彷徨えるマネキン人形(9/9)
「つまり……何が起きたか自分でも分らないのかね」
と、教授は訊いた。
「ええ、そうです」
すっかり目の覚めた平井は頷いて、「轢かれる、と思った瞬間に突然目の前が真っ暗になって――気付いたら、高瀬博士の実験部屋に倒れていたんです。で、そこからここまで歩いてきた、というわけで……」
「ふむ……。にわかには信じられん」
教授は腕を組むと、眉を寄せてソファに寄り掛かった。
ここは教授の書斎。教授、平井、晴美、それから高瀬博士の四人は接客用ソファに座って話をしていた。
問題のマネキン人形も相変わらず部屋の隅でポーズを取っている。
「――つまり、こういうことだな」
教授の隣に座っていた高瀬博士は顎を撫でながら言った。「轢かれそうになった寸前、空間の裂け目が生じて君を引き込んだのだ。そしてほぼ同時期に私の実験部屋にも空間の裂け目が生じ、それによって再びこちら側の世界へ吐き戻された。そのようにしてトラックとの衝突が回避されたのだ。――うむ、これは私の理論と照らし合わせても十分に当てはまる。つまり私の実験が大いに役立ったというわけだな」
実験は何の役にも立ってないでしょ、と晴美は思ったが、平井の方は素直に頭を下げて、
「どうやらそうみたいですね。おかげで助かりました。さすがは高瀬博士です」
と、すっかり心服してしまっている様子。事故に遭ったそもそもの原因は博士がマネキン人形をここへ運び込んだせいなのだが、そんなことは全く考えていない。なんだかんだ言ってやはり人がいいのである。
「しかし……せっかく平井君が助かったというのにこう言うのもなんだが、あまりにも都合が良すぎないかね? 何と言うか……あまりにピンポイントすぎる、と言うか」
まだ納得し切れないらしい教授が眉を寄せて言った。
高瀬博士は少し考えるように天井を見上げてから、
「確かにそうかもしれんな。それに、考えてみれば状況も不自然だ。どう考えても事故現場の状況は私の理論の条件を満たしていないし、大体何故自転車やトラックはそのままで平井君のみが引き込まれたのだろう? ひょっとすると、空間の歪みには私の立てた理論の他にも何か特別な要素が関係しているのかもしれんな。だが、はたしてそれは一体……」
そのまま沈黙し、虚空を見つめて固まる。
他の三人が様子を窺っていると、高瀬博士はいきなり身を乗り出して、
「そうだ、いい手がある。――平井君」
平井はものすごく嫌な予感がした。
「何ですか」
「実験というものは繰り返してこそ価値がある」
「……と言うと?」
「分らんかね? もう一度、全く同じ状況で君が轢かれてみればいいのだ。そうすれば自ずと謎も解けるに違いない」
晴美が噛みつきそうな顔で、
「絶対駄目です、そんなの!」
高瀬博士はきょとんとした顔で、
「何故君が拒否するんだね」
晴美は真っ赤になった。
「知りません! とにかく駄目なものは駄目です!」
教授がやや呆れ顔で、
「ちょっと聞きたいんだが、その空間の裂け目とやらが生じる可能性はどれほどなんだね?」
「確率か? そうだな……。私の理論通りだとすれば宇宙に地球が誕生したのと同程度かそれ以下だろう。少なくとも日常生活でそう頻繁に生じるような現象ではないはずだ」
平井が青ざめて、
「それって……ほとんど助からないってことじゃないですか」
「そんなことはない。もちろん確率の低さは認めるが、科学の発展とはいつもいくらかの犠牲の上に成り立つものなのだ。そのためにはまあ多少の危険も仕方なかろう」
――晴美が高瀬博士に飛び掛った。
「八つ裂きにしてやる!」
「お、おい」
「ちょっと、落ち着いて」
教授と平井が慌てて止めに入る。
その時、部屋の隅にあったマネキン人形が突然ふうっと消えてしまった。
だが、あまりにも議論が白熱(?)していた為、この時は誰一人そのことには気付かなかった。
さまよえるマネキン人形 鈴木空論 @sample_kaku
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます