第64話




 風がさやさやと通り抜けるバルコニー。


 アベルはリアンを待っていた。


 この場面は国王によりセッティングされていて、そういう意味では政略の一環だった。


 そこにはロマンもなにもない。


 アベルはこの期に及んで尚迷っていた。


 こんな政略丸出しの形式で、リアンは納得するのだろうかと。


 しかしこういう問題で、婚約者がいながら、個人的に逢うというのは褒められたことではないし。


 そんなことでグルグルと悩んでいる間にリアンが来たようだった。


「アルベルト様」


 リアンに名を呼ばれ首だけで振り向く。


 そういえばリアンは、ふたりと違って最初から名で呼んでいたなと気付く。


 普通ならアルベルト殿下と呼ばなければならない立場である。


 なのに名で呼んでいた。


 そこから気付くべきだったのだ。


 彼女がアベルを王子としてではなく、男として見ていると。


 気付かなかったから事態を悪化させている。


 気付いていたら、気付いていたら?


 なにができた?


 気付いていたとしても、結果は同じだったんじゃないか?


 お互いが跡継ぎ同士である限り。


 リアンは緊張しているのか、中々口を開かない。


 ここは男が動くべきだろうとアベルは、見ていた夜景から目を逸らして彼女を振り向いた。


「リアンのことは嫌いじゃない」


「アルベルト様」


「好きになってくれて有難いとも感じてる。でも、俺は世継ぎの王子で玉座を継ぐ者。対してリアンは宰相でもあるリドリス公爵のたったひとりの後継者。後継者同士の婚姻はもちろん絶対的な禁忌だ。好きになってくれたのは嬉しいよ。でも」


「わたくしに返せるお返事は、拒絶しかないということですね」


 愛人という反則技をリアンが思いつく前にアベルは、強い口調で念を押した。


「俺にはレイとレティのふたりで十分すぎるほどだし、ふたりを裏切る真似はできない。俺の子供には、王位継承権を持つという運命がついて回る。だから、側室や愛人を持つつもりは、死ぬまでないんだ。ごめん」


「その資格さえわたくしにはないと?」


「そうじゃない」


 かぶりを振るとアベルは、言葉の意味を説明していった。


「好きだから友達として大事だから、そんな誠意のない真似はしたくないと言ってるんだ。わかってくれないか? 俺なりにリアンを大事に思うが故の決断なんだと」


「アルベルト様。それでもわたくしは、貴方様をお慕いしております。わたくしにどこか至らぬところがございましたか? 異性としては見て頂けないほど、女性としての魅力が足りなかったのでしょうか。わたくしは妹でしかないと?」


「ちょっと待って。落ち着いてくれ、リアン。嫌いじゃないって言っただろ?」


 一度口に出した気持ちは、もう止まらないのか、リアンはうっすら涙を浮かべながら、アベルに想いの丈を伝えてくる。


 我を忘れるほどの想いに気付かされ、アベルはどうすればいいのかわからなくなる。


 こうなると綺麗事や正論を幾ら並べても、彼女は納得しないだろう。


 どうしようと視線を彷徨わせたとき、彼女の背後から父であるリドリス公爵が現れた。


「リアン」


「お父様」


 振り向いたリアンが、驚いたような声を出す。


 そんな愛娘に彼はやるせなくかぶりを振る。


「やめなさい。それ以上はリアンが惨めになるだけだ」


「ですがっ!」


「今のきみに言っても意味がないかもしれない。理解するにはきみは幼いから」


「お父様?」


「恋に幕が降りたとき、恋の想い出を綺麗なものにするか、それとも惨めなものにするか、それは恋の幕引きに掛かっているんだ」


「恋の幕引き? 恋の想い出? なんのことですか? お父様?」


「例えばここできみが形振り構わず、アルベルト様に縋ったとして。いつかアルベルト様がきみとの想い出を振り返ったとき、どう思うだろうね?」


「あ」


「どうせ通じない想いなら、最後に惜しいことをしたと、いつか思って頂けるような、素敵な想い出にしたくはないかい? それは振られた後のきみの態度ひとつで決まるんだよ?」


 未練がましく縋ったとしても、アベルの心には鬱陶しい想い出としてしか残らない。


 去り際が美しくあればこそ、いつか彼が振り返ったとき、あのときは惜しいことをしたなと思えるような綺麗な恋の想い出になる。


 それには今見せる態度が大事なんだよと父に諭されても、リアンにはイマイチわからなかった。


 失恋は失恋ではないかと思うからだ。


 しかし振って惜しいことをしたと思って貰えるなら、それはひとつの恋の忘れ方ではないだろうか。


 父の言いたいことすべてを理解できたわけじゃない。


 でも、提示されたふたつの恋の結果のどちらが良いか。


 それはなんとなく理解できた。


 公爵令嬢としての矜持の問題だ。


 無様に振られた想い出と残るより、気高くありたいと思うから。


 恋に溺れる愚かな女と思われたくない。


 そんな自尊心を胸にリアンは優雅に一礼した。


 それがすべての答えになり、アベルは返す言葉を失う。


 父に支えられて去っていく後ろ姿を見送るしかなかった。


 やがてふたりの姿が完全に消えてから、アベルは俯く。


「ごめん」


 その声は風の中に消えていった。


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