第5話 背負った罪

―――僕という人間を一言で言い表すとすれば、それはきっと『臆病』という言葉をおいて他にないと思う。


変わってしまうことを恐れ、嫌なことから逃げ続け、その果てに得るものは何も無い。


自分自身を檻として殻の中に閉じこもり、隔絶した己の中でただ無為に時間を浪費するだけ。


過去に縋り、停滞を望み、進むべきはずだった道を、自分の手で閉ざした。


それが意味の無い行為であること、何も生み出さないこと、どれだけ愚かなことなのかを分かっていながらも、僕はその道を選び続けた。


……いや、違う。


僕は選んですらいない。


―――何も選ばなかった末路が、今の僕なのだ。


選ぶことが怖い。


選ぶことによって何かを捨てることになるのが怖い。


……自分の信じた選択が、間違っていたらと考えると、選択という名の岐路に立つことすら出来なくなる。


だから僕は、選択を避け、ぬるま湯のような日々を享受し、自分の人生から逃げ続けた。


―――自身の『罪』から目を背け、必死に今日まで見ないふりをしてきたのだ。


「…………。」


薄暗い部屋の中、僕はゆっくりと目を開く。


カチ、カチと子気味の良い音を鳴らす壁掛け時計の針の音が、静寂の中に響いている。


白塗りの壁をくり抜いた窓、広い景色の見渡せるこの場所からは、色の失った灰の空が伺えた。


……このも、あの日からずっと変わってないな。


部屋の中をぐるりと一周見回して、僕は心中でそう呟く。


備え付けの有料テレビ、白色の小さな冷蔵庫、二段程度の物置棚に、少々の物が入るクローゼット。


スライド式の机上には、瓶に刺された花がそのままに、色彩を未だ保っている。


―――そして。


「…………。」


真っ白の寝台。


傍には大きな機械が設置され、そこから伸びるチューブが目の前のベッドへ繋がれていて……。


―――スゥ、スゥと人工呼吸器越しに小さな寝息を立てる一人の少女が、僕の視界の中で横たわっていた。


「…………。」


ここは、僕の家の割と近所にある市内病院である。


家で行われていた家族会議の途中、両親やアキラのことも放り出して、気付けば僕はここに来ていた。


本当になんとなく、特に意識もせずに、逃避の場としてここに足を運んでいた。


……しかし、たとえ無意識下であったとしても、この場所に来てしまったということは、もう僕は深層心理の中で気付いているということだ。


。と。


―――とうとう、自分自身と向き合う時が来たのだ。と。


……でも、僕はどうすれば良いのだろうか。


どうすれば先に進むことができるのだろうか。


部屋の天井を見上げる。


ぐるぐると渦巻く思考が、一向に落ち着かない。


確かな焦燥が僕の心を駆り立てているというのに、定まらない考えが僕の体を縛り付けている。


……この感覚、これはそう、まるで『あの事件』の当時のように僕の心を酷く惑わせている。


「…………。」


ふと、僕の視線が目の前の少女に吸い寄せられた。


ただ静かに、まるで人形のように動かない表情で深い眠りについている。


不気味なくらいに真っ白な肌は少し不健康な色味を感じさせ、枝のように細い腕は、触れればすぐに折れてしまいそうだった。


「…………。」


丁重に、花を扱うかのように、僕は少女の手を取る。


その手はまるで、機械のように恐ろしく冷たい。


「……お前はいったい、いつになったら起きてくれるんだよ。なぁ―――秋奈あきな。」


たった一言。


もうずっと呼んでいなかったその少女の名前を、僕は静かに呟いた。


「……こんなところに居たんですね。義兄さん。」


その、次の瞬間だった。


背後、病室の扉がゆっくりと開かれ、その奥から姿を現したのは銀髪碧眼の女の子。


見間違えるはずがない。僕の義妹であるアキラがそこに立っていた。


「……よく、ここが分かったな。」


「そうですよ。てっきり部屋に居るのかと思ってましたので、まさか居なかった時は本当に驚きました。」


ベッドのすぐ傍の椅子に腰掛ける僕の元まで歩み寄り、彼女は僕の隣に立つ。


……いや、そういう次元の話をしてるんじゃなくてだな、本当によくここが分かったな?ヒントとかも何も無かっただろ?


しかし、平然とした彼女の表情を覗き込み、まさかという考えが脳裏を過る。


「……もしかして僕って、GPSで常に位置情報とか監視されてたりする?」


「…………どうでしょう?それはトップシークレットってやつです。」


……あぁ、多分監視されてるんだなぁ。


アキラが曖昧な返事をするのはきっと、僕に嘘はつかないとそう言っていたからだ。

こうやって言葉を濁すというのは、そういうことなのだろう。


……プライバシーがどうだとか凄く言いたいけど、まぁ、それは後で良いか。


今は、そんなことにツッコミを入れるよりも、やらなければいけないことがある。


「……それよりも、この人ってもしかして。」


すると、そんな僕の意向を察したのか、アキラは目の前で眠る少女について、何か心当たりがあるように口を開く。


そんな彼女に対し、僕は答え合わせの意味も込めてその少女のことを語った。


「———【藤井ふじい 秋奈あきな】。歳は僕より一個上の15歳で、同じ中学に通う同級生。そして、約八か月前、あの『連続少年殺人事件』を引き起こした張本人であり、その際に僕を殺そうとした人物でもある。そして———」


言いかけたその瞬間、次の言葉を発するのが躊躇われた。


『何故?』だなんて野暮な問い掛けは聞きたくもない。


この事実は、僕にとって何よりも残酷で、何よりも当時の僕の心中に深い傷を植え付けていったから。


「…………。」


頭を振り、再度口を開く。

そして先程に続く短い言葉を、僕は静かに言い放つのであった。


「…………僕の大事な幼馴染だ。」


















































『……どうして、なんでそんなことをしたんだよ秋奈!』


目の前に佇む人物に、僕は叫ぶようにそう問い掛ける。


『……なんで、って、そうだなぁ。』


思案するように目を伏せ、考え込む少女。


しかし、次の瞬間にはその答えが出たのか、僕を真正面に見据えた彼女は口を開いた。


『……報復のため、かな。もっと言うなら———君に罪を認めさせるため。』


彼女の握る白銀の刃が、怪しい輝きを放ったような、そんな気がした。






































「……『あの事件』の時、僕はこいつに殺されかけた。」


ベッドの上に横たわり、穏やかな寝息を立てる少女を見ながら、彼はそう話した。


「……包丁でグサッといかれたよ。腹の辺りをな。最悪急所は避けたみたいだったけど。」


そう言いながら、着ているシャツを捲る彼。

見てみると、確かに左横腹辺りに縫われたような跡が残っていた。


「……僕は抵抗した。最後に僕らが居た場所は路地裏だった。落ちてた鉄パイプを拾ってさ、とりあえず牽制して、でもこいつは止まらなくて。そして―――」


彼は当時を振り返るように、仕舞っていた記憶を掘り起こすように言葉を続ける。


「……相打ちだった。こいつは僕の腹を刺して、僕はこいつの頭をパイプで思いっきり殴った。」


吐き出す言葉は重苦しく、彼の声は震えていた。


「……あの日から、ずっとだ。こいつは目覚めない。殴った場所が悪かった。脳に損傷をきたしたんだとさ、もうずっと昏睡状態のままだ。一言も喋ってくれない。」


俯く彼の表情はよく見えない。

ただきっと、そこには悲しみの色が広がっているのだと、そう予想できた。


「……その事件、義兄さんの活躍によって解決まで導かれたと聞いたのですが、それはいったいどういうことなんですか?」


死んだように眠る少女を見ながら私は彼に問う。

すると、彼は瞳に暗い色を映しながら口を開いた。


「……僕にはもう一人幼馴染がいたんだ。【悠太】ってやつなんだけど、そいつは事件が起こる一か月前に自殺した。原因はイジメだった。」


彼は続けて言葉を零す。


「……そして殺された五人、こいつらは悠太のことをイジメていたやつだった。僕が個人的にこの件を追うようになった理由はここにあるんだ。」


―――もし、復讐として五人が殺されたのだとしたら、それは事情を知る彼に近しい人間しかありえない。


そう考えたからだ。と彼は言った。


「……結果的に僕の考えは的中していた。この事件を一緒に調査してた、最も信頼していた親友が犯人だったんだからな。」


彼の表情に悲痛の色が滲む。

寂しそうなその背中を思わず抱き締めてあげたくなる。


……でもきっと、義兄さんは今それを望んでない。


私はその衝動をぐっと堪え、彼の話に耳を傾けるよう注力した。


「……でも実際のところ、事件自体は判明したが、まだ解決はしてないんだ。」


「……そうなんですか?」


「……うん。」


彼は、正面の窓から見える灰色の空を遠く見つめるように、果てしない表情を見せる。


「……この事件、概要としては男子中学生五人が殺害されたというものだ。容疑者は二人、首謀者と実行犯。そのうち秋奈は実行犯の方だった。」


「……では、首謀者の方は?」


「…………。」


聞くと、彼は一瞬だけ口を噤み、やがて言葉を零す。


「僕と秋奈が病院に運び込まれた後、僕らが最後にいた現場近くの大きな池で、一人の女の子が浮いているとの通報があった。」


「……もしかして。」


「ああ、そいつが事件の首謀者だった。」


……だが、と言葉を付け足すようにして彼は言う。


「発見された時にはもう既に死んでいたらしい。ご丁寧に刃物のような物で首元を掻っ切られて、池の中に落とされたんだ。」


———恐らく、秋奈に。


彼は消え入りそうな声量で呟くと、部屋の床へと視線を落とす。


「……きっと、首謀者の復讐は五人を殺した時点で終わってたんだ。だから、そこから先は全て秋奈の独断だと思う。」


……いや、もしかすると初めからこうするつもりだったのかもしれない。と彼は言う。


「……なんにせよ、法は死人を裁けないし、同じく昏睡状態にある人間に罪を認めさせることもできない。つまり、秋奈の意識が覚醒しない限り、この事件が解決されることはない。」


俯いていた視線を横たわる彼女に戻した彼は、やがて自分の記憶の中をなぞるようにして言葉を吐き出した。


「……秋奈はこう言っていた。『これは復讐ではなく報復である』と。」


ポツリ、ポツリと彼は語る。


「……だから、『私が犯罪者になるわけにはいかないんだ。』ってそう言っていた。」


再び俯いた彼は、複雑な表情で悔しそうに呟いた。


「……結局、僕はこの一連の騒動で、概ねこいつの思い通りの結果を招いてしまったんだ。」


——————それが僕の罪。


人を殺すという悪行を働いた彼女に、『報復者』というもっともらしい名前を与えてしまったこと。


自分が犯した罪の重さを、彼女自身に気付かせられなかったこと。


そして———その罪を償う機会さえも奪ってしまったということ。


それこそが、僕がずっと目を逸らしてきた僕自身の罪だった。


……僕は彼女と同じだ。


理由や状況は違えど、やっていることは僕と彼女で何も変わらない。


彼女が人の命を奪ったように、僕も彼女の未来を奪ってしまった。


ちゃんと話し合って説得すれば、まだ彼女を止めることができたかもしれないのに、僕はその道を切り捨てた。


……いや、違う。だ。


僕は何も選べなかった。

何も切り捨てることができなかった。


いざ選択の場に立たされた時———僕は最後まで迷ってしまった。


だからきっと、こんな最悪な結末を招いてしまったのだろう。


何も事情を知らない人から僕はこう言われる。


『君があの事件を解決した少年Aか!凄いなぁ!まるで名探偵じゃないか!』


『警察でさえも事件性はないと判断していた死の真相を暴くだなんて、さすが少年A!』


『にしても人殺しって、案外近くにいるものなのね。ああいうサイコパスはどんどん検挙しちゃってよ少年A。』


【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】【少年A】


違う。


違うんだ。


僕は【少年A】なんかじゃない。


たまたま僕のすぐ傍にいた人間が人殺しで、たまたまそのことに勘付いてしまって、たまたま事件を暴いてしまっただけの、ただの『少年』なんだ。


———ただの【紅葉 楓】なんだ。


僕は、周囲から向けられる目に耐えられなかった。


【少年A】だと呼ばれるたびに、僕の頭には秋奈が———【少女A】の顔が浮かぶ。


———何も選ぶことのできなかった『臆病』な『少年』の立ち尽くす表情が、僕の脳裏を埋め尽くしていく。


『【少年A】って探偵なんでしょ?ちょっと頼みたいことがあるんだけど!』


……違う。


『……え?違う?でもみんなそう言ってるよ?』


……違う。


『……ふ、ふーん?そうなんだ?じゃ、じゃあまた今度でいいやー。』


『……あいつってさ、ちょっと自分が有名人だからってなんか調子乗ってね?』


『それな、なんか見下してるっていうか。』


『自分は他のやつらとは違うんでみたいな?』


『それそれw』


『……あいつさ、ちょっと呼ぶか。』


『そうしようぜw』


…………違うんだ。


【少年A】じゃない『僕』を誰かに見つけて欲しかった———ただそれだけだったんだ。


僕は世界が怖かった。


世界から向けられる数多の視線が、その意味が、怖かった。


失望されることが怖かった。


自分に一切の価値が無くなってしまうことが怖かった。


何もかもが怖くなって、何もかもから離れたくなって、何もかもを捨てるように、僕は全てを遠ざけた。


———自身の『罪』をも忘れようと、殻の中に閉じこもった。


「……母さんと親父の方も、まったく別の理由で僕を外に出さないようにしてたみたいだけど、そもそも僕は、自分から外に出る気なんて更々なかった。」


僕は一瞬目を伏せて、沈黙を貫く秋奈を———【少女A】を見る。


……僕と彼女は同じだ。


彼女は名誉のために、僕は責任から逃れるために、自分自身を檻として全てを遠ざけた。


ただ一つだけ、僕と彼女が違うこと。


それは———道を自分で選んだのか、それとも、ただ足踏みしているだけで何かを選んだ気になっていたか。たったそれだけの———最も重要なことだった。


「———僕は初めから、逃げるんじゃなく向き合わなければならなかったんだ。」


それこそが、真に僕が受けるべき報いだった。


―――全てにおける僕の責任だった。


「……だから、いつまでもウジウジなんてしてられないよな。」


窓の向こうを見る。


灰色が全てを覆っていたはずの空は、いつか白い光が天から溢れていた。


「……それに、『少年A』だんて比にならないくらいヤバそうな隠れた話が僕にはあるみたいだし。」


言いながら、僕は隣に立つアキラを見るが……


「…………?」


当の本人は小首を傾げ、何が何だかといった表情を浮かべている。


……さてはこいつ、話の途中で寝てただろ。


「……なんか、家で親父が言ってた君にまつわる話を聞いてたら、ずっと僕が悩んでいた『少年A』の話なんかスケールが小さすぎる気がしてな、なんだか全てがバカバカしくなったんだよ。」


ため息を吐き、僕はアキラの頭に腕を伸ばす。

そして、ポンッと軽く手を置いて真っ白で綺麗な髪を撫でた。


「すげぇ、めっちゃサラサラだ。滑らかな触り心地が癖になりそう。」


「お、おにいさ、ん?い、いきなりどうしたんですか?」


僕の突飛な行動に戸惑うように、しかし、なんだか嬉しそうに声を上げるアキラ。


そんな彼女に微笑みを返しつつ、僕は彼女を真っ直ぐ見据え、やがて口を開く。


「……僕には使命があるみたいなことを言ってただろ?君の家を滅ぼすとかどうとか。」


「……?はい。それが義兄さんの生まれてきた意味だと、お兄さん自身が仰っておりました。私も、それを信じて今ここに居ます。」


……まったく、信じられない漫画のような話だ。


今まで一緒に暮らしいていた家族は実は僕と血が繋がっていなくて、いきなり現れた女の子が僕の義妹になって、その子は僕の遠縁の親戚で、そんな少女と共に、自分の生まれた家を破壊することが僕に課せられた使命だなんて……いったいどう信じればいいと言うのだ。


それこそ、僕の目を少しでも社会に向けさせるために両親が作り上げた与太話だと、そう言われた方が納得する。


―――でも、もう逃げないって、選択を放棄しないってそう決めたから。


これが作り話であろうがなかろうが、関係ない。


曖昧な答えは出さないって、たとえ逃げることがあったとしても、それは自分の意思で『逃げる』ことを選択するのだと、そう心に決めたから。


だから僕は、彼女に問うた。


「———それさ、やめたいって言ったらどうする?」


穏やかな口調で、彼女の目を見ながら、自分の使命なんて投げ出したい、と僕を信じてくれている人にそう言った。


「―――義兄さんを応援します。」


しかし、その声は即答だった。


間髪を容れず、彼女はそれが当然であると、あたかもそう言い張るようにして、そう答えた。


「……それが義兄さんの決めたことなのであれば、きっとそれが正しいから、私は義兄さんに従います。」


一遍の曇りなき眼で彼女はそう言い切る。


「……それは、僕が―――前の僕が君にそう命令したから?」


その瞳に影が差すことは無かった。


どこまでも澄み渡った碧の色が、僕の問い掛ける姿を映している。


彼女は静かに目を瞑り、そしてもう一度瞼を開くと、年相応の無邪気な笑みをその顔に溢れさせた。


「……いいえ、私がそうしたいと、そう思ったかからです。」


「――――――そっ、か。」


天使のようなその笑顔を目の中のフィルムに捉えた僕は、ふっと小さく笑みを零す。


そしてその視線は次に、深く眠る少女の元へ投げられた。


……僕は逃げない。だからお前も、いつかこっちに戻ってこい。


冷たい彼女の手の平をギュッと力強く握る。


……その時にどうか、聞かせてくれ。お前の本心を全て―――


僕はいつまでも、彼女の瞼が震えるその瞬間をずっと待ち続けている。


僕が『少年A』で、彼女が『人殺し』である前に。


―――僕らはただの『幼馴染』なのだから。





















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