第7話 不確かな縁

「どうですか!」


「おー、似合ってる。」


「……どうですか!」


「うーん、いいね。」


「…………どうですか!」


「まぁー、アリかな。」


「…………義兄さん!さっきから感想が淡白すぎます!本当に思ってますか?可愛いって言ってください!」


「あー、カワイイカワイイ。」


「なんか違います!」


ムキー!と地団駄を踏んで怒る銀髪碧眼の少女、アキラのその様子を横目に、僕は自身の財布の中身を確認する。


……今日の予算は最大で一万円。買う物としては白靴と下着類だから、安く済ませれば五千円程度。髪を切るためのお金が三千円だとすれば、手元に残るのは二千円か。あんまり余裕は無いな。


今朝、母さんから貰った一万円札が財布の中にちゃんと入っていることを確かめ、僕は静かなため息を零した。


今現在、最寄りの駅から一駅行った先にあるアウトレットモールにて、僕はアキラと共に買い物に来ている。


「……『買い物』じゃなくて、『デート』ですよ義兄さん。」


「…………あー、うん。」


アキラから謎の訂正が入ったが、とりあえず、僕は学校に行くのに必要な物を買う為に、アキラは僕の付き添い(今のところ、僕よりも服やら何やらを買ってる)として、外に出てきていた。


「義兄さん!このパジャマ見てください!とっても可愛くないですか?このモフモフ感が凄く可愛らしいです♡……あっ、でもこれから暑くなるので着れないですかね?義兄さんはどう思いますか?」


「……うーん?そうだなぁ。」


チラッと一瞬、視線をアキラの方へと向ける。


「……えへへ。」


試着室の奥から出てきたのは、淡いピンク色の可憐な寝巻に身を包んだアキラの姿。


暖かそうなもこもこと、柔らかな色味は彼女の綺麗な白い髪と非常に相性が良く思える。


そして何より―――


……アキラの髪型が、ポニーテールになっているではないか……!


長い髪が後ろで一つにキュッと結ばれて、彼女の雪のように白いうなじが露わになっている。


普段みたいに髪を下ろしている時は静謐な雰囲気が全面に出てきているが、髪型を変えただけで、幼くあどけない可愛らしい彼女の表情が際立って見える。


見慣れない(と言っても昨日初めて会ったばかりだけど)髪型に髪を結わえた彼女の姿はどこか新鮮で、僕は不覚にも胸がドキリとしてしまった。


「……義兄さん、見てくださいとは言いましたが、そんなにもじっくりと見られるとちょっと恥ずかしいです。」


「え!?あっ、すまん!そうだよな……!」


頬の色を朱に染めた彼女が、僕の向ける視線に恥ずかしそうに声を漏らす。


その声にハッとし、僕は慌ててアキラから目を逸らした。


……くそぅ、僕はアキラとどんな距離感で接すればいいんだよ……!


頭を抱え、唸ると共に僕は心中でそう叫ぶ。


もちろん、僕から妹をで見るのは論外として、今までの態度から推測するに、アキラは僕のことを好意的に見てくれているはずだ。


それなら、その好意に応えた方が良いのは当たり前なのだが、どうやら僕には、兄妹の距離感というやつが掴めないらしい。


馬鹿正直に『可愛い』と言えば、気持ち悪いヤツだと思われるかもしれないし、かと言って妹を冷たくあしらうのは違う気がする。


……せっかく兄妹になったのだから仲は良くしたいし、そっちの方が、親も僕らのことで余計な心配をしなくて済むだろうけど。


しかし残念ながら、僕はそこまで器用な人間ではないので、こうやって手探りで彼女との適切な距離感を測っていくしかないのだ。


自分で言って頷き、難しい顔で唸っているその時だった。


その様子を背後から見ていた彼女は再度、僕に向かって問い掛けてくる。


「……それで、義兄さん、この格好どう思いますか?」


僕が再び向けた視線の先、そこに居るのはピンクの天使。


モジモジと体を身動みじろぎさせ、僕からの感想を、上目遣いの期待を孕んだ眼差しでじっと待っていた。


「…………。」


……もう、距離感とかどうでもいいか。


そんなものを気にするよりも、今はただ目の前にいる天使に向けて、一言言ってやりたい気分だった。


「……最高に可愛い。」


親指を立てグッドサイン。


気付けば目からは、涙が流れていた。


「も、もう!義兄さんってば大袈裟です。」


そう言いながらも、心の底から嬉しそうに笑うアキラ。


その笑顔を見ていると、僕が悩んでいたことなんてどこかに吹き飛んでしまって、案外どうでも良いことなのかなと、そう思ったのだった。
















































そして午後、午前中は衣服類の購入に時間を割き、これから僕は髪を切りに、アキラは何やら用事があるみたいで、僕らは別れて行動することになった。


「……義兄さんが格好良くなるのはとっても嬉しいです。嬉しいですけど、気色の悪い糞ゴミムシどもが寄ってきて……!」


去り際、アキラは複雑そうな表情で何かを呟きながらも、彼女自身の目的地へと向かって行った。


そして僕は―――


「……すみません、予約していた【紅葉】です。」


一駅戻り、自宅近くの美容院にまで足を運んでいた。


この店には、僕が小さい頃から何度も通っていた記憶がある。


確か、母さんの知り合いがこの店のオーナーをしているかなんかで、母さんが昔から懇意にしていたのだ。


店員さんの顔ぶれはあまり変わらないため、ここに居る人とは全員顔見知りで接しやすいし、たいして料金も高くないし、髪も丁寧に切ってくれるしで、個人的にも気に入って利用していたお店だ。


……それにしても、ここに来るのは二年ぶりくらいかな。母さんはしょっちゅう通ってるらしいから、僕のことを誰も覚えていないなんてことはないと思うけど。


そんなことを思いながら店のカウンター付近で立ち往生していると、やがて、店の奥側から人の影がこちらに向かって来ているのが見えた。


「……楓くん?楓くんだよね?」


その声と共に姿を見せるその人。


「…………あっ、はい。えーと、【美玲】さん、ですよね?」


「そうそう!美玲!本当に楓くんだぁ!どう?元気してた?」


「ええ、まぁ、はい。それなりには。」


「予約の名前見た時からもしかしてって思ってたんだけど、本当に久しぶりだね!」


「そ、そうですね。お久しぶりです。」


その人……【羽井はねい 美玲みれい】さんは、僕の顔を見るなり興奮気味に詰め寄ってき、そして優しい微笑みを浮かべて挨拶してきた。


……いつ見ても綺麗な人だな。


目の前のその人物に胸中でそんな感想を呟きながら僕も挨拶を返す。


この人は、昔からよく僕の髪の散髪を担当してくれるこの店の従業員の方だ。


愛嬌の感じるパッチリとした真ん丸な瞳に、よく通った鼻筋。茶髪のふんわりとしたショートボブの髪型はとても似合っている。


身長は僕より少し低いくらいだが、出るとこの出た豊満な肉付きが『包容力のある年下のお姉さん感』というか、妙な色気を感じさせるような、そんな人だ。


「……それにしても、髪も伸びたけど体も大きくなったね。」


にこやかに微笑む美玲さんは、僕と身長を比べるような手のジェスチャーをしつつ、なんだか感慨深そうに言葉を漏らす。


僕の記憶が正しければ、僕がこの店に初めて訪れたのが八歳の時。


当時、美玲さんは十八歳とかそれぐらいだった覚えがある。


六年経って僕の歳は十四、美玲さんは二十四。


最後に会ったのが二年前だから、その実、四年は定期的にこの人と会っていたということになる。


……二年前は、まだ美玲さんの方が身長も高かったもんな。


そう考えると、時間の流れがしみじみと感じられるというのも理解できた。


「……それじゃあ、早速切っちゃおっか。」


「そうですね。よろしくお願いします。」


軽く言葉を交わし、流れる作業で髪を洗った後、僕はカット席に着く。


「髪型はいつもの感じでいいの?」


「はい。それでお願いします。」


……『いつもの』だなんて言ってるけど、ただ単純に髪を短くするだけだが。


櫛を持った彼女は優しい手つきで髪をとかし、丁寧に髪を切り始める。とうとうこのボサボサ頭からはサイナラというわけだ。


「……にしても、本当に久しぶりだね。楓くんが最後に来たのは、もう二年も前になるのかな?」


突如、口を開いた美玲さんは、何かを思い出しているかのように懐かしむ声でそう言葉を零す。


「……あの時はまだ私の方が背も高くて大きかったのに、あの可愛かった楓くんが、しばらく見ないうちにこんなにも男の子っぽくなっちゃって。」


その声の響きは少し淋しそうで、どこか寂寥の帯びた音を感じさせた。


「……でも、なんだか嬉しいんだ。子供の成長を見守る親みたいな感覚なのかな?どんどん変わっていく君を見てると、確かに置いていかれるような寂しさはあるんだけどね?同時にそれが楽しみにもなるの。」


「……変かな?」と笑う美玲さん。


そんなにも、彼女が僕に思い入れのようなものを抱いてくれているとは知らなかったが、僕は首を横に振る。


「何も変じゃないと思います。僕も昔は、美玲さんのことをたまに会う姉みたいな、そんな感じに見てましたから。」


目の前の鏡越しに美玲さんと目を合わせ、僕は笑みを浮かべてそう言った。


「…………ふ〜ん?『昔は』かぁ。今はもう思ってくれてないんだ?」


「……えーと、今は、まぁ、その、そうですね。」


逸らした視線を、気付かれないようにチラッと彼女に向ければ、そこに居るのは『姉のような存在』ではなく、綺麗な一人の女性。


そう捉えてしまうほどに、僕の精神は成長してしまったらしい。


「ふふっ、そっかぁ。もうそんな歳じゃないもんね…………やっぱりちょっと寂しいなぁ。」


そう呟きを漏らした彼女の瞳は、物寂しさの色に揺れていたような、そんな気がした。


「…………。」


「…………。」


それからしばらく、無言の時を過ごす。


沈黙の間、聞こえてくるのは隣の席の談笑で、昨日の夕飯がどうだったとか、好きな芸能人がどうだとか、そんな他愛もない話題ばかり。


「……聞かないんですね。僕が二年もここに来なかった理由とか。」


おもむろに口を開いた僕は、気付けばそんなことを彼女に向けて口走っていた。


何故このようなことを言ったのか、自分でもよく分からない。


別に、この人に不思議に思って欲しかっただとか、そんなことは一切考えていなかったが、何も事情を聞かずに、この伸びに伸びた髪を切ってくれる彼女を、逆に僕が不思議に思ったのかもしれない。


「……うん。君のお母さんに少しだけ話を聞いたし、君もわざわざ話したくないだろうからさ。」


僕の発した声に、彼女は息を吐き出すように短く、そう言葉を零す。


「……もちろん、君が良ければ全然私に話してくれても良いんだけどね?……でも、今の君の顔を見るに、その必要はもう無いんじゃないかなって。」


そう言って彼女は、僕の頭を軽く撫でた。


彼女の視線の先、正面の鏡に映っているのは一人の少年。


前髪で隠れていたはずのその表情は、どこか憑き物が落ちたかのような、そんな風貌を表していた。


「終わったよ~。お疲れ様でした。どうかな?どこか気に入らない箇所とかある?」


「……いえ、完璧です。」


気付けば僕の頭の重みは無くなっていて、スッキリと短くなった髪を揺らす少年が、鏡越しに現れていた。


「…………それにしても、昔から思ってたけど楓くんってやっぱり顔整ってるよね。」


「……?美玲さん?ありがとうございました。」


難しい顔をしながら何かを呟いている美玲さんに、僕は疑問符を浮かべながらも感謝の言葉を述べる。


「……それでは、早く帰りましょう義兄さん。」


「そうだな。今日の用件は全部終わったし、そろそろ帰…………!?」


———当然のように、僕の隣にはそいつがいた。


白銀の長髪を靡かせ、全てを見透かしてしまうような、透明な碧色の瞳を持つ少女。


僕の真隣に立ち、穴が開きそうな程じっと、僕の後ろに居る人を———美玲さんのことを見つめている。


「……??…………?…………???」


凝視されている当の本人はというと、今のこの状況を理解できていないのか、極度の困惑の表情を浮かべていた。


……いや、まぁ僕も理解できていないけど。


「……やっぱりダメですね。」


…………何が??


落胆するようにそれだけを呟いた少女———アキラは、やれやれといった具合に肩を落とし、やがてため息を吐いた。


「……さっさと用事を済ませてきて正解でした。まさか、こんなにも早く義兄さんがメス豚に目を付けられるなんて。」


「……メ、、メス、豚?」


より困惑を深めるように、美玲さんは頭の中をクエスチョンマークで埋め尽くしている。


……そういや、僕の位置情報はアキラに筒抜けなんだっけか。


そのことを思い出した僕は、アキラがどのようにしてここに辿り着いたかについての疑問が解消された。


「……すみません美玲さん。どうか大目に見てやってくれませんか。こいつ、他人に対して口遣いが絶望的に悪いのと、礼儀がなっていないんです。かくかくしかじかありまして、こいつは僕の妹なんですよ。」


「そ、そうなんだ!楓くんの妹さんか~!初めまして、私【羽井 美玲】って言います。あなたの髪、とっても綺麗な色をしてるのね。お名前はなんていうの?」


「……そうやって媚びたようにヘラヘラして義兄さんの心を絆し、挙句には私の義兄さんを奪い取ろうって算段ですか。ハッ、二十と余年も生きてきて、よもや学んだことがそれとは、あまりに滑稽であまりに愚か。大層おバカな年増女ですね。」


「……お、おバカな、と、、、年、増!?」


「こ、こら!アキラ!その物言いは失礼にも程があるだろ!」


あまりにもつっけんどんなアキラの態度と、あまりにもアキラの言葉が効きすぎている美玲さんの様子に、僕は冷や汗を垂らしながら割って入る。


このままだと、もしかするとアキラと美玲さんの言い合いにまで発展しかねないと、そう思ったからだ。


しかし…………。


「…………あんたたち、ちょっと黙りなさい。」


鶴の一声ならぬ、鬼の一声、ドスの利いた威圧感のある声が、静かに空間に落とされた。


「……あっ、えっと、オーナーさん。」


美玲さんは引き攣る頬をそのままに、現れたその人を見つめ、震える声で呟きを漏らす。


「……お店の迷惑、うるさい。自覚して。」


冷徹な声音はそれだけ言い放ち、そして僕らに背を向けて去って行った。


「…………。」


そして訪れる静寂。


聞こえてくるのは隣の席の談笑で、最近の若い子は元気だねぇ。という呑気な感想であった。


「……うぅ、マズイよぉ、今月の給料全カットされちゃうぅ。」


「……いや、流石にそこまでは。」


……しないとは言い切れないな、あの人。


あまりにも不憫すぎる美玲さんを哀れみながら、僕は彼女を宥める。


「義兄さん!私以外の女に触れないでください!浮気とみなしますよ!」


「そもそも君と付き合ってはないけどね!?」


「―――今うるさいって注意したわよね?いい加減にしないとツマミ出すわよ?」


「ひぃぃいッ!?私の給料がぁぁあ!!」


場は一瞬にして騒々しさを取り戻し、阿鼻叫喚の声が上がる。


「……このお店は賑やかだねぇ。」


最後、どこからか呟かれたその声は、飛び交う叫びの中に掻き消された。


















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