第17話
アベルがずっと疑問に思っていたことを問いかけて、当事者でもあるケルトから答えが返ってきたのは、宰相リドリス公に素性がバレたときだった。
アベルの年齢と当時の状況から考えて、アベルが誕生したのが18年前であること。
その直後に王妃が崩御していること。
そしておそらく王妃の身体の弱さから考えて、王妃の死因がアベルを産んだことにあることも聞いた。
自分のせいで母親が死んだと言われれば、自覚なんてなくてもいい気分にはなれないが。
ケルトは不安そうにアベルの顔を覗き込んだ後で話を続けた。
「当時の宮廷の様子は、わたしは詳しくは知らない。その辺はリドリス公の方が詳しいだろう。わたしは妃、いや、その当時はまだ妻だったが、妻と出逢って王宮から飛び出していたし」
「生易しい状況ではありませんでした」
リドリス公の言葉にアベルがピクリと眉を動かす。
レイティアたち3人も不安そうにアベルを見ていた。
「先々代の王。あなたにとってはお祖父さまに当たられる御方の時代から、長く続いていた戦争の影響もあったのだと思います。前王はその戦争を終結させられましたが、その結果国は乱れ政争が激しくなってきていました」
「わたしが王宮を捨て妻を選んだ理由も、実は政争にあったんだ。兄上を拝してわたしを王にという動きが活発化していた」
「「お父さま」」
「わたしはそれはいやだった。正当な世継ぎであり戦争まで終結させたのは兄上なんだ。なのに兄上が聡明で扱いにくいからと、第二王子であるわたしを王に迎えようとする。だったらわたしがいなくなればいい。そう思ったんだ」
「アンタ」
アベルが驚いたようにケルトを見ている。
そこには今まで彼が見知っていたふざけてばかりのケルトはいなかった。
王位継承について悩んだひとりの国王がいた。
「兄上は賢王とまで呼ばれていたが、その理由の多くは貴族ではなく、平民を優遇する政治にあった」
「素晴らしい国王陛下ではあられましたが、貴族にとっては自分たちを優遇してくれない扱いにくい王でもありました。それで第二王子であられる現王を王にという動きが活発化したのです」
それがどれほどケルトを追い詰め苦しめたか、アベルにもわかるような気がする。
自分に向けてくれる無償の愛情。
それを思えば彼がどれほど亡くなった兄を慕っていたかわかるからだ。
その兄と対立するように仕向けられる。
兄から王位を奪うように画策される。
彼には辛いことだっただろう。
「当時わたしは妻と出逢って恋に落ちて、妻を取るべきかそれとも王子として生きるべきか岐路にきていた。
だったら……と決断したんだ。兄上にすべてを押し付けるのは気が咎めたが、自分がいない方が兄上のためになる。そう判断したんだ」
そこまで言ってケルトは眼を伏せた。
「だが、それから数年後。兄上は突然亡くなった。本当に突然だった。わたしはその訃報を街中で聞いたほど突然だった。信じられなかった。あんなに元気で病気ひとつ知らなかった兄が死ぬ。その現実が」
「その当時おそらく王子は3歳になられて、王位継承権を意味する腕輪を譲られた直後だったと思われます。ですがその事実は知られていませんでした」
「知られていない? なんで?」
アベルが怪訝そうに問いかけると公爵は面目なさそうに答えた。
「前王のお立場があまりに危うくて、おそらくお世継ぎが生まれたと明らかにできなかったのでしょう。
だから、お子様が生まれたことを徹底的に隠された。腕輪を譲ったことすら隠された。
前王がご崩御された後で腕輪が消えていたことから、一時的に騒動が起きました。どこかに第一王位継承者がいるのではないか、と」
「ここからは事実を知った後のわたしの推測になるが、そなたを託されたクレイはそなたの身に危険が迫っていることを知った。
クレイの元に置いておけば、いつそなたのことが発覚するかわからない。
そもそもクレイは将軍。3歳の幼子を育てることなど不可能。
ましてやずっと傍にいて護ることもできない。だから、そなたを安全な街中に隠すべく孤児院に預けた」
「木を隠すなら森の中というわけですね。わたしも正直なところ、どこかに消えた王位継承者は見付け出せないだろうと、海に落ちた一粒の涙を見付け出すようなものだと思って諦めていましたから」
ふたりの話に耳を傾けてアベルは今は亡き将軍に思いを馳せる。
両親のことを問いかける度、辛そうな眼をしていた将軍の顔が浮かぶ。
「そなたは色々言っていたようだが、そういう背景なんだ。
何度そなたに問われても、クレイには両親の名は言えなかっただろう。
そなたを捨てたわけではない。そのことも教えられなかっただろう。
そなたにはなにひとつ事実は言えなかったはずだ。言えばどこから悟られるかわからない。
そもそも兄上は賢王で知られていた。いくらわたしが即位した後でも、名が知られていないということはあり得ない。そなただって知っていたはずだ」
「うん。知ってた。前王の名なら」
「両親の名を訊ねてその名を出されたら、そなただって素性を疑ったんじゃないのか?」
「そうかもしれない」
すぐには前王が両親だとは信じられなくても、同じ名が両親だと言われたら、もしかして自分が王子? とは疑ったかもしれない。
特にこんな豪華な不思議な腕輪をしていたこともあり、幼かったこともあって絶対に騒ぎ出したはずだ。
自分こそが世継ぎの王子だ、と。
根拠なんてそれしかなくても、きっとそう言って騒いだ。
そうしたらアベルを護ろうと尽力してくれたクレイの努力を、きっと水の泡にしてしまっていただろう。
その結果、アベルが殺されたりしたら……クレイならきっとそう考える。
臣下たちにしてみれば真偽のほどが重要なんじゃない。
そう主張されること自体が目障りなのだ。
ましてアベルは知らなかったが、その主張はすべて正しい。
証拠もある。
それを承知していれば、クレイ将軍にはアベルにどれだけ責められても、反発されても真実は言えないということになるのだ。
疑いがあるというだけで狙われるのに、アベルの場合は疑いでは済まない。
事実なのだ。
だったらアベル本人にも徹底的に隠すしかない。
認めたくなくて否定していたはずなのに、説明されればされるほど、自分の境遇と合っていて逃げ場がなくなっていく。
この腕輪が証明するようにアベルは世継ぎの王子なのだろうか。
「でも、そんな状況じゃあ、もし今前王の世継ぎが発見されても歓迎されないんじゃあ」
「その心配はいらない」
「?」
「わたしも兄上の死を知って反省したんだ。もしかしたらわたしが王宮を去らなければ、兄上が死ぬことはなかったんじゃないか、と。
だから、兄上に子供がいないと知って、わたしが捜されていると知ったとき、偽者が出現するのは承知で名乗り出た。
兄上が果たせなかった夢を果たしたくて。そしてもし本当にどこかに第一王位継承者が、兄上の後継者がいるのなら、その子に王位を譲りたくて」
「アンタはそのためだけに王になったのか?」
問いかけるとケルトは「そうだ」と頷いた。
「その当時わたしにはすでに娘たちが生まれていた。わたしが第二王位継承権の腕輪をしている以上、どれほどの後ろ楯を持つ偽者がいても、わたしが本物だと証明されるのはたやすいはずだ。
だったら妻とも引き離されずに済むだろう。そういう計算もあった。子供が生まれていなければ、もしかしたら妻とは別れろと言われたかもしれないが、わたしの跡継ぎは生まれた後だった。だったらなんとかなる。そう判断して」
「それからのことはわたしもすこしは知っています」
「レイ」
アベルが声を投げるとレイティアはすこしだけ微笑んだ。
「お父さまはふざけてばかりいるように振る舞っていますが、王としてはとても努力されていました。
臣下たちの暴走を防いだり、国の治安の安定を図ったりと、寝る暇も惜しんで努力されました。
それも今思えばアル従兄さまのためだったのですね。いつかアル従兄さまが見付かったときに安全に王位を譲るために」
アベルの知らないところで色んな話が動いている。
ケルトは強情に振る舞っていたが、アベルのためにそれだけの苦労をしたのだと、押し付けがましいことは一度も言わなかった。
ただふざけた態度で同意させようと食い下がってきただけで無理強いはしなかった。
どうしてだろう。
こんな話を聞いてしまうと、王位を継ぎたくないと言い張るのが、彼の主張通りただのワガママにしか思えない。
アベルが王位を継ぐためにケルトは王となり、これまで努力してきたというのに。
「俺は……どうしたらいいんだ」
座り込んで頭を抱えてしまうアベルを、だれもが声もなく見詰めている。
「どんなに王様が孤児院の皆の面倒は見ると言ってくれても、教会のことも任せろと言ってくれても、それが恒久に続くとは思えない。
一方的な負担なんて普通は無理だ。ましてや俺が王位を継ぐからとそういうことをするのは、他の人々から見れば王族の横暴だ。それがわかっていたら安心なんてできない」
「そういうことを気遣うそなたの目線はすでに王の目線だ」
ケルトに頭を撫でられてアベルは震える。
そんなふうには思えない。
普通に危惧しているだけだ。
「そなたはそんなふうに思っていないかもしれない。だが、普通ならそうすることで民衆がどう思うか、貴族たちがどう思うか、そんなところまで考えない。
普通の者なら自分が助かればよしとする。それをせずに王族の横暴などと考えられるそなたの目線はすでに王だ」
「俺は自分が王に相応しいなんて思えない。孤児院の皆を見捨てられるとも思わない。この生活を捨てられるとも思えない」
アベルがムキになったように言い募ると、ケルトは苦笑して頭を撫でてくれた。
「そのことに答えを出せるように、わたしも協力する。だから、そんなに自分を卑下するな」
ケルトの優しさが胸に痛い。
本当なら今この国が平安なのはすべてケルトの手柄で、それを受け継ぐべきなのはレイティアたちだ。
それがわかっていて「はい。そうですか」と王位は継げない。
ましてやその代償とばかりに、ふたりの内どちらかを妃とすることもできない。
自分は今出口のない迷路にいる。
アベルにはそんなふうにしか思えなかった。
隠されていた真実を知ることで。
「すまないがリドリス公」
アベルが落ち着くのを待ってケルトがふと声を投げた。
娘に対して声を投げようとしていたリドリス公が王を振り返る。
「なにか?」
「すこしだけ話がある。こちらへ」
ケルトに促されてリドリス公爵は部屋の外に連れ出された。
どうやら他の者には聞かれたくない話らしい。
扉を閉めてすぐ王は扉に凭れかかった。
なんだろう? と、思う。
「アルベルトのことなんだがな」
「はい?」
「わたしは娘たちのどちらか、もしくは両方を彼と結婚させて王位を譲るつもりだ」
「やはりそうでしたか」
別に王女との結婚を王位に絡めているわけではないのだろう。
そういう条件の場合だけ彼に王位を譲るつもりではないのだ。
だが、彼のことが発覚したときに王女との婚姻が絡んでくるのはもはや明白。
それがわかっているから、そういう条件を出した。
そんなところだろうか。
「アルの素性がはっきりし、その立場が明確になったとき、おそらく娘たちのどちらかとの婚姻が臣下たちから進言されるはずだ。違うか?」
「そうですね。おそらくそうなるのではないかと」
「しかし彼が妃に迎えるべき相手は、なにもわたしの娘たちに限定される話でもない」
「陛下?」
「おそらくリドリス公の令嬢なら、臣下たちも文句は言わないはずだ。彼の結婚相手として」
「それはそうかもしれませんが」
「そしてリドリス公。そなたも娘と結婚させるなら、アルがいいんじゃないのか?」
ジロリと睨まれて乾いた笑いを返す。
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