第4話 重要ではない大事な話

「———というわけで、今日から家族になるその子の名前は【紅葉 暁】。お前とは一歳年の離れた女の子だ。」


「……実はお母さんたちね?あなたたち二人が仲良くできるか、特に楓の方を心配してたのよ。だけど……その様子を見るに私たちの杞憂だったようね?」


「うふふ、お母様、私たちはもう、自分のことよりもお互いのことを激しく想い合うようなラブラブな関係になってしまったんですよ♡」


「おい親父、早くこの二人を黙らせてくれ。」


今現在の状況を簡単に説明しよう。


ちょうどつい先程、僕、両親、そしてアキラを加えたこの四人でリビングの机を囲み、家族会議が開かれた。


話す議題内容はもちろん、今日から増えた新しい家族の存在について。


つまり、アキラについてだ。


……と言っても、今更アキラの紹介なんてされてもな。


今こうやって席に着かされてはいるが、正直、僕の部屋で充分と言っていいほどアキラとは話したので、この子のことは多少知ったつもりでいる。


そして、アキラは自分のことを妙に話したがらないので、今この場で、彼女についてこれ以上の新情報が出てくることもきっと無いだろう。


僕の左腕をこれでもかというくらいにがっちりと掴んで離れない彼女を見ながら、僕はそう考える。


……まったく、こんなにも幸せそうな顔をされてしまっては、無理に腕から引き剝がすことも忍ばれるというものだ。


そんな僕の心の呟きをよそに、机を挟んで反対側、僕の真正面に面を構える親父は、『今ここだ』とまるでタイミングを見計らったかのように、静かに、そして厳かに口を開いた。


「……これからお前に、大事な話をしようと思うんだが、いいか。」


『いいか』という言葉は、僕に是非を問うているわけではなかった。


今から話すことを全て受け入れる覚悟を持て。と言外にそう告げられているような、そんな雰囲気を感じさせた。


「…………。なに?」


急変した態度を見せる親父の言葉に、少しの戸惑いを抱きつつ、僕は固唾を呑んで聞き返す。


「まだ詳しく聞いていないだろう?———どうしてその子が、うちの家に来ることになったのか。」


———その理由を。


そう話す親父の目はいつになく険しく、そして、真剣みを帯びた色を放っていた。




















































——————私の生まれは、大きな家名を持つ大変裕福な家庭でした。


どれだけ大きな家だったかというと、それはもう本当に裕福で、毎日朝昼晩と食べきれない量のご飯が用意され、一度も着用することなく着れなくなってしまった服は数知れず、何度寝返りを打とうが決して落ちることはない程、大くてふかふかのベッドが用意されていました。


———そんな子も、居ました。


私の生まれは大変裕福な家庭です。ですが、どうやら私は……私の両親は、その家の中でも端くれに位置するような、そんな人間だったみたいです。


その家の家名を担うような、所謂『上』と呼ばれる人間たちに虐げられるような毎日、奴隷のように扱われ、時に玩具のように体を弄ばれることもありました。


そんな地獄のような日々に耐え兼ね、母は自殺。

『心配いらないよ』と笑っていた父は、ある日を境に二度とは家に帰って来ませんでした。


幼いながらも、その時私は気付いたのです。


私が生を受けたこの世界は、どうしようもないくらいにゴミくずなのだと。


心優しい善人は淘汰され、薄汚い人間だけが私欲を貪る、掃き溜めのような場所なのだと。


ここからの生活は、あまり覚えていません。


……思い出したくもありません。


ただ、どれだけ絶望に塗れた暗闇の中にも、いつか光が差すように。

この真っ黒の霧が切り開かれた、その瞬間のことは今でも鮮明に覚えています。


『……もう大丈夫だよ。僕が全部終わらせるから。』


まるで、その姿はヒーローのようでした。

泥に塗れた掃き溜めの中から、私を救い出してくれました。

私に向けられたその目はとても穏やかで、そして何よりも美しいと、そう思いました。


どうやら彼は本家の人間だったみたいです。

次期当主となるお方です。

彼はこう言っていました。


『……この世界をより良いものにする為には、この家は滅びなくてはならない。』


だから僕が終わらせるのだ、と。

当時まだ幼かった私は、彼が何を言っているのかよく分かりませんでした。

ですが、そんな彼の邪魔をしようとする人間が、この家には沢山いるということだけは知っていました。


……そして、差し出がましくも、この人の力になりたいとそう思いました。


『……君をこれから安全な場所に送り届けようと思うんだ。心配しなくても大丈夫だよ。あそこでは何も怖いことは起こらないから。』


彼は優しく私に語りかけ、微笑んでくれます。


『…………お兄さんも、そこに居るんですか?』


私が彼にそう聞き返すと、彼は少し不思議そうにしながらも答えてくれます。


『……僕?いや、僕はそこには居ないけど、でも他にも優しいお兄さんやお姉さんがたくさんいるから―――』


しかし私は、首を横に振りました。


『……我儘言ってごめんなさい。でもお兄さんと一緒がいいです。私、お兄さんと同じところに行きたいです。』


そう言うと、彼は少し困ったように、でも凄く優しい目で笑っていました。


『…………そっか。』












































それから、随分と日々が過ぎ去ったある日。


時を見計らったようにして、彼は私に『とあること』を話してくれた。


それは、『彼と全く同じ人間が、この世にもう一人存在する』という事実だった。


同じ思想、同じ性格、容姿や癖さえも彼と瓜二つな存在が、この地球上のどこかにいるのだと、彼は話した。

そして、自分はその存在を隠すための、言わば影武者であると。


彼が消えれば、家の人間は、邪魔者がいなくなったと言わんばかりに、大した隠蔽工作もせずに好き放題しだすだろう。

そこを、もう一人の自分が捕らえるのだという計画を、ずっと昔から練ってきたと彼は言った。

でも、その計画が実行されるということは、つまり彼が死んでしまうということで、私は思わず彼に尋ねてしまう。


……どうしてそこまでして、この世界をより良いものにしたいのか。と。


彼ほどの人間ならば、一生を遊んで暮らせる道もあるというのに、何故自分を犠牲にしてまで、辛くて苦しい道を選ぶのか。と。


彼は笑った。

それはあの時の笑みだ。

少し困ったように、それでいて、底なしの優しさを感じるような、あの微笑みだ。


『それが僕の……この世に生まれた意味だから、かな。』


彼はやはり、相も変わらず微笑んでいた。


『……もし君が良ければなんだけど、僕がいなくなった後、もう一人の僕を守ってあげて欲しいんだ。』


彼は私に手招きする。

彼の傍に駆け寄ると、彼は私の髪をゆっくりと撫で始めた。


『……傍で支えて、寄り添ってあげて欲しい。挫けそうになった時は、励まして欲しい。今みたいに、僕にとって大切な人になって欲しい。』


『―――僕を、愛してあげて欲しい。』


儚く、そして綺麗な瞳で、彼は私を見つめている。


『……それが僕の、最後のお願いかな。』


最後聞こえた彼の声は、いつまでも私の心の中に生き続けた。

















































それからまた、少しだけ時間が経った。


あの日、彼と交わした会話が、私が彼と過ごした最後の時間であったことはもう言うまでもない。


あの日の翌日、彼は急な心停止によって息を引き取ったと、家の人間から知らされた。


その話は瞬く間に家の中に広まり、そして、皆口を揃えてこう宣った。


『大変遺憾である。』と。


ある者はほくそ笑み、ある者は歓喜に打ち震え、ある者は噓泣きの芸まで振りまいて見せた。

そんな糞のような人間たちが蔓延るこの世界に対し、やはり私が思うのは、この世界はゴミくずなのだということ。


そして―――


―――そんな泥中に咲く花は、何物よりも美しいということだ。


私は彼との約束通り、彼を探した。

いや、正確に言えば『もう一人の彼』を。

そして結果的に言えば、その存在は探し始めてすぐに見つかったと言えよう。


「……『連続少年殺人事件』?」


「……はい。その事件に『彼』が一枚嚙んでいるとの情報です。」


季節は夏の終わり。

秋の風が薫る九月のこと。

隣町で起きたその事件のことを耳にしたのは、その時が初めてであった。


殺害されたのは、その町に住む男子中学生五人。

それに対し容疑者は二人。

首謀者と実行犯、どちらも女子中学生という異質な事件だった。


当時、事件だと判明する前は、警察はこれら全てを自殺だと見て調査していた。

それ程までに、容疑者二人の犯行は計画的なものだったのだ。


しかしこの事件、これらの犯行を白日の下へと晒し、事件だとして解決まで導いた『少年A』の存在があった。


それこそが私の探していた『彼』であり―――


「―――お前だ、楓。」


そう言って、お父様はこれまでの話を締めくくった。


「…………僕が、なんだ、って?」


現状を受け止めきれないといったふうに、彼は戸惑いの表情を見せる。


……まぁでも、無理もないですよね。


いきなりこんな突拍子もない話を聞かされるだなんて、まさか義兄さんも思っていなかっただろう。

しかし、お父様は真正面に彼と向き合い、一切のはぐらかしも無しに彼に告げた。


「……簡単に言えば、お前は俺たちと血が繋がっていない。アキラちゃんと同じ家で生まれ、そして来るべき時のためにこの家に預けられた人間だ。」


「………………。」


呆然とした表情で、お父様の言葉を聞いている義兄さん。

いや、もしかしたらあまりに唐突な話だから、この話は義兄さんの耳を通り抜けているだけの可能性もあるけど。


……それにしても、放心してる顔の義兄さんも可愛いなぁ♡


右隣に座る彼の表情を覗き、思わず頬が上気してしまう。


こんな惚気るような雰囲気じゃないのに、そんなことを考えてしまうなんて、これも全部可愛い義兄さんのせいですね♡


とは言いつつも、今は真面目な席なので、胸の高鳴る音を一旦落ち着かせようと深呼吸をする。


そんな私に対し、彼は椅子から立ち上がり、問い質すように声を張った。


「……それじゃあ、アキラがこの家にやってきた理由っていうのは……!」


「……はい。部屋で私が義兄さんに話した通りです。『このクソッタレな世界から義兄さんを傍で守る為に』家族になりました。」


そう私が返答すると……彼は頬を引き攣らせ、そして頭を抱えて笑った。


「……はっ、ハハッ、いったい何を言い出すんだよ?いきなり。僕が、親父たちと血が繋がっていない?アキラと僕は遠縁の親戚?挙句には、僕はアキラの家の中でも偉いところの隠し子だって?いやいや、なんかの漫画かよ。流石に冗談キツイって。」


言いながら、義兄さんは私を凝視しハッとした表情で口を開く。


「……ほら、見てみろよ!同じ家の生まれだなんて言うけど、僕とアキラは全然似てないじゃないか!髪だって白色じゃないし、目の色だって別に特徴はない。僕は至ってどこにでもいる普通の人間じゃないか……!」


彼は、自分の言葉に同意を求めるように、ぐるりと私たちを見る。


「…………。」


「…………。」


「…………。」


しかし、私と、お父様お母さまの三人は、彼の発言に頷きはしなかった。


「…………な、なんなんだよ。いったい。」


何も言わない私たちに、彼は呆然とその場に立ち尽くす。

重苦しい空気の中、一瞬の静寂が場に訪れ、そして音が消える。


そして、この沈黙を破ったのは、今まで義兄さんの様子を心配そうに見守っていたお母様だった。


「―――本当はね、この話をするのも、アキラちゃんが家族になるのも、ずっと先の予定のはずだったの。」


お母様は、『でも』と言葉を付け足して、そのまま言葉を続ける。


「……あなたが『少年A』だと騒がれた『あの事件』、あの後に、アキラちゃんの家の人に、まだ一部だろうけど、あなたの存在に気付かれてしまったの。」


お母様は自分の肩を抱き、その瞳に恐怖を宿して声を震わせる。


「……あの家の人たちにとって、あなたはとっても邪魔な存在。あなたを外に出せば、もしかしたら危険が及ぶかもしれないって考えて、怖くて、あなたを外に出せなくて……!」


ごめんね、ごめんねと言葉を繰り返すその目尻には、透明の涙が溜まっていた。


「…………母さん。」


彼は、そんなお母様をじっと見つめている。


「……そういうことだ。すまない。人生で一度しかない大切な学生の時間を、お前からこんなにも奪ってしまって。」


そんな中、お父様も彼に謝罪するように頭を下げた。


「…………違う、ぼく、は。」


しかし彼は何事かを呟くと、この場から背を向け、そのまま足早にリビングを去ってしまった。


「…………。」


再度訪れた静寂。


すすり泣くお母様に寄り添うように、お父様は隣に座っている。


「……お二人とも、ご安心ください。義兄さんは私がお守りしますから。」


席を立った私はそう言い残し、自分の部屋へ戻ったであろう義兄さんの後を追う。

最後、こちらを向いていた二人の表情は、不安げな色を覗かせていた。


……大丈夫です。何も心配することはありません。


二階へと続く階段を上り、彼の部屋の前に立つ。


……義兄さんは私が守ってみせます。義兄さんに仇なす敵は、誰であろうと私が排除してみせます。


―――たとえ、この命と代えることになったとしても。


沈黙を守る扉の前、再び決意を固めた私は、その扉へとノックするのだった。




























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