業もいいな……! いやいやこの世界にはもっと斬新な職業があるかも……! まずは戻ってクロキに聞いてみよう、待ってろ俺の異世界チート無双ライフ!

「よし!」と息巻いて広場に戻ろうとしたところをフードの男に呼び止められる。

「あ、あの……猫を見なかった?」

「……猫?」

 男の顔はよく見えない。が、目元まで伸びた橙色の髪と、口元の分厚いピアスが光を受けて目立っていた。

「ええと……若い女の子にしか懐かないような変わった子なんだけど……」

 雰囲気から怪しい男と踏んで警戒していたが、気弱な口調で少し気が緩む。

「随分変わってんな。30代後半独身男性の生まれ変わりなんじゃねーの」

 俺の軽口に男が吐息に近い笑みを漏らす。

「あは……不思議だよね。ファミリーの大事な猫なんだけど男所帯だからいつも手を焼いてて……あっ」

 男は俺の背後を指差し「猫」と呟く。

 追って振り向いた俺の視界には猫は無く、広場とは打って変わって閑静な路地が伸びている。

「猫なんていない……ぞっ?!」

「ごめん、手伝って」

 男の方を向き直るまでもなく、腕をぐいと掴まれ路地の方へ向かって連れ出される。

 複雑に絡む細い路地を腕を引かれるままに走る。これはもう帰り道わからんな、と諦めかけたところで急に男は立ち止まり、俺は慣性に抗えず背中に追突する。

「お、おい……俺は手伝うなんて一言も言ってないし、タピ……じゃなくてオカが待ってるんだぞ……」

 鼻が折れてないことを確認しながら顔を上げたところで、初めてフードの男と目が合う。

 橙色の前髪の隙間から覗く、透き通った碧の瞳。その目は心底申し訳なさそうに眉間をひそめた。

「ごめん、ね」

 直後、背後から俺の首筋にいかつい腕が巻きついた。

 視界が上方へ跳び、脳への酸素供給が薄くなる。

「よくやった。なかなか上出来な演技だったぜ、ナルカル」

 俺の首を抑え込む男からの称賛に、ナルカルと呼ばれたフードの男はバツが悪そうに俯く。

「悪いな嬢ちゃん。俺たちは誘拐犯って奴だ。親父さんから身代金をいただくまでは大人しくしてもらうぜ」

 首は確かに締まってはいるが、女相手だからか力は最小限にしている様子。

 普通の女の子ならこれで十分だっただろうが、相手は元男の異世界転生者。こんなの簡単に振り切れる。


 ……はずだ。


 ……はずなのに。


「暴れても無駄だぜ。嬢ちゃん程度の力じゃあな」


 なんで?


 異世界転生前の俺は特別鍛えてもいなかったが、それでもほどける程度の力だというのは感覚でわかっている。

 それでも力が入らない。

 それどころか、手先が震えて、心臓の音がやけにうるさくて。

 視野がぼやけて狭い。目頭が熱い。

 呼吸が上手くできない。熱いのに寒くて凍えそうで、えずきそうになる。

 「俺」の中に「俺」が押し込まれて、「別の誰か」が「俺ならしないはずの俺」を演じているようだった。

(あいにく親父は異世界だから身代金はもらえねーと思うぞ。誘拐するなら別の子にしてくれ)

 いつものように軽口を叩こうと口を開くが、

「やだ……やだぁ……」

 零れたのは大粒の涙だけだった。

「……さすがに可哀想だよ。早く連れて行ってあげよう」

「へっ、そうだな。長居する理由もない」

 後頭部への鈍い衝撃と同時に、意識は途切れた。

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