第2話 偶然

何連勤したかも把握ができない程の激務を終えた夜、男は自宅付近のスーパーマーケットに立ち寄った。

酒類コーナーの1番低い棚に陳列された4Lボトル入りの安い甲類焼酎を手に取り、おつまみコーナーでも1番低い棚からお徳用の豆菓子詰合せを取る。もう長年同じものばかりを買っている。

男の収入は同年代の平均値に比べれば高く、ほんの700ml程度で5〜6万もするような高級酒を買っても懐には響かない。しかし酔う為だけに酒を飲んでいる男からすれば酒の価値などどうでも良いのだ。酔える酒と、アルコールの刺激から胃を守れる程度のツマミがあればそれで良いのだ。


唐突に男の背中にバチンと叩かれるような衝撃が走った。男が振り返ってみれば、頭1つ分ほど低いところに明るいグレージュカラーに染められたロングウェーブヘアの女がいる。いつも差し入れを寄越してくる例の娘だ。


「やっぱり先生だわ。こんばんは、先生」


娘は心底嬉しそうな微笑みを浮かべて男に声をかけた。


「…あぁ、これはこれは。こんばんは」


「先生、お仕事帰りですか?」


「…ええ、まあ」


職場以外で誰かから声をかけられることなど久しく無かった男は戸惑いつつも愛想笑いを浮かべて返事をした。

ふと娘が男の手元に目をやった。『甲類焼酎』を示すラベルの貼られた4Lボトルと大袋の豆菓子が、買い物カゴに入れられることも無く男の腕に抱えられている。


「先生、食事はご自宅でお作りになるの…?」


驚いたように目を見開きながら問う娘に、男は「いいえ」と事も無げに返した。


「基本的に家で食事はしませんね。特に夜は酒と少しのつまみがあればそれで良い」


「あら、お医者さんともあろう人がそんなこと言って。道理で顔がやつれてるわけです。せめて夜ぐらいは私が作りに行ってあげます」


この女性は何を言っているのか。"親の主治医"という認識でしか無いハズの自分に対しお節介をしてくる娘を男は訝しんだ。そして努めて優しく「お気持ちだけで十分ですよ」と返して娘から離れようとしたが、手元の酒を娘に奪われ彼女の買い物カゴに突っ込まれてしまった。


「ちょっと貴方」


「先生にはウチのパパとママを診てもらってますからね、倒れられちゃ困るわ。お酒は飲んでも良いからせめて栄養のあるご飯を食べてほしいの」


そう言いながら娘はさっさとレジへ向かっていった。

男は奪われた酒を追って娘の後を追ったが、ヒールパンプスをカツカツと鳴らしてしなやかに歩く娘の後ろ姿は異様に艶めかしく、男は背後をついていく自分が何故だか変質者のように思われた。

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