彷徨えるマネキン人形(3/9)
ほんのひと時の沈黙。
「……と言うと?」
わずかに間が空いたものの、平井は平然として訊いた。
このくらいの発想で一々驚いていたら身体も精神ももたない。
なにしろ、この博士の発想は毎度毎度常軌を逸している。例えばこの間など、タケノコを見て「ピラミッドは地面から自然に生えてきた!」などと言い始めたのだ。
セロハンが宇宙だとか、その程度ならむしろ普通の部類に入る。
「つまりだな……いや、その前にあれを見てもらうとするか」
高瀬博士はソファから立ち上がると本棚に向かった。
書斎の壁一面を占領した本棚には、英字表紙の分厚い専門書から有名な月刊科学雑誌、クリップでひとまとめにした実験資料や論文などが無造作に並べられていた。
このラインナップだけ見ればまともな研究者としか思えないのに、何故発想がアレなんだろう。平井はこの棚を見る度いつも不思議だった。
高瀬博士は棚から何やら分厚い紙束を抜き取ると平井に差し出した。
「これは……」
平井は渡された資料をパラパラめくってみた。
どうやら、何かの名簿のようなものらしい。小さな文字でびっしりと走り書きされている。
《・一九九四年三月十日
斎藤達男(三六歳、日本、男、会社員)
勤務先からの帰宅途中
・一九八九年五月十一日
スティーヴン・ノートン(五七歳、英、男、美術商)
旅行先のホテルをチェックアウト後
・二○○二年十月二六日
小村歩(十九歳、日本、女、学生)
アルバイト先へ向かう途中
…
…
…
… 》
「なんですか、これ」
高瀬博士はパイプを口から離し、ホッと煙の輪っかを吐いた。
「ここ三十年くらいの行方不明者のリストだ。ざっと調べただけでもかなりの数に上っていた」
「行方不明者?」
平井はきょとんとして、「宇宙の話じゃないんですか?」
高瀬博士は眉を寄せた。
「宇宙だと? 君は一体何を言っているんだ? 私はこれから神隠しに関する重大な発見を論じようとしているのだ。宇宙などという下世話な話などするつもりはないぞ」
「え? でもさっき――あ、ああ、そうでしたね。すみません」
平井は慌てて言った。ここで話を合わせないとさらにややこしくなる。
しかし、宇宙の話って下世話か?
「話を続けていいかね」
と、高瀬博士が訊いてきた。
「あ、はい、伺いたいです」
何の続きか分らなかったが、とりあえず平井は言った。
高瀬博士はまだ平井を不審そうに眺めていたが、
「それなら続けるが……。君も宇宙が絶えず広がり続けていることくらいは常識として知っているだろう。宇宙空間というものは相対的に広がり続けている。こうしている間にも、君も私も、そして周囲に存在する全てのものは原始レベルで膨張し続けているのだ」
「………」
「ん? どうかしたのかね?」
「い、いえ、何でも。続けて下さい」
平井は慌てて笑顔を作りながら――引きつっただけだったのは自分でも分ったが――言った。
神隠しの話じゃないのかよ……。
だが、どうやら高瀬博士のほうは平井が自分の理論の素晴らしさのあまり言葉もなかったのだとでも受け取ったらしい。満足そうに頷くと、話を続けた。
「宇宙は広がり続けている。ちょうど、あの見知らぬ男が破こうとしていたセロハン板のようにだ。だが、私はあのセロハンに宇宙を重ね合わせた時あることに気付いた。絶えず広がり続けるものというのは、その広がり方にむらができるとたちまち不安定になり破けてしまう。君にも経験があるだろう。トイレットペーパーなどの薄い紙を強く引っ張るといびつな形に敗れてしまう。あれと全く同じ現象がこの空間という媒体でも起こりうる可能性がある、ということなのだよ」
「はあ……」
なるほど。訳が分からない。
いつもながら凄いこと思いつくもんだ、と平井は半ば感心していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます