第18話

 それは彼の存在が発覚する前に考えたことだったので。


 彼の素性を知ってから考えなかったと言えば嘘になるが、王の意図は知っていたので敢えて考えないようにしていたというのが実情だ。


 確かに大事な娘を預けるなら彼がいい。


 だが。


「現実問題としてそれは困ります」


「ほお? わたしはてっきりリドリス公なら、娘の結婚相手にアルを……と考えそうな気がしたが?」


「考えなかったと言えば嘘になります」


「わたしを相手に堂々とよく言えるな。さすがはリドリス公だ」


 感心する王に笑う。


「ですがあの娘は一人娘っす。一人娘が王妃になったら、わたしの家は途絶えてしまいます」


「養子を迎えれば……」


「もしそれが現実になった場合は、確かにそれしか方法はないのでしょうが、その場合もわたしの血筋は絶えてしまいます。

 世継ぎの君と娘のあいだに生まれた子供を、わたしの後継の更に後継として迎え入れないかぎり。

 それは養子相手にも失礼ではないでしょうか? 子供が生まれても継がせないとなったら」


「確かに公爵の後継を養子相手が継いだ後で、その後継問題で更に揉めそうではあるが」


 ふうとケルトはため息をつく。


 自分のことではないので、もっと軽く考えていたが、公爵の血筋も家柄も立派なものだ。


 敬愛する前王の息子だからと娘を託すことはできない、か。


 家を伝えていくために。


「しかし養子縁組した子息が、もし公爵の孫である王女や王子の異性となる性別の子供を得たら、なにも問題はないのではないか?

 もし養子相手が息子を得て、リアンがアルとのあいだに娘を得たら、その内のひとりを公爵夫人として嫁がせても不都合はない。

 それなら養子相手の血筋も残るし、公爵の正当な血も受け継がれる。それなら問題ないだろう?」


「確かにそれなら問題はないでしょうが、もしリアンに王子しか生まれなかったら?」


「うーん」


「しかも世継ぎの君しか生まれなかったら? その場合、子供を養子縁組することすら不可能になります。世継ぎなら継ぐべきものは玉座ですから」


「難しいな」


「はい。ですから考えはしましたが、すぐにその考えは捨てました。それに陛下はそのことでわたしにクギを刺そうとなさって、わたしをここへ呼ばれたのでしょう?」


「まあそうなんだが」


 こめかみを掻いて頷くケルトに公爵は苦笑い。


「だったら考えるだけ無駄ですよ。もし血筋が途絶えてもいいと、家を捨てても娘の結婚相手に世継ぎの君を、と考えていても陛下にはそれをお認めになる意思がない。

 陛下がどれほど強情で意思の強靭な方か、わたしはだれよりも存じています。

 そんなことになったら陛下を敵に回してしまいます。さすがにそれは遠慮したいので」


「だったらアルには手を出さないと思っていいんだな?」


「わたしはそのつもりです」


 言い切る公爵にケルトは深々とため息を吐き出した。


「陛下?」


「そういうところが曲者なんだ、公爵は」


「なにか?」


「リアンがどう思うかはわからない。そういう意味だろう?」


「まあわたしは娘ではありませんので、わたしがその意思を捨てていても、娘が世継ぎの君をどう思うか、それはわかりませんね。ただ」


「ただ?」


「娘は殿下方をとても慕っています。

 陛下がおっしゃったように、殿下方が従兄であられる世継ぎの君をもし特別な感情で想われている場合、おそらく娘は世継ぎの君に惹かれていても、その感情を認め殿下方から奪おうとはしないでしょう。

 わたしは娘にはそういう教育はしておりませんので」


 公爵は跡取り娘であるリアンには、王女殿下たちのよき相談相手となるよう教育してきた。


 現在の3人の良好な関係は、その事実と殿下方の人柄によって保たれていると言っていい。


 その状態で親友と認める王女殿下方の想い人を奪うなんて真似はリアンにはできない。


 それは確かだった。


「なら後はアル次第ということか」


「どういう意味でしょうか?」


「アルが妃はひとりと決めているかどうかという意味だ」


「はあ」


 陛下曰く。


 これが貴族の子弟として育ったのなら、当然だが陛下の影響で妻はひとりと定めているだろう。


 だが、彼は平民として育っている。


 その場合、普通の感覚として妻を複数持つという感覚で育っていても不思議はない。


 それがすこし気掛かりだと陛下は言った。


 王女との婚姻を断れなくても、リアンも妃にと望まないか。


 それが気掛かりだと。


 危惧は尤もだったが聞いた直後に言い返した。


「それは大丈夫ではないでしょうか?」


「何故そう言い切れる?」


 眉を上げて訊ねる王に首を傾げた。


「彼が教会を兼ねた孤児院育ちだからです」


「ふむ」


「教会関係者のあいだでは結婚というものは、とても神聖視されています。結婚とは一対一でするもの。そういう感覚で育っていても不思議はないんです」


「確かに。二人目の妻を迎えることは可能でも、教会が許可しないという話はよく聞くからな」


 一夫多妻制の国でありながら、実際に複数の妻を持つ男というはごく稀だ。


 何故なら教会が許可しないからである。


 公爵のときも教会の神父や司祭たちを納得させるのに、かなり苦労した覚えがある。


 自分たちが結婚しないせいか、司祭たちも神父たちも結婚を神聖視していて、複数の妻を持つことを忌避している傾向が強いのだ。


 そこで育ったのがアベルである。


 それなら妻はひとりと定めていても不思議はないか。


「しかし妻はひとりと定めていても困るんだがなあ」


「……すこし勝手な意見ではありませんか? 先程はそうでないと困るとおっしゃっていたでしょう?」


「そうなんだが。ここしばらく娘たちの様子を見ていて、どうやらアルへの好意が本物らしいとわかってきてな」


「はあ」


「ふたりの娘がふたりともアルを想っている。そこでアルがひとりしか迎えないと、ふたりの娘の内から妃を選ぶと、当然残りはフラれることになるだろう?」


 なにを危惧しているかわかって公爵はすこしだけ笑う。


 リアンを相手には認められなくても、娘たちが相手なら彼がふたりの妃を迎えることには反対じゃない。


 むしろ娘たちの気持ちが彼へと傾いているなら、そうでないとフラれる方が可哀想だ、といったところだろうか。


 こういうところは王も治世者ではなく、ひとりの父親だなといった感じだ。


「なんていうか陛下は可愛い御方ですね」


「おい。皮肉か、それは?」


 王がじっとりと睨んでくるので公爵は小さく笑った。


「いえ。そういうことを気に病まれるところは、一国の治世者ではなく父親だと思えたのでつい」


「当たり前だろう。わたしだって一介の父親だ。娘たちが泣くとわかっていることを歓迎はできない」


「そうですね」


 それにしても王はちょっと変わった人だ。


 今更のようにそう思う。


 王位を継いでもらうために色々と努力しているとは言っていた。


 しかし今日ここにきてから見たこと聞いたことが、王の「努力していること」なんだろうか?


 どうにも腑に落ちない。


「なんだ? そんな顔をして」


「いえ。陛下は王宮で世継ぎの君に王位を継いでもらうために、色々と努力なさっているとおっしゃっていましたが、こちらへきてから知った数々の言動の、一体どこが努力なのかすこし悩んでいまして」


「そんなに変なことをしたか?」


 首を傾げる王に笑う。


「王位を継いでもらうための努力というよりは、むしろ親しくなるための努力のように感じられましたので」


 簡単に言えば気安い態度だったということだ。


 王位はそんなに気楽に継げるものとはない。


 そういうことを教えているかどうか、それを疑問に思ったのだ。


「それは当然だ。わたしは彼に叔父として認められたいのだ。それに王としての自覚なら彼にはすでにある」


「そう……なのですか?」


「王となることが楽なことではないことも、自分が王位を継ぐことで生じる問題も、彼はすべて把握している。だから、尚更王位を継ぐことに同意しないんだ」


「なるほど」


 確かに先程のやり取りではそんな感じだった。


 彼は前王の王子らしく聡明に見えたから。


「今は王としての自覚とか、王となることで歩む修羅の道についてとか、そういうことに覚悟を持たせるよりも、自分は望まれて生まれてきた。こうして叔父にも従妹にも望まれている。自分は愛されているのだと、そのことを自覚してほしいんだ」


「陛下」


「先程説明しただろう? 彼がここでの生活を成り立てていると」


「はい」


「そのために彼は自分の幸せを後回しに考えている。自分を犠牲にしてもいいと思っている。それがこの歳まで育ててくれた人々への恩返しだと決めつけている」


 王の気掛かりそうな口調に王宮で聞いた言葉が蘇る。


 彼に自分の幸せだって大事なのだと、王はそれを1番与えたいのだとわかってほしいと。


 それをわかってもらえる方法を1番知りたいと王はそう言っていた。


 あれはこういう意味だったのか。


 自分が支えているものの重みを知っているから、彼は自分の幸せを二の次にしている。


 二の次にしてそれていいと、それが正しいと思い込んでいる。


 自分の幸せには大した価値はないと決めつけている。


 だから、王は彼に自分自身のことを振り返ってほしくて彼を振り回すのだろう。


 もっと自分を大切にしろ。


 王はそれを教えたいのかもしれない。


 確かにある意味で彼は聖人君子だ。


 自分の幸せを後回しにして納得できる人種がどれほどいるか。


 しかも彼はそのことを疑問を抱いていない。


 あり得ない現実だ。


 しかしそれは人としては不完全。


 だから、人間には聖人君子なんてあり得ないと王は皮肉ったのだろう。


 ある意味で聖人君子。


 その意味は自分の幸せを知らないから。


 それを知って意識するようになって、彼は初めて「人間」になれる。


 そういうことなのだろうと理解した。


 どうやら彼を立派な世継ぎにするのは大変そうだ。


 今は人として当たり前の感情を殺している状態だから。





 ポロロン。


 屋根の上で竪琴の音色が流れる。


 だが、それも途切れがちで不安定な音だった。


 音の発信源はアベルだ。


 彼にしては珍しい音である。


「お兄ちゃん」


 ひょこんとフィーリアが顔を出した。


 アベルが落ち込んだ顔を向ける。


「どうした?」


「ううん。食事のときから元気がなかったから気になって」


「心配かけてごめんな。なんでもないよ、フィーリア」


「お兄ちゃん」


 フィーリアが複雑そうな声を出す。


「お兄ちゃん。変わったね」


「え?」


「レティさんがきてからお兄ちゃんは変わったよ」


 答える言葉が浮かばない。


 変わらざるを得ないことばかりが起きて、アベルは変わったのかもしれない。


 否応なく。


 もうそれまでと同じではいられない。


 それは確かだったから。

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