第65話




「‥‥‥眠れなくなり、どのくらいになるかしら?」


 一旦は父の説得を受け入れて、初恋を綺麗な思い出に変えようと決意したリアンだったが、初恋の傷跡は思っていた以上に深く、綺麗に思い出にできないでいた。


 それどころかアベルに振られたあの日から、酷い不眠症に陥り一睡もできない。


 それだけではなくなにを考えても、悪い方へと考えてしまい、気分は塞ぐ一方だった。


 動くのも億劫で食事も手をつけていない。


 彼女はまだ気付いていないが、失恋を引き金に最近認知され始めた精神病であるうつ病にかかってしまったようだった。


 そのうつ病の詳しい病状はわかっていないが、引き金になりやすいのが、精神的なストレスやショックであることは、わかり始めている。


 リアンはまだ幼いが、その初恋は真剣なものだった。


 嫌いだと言われていたら、まだ楽に忘れられたかもしれない。


 だが、アベルはリアンを嫌ってないと言った。


 嫌われていないのに断られる。


 リアンにはどうしても納得できなかった。


 それがアベルとリアンの立場であり、後取り同士の恋愛は悲劇しか招かない絶対に結ばれない類のもの。


 理屈ではわかるのに、感情がついてこない。


 いつの間にか感情がスパイラルして、負の感情の渦に巻き込まれて逃げ出せなくなっていた。


 すっかり痩せてしまい、寝込んでいる娘をどうすることもできずにリドリス公爵夫妻が見守っている。


「あなた。このままではリアンは」


「しかし医師もお手上げらしく、手当ての方法がないと」


「気の病かもしれないともおっしゃっていましたわ。それなら原因であるアルベルト殿下にお出まし願えれば、もしかしたら」


「それは最終手段にしたい」


「どうしてですの? あの子があんなに苦しんでいるのに!」


「その手段は殿下に受け入れて貰えない限り、イタチごっこにすぎないからだよ。解決策としては使えない」


 確かに原因であるアベルが乗り出せば、リアンの容態は良くなるかもしれない。


 しかしそれには色々な問題が付き纏うのも事実。


 アベルにかける負担が大き過ぎるし、なによりもケルトが認めるとも思えない。


 まさか見殺しにするとは思えないが、ギリギリまで許可を出さないだろうということも予測可能だった。


 出口のない迷宮。


 そんな気分だった。


 誰にも言えないリドリス公爵家の秘密。


 それが漏れる日が来るとこのときは想像もしなかった。





 いつも通り教会でのお努めを済ませて、孤児院の掃除を始めたフィーリアは、かつてリアンが使っていた部屋で、忘れ物があることに気付いた。


「これ、ブローチ? LL? リアンリドリス? リアンさんのもの? どうしよう。こんな高価なもの忘れてて気付かないなんて」


 届けたいが相手は公爵家。


 訪ねて行ったところで、逢ってくれるだろうか。


 でも。


 気付いてしまった以上知らんぷりはできない。


 シスターがネコババなんて許されないから。

 

 だから、フィーリアはシスター姿でリドリス公爵家を目指して歩き出した。




「シスターが公爵邸に何用か」


 辿り着いたはいいものの、やはり門番に足止めされてしまう。


 どう言えば嘘っぽくならないか考えて、フィーリアはそれらしい嘘を考え出した。


「神父シドニーから聞いたのですが、教会に礼拝にいらした貴族のご令嬢が、当教会に忘れ物をされたようで。礼拝されたご令嬢の中で、イニシャルが同じなのは、こちらのご令嬢だけなので、こうしてお届けに参りました。御面会願えないでしょうか?」


「それでは私がお渡ししておきましょう」


「いえ。大変高価な品でして。ご両親ならともかく、臣下の方とはいえ、全くの第三者にお預けするわけには。なんとかリアン様にお会いできないでしょうか?」


「幾らシスターとはいえ、泥棒呼ばわりは不愉快だ! 早く立ち去れ!」


「きゃっ!」


 フィーリアが追い払われそうになったとき、庭を散歩中らしかったリドリス公爵夫妻が割って入った。


「待て!」


「これは旦那様、奥様! 失礼致しました! このシスターが失礼なことを申したもので、つい」


「変なこと? 私にはシスターは己の身を弁えた理に叶った発言しかしていないように見えた。間違った対応をしたのはきみの方だ」


「申し訳ありません!」


 然りに頭を下げる門番に公爵は苦い顔。


 教育をし直す必要があるかと思い、フィーリアの方を見てハッとした。


「きみは殿下の」


「お久し振りです。リドリス公爵様。奥方様は初めまして。シスター見習いのフィーリアと申します」


 公爵の知り合いなら、何故それを先に言わない!


 と、門番は心で叫んだ。


 無用な警戒だったと。


「ではリアンの忘れ物というのも本当か。門番。門を開いて彼女を招き入れなさい」


「はい」


 主人の言葉に従って門が開く。


 フィーリアは頭を下げてから、敷地内に足を踏み入れた。

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