第11話
「アベル様。いえ。アル従兄さまと言うべきかしら? アル従兄さまはそういう行動には出ないと思うわ。自分が認めたくない境遇に追い込むような真似、アル従兄さまにはできないと思うのよ。わたしの調べた情報ではアル従兄さまってそういう人よ?」
「ごめんなさい。お話が見えないの。どういう意味なの?」
首を傾げるレティシアを見て、ケルトは覚悟を決めた。
それほどレイティアを信じていたということである。
「腕輪が外れる条件はただひとつ」
アベルは食い入るようにケルトの顔を見た。
「国王に子供が産まれ、その第一子が3歳になったとき、初めて王位を継承する条件が成立したことになる。そのときに時の国王が、我が子こそ後の王と認めた場合に限り、つまり王位を継承させてもいいと判断したときにだけ腕輪は外れる。第一王位継承権を3歳になった我が子に譲ることで」
自分に子供ができて、その子が3歳になると王位を継承することが許される?
それはアベルが自分の子に重責を押し付けるということだ。
国王として正式に子供を得て、その子に将来、王位を譲ってもいいと思えたなら、そういうこともいいかもしれない。
だが、レイティアの言ったように、自分が楽になるためにその手を使うのは……どうもアベルにはできないようだった。
「よく思い出してみるんだ。そなたがこの孤児院に預けられた当時、そなたはすでに3歳になっていたはずだ」
たしかにアベルがこの孤児院に預けられたのは3歳のときである。
そのとき、すでにこの腕輪をしていたらしいから、ケルト王の言っている条件は満たしていることになる。
前王がアベルに王位を譲ってもいいと思ったから、亡くなる前に前王からアベルへと王位は継承されていた。
そういうことなのだろう。
「言っておくが自分の子でもない子供に、自分の子と偽って王位を譲ろうとしたり、もしくは自分の子以外の子に王位を譲りたいと思うようなことは慎んだ方がいい」
「どうして?」
「お父さまから伺ったお話では、第一王位継承権の腕輪も、第二王位継承権を意味する腕輪も、王家直系の者しか身につけられないのだそうです」
「え?」
「もし王家直系の血を引く者以外が身につけると、全身黒焦げになって死んでしまうのだとか」
それはアベルがこの腕輪を譲る相手は、直接アベルの血を引いた子供でなければならないということだ。
自分の子供以外に譲ろうとしたら、その子は黒焦げになって死んでしまう。
アベルが殺すのだ。
それは……できない。
その方法を検討していたアベルは眼を伏せた。
「さてはその方法を検討していたな?」
瞳を覗き込まれてアベルはとっさに顔を背ける。
ケルトは大きなため息をついた。
「そんなに国王になるのがいやなのか?」
「いやだとかいやじゃないとか、そういうレベルですらない。俺はアベルなんだ。今更実は前王の子供でしたとか、あなたは世継ぎなので国王になってくださいなんて言われても頷けるわけがないだろ。第一」
「第一?」
「俺がそれを受け入れたらレイたちはどうなるんだ? ふたりともアンタの娘として、将来女王になるために頑張ってきたんじゃないのか?」
この言葉にはレイティアとレティシアが顔を見合わせた。
しかしなにも言い返しはしない。
ふたりとも王家の王女である。
自分たちよりも由緒正しい血筋の者が現れたら、その人が王位を継ぐべきだと思うから。
「国王になるためになにも勉強してこなかった俺より、女王になるために頑張ってきたふたりの方が王位を継ぐべきだろ。腕輪になんて拘らなくても」
「それはできないのだ、アルベルト」
言いかけたことを遮られて、アベルは不満を瞳に出す。
そんな甥にケルトは苦笑した。
「王位継承の腕輪は正当な物なのだ。それを無視して王位は継げない。その証拠にふたりの即位を臣下たちが認めていないのだ」
「え?」
驚いてふたりを見ると、ふたりは苦い笑みを浮かべていた。
「ふたりが第一王位継承権を意味する腕輪を受け継いでいないから、臣下たちはふたりが即位することを認めない。逆から言えば、だ。そなたはその腕輪をしているだけで即位ができる」
「そんなバカな」
そんな理不尽なことがあっていいのかとアベルは思う。
だが、ケルトたち親娘は至って真面目な顔をしていた。
彼らにとっては当たり前の事実らしい。
「それに国王になるための勉強ならこれからできるし、政とは王ひとりで行うものでもない。優秀な臣下たちをわたしが育んでおいたから、そなたはなんの心配もいらない。それにわたしもそなたが王として一人前になるまでは譲位する気もないし」
理路整然と言い立てられてアベルは言葉を失う。
そこにはどこにもアベルの意志がない。
それにあまりにレイティアやレティシアに悪い。
いきなり出てきたアベルが、ふたりからすべてを奪うなんて。
「ふたりのことを考えてくれるのか? だが、ふたりの問題はおそらくそなたにも降りかかるだろう」
「どういう意味なんだ?」
「つまり、だ。本来そなたが王位を継ぐべき場面で、臨時とはいえわたしが継いでしまったせいで、レイたちは王女を名乗っているわけだ。そこへ正当な王位継承権を持つそなたが出てきた場合、臣下たちはおそらくふたりのうち、どちらかとの婚約を進言してくるだろう」
「「「婚約っ!!」」」
3人の声がひっくり返る。
そんな3人にケルトは可笑しそうに笑う。
「ふたりは同等の王位継承権を持っている。おそらくそなたと婚約する方に、わたしはこの腕輪を譲ることになるだろうな」
「第二王位継承権の腕輪、か」
アベルはまだ赤い顔のまま唸る。
そんなこといきなり言われても困る。
それはまあふたりは可愛いが、それとこれとは別である。
結婚相手くらい自分で決めたいし、なによりも恋愛くらい自由にしたい。
これまでは可能だったことが、ケルト王の意見を受け入れると叶わないなんて、やはり認められないとアベルは思う。
なによりも今アベルがいなくなったら、この孤児院や教会はどうなるか。
それを思うとどうしても頷けないのだ。
それにアベルがこの孤児院に預けられた経緯も不明なままだし。
「俺はアベルだ」
「アルベルト」
「「アル従兄さま」」
「王位継承なんてくそ食らえだっ」
そこまで言ってアベルはそっぽを向いた。
やはりこうなったかとケルトは顔をしかめる。
彼の境遇や現在立たされている立場を思えば、素直に認めない気はしたのだ。
まだここまで素直に説明に耳を傾けてくれただけマシな方だろう。
説明の途中で追い出される覚悟もしていたし。
「まあ、いい。時間はまだたっぷりある。これからそなたを説得していけば済む話だ」
「いくら説得されても俺の答えは同じだ。王位なんて継がないし、そんなこと知ったことじゃない」
「そなたが真実、兄上の子供なら、いつまでもそんなことは言っていられなくなる」
「勝手に決めつけないでくれ」
「いや。兄上の子だからこそ、今素直に受け入れないのだろう。それがわかるからわたしは気長に説得するつもりだ」
諦めないという意思表示にアベルは迷惑そうにケルトを見る。
内心では兄の子が生きていたことを知ったときの、ケルトの様子を思い出して胸が痛かったけれど。
ケルト王の好意は本物だ。
わかるからアベルは迷惑そうな顔を崩すことができなかった。
自分が育った孤児院や教会に住む家族のために。
そして自分のせいですべてを失い、結婚まで左右されるかもしれないレイティアやレティシアのために。
「どうしてレイ様までがここにいるの?」
刺々しく文句を言ってくるのはマリンだ。
まあそれも当然だろう。
護衛対象がいきなりふたりになったのだ。
女の身で護衛騎士なんてやっているマリンにとってはいい迷惑だろうから。
責められたアベルは食事の席で肩を竦めてみせる。
国王がお忍びでここにきたことはマリンも知っている。
フィーリアからレティシアの父親がきたと知らされたからだ。
そのときマリンはちょうど国王への報告のため、宮殿に戻っていたので留守だったのはそのせいかと呆れたが。
が、何故かそれ以来レイティアもここにいるのだ。
アベルに訊いてもレイティアたちに訊いても埒があかない。
マリンが怒るのは自分はふたりの王女の専任護衛騎士なのに、この事態についてなにも詳しいことを知らされていないからである。
国王が戻ってくるのをじっと城で待っていたマリンが言われたのも、「レイティアは孤児院にいる。悪いがふたりの護衛をよろしく頼む」という内容だった。
事情はなにも聞いていない。
どうしてレイティアまで孤児院に行かせたのか。
マリンは王に問いかけたが、それについて返ってきたのは「秘密だ」という、楽しげな王の声だけだった。
事後承諾というこの状況が気に入らない。
おまけに1番気に入らないのは、どうやらアベルは詳しい事情を知っていそうだと読み取れることにあった。
何故ならレイティアが滞在することについて、唯一疑問視をぶつけなかったのがアベルだからだ。
アベルはこの件について問われると、ただ困ったような顔で肩を竦める。
それが気に入らないのだ。
「そう睨むなよ、マリン。俺だってあの人にレイは連れて帰れって言ったんだ」
「アベルはそんな恐れ多いことを言ったの!?」
驚愕するマリンに「やっぱり宮仕えしていると、こういう反応だよなあ」とアベルは内心で呆れる。
それを思えば自分は初対面から、ずいぶんな態度だったかもしれない。
それでもケルトが怒らなかったのは、おそらく甥ではないかと疑っていたせいだろう。
愛されていることを疑いはしないけれども、この状況は正直嬉しくなかった。
マリンはぶつぶつと怒っているが、1番怒りたいのは実はアベルなのだ。
なにしろ、あの規格外の王様は城へと戻るときにこう言い置いたのだ。
『そなたの言い分はわかった。だが、わたしの言っていることが紛れもない事実であることは確認済だ。いずれ間違いなくそなたとレイたちとの婚姻についての問題は持ち上がるだろう』
これについてアベルは「勝手に決めつけるなっ!!」と怒ったが、アベルの怒りなど怖くもない王様はシレッと言ってのけた。
『レティシアはここにいるからいいとしても、レイティアと全く面識をもてない現状はさすがに困るだろう?』
「困るわけないっ!!」とアベルは言い切ったが、唯我独尊の王様はサラリと無視した。
『そなたが自由に結婚相手を選べるように、レイティアもしばらくここに滞在させよう』
ふたりのあいだから結婚相手を選ぶことを前提にしている王様に、アベルは思わず「それって自由っていうのか?」と突っ込んだが、これも見事に無視された。
あまりに自由意志を無視されるので、アベルは帰城しようとしていた彼を捕まえて訊いてみた。
『アンタ。自分の娘を政略結婚させるのに全く疑問を抱かないのか?』と。
するとケルト王は振り返り、それは嬉しそうに笑った。
『他の貴族の子弟が相手だったならお断りだな』
『だったらっ』
『だが、相手がそなたであれば否やはない』
あのとき、眩しいほどの笑顔で断言され、アベルはついに言い返せなかった。
『むしろ兄上の唯一の忘れ形見であるそなたを他の貴族の令嬢に奪われる方が許せない』
これにはアベルはなにも言い返せず、ただひたすら口をパクパクさせた。
『わたしはな、欲しいものは絶対に手に入れる主義だ。今はなによりもそなたが欲しいから、そなたの結婚相手がわたしの娘以外の貴族の令嬢に決まるくらいなら、臣下たちの思惑に乗るのもためらわない』
要するにアベルを他の令嬢に奪われるのはいやだから、自分の娘に奪わせるということである。
さすがにあんぐりと口を開けてしまった。
この王様はなにを言い出したんだ? と。
アベルを自分の息子にするために臣下たちすら利用すると言い切られたのである。
ある意味で恐ろしいほどの執着だ。
アベルは呆れるのと同時に背筋が寒くなった。
この王様から本当に逃げられるのかどうか、自信がなくなってきたからだ。
しかしやはり彼も人の子。
立ち去り際にこう言い置いた。
『それに娘たちにも否やはなさそうだ。さすがに姉妹で奪い合うになるのは頭が痛いが』
この発言にはふたりの方が慌てていた。
アベルはなにも言い返せずに赤くなって俯いただけだが。
と、いうわけでレイティアは孤児院への滞在が決まったのだ。
国王の決定ではだれにも逆らう術がない。
アベルが彼の言うことを認めたら、もしかしたら意見する権利くらいはあるかもしれないが、現国王である彼を無視することは難しいだろう。
そんな理由をマリンに言えるわけがない。
どうやら国王にもなにも教えられなかったらしいマリンが、あまりにぶつぶつと愚痴るのでアベルとしては肩を竦めるしかなかったりするのだ。
「アベルはいつから隠し事をするようになったの?」
もうひとり刺々しい女性がいた。
エルだ。
アベルは困ったような視線を向ける。
「彼女まで預かる金銭的な余裕はウチにはないのよ? どうして勝手に引き受けたの?」
「そのことなら……マリン」
アベルに視線を向けられ、マリンは渋々席から立ち上がり彼女に近づいた。
シスター・エルがじっと見詰めていると、彼女の目の前にマリンがカバンを置く。
とても重そうなズシリという音がした。
だれもが息を飲んでその光景を見ている。
「おふたりの父上様が迷惑をかけるのだからと、おふたりの滞在のためにこれを用意されました」
「アベル!! 寄付金を受け取ったの!?」
血相を変えるシスター・エルにシドニーも顔色を青くする。
彼女の怒りが見えたからだが、同時に寄付金にしても、常軌を逸しているような金額であることがわかったからだ。
「寄付金じゃないよ。生活費」
「どっちにしても寄付金じゃないっ。貴族からでしょうっ!? どうして受け取ったのっ!?」
「いや。だから、寄付金じゃなくてふたりを預かるに当たっての生活費だってば、エル姉」
「生活費にこんなに必要っ!?」
バンッとテーブルを叩くシスター・エルにアベルも困る。
アベルもやりすぎだと言ったのだが、王様はあっさりこう言ったのだ。
『だが、そなたがいなくなったとき、この孤児院も教会も生活に困窮するのだろう? シスターが寄付金を受け取らないことは聞いたが、このくらいの額は受け取っておくべきだ。そなたがいなくなったとき、子供たちが餓死してもいいのか?』
と。
いなくなるような事態にはしないつもりだが、あの王様が相手だとそう断言することもためらわれて、結局アベルは押し切られたのだ。
しかし後でマリンに持ってこさせるからと言われたときは、正直ここまでの大金だとは思っていなかった。
エル姉を説得できない気がして不安だったが、やはりこうくるか。
王様はやはり金銭感覚が普通じゃない。
王になる前は庶民に紛れて暮らしていたらしいが、あの王様に平民の暮らしなんてできたのかと疑っていた。
「あの……シスター・エル」
レイティアが口を開いて、エルはなんの罪もない彼女を睨んだ。
睨まれてもレイティアは怯まないけれど。
「どうして生活費がその金額になったのかについては、いずれわかっていただけると思いますので、今は黙って受け取っていただけないでしょうか? 父も必要だと思ってしたことですし」
「本当に寄付金じゃないの?」
「違います。純粋に生活費です」
言い切るレイティアにエルは、ますますふたりの出自を疑うのだった。
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