第6話 明日の為に
「……僕、学校に行こうと思うんだ。」
病院を出て真っ直ぐ家に帰り、そして開口一番、僕が両親の前で放った言葉はそれだった。
「……ほ、本気で言ってるの?」
「……本気じゃなかったらこんなこと言わないよ。」
母さんの狼狽える姿を横目に、僕は押し黙る親父に向かって続く言葉を並べる。
「……正直に言ってさ、僕に与えられた使命だとか、僕の果たすべき役割だとかそんなことを急に言われても実感なんて湧かない。」
いつものように当たり前に日々を過ごしていたら、いきなり目の前に神様が現れて、『あなたの前世は勇者でした。今世でも異世界に行き、魔王を討伐して頂きます。』なんて告げられても急展開すぎて話についていけないだろう。しかし、今僕の身に降りかかっているのはこういうことだ。
「……僕は世界が怖かった。人と関わることが怖かったから、ずっと部屋に閉じ籠ってた。でも、いつまでも停滞してたって、何も変わらないって気付いたんだ。」
僕は言葉に力を乗せ、言い放つ。
「……だから僕は、『使命』や『役割』なんてもののためじゃなくて、今確かに進むべきだと自分自身が思った道を往くために、外に出たいんだ!」
僕には選ぶ権利がある。
物言えぬほどに運命に縛り付けられているわけじゃない。
父がいて、母がいて、妹がいる。
……皆、僕の選択を尊重してくれる。
———だから。
「決められた運命に身を委ねるんじゃなくて、自分自身で、僕は僕の人生を選びたい!」
―――言った。
思いの丈を。
僕の選んだ答えを。
———まだ見ぬ明日を、迎えるための心根を。
「…………。」
親父は僕の顔をじっと凝視し、決して視線を逸らしはしない。
だから僕もその目を決して離さなかった。
「…………。」
固唾を飲む。
嫌に緊張する。
自分の本心を叫ぶだなんて、いったいいつぶりだろうか。
妙な汗が背中を伝う感覚を感じながら、目の前の人物から吐き出されるであろう言葉を僕は待った。
「……お前が思っているよりも、きっと大変だぞ。」
―――覚悟はあるのか。と親父は静かに、言外に僕に問う。
だから僕は―――
「―――この世に生きている人間なら、皆しなくちゃならないことだ。」
真正面に僕を見据える親父に、そう言葉を返した。
「…………そうか、分かった。」
たったそれだけ。
短い言葉が返ってきたその一瞬だけだったが。
―――その人の口元に、フッと優しい笑みが浮かんだようなそんな気がした。
「……アキラちゃん、学校では楓のこと、任せてもいいか?」
僕のすぐ隣に立っているアキラは、父の呼びかけに満面の笑みで返す。
「はい。学校だけとは言わず、いつどこでも邪魔な羽虫どもには、義兄さんの体に指一本も触れさせません♡」
「それは…………頼もしいな。」
アキラの返答に苦笑を浮かべるとともに、再度親父は僕に向き直る。
「…………親父。」
「……楓、これはお前の人生だ。好きなように生きなさい。」
その目はとても優しくて、どこまでも穏やかな色をしていた。
「―――と、言うわけで、明日は私とデートしましょう。義兄さん♡」
「ごめん、どういうわけ?」
あの後すぐ、用意されていた夕飯を食べ、僕は自分の部屋へと戻ってきていた。
何が必要なのかはまだ分からないが、とりあえず学校へ行く準備をするためだ。
そこで僕に冒頭の言葉を掛けてきたのが、さも当然のことのようにこの部屋まで付いてきた義妹、アキラであった。
「……義兄さん学校に行くんですよね?靴下とか肌着とか、学校は色が指定されているので新しく買いに行かないと。一年も前のものは小さくて着れませんよね?」
「……うーん?いや、多分頑張れば着れるとおも―――」
「着・れ・ま・せ・ん・よ・ね?」
「…………あー、まぁ確かにちょっーとサイズが小さいかも……しれない。」
「ですよねですよね、それじゃあ私と買いに行きましょう♡」
「……あー、うん。じゃあそうしよう、かな?」
彼女の発する妙な圧に押され、僕は思わず頷いてしまう。
「……そういえば、髪の毛も切った方がいいのかなぁ。」
そこでふと、肩に後ろ髪が乗ってしまうほど自身の髪の毛量が凄いことになっていることを思い出した。
記憶を辿っても、最後に髪を切った時のことを全く覚えていない。
ただ確かに言えるのは、一年以上は前だということ。
……今のままだとちょっと不潔に見えるし、サッパリした方が髪も邪魔にならないもんな。
髪をパッパッと手で弾く素振りを見せ、髪型をどうしようか悩んでいると、その時突然。
「ダ、ダメです!そんなのダメです!絶対にダメです!」
恐ろしいスピードですぐ傍までズイッと身を寄せてきたアキラが、鬼気迫る表情で僕の体を掴みかかった。
「えぇ!?なんで!?」
その激しすぎる否定の言葉に僕は驚愕しながら、いきなりのアキラの行動に困惑の声を上げる。
すると彼女は歯軋りし、事の重大さを僕に気付かせるように憔悴しきった声で言い放った。
「義兄さんが髪なんて切ったりしたら……!格好良すぎて泥棒猫が寄ってきてしまいます!そんなの絶対に許しません!」
……んん?アキラの中で僕はどんだけ美化されてるんだ??
僕なんかせいぜい、『塩顔』と言われるのが関の山で『イケメン』のイの字すら向けられたことのない陰キャなんだが。
「……女の子がいきなり『あなたってイケメンね』って、大して接点もない男の子に言うと思ってるんですか?義兄さんは所謂、遠巻きに眺めたいイケメンだったんですよ!」
「そうだったの!?」
まさかの新事実が発覚した今日この頃である。
「……ま、まぁ何はともあれ、髪が多すぎて邪魔なことに変わりはないから切るよ。」
僕は息を吐き出して、一旦落ち着くように彼女を宥めながらもそう言い切る。
「……そ、そんな……!」
僕の吐き出した言葉に、彼女はその瞳に悲痛な色を滲ませ、絶望するかのようにがっくしと肩を落とした。
「……ッ!こ、こうなったら、無理矢理にでも私が義兄さんを坊主にします!そうすれば女は寄ってきません!」
かと思えば、今度は覚悟を決めた表情で僕に詰め寄ってくる。
「その言い方はちょっと角が立ってるよ!?坊主が好きな人に失礼じゃない!?」
「大丈夫ですよ義兄さん。何も心配は要りませんからね?たとえ義兄さんが坊主頭になったとしても、私は義兄さんを変わらず愛し続けますから♡たとえ……たとえ義兄さんが『坊主』だったとしても!」
「なぜ坊主をそんなにも強調する!?坊主頭であることはデバフでもなんでもないからね!?」
―――その後も、何度かアキラから抗議の声が上がったものの、その都度頭を撫でてやることによって、段々とその声も失速の一途を辿って行くのだった。
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