第12話
「はあ……」
このところ、アベルの口からは絶え間なくため息がこぼれるようになっていた。
それというのもこの頃、ほぼ毎日のように王様に付きまとわれているからだ。
さすがに1日中ということはないのだが、1日に一度は彼は顔を出しにくる。
そうして首を縦に振らないアベルを説得するのだ。
「王宮は楽しいぞー」というどこから聞いても、子供を相手にしているような誘い文句から始まって、この頃はネタが尽きたのか、とんでもないことを言ってくる。
なにしろ「レイは実は着痩せするタイプでな。あれで結構胸がデカイ」だの、「レティは身体のバランスがとてもいい。我が娘ながらプロポーションは抜群だ。レイには胸の大きさでは負けているが」とか。
レイやレティが聞いたら真っ赤になること請け合いのことを言い出している始末だ。
始めの頃はまだ聞きやすかった。
ふたりの話題といっても幼い頃のことが多かったし、微笑ましい親娘の思い出話として聞き流せたのだ。
だが、最近耳に吹き込まれる内容は……エロイ。
やめてほしいほどエロイ。
聞いている方が恥ずかしくなる類の話ばかりだ。
最初にそういう話題を振られたとき、さすがにふたりが可哀想になって、アベルは慌ててケルトを止めた。
しかし当の本人はケロリとして言ってきた。
「聞きたくないのか? そなたの結婚相手の話だぞ? 結婚相手のそういう話題は聞きたいだろう? 男なら」
と、平然と言われた。
これには冷や汗を掻いたものだ。
別に否定はしない。
アベルだって男だから、これが自分で選んだ結婚相手の話題なら、婚約者の父親からそういう話題を振られること自体は別に抵抗はない。
男同士の内緒話というやつだ。
娘の知らない世界、というものだから特に拘りはない。
だが、結婚相手というのは今のところケルトひとりが決めていることで、アベルは別に認めていない。
本人たちの前で言うと魅力がないと思っているのかと言われそうで、特にアベルはいやがる素振りを見せない。
しかし実際のところは結婚相手だなんて認めていないし、百歩譲ってそういう関係だとしても、本人が了承しないあいだは、ケルトの常識で言っても従兄妹同士だ。
従妹のそういうエロイ話を、だれがこっそり聞きたいと思うのか、ケルトには是非説明してほしい。
そもそも従兄妹同士だという自覚すらアベルにはないのだ。
まあ認めていないということも勿論あるのだが、それ以上に従妹として過ごしてきた時間がないので、どうしても従妹だと思えないのである。
そういう意味なら血の繋がりのないフィーリアやエル姉の方を、よっぽど家族だと認めているよな、と、アベルはしみじみと実感している。
例えばふたりの着替えの場にたまたま居合わせてしまっても、アベルは特に焦ったりしないだろう。
意識も……おそらくだがしないはずだ。
だが、これがレイやレティだったら、たぶん冷静ではいられない。
女の子として見てしまうから、慌てて謝罪するはずだ。
つまり血の繋がっている感覚がない、ということである。
それで散々ふたりのエロイ話を聞かされるというのは、アベルにとって精神的な苦痛だった。
特に肉体について言われると、どう反応したらいいやらケルトを恨みたい気分だ。
それでも父親かと彼を責めたい。
アベルならフィーリアのそういう話を他の男、特に恋愛感情を抱いているだろう相手には言いたくない。
妹を嫁にやるって複雑な気分だろうなと思っていただけに、ケルトの言動はいちいち腹が立つ。
しかもかわしてもかわしても彼はめげない。
アベルが首を縦に振るまで諦めないと断言しているほどだ。
そのせいで最近は気を抜くとため息が出る。
「はあ。あの人をどうにかして撃退できないかな? それとも俺が折れるまで、どうやっても撃退できないのか?」
こんなことを愚痴っていても意味はないと思うのだが、現状があまりに気が重すぎて、ついそんなことを口走ってしまう。
王様がこう度々王都にお忍びにきていたら、そのうち臣下たちだって疑問を抱くだろう。
王様がどこに行っているのか知ろうとするだろう。
そうしてもし……万が一だが、アベルのことがバレてしまったらどうなる?
この暮らしもそれまでなのだろうか。
アベルは容姿が前王にそっくりらしいので、王がアベルに逢いにきていることがはっきりしたら、おそらくその意図は掴まれる。
そうなるとさすがにごまかせないだろう。
王に連れ戻してくれと進言するかもしれない。
もしそれが孤児院のみんなの耳に入ったら……。
ブルルと慌てていやな想像を振り切った。
「自分から負けてどうするんだ? 家族を守るために俺が頑張らなきゃ」
生活費としてかなりの大金は貰った。
それこそ生涯遊んで暮らせるほどの額を。
だが、お金というものは幾らあってもありすぎるということはない。
孤児院に人が増えれば、それだけ必要な生活費も増えるし、あそこは教会でもあるから、教会の維持費も必要だ。
エル姉が寄付金を受け取らないかぎり、生活は困窮しつづける。
「俺がやらなきゃ。こんなことに巻き込まれてる場合じゃないっ」
気合いを入れて両手で頬を叩くとアベルは立ち上がった。
ここ最近サボってばかりだったので、仕事でもしようかと竪琴を手に取ろうとしたときだった。
「あれは……」
少女がひとり追われて走っているようだった。
人混みを縫うようにして走っているが、その脚はお世辞にも速いとは言えない。
追い付かれるのは時間の問題だ。
アベルは「やれやれ」とため息をついて、竪琴を手に人混みに紛れた。
「ダメッ。もう追い付かれるっ」
そう絶望的な声をあげたとき、角から出てきた手に腕を掴まれた。
「キャッ」
声を上げそうになった口を大きな手に塞がれる。
ドキドキしながら視線だけ向けると、栗色の髪に空色の瞳をした青年だった。
(素敵な人)
思わず見惚れる。
「追われてるんだろ? 黙ってついてきてくれ」
そういって青年は腕を解放すると背中を向けた。
一瞬迷ったがその瞬間、追手の声が聞こえてきた。
「どこだっ!?」
「バカがっ。見失っている場合かっ!? 逃げられたらどうなるかっ」
焦っているらしく今捕まったら、乱暴でも振るわれそうで慌てて青年の後を追った。
青年はよくわからない幾つもの路地を曲がり、やがてどことも知れない通りに出るまで案内しつづけてくれた。
人気がなくなってから足を止めてようやく振り向く。
「なんか乱暴そうなのに追われてたから、思わず助けたけど……どうして追われてたんだ?」
「……えっと」
どう答えるべきか悩んでいると、青年は困ったようにこめかみを掻いた。
その仕種がやけに幼くみえて可愛い。
「ごめん。名乗らないと俺の方が怪しい奴だよな。俺はアベルっていうんだ。きみは?」
「わたくしは……リアンと申します」
「あ。この口調……マズッたかも」
「あの?」
「ズバリ訊くけど貴族だよな?」
いきなり面と向かって指摘され答えに詰まる。
「はあ。やっぱりそうかあ。だったらさっきのって実家の追手? 家出?」
次々答え導き出す青年に答えが出ない。
言わなくてはいけないことは、すべて言われてしまったみたいなものだし尚更。
「と、なると出てくるな。あの人が」
「あの人?」
「ああ。こっちの話。とりあえずついてこいよ」
「えっと。どこへ?」
「おそらくきみの知り合いだろう人たちのいるところ。でも、安心すればいいよ。貴族の屋敷ですらないから」
「?」
疑問符はあったがリアンはそのままアベルについていった。
親切にしてくれた人を疑うような教育は、彼女は受けていなかったので。
「フィーリア。レティたちはどこだ?」
「ん? 裏庭で花壇の手入れをやってるよ。意外なことにふたりとも、花の手入れは花屋クラスなんだよね。萎れかけた花もキレイに咲かせるんだもん。すごいよ」
「そっか。じゃあちょっと行ってくる」
「お兄ちゃん、その人は?」
「あー。たぶんあのふたりの知り合いじゃないかな?」
大きいが貧相な建物に入ってすぐに青年は小さな少女とそういう会話を交わすと、リアンを連れて裏庭に向かった。
裏庭では金髪を背中で纏めた少女がふたり、セッセセッセと花壇の世話をしていた。
似たような格好をしていて、リアンには知り合いではないように見える。
その背中に向かってアベルは声を投げた。
「レイ。レティ。ちょっとこっちを振り向いてくれないか?」
「「はい?」」
そう声を投げて振り向いたふたりは泥だらけだったが、リアンには見慣れた顔だった。
「レイティア様っ。レティシア様っ!!」
感激のあまり抱きつく。
ふたりは驚いた顔でリアンを受け止めてくれた。
「「どうしてリアンが……」」
「やっぱり知り合いかあ」
「「アル従兄さま?」」
「ごめん。俺、失敗したかもしれない」
「「どういうことですか?」」
「その娘、街中で乱暴そうなのに追われていてさ。ついとっさに助けたんだ。そうしたらどうも家出みたいで、追いかけていたのは実家の追手みたいだったな」
「アル従兄さま……」
レティシアが頭を抱えれば、レイティアは呆れ返って従兄を責めた。
「その考えなしに動く一面は直さなければいけませんわ。従兄さま」
「だってそんな華奢な女の子が乱暴そうなのに追われていたら、普通は女の子の方を助けないか?」
アベルが膨れればレイティアがジロリと彼を睨んだ。
「リアンが可愛かったから助けただけでしょう?」
「レイ。キツイ。そもそもそういう意図はないっ!!」
ここしばらくのやりとりで多少は距離の縮まった3人である。
ただしふたりにしてみれば、アベルは婚姻を意識する相手である。
決してそれを忘れて接してるわけではない。
だから、こういう嫌味が出てしまうのだ。
アベルがふたりを意識していないから、尚更かもしれない。
しかしリアンにしてみれば意外な場面だった。
レティシアは深層の令嬢という言葉がしっくりくるような王女だったし、レティシアは毅然とした一面の強い自立した王女だった。
それが泥まみれでこんな貧相な場所にいる。
違和感だらけなのにその上にひとりの青年と親密に振る舞っているのだ。
意外なことこのうえなかった。
しかも聞き間違いでなかったら「にいさま」と呼んだ。
どういう意味かは知らないが。
思わず抱きついていたのも忘れ、ふたりを覗き込むと心配そうな銀の瞳が覗き込んでいた。
「リアン。一体どうしたの?」
「おとなしいリアンがどうして家出なんてしたの?」
「レイ様やレティ様の方こそ。最近、王宮ではおみかけしない日が続いているとは思っていましたが、このような場所にいらっしゃるとは存じませんでしたわ。一体どうして?」
「そのことはいずれお父さまから説明があるでしょう。今はあなたのことよ。一体なにがあったの?」
「レイ様」
心配そうに言われて涙が溢れてきた。
頼れる王女たちがいなくて家出してきたリアンである。
王女と宮廷で逢えるなら相談したかったのだ。
「父様が……」
「リドリス公?」
「宰相がどうしたの?」
ここまでのやりとりを聞いて、アベルはこっそり青ざめた。
リドリス公爵?
しかも宰相?
その令嬢を連れてきてしまったって……言い訳が通る状況なんだろうか。
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