彷徨えるマネキン人形(8/9)
いつの間に戻って来たのか自分でもわからなかったが、気が付いたとき、晴美は大学の廊下に立っていた。
ぼんやりと周囲を見回してから、再び歩き出す。
どういうことなんだろう、あれは……。
晴美は事故現場で聞いた話を思い出していた。
「確かに、俺も油断してたかもしれない」
と、運転手は言ったのだ。「だが、さっきもいったがあいつはいきなり角から飛び出してきたんだ。しかもドジってそのまま道路の真ん中に倒れやがって……ブレーキを踏んだが間に合わなかった。俺は慌てて車を降りた。真青になったよ。見た通り自転車はぺしゃんこだ。乗ってた男も助からないだろうって思った。だが、乗ってたはずの男はいなかったんだ。衝突する直前までそこにいたのは俺自身この目ではっきり見た。それなのにどこにも倒れてなかったんだ。まるで煙か何かみたいにに消えちまったんだ……」
そんな話は信じなかった。大声で名前を呼びながら辺りを探し回った。
だが、いくら叫んでも平井からの返事はなかった。
――晴美は静かに研究室の扉を押した。
幸い中には誰もいなかった。室内はただ静かで薄暗く、差し込む光で窓際だけが仄かに明るい。
平井の机の上には筆記用具や開いたままのノートが片付けられないまま散らばっていた。いつもならいるはずの本人だけがそこから抜け落ちている。
晴美は無言で席に付くとそのまま机に伏せた。
生きていてほしい。もし死んでしまっていたとしても、はっきりそうだと分ればまだましだった。
だが、消えたなんて――消えたなんて、どう考えればいいのだろう?
突然パチリとスイッチの音がした。チカチカ、と古い蛍光灯に電気が流れる。
一瞬平井が戻ってきたのかと思い晴美ははっと顔を上げた。
だが、そうではなかった。
「教授……」
と、晴美は言った。
「ここにいたのかね」
教授は晴美を見て、遠慮がちに言った。「いや、すまんな。他の学生から平井君が事故に遭ったらしいと聞いてね。君が行ったというからどんな状況だったか聞こうと思ったんだが、その様子を見ると、やはり……」
晴美は数秒間否定も肯定もせず黙ったままだった。
それから、ゆっくりと口を開く。
「平井君は――」
「ん、誰か呼びましたか……?」
と、不意に声がした。
いつの間にか、入り口に男が立っている。
晴美は思わず目を見張った。
白髪だらけの頭。虚ろな目。まるで何日も歩き続けたかのように酷くやつれていて、衣類も色褪せてしまっている。
外見は変わり果てていた。だが、晴美には誰なのか一目で分った。
「平井君……」
それを聞いて教授がギョッとした。金魚のように口をパクパクさせて、
「平井君だと? しかし……き、君、本当にあの平井君かね?」
男はぼんやりと教授のほうを見た。
「……はい教授。確かに僕、平井ですけど――」
晴美がいきなり平井に抱きついた。
ぼんやりしていた平井もさすがに目を白黒させて、
「え? あ、あの、ちょっと……?」
そこへ、調度通りかかった数人の学生が二人を見ておお、と歓声(?)を上げた。
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