第9話


 詳しい事情を話したいから……と、アベルは半ば強引に弧児院に案内させられていた。


 涙まで浮かべて感激してみせた王様は、何故か感激が収まると急に笑顔になり、戸惑うアベルやレティシアたちを連れて、半ば強引に弧児院に案内させたのだ。


 最初は尤もらしい理由を使っていた。


 曰く、


「レティシアがどんなところで働いているか興味がある。案内してくれないか?」


 という話で当のレティシアが恥ずかしいからこないで、と拒絶するとなぜか今度はレイティアに同意を求めた。


「レイだってレティがどういうところで働いているか興味があるだろう?」


 とかなんとか同意を得ようとする始末。


 レイティアはレティシアを預けるとき、貴族に偏見がありそうなシスター・エルを思い出して、このときの父の言葉にはこう答えた。


「でも、せっかくレティが自立しようと自分ひとりで頑張っているんですもの。お父さまが顔を出さない方がいいわ。子供の仕事場に親が顔を出すのは、あまり好かれませんから。レティが親離れできていないと思われますわ」


 ふたりの娘に揃って反論された王様は、それはそれは拗ねてみせた。


 ブツブツブツブツと愚痴りつづけ、それでも認めてもらえそうにないと悟ると、ついに開き直ってこう言った。


「……わたしはアルベルトが、アルが育った場所を見たいんだ。そんなに邪険にしなくても……」


 大の大人がそれも一国の王様が、子供たちにつれなくされたと拗ねるのだ。


 アベルは呆れてしまって、なんでもお好きにどうぞ、といった気分になった。


 娘ふたりはまだ納得していない風情立ったが、問題の当事者であるアベルが投げやりとはいえ認めてしまったので、仕方なく父親のワガママを受け入れた。


 そうして現在、4人は弧児院の前にいる。


「ふうむ。ここがアルが育った場所か。なかなかに風情のある建物だ」


「はっきり言っていいよ、オンボロだって」


 アベルがそういうとケルト王は困った顔になり、やがて諦めたのか堂々とこう言った。


「言ったら悪いかもしれないが、確かに貧相な建物だ。これで嵐に耐えられるのか?」


 この國は火山はないし地震も滅多にないが、そのかわりといってはなんだか、実は台風やハリケーンなどが多いのだ。


 それに海も近いので洪水や津波も多い。


 この国に住んでいれば当然だが、それらに備えなくてはならない。


 アベルの育った弧児院は、そういう意味でいつも問題を抱えていた。


 それをなんとかしていたのもアベルである。


「お父さま、アベルさんってすごいのよ?」


「ふむふむ。どうすごいのだ、レティ?」


「嵐に備えて孤児院や教会を修繕するお金も、すべてアベルさんが用立てているの」


「ほう。それはすごい。一体どうやって? かなりの額になるのだろう?」


 ケルトも王なので実際のところ、金銭的なことには疎いのだが、これだけ大きな建物なら修繕などでかなりの金額が必要なことは想像がつく。


 もしやクレイが彼に遺産でも遺したのかと思ったが、レティシアの説明は意外なものだった。


「アベルさんってとても優れた吟遊詩人なの。孤児院や教会の維持費も日々の生活費もすべてアベルさんが用立てているのよ。どう? すごいでしょう?」


「それは……今彼がいなくなると、ここに住む人々は生活に困窮するということか?」


 困惑気味の声にレティシアはため息をつく。


「この教会のシスター・エルは、とても貴族をきらっていて、寄付金なども受け取らないそうなの。そのせいでいつも困窮していた生活を立て直したのがアベルさんらしいのよ。いなくなったら困窮するどころではないでしょうね、きっと」


 それは遠回しに餓死の可能性もあると言っているのと同じだった。


 まさかそんなこととは思ってもいなかったケルトは言葉を失う。


(わたしのやろうとしていることが、まさかそんな意味を持っていたとはな。だが、現実に彼はもうここにはいられない。それとも今動き出すには時期尚早ということなのか? 今彼に事実を打ち明けても受け入れない気がする)


 ケルトが彼を見るとアベルはなにか言いたげな顔でこちらを見ていた。


(やっぱりケルト王は、俺の生活を根底から変えかねない秘密を知っているのか? だから、今その話を聞いて顔色が変わった?)


 問うには怖い問いを胸にアベルは孤児院の中へと入った。


 その後をケルト王が娘たちを連れて入っていく。


(うーん。本当に貧相だ。彼がここで育ったというのは将来的には助かるのだろうが、わたしとしてはあまり歓迎できないな。王としては喜ばしいことだが)


 これからのためには役に立つ得難い経験だ。


 だが、個人的にはやはり喜べない。


 孤児院の中に入ってすぐにアベルを呼ぶ幼い声が聞こえてきた。


「おかえりなさい、お兄ちゃんっ!!」


「ただいま、フィーリア」


 当然のように頭をなでるアベルに、ケルトは首を傾げる。


「彼には妹がいるのか? いや。だが」


「アベルさんの孤児院仲間みたいな関係よ、お父さま。本当の兄妹ではないわ」


「そうなのか」


「孤児院で育つと年上のことは兄、姉と呼ぶようね。それと同じように年上の者も年下の者を実の弟や妹として扱う。そういうことらしいわ、お父さま」


 ふたりの娘からの説明にケルトは複雑な気分になる。


 実の兄妹のように振る舞うふたり。


 だが、その関係を自分が壊すのだ。


 そう思うと罪悪感が沸く。


「お客さんを連れてきたの? ひとりはこのあいだきたレティさんのお姉さんだよね? もうひとりのおじさんは?」


 フィーリアにおじさんと呼ばれ、ケルトがイジける。


 そんな王をチラリと見て、アベルはフィーリアに笑ってみせた。


「ふたりの父さんだよ。レティがどうやって働いているか知りたいから。そう言われて連れてきたんだ」


「ふうん。お兄ちゃんって本当に顔が広いよね。驚いちゃう」


「エル姉は?」


「教会だよ。懺悔にだれかきたみたいで、しばらく近づかないでって」


「へえ。最近多いよな、懺悔」


 前はそれほどでもなかったが、最近特に増えた気がする。


 エル姉に訊いても大したことじゃないからとしか言わないけど。


「アル。そろそろそなたの部屋に案内してくれないか?」


「ホントにそれしか用事がないんだな、アンタ」


 呆れたように言ってアベルは3人を連れていこうとしたが、説明と違う行動にフィーリアは疑問を抱いたようだった。


 通り過ぎようとした4人を振り返る。


「お兄ちゃん」


「なんだよ?」


 振り向いたアベルが問いかける。


 まっすぐなフィーリアの視線がアベルを貫いた。


 ちょっと息を飲む。


「アルってもしかしてお兄ちゃんのこと? どうしてレティさんたちのお父さんが、お兄ちゃんの部屋に行きたがるの?」


「俺がレティの部屋には行けないって言ったからだよ。今はレティはフィーリアと同室だろ? それで俺が立ち入りは遠慮してくれって言ったんだ」


「そんなこと気にしなくていいのに」


「でも、フィーリアの私的空間だから、できるだけそっとしておいてやりたかったんだ。それで孤児院にきたら、俺の部屋に案内することになっててさ」


「部屋のことはわかったけど、お兄ちゃんをアルって呼ぶのはなんで? お兄ちゃんはアベルだよ?」


 アベルはここにきた当初こそ、自分のことは「アルベルトだよ」と名乗っていたが、すぐにクレイ将軍に諌められていた。


 そのおかげで実際にアベルが自分のことを「アルベルト」と名乗っていたことを知っているのは今ではシドニー神父くらいだ。


 シスター・エルはその頃はまだ健在だった両親と一緒に住んでいて、この教会にはシスターの勉強を兼ねてくるくらいだったので、当然だがアベルがそう名乗ったことは知らない。


 知っていたらアベルへの態度は、最初は絶対にぎこちなかっただろう。


 さて。


 どう答えようかと思っていると、ケルト王が自然な態度で口を挟んできた。


「本当はアベルという名なんだろう? だが、アベルという名のいとこがわたしにいてな。それでアルと呼んでいいかと本人に訊ねたら許可が出たというわけだ」


「ふうん」


 フィーリアは納得したものの不満そうな顔だ。


 それなら理由として理解できるが、アベルに対して失礼だと思ったから。


 いくら同じ名のいとこがいても、それでアベルの名を変えようとするなんて横暴だ。


 そんな感想を読み取ってくれたのか、アベルが頭を撫でてくれた。


「そんな顔するなよ、フィーリア。俺は気にしていないんだから」


「でも」


「それに俺は別にアルでもいいんだよ」


「どうして?」


「俺は昔はアルと呼ばれていたらしいから」


「お兄ちゃん?」


 フィーリアの怪訝そうな顔にアベルはやるせない顔で笑う。

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