40.〈白亜の聖女〉レスターディアⅡ

「改めて、〈白亜の聖女〉レスターディアだ。……ディア、って呼んでくれてもいいぜ?」


 第一印象でいえば、レスターディアの立ち振る舞いはアンゼとよく似ていた。

 丁寧な物腰で言葉遣いも上品、常に清らかな微笑みをたたえていて、一挙手一投足に奥ゆかしさがあって。世の人々が『聖女』と聞いて思い描く人物像をそのまま現実にしたのが、まさしくレスターディアなのだろうと思わせられる説得力があった。

 しかし、いま目の前の彼女は。


「適当に楽にしてくれよー。今度は誰も見てないからさ」


 礼拝堂の長椅子にふんぞり返って、気だるげな顔で肩を回したり上に伸びをしたりしている。言葉遣いもなんだか少年みたいになって、先ほどまでの気品ある佇まいが完全に消滅してしまっている。

 ……本当にどちら様?


「とりあえず座ったら?」


 レスターディアが自分の隣をてしてしと叩く。そこに座れと?


「いや、俺は」

「あー? 聖女様のお願いが聞けないってんのかー? なんだてめー」


 いくらなんでもいきなりフランクすぎるだろ! 同じクラスの男子高校生か俺らは!


「なんだよ、さっきからぼけっとして」

「……すまん。さっきまでと別人すぎて、頭が追いついてない……」


 えーと……つまり先ほどまでの彼女は、聖女としてふさわしい印象のために猫を被ってたってことか? それ自体はまあ、神の化身と謳われても聖女だって立派な乙女である、世間体を気にしてオトナっぽく振る舞おうとする一面があったって不思議ではないだろう。


 ただ問題は、あまりに別人すぎる落差でこっちの脳がバグってしまいそうなのと、一体全体どういうつもりなのか、その猫被りを俺と二人きりになった瞬間あっさりとやめたことで。

 レスターディアはにっといたずらな笑顔を見せ、


「びっくりした? 結構上手く猫被ってただろ?」


 座ったまますっと背筋を伸ばし、祭服のスカートをつまんで上品に会釈して、


「わたくし、〈白亜の聖女〉レスターディアと申します。どうかお見知りおきを……」

「おお……」


 いや本当に、二重人格でもおかしくないくらいの変わりようである。単純な雰囲気はもちろん、顔つきや声の印象までぜんぜん別人じゃないか。女の子の猫被りってすげえ……。

 そうこう思っているうちに、レスターディアはまたふんぞりかえって、


「まあ、いわゆる『聖女モード』っていうか? さすがにお勤めやってるときまでこの感じだと、聖女として問題あるからさ」

「……俺の前ではいいのか?」

「なんか、あんたとは気が合いそうだなーって思って」


 なにゆえ。無愛想で口下手でコミュニケーション能力貧弱な俺の、いったいどのへんにシンパシーを感じたんだろうか。そして天下の聖女様から「気が合いそう」なんて言われた一般人の俺は、いったいどう反応するのが正解なんだろうか。

 返事に困っていると、無邪気なレスターディアの笑顔にふと不安げな影が差した。


「……あ、あのさ。もしかして……結構幻滅してたりする? や、やっぱりこんなの、女らしく――」

「ああ、悪い。そういうことじゃなくて」


 いかんいかん、俺が無愛想すぎるせいでまたいらない誤解をさせてしまった。

 別に、二重人格レベルの異次元な猫被りを見てドン引きしているわけではないのだ。こちとら師匠の師匠モードと幼女モードの反復横跳びに長年付き合ってきたベテランだからな、この程度で印象を悪くするほどチンケな人間ではない。


 ただ……ほら、そっちが教会のトップに君臨する聖女様なのに対して、こっちはただのしがない一般人なわけで。生まれも身分もあまりに違いすぎるわけで。そんな道端の石ころ同然のやつが、聖女様のこのノリに付き合ってもいいのだろうか。「じゃあよろしく頼むわハハハ」なんて隣に座った瞬間、不敬罪で異端審問されたりしないだろうな?


「……あとになってから不敬罪とか、なしだからな?」

「ないない、絶対ないって。友達待遇ってことで」


 おい聖女様、こっちはただの一般人だって! なんでもう友達認定されてんだ!


 俺はチクチクとした胃の痛みに堪えながら、内心ため息。ともかく、こうなった以上はさっさと切り抜けてしまうのが一番かもしれない。下手に口答えして、〈銀灰の旅路シルバリーグレイ〉の印象まで悪くしてしまったら嫌だしなぁ。これだから『高貴な人々』ってのに関わるのは好きじゃないんだ、胃が重いったらありゃしない……。


 意を決して、レスターディアの隣に座る。


「あ、」

「……改めて、ウォルカだ。まあその、よろしく頼む」


 レスターディアは少しのあいだだけ間の抜けた表情をして、それからみるみる笑顔の大輪を弾けさせると、


「そ、そっかそっか! やっぱり気が合うじゃんかぁ、ありがとなっ!」

「いって」


 まるで肩を組むように急接近して、俺の背中をバシバシと遠慮なく叩いてくるのだった。ス、スキンシップまでお構いなしか。聖女として大切に育てられた弊害なのか、異性に対してちょっと距離感がおかしいんじゃないか? 完全に同性と同じ感覚で接してるというか……。

 しかし、レスターディアの急接近はまだ収まることを知らない。


「じゃあ、おれのことは『ディア』でいいから」

「……いや、それはさすがに」

「ディア」


 俺の傍にぐいと顔を近づけ、赤い瞳でお手本のようなジト目を作って、


「ディアって呼べ。ディー、アーっ」


 俺は確信した。この子、異性に対して完全に距離感バグってるわ。


「……わかったよ、ディア」

「うむ、苦しゅうないぞー。ふふっ」


 満足そうにはにかむレスターディア――改めディアからは、本来乙女として持っているべき心の距離がほとんど感じられない。なんらかの理由や意図があるわけではなく、これがディアという少女の素の性格なのだ。


 うーむ、ここまで男に無警戒だとさすがにちょっと心配だな……。クソデカ善意の塊であるアンゼの方がまだしっかり者に見えるくらいだ。聖女様なら教会のトップとして他国の要人と会談する機会もあると思うんだけど、悪い大人に騙されたりしないんだろうか。


「で、話なんだけど」

「ああ」

「まず、軽い話からするな」


 どうやら重い話もあるらしい。とても帰りたい。


「今回の件で、あんたの情報をギルドからもらったりしたんだけどさ。……王都の生まれなんだってな」


 言葉尻に、「よりにもよって王都かぁ……」という渋い感情が込められているのを感じた。そういえば、聖都と王都――もとい〈聖導教会クリスクレス〉と〈魔導律機構マギステリカ〉は仲がよくないんだったな。聖女様も、向こうのことはあまり快く思っていないようだ。

 で、それがどうしたのかといえば。


「なんてーか……将来は、王都に帰ろうとかさ。そういうのって考えてる?」

「……?」


 ……どういうこと?

 いや、質問の意味はもちろんわかる。意味はわかるのだが、意図がわからない。聖女様がそんなことを訊いてどうするんだ。

 とりあえず、隠すようなことでもないので素直に答える。


「今は考えてないな」

「へ、へえ……」


 ディアは興味深そうにして、


「故郷だろ? 普通は恋しくなったりするもんじゃねえの?」

「んん……」


 両親が死んですぐジジイに引き取られたから、俺が王都に住んでいたのは四~五歳くらいまでの話だ。しかも成長につれて当時の記憶がどんどん薄れてしまい、今はもう故郷という感覚すら希薄になりつつある。


 それに俺たちのパーティって、アトリ以外は王都に対していい印象を持ってないんだよな。


 師匠は〈魔導律機構マギステリカ〉と完全に袂を分かっているし、ユリティアも当分実家とは関わりたくないみたいだし。俺としても昔はさておき、『原作』を思い出した今となっては極力近寄りたくない都市の筆頭だ。


 〈魔導律機構マギステリカ〉が次々生み出す魔導具によって輝かしい発展を続ける王都は、単に生活するだけなら便利で快適な都市なのだろう。しかしそれらの革新がなんの代償もなく、突然地面からポコポコと生えてきているわけでは断じてない。魔法の研究が盛んな王都には、あまり表沙汰にはできないダークな実験を繰り返しているという裏の顔が存在しているのだ。


 具体的には、罪人を使った人体実験……とかな。

 あくまで罪人だけというのが救いだし、人類が発展していく上で避けては通れない道なのかもしれないけれど……まあ、聞いていて気持ちがいい類の話ではない。


 そしてなにより、王都は『原作』の舞台。今の俺からすれば、物騒なフラグがゴロゴロと転がる超危険ダンジョンも同じだ。

 どうしても行かなければいけない理由でもない限り、今はまだ近づくのは御免だな。同じ理由で、エルフィエッテの件も見送ったわけだし。


「俺も仲間も、王都にはいい印象がないからな。ちょっと立ち寄るくらいはともかく、あそこで暮らすことはないと思う」

「ふ、ふーん。そっかそっか……」


 ディアは、なんだか妙にほっとした様子だった。心配事がひとつなくなったような気の抜けた表情をして、


「じゃあ、死ぬまでずっと聖都で暮らしてくれるんだなっ」


 そこまでは言ってねえよ。


「ほら、あんたがいなくなったらアンゼが悲しむだろ? 聞いたぜ、あんたらの後援者パトロンになったって」


 なんでそれを聖女様が知って――と一瞬思ったが、別に不思議でもないか。アンゼはロッシュと同じく聖都の使者としてあの街に赴いたのだから、後援者パトロンの件含めたすべての出来事をしっかり教会に報告したということだろう。


「そういえば、シスターを後援者パトロンにするのって大丈夫か? まだギルドで手続きはしてないから、問題あるなら……」

「そのへんは気にすんな。手続きも教会でやっとくから、あんたはなにもしなくていい」

「それは……いいのか?」

「そっちの方が都合がいいんだ。あー……ほら、教会とギルド、どっちにも絡むからさ」


 なるほど、たしかに。俺もそのあたりの手続きがどうなるのかはまったくわからないし、有識者に任せておくのが一番か。


「ありがとう、助かる」

「あんたがなるべく不自由なく生活できるように、教会もサポートするからさ。あいつのこと、よろしくな」


 〈福禍ふっかの聖女〉ことアルカシエルもそうだったけれど、やはり聖女様は、〈摘命者グリムリーパー〉を討伐した俺に今後も聖都で暮らしてほしいと考えているようだ。くそう、まさか原作最重要ポジションにいたであろう聖女様から目をつけられてしまうとは……。


 だがたとえ原作知識のお陰だとしても、あの魔物を倒したのが事実である以上これはもう仕方ない。教会がサポートしてくれるのは願ってもないことなんだから、ここは潔く腹を括ってやるさ。


 どうせ、俺みたいなモブポジションが聖女様と関わるのも今回きりだろうしな。

 ……そうだよな?


「……それじゃあ、次は真面目な話な」


 ディアは長椅子の背もたれに重く体を預け、区切りをつけるように宙へ深く吐息した。


「〈ゴウゼル〉の踏破承認をしたパーティのこと、なんか聞いてるか?」

「ざっくりとは」


 パーティ名〈炎龍爪牙フランヴェルジュ〉。今回の事故を受けて、彼らが行った調査に問題がなかったかどうか明らかにするため、身柄を押さえられ『審判』待ちとなっている。

 なら話が早い、とディアは頷き、


「単刀直入に訊くぜ。……そのパーティのこと、どう思ってる? どうしてほしい?」

「……うん?」

「今はあんたの仲間もいない。……仲間の前だと、かえってなかなか言えないこともあるだろ? 正直に言ってくれていいぜ」


 ディアはなにやら目を細め、浅く両腕を広げて、


「おれだってこれでも聖女だからな、なんだって受け止めてやる。あんたには言う権利がある」


 ……え、なにこのめちゃくちゃシリアスな空気。


 ディアがまたしても打って変わって、まるで聖母みたいに優しく慈しみに満ちた眼差しをしている。俺を見上げる小柄な背丈以上に大人びていて、本当になんでも受け止めてしまいそうな包容力があって、ついつい本心をすべて曝け出したくなってくるような。甘えてしまいたくなるというか、抱き締めてもらいたくなるというか、そんな本能まで染み込んでくる深い慈愛の情を感じる。


 たとえ少年のような言葉遣いでも、それはまさしく聖女の名にふさわしい清浄たる姿だった。もし心に後ろめたい思いを抱えた人間だったら、この瞬間にはらはら涙を流して懺悔し始めたことだろう。

 俺も、場合によっては危なかったかもしれない。


「どうしてほしいもなにも……そういうのは、特にないが」

「は?」

「これから審判するんだろ? それで白黒はっきりさせてくれればいいさ」

「……え?」


 あいにく、この場で打ち明けたくなるような胸の内はないのである。むしろ、どうして突然シリアスな空気になったのかぜんぜんピンと来ないくらいだ。ディアはいったいなんの心配をしてるんだ?


「いやいやいや、本気で言ってんのかあんた!?」


 ディアは信じられない顔で俺を覗き込んで、


「だって……あんたがそんな怪我する羽目になったのは、そのパーティのせいなんだぞ!? だったら普通あるだろ……恨んでるとか、厳罰に処してほしいとか! なのにそんな、ひ、他人事みたいな……!」

「……あー、」


 なるほどそういう話か、と俺はようやく納得した。つまりディアは俺がそのパーティを恨んでいて、でも師匠たちの前では打ち明けられずに苦しんでいるんじゃないかと気遣ってくれたわけか。

 しかし、その心配は無用である。


「俺は別にそのパーティを恨んでないし、怒ってもないぞ」

「……、」


 シャノンのときも考えさせられたことではあるが、俺にとって〈摘命者グリムリーパー〉との戦いは、『原作』というレールの上にある不可避の運命みたいなものだった。それに、実際問題〈炎龍爪牙フランヴェルジュ〉の調査に過失があったのかどうかはさておいて、なにかが違っていれば原作のように全滅していたのはそいつらだったのだ。そうなればダンジョン〈ゴウゼル〉は、調査隊が次々帰らぬ人となる死のダンジョンとして、今ごろ多くの犠牲者を生み出していたかもしれない。


 要は、タチが悪いトロッコ問題みたいなもんなんだよな。俺の片目片足で済んだのをよしとすべきなのか。よしとしないのなら、代わりに〈炎龍爪牙フランヴェルジュ〉や他の誰かが惨たらしく殺されるべきだったのか――誰かが必ず貧乏クジを引かなければならなかった以上、答えなど出るはずもないジレンマなのだ。


 だから俺は誰も恨まないし、犯人捜しや責任の押し付け合いをしたところで俺の体が治るわけでもなければ、師匠たちのメンタルが元通りになるわけでもない。だったら不毛な話はやめにして、一日でも早く社会復帰を目指す方がよっぽど建設的ってもんだろ。


「向こうのパーティに過失があるのなら、規則に則って罰する。過失がないのに不当な非難を受けているのなら、聖都として名誉を守ってやる。そのための審判だろ? 俺だけ特別扱いは必要ない」

「……」


 過失があるのに罰さないのは当然問題だけど、過失がないのに感情論だけで罰するのだってダメに決まってる。しっかり規則に則って、厳正に対処する――それだけ誓ってもらえるなら俺は充分だ。

 そのへんをかいつまんで説明するも、ディアが返してきたのは釈然としない呻き声だった。


「……あんたの言ってることは正しい。ああ、すんごく冷静で客観的な考えだよ。でもさ、」


 まるで、俺の代わりに悲しむかのように、


「あんたはなんの関係もない第三者じゃない、被害者だろ。片目と片足まで失って、あと一歩で死ぬとこだった。剣士としての人生をぜんぶめちゃくちゃにされたんだ。……本当に、なんの怒りもないってのか?」


 そ、そんな大袈裟な。いやまあいろいろと大変になってしまったのは事実だけど、だからって〈炎龍爪牙フランヴェルジュ〉を恨むかといわれてもなあ……。


「誰かの命には代えられないだろ」

「……あんた、ほんとに十七歳かよ。なんでそんなに割り切った考えをしちまうんだ」


 俺がすでに一回死んでいる転生者で、前世込みならもう立派なおっさんで、原作の全滅エンドを知っているからです――とは、まさか正直に答えられるはずもなく。


「悪いことばかりでもないんだ。命懸けで戦ったからなのか、前より剣を上手く扱えるようになった気がしてな。そこは、結構わくわくしてる」


 斬ると狙い定めたものを自由自在に斬る、すなわち思い描いた未来を現実に変える境地。今はまだ義足抜きでも体がついていかないけれど、もうすぐこの極致をモノにできるかもしれないと考えると、こう……全身がうずうずしてくるのだ。たぶん今の俺は、生まれてはじめて抜刀術を再現成功したときと、まったく同じくらいに胸が高鳴っていると思う。


 ディアの、少し苦しそうな声が聞こえた。


「なんで、そんな楽しそうに話せんだよっ……」


 実際楽しいからだが……? 考えてもみろ、今まで俺がやっていた抜刀術も充分ファンタジーの賜物だったのに、ここから先はいよいよもってファンタジーでしかありえない非現実の領域なんだぞ。だったら這い上がるしかないだろ、男として。


 もちろん、いま一番に考えないといけないのは師匠たちのことだから、ほどほどにしないといけないのはわかってる。でもほら、どっちみち俺の社会復帰は最低条件だし、みんなを安心させるためにもちょっとくらいは……な?


「俺に恨む相手がいるとすれば、それは神様くらいだよ」

「――」


 神様というか、腐れ外道の原作者な。やつだけは許せん。原作の冒頭でチュートリアル的に流されただけのエピソードが、なんでここまで大問題になっていろんな人に迷惑かけてんだよ。もうほんといい加減にしてくれ――そう俺はやりきれない気分になって、


 ――それから、ディアがキツく唇を引き結んで絶句しているのに気づいた。


 あ……しまった。そういえば、聖女様の前で「神様を恨んでる」って完全アウトな発言じゃねえか!? 神を愚弄するとんでもない冒涜行為である、今すぐ異端審問にかけられたって文句は言えない。

 俺はしどろもどろになって、


「す、すまん、神様ってのはあれだ……言葉の綾というか、君が考えてる神様とは違くてだな」

「……じゃあ、なんの神様なんだよ」


 原作者です――なんていえるわけねえだろ! 『神を愚弄する不信心者』から、『神を愚弄する頭が可哀想な不信心者』に格下げされるわ!

 言葉を出せず口ごもる俺に、ディアは小さく息をついて、


「そっか……そうだよな。恨む相手がいるとすれば、人じゃなくて神様……か」

「ディ、ディア? 違うからな? 俺がいう神様は、その、いわゆる運命みたいな――」

「心配すんな。なんだって受け止めるって言ったろ?」


 そこで顔を上げ、白い歯でにっと気丈な笑みを見せる。


「世の中、いろんな考えの人間がいるのはわかってるよ。別に、聖都で暮らすなら神を信じなきゃいけないなんて決まりもないしな」

「そ、そうか?」

「今までなにがあったのか……は、訊かない方がいいよな」

「……そうしてくれると助かる」


 訊かれても答えようがないからね。俺は転生者で、ここは俺が前世で読んでいたクソッタレダクファン漫画の世界なんだ、だから俺がいう『神様』はその漫画の原作者なんだ――うん、間違いなく精神疾患を疑われて厳重な部屋に収容されるな。


 ともかく、寛大にも見逃してもらえて俺はほっとした。ディアも「よし」と一息で立ち上がって、


「おれの話は終わりだ。ありがとな、付き合ってくれて」

「ああ」

「じゃあ、〈炎龍爪牙フランヴェルジュ〉のやつらはこっちに任せてもらうからな?」


 俺は頷く。ちゃんと俺の意思は伝えたし、ディアならきっちり配慮してくれるだろう。砕けた言葉遣いの割にすごく常識人で、面倒見がよさそうだからな。


「また機会があったら、こんな風に話そうぜ」

「……勘弁してくれ。一般人に聖女様の話し相手は荷が重いよ」

「あー? 聖女様のお願いが聞けないってんのかー? なんだてめー」


 脇のあたりをげしげしグーパンチされた。まあディアが相手だったら、ときどき情報交換や世間話をするくらいは――っていかんいかん、さっそく篭絡されかけてどうする。向こうの距離感がバグってるせいで、こっちもついつい気を許してしまいそうだ。なんて危険なヤツ……!


「またなー」

「ああ」


 同級生みたいに手を振り合いながら、祭壇に背を向ける。外で待っている師匠たちと合流しようと、大きな扉に手を伸ばしかけたところで、


「あ、そうだ忘れてた」


 祭壇の方からディアが声を張って、


「あんたが助けた冒険者……名前は忘れたけど、目を覚ましたって聞いたぜー」

「……!」


 思わず振り返ると、ディアはすっかりだらしなく長椅子に全身を預けており、


「ずっと眠ってた割に、元気なもんだってさ。ついでに様子見てったらー?」

「そうするよ。ありがとう」


 朗報だった。元より、今日はついででルエリィの顔を見ていこうと思っていたからちょうどいい。もし面会ができるようなら、約束通りおねえさんと一緒に元気な姿を見せてもらうとしよう。


「ま、詳しくはアンゼに聞いてくれー」


 ディアは背もたれをずりずり滑ってフェードアウトし、あとは長椅子から右手だけ出して見送りするのみだった。これじゃあ聖女様というより、ただのだらしない見習いシスターだな。聖女の威厳を見せつけられるよりもずっと親しみやすいので、俺は一向に構わないけれど。


 アルビノな〈白亜の聖女〉、星空のような〈星眼せいがんの聖女〉、ふよふよ浮いている〈福禍ふっかの聖女〉――原作最重要キャラに恥じない個性的な外見ではあったけれど、なんというか、みんな中身は至って普通の女の子だったと思う。神の化身だからといって嫌に俗世離れしているわけではなく、猫を被ったり人をからかったりぐうたらだったりと、いい意味で人間らしい印象だった。


 そういえば、四人いる聖女の最後の一人……〈天剣の聖女〉様は欠席だったな。いや、別に会いたいわけではないのだが、ここまで来るとちょっと気になってきてしまうというか。〈天剣〉なんていかにも聖女の中で一番強そうな称号だし、もしかして原作主人公並みの最強ポジションだったり……?


 聖女様が俺にとって注意すべき人物なのは変わらないので、進んで関わろうとは思わないけれど。

 聖都で暮らし続けていれば、遠からぬうちに正体を知る日もやってくるのだろうか。



「――恨む相手は神様だけ、か。……今までどんな経験してきたんだよ、あんたは」



 ……扉に手をかけた最後の一瞬、ディアのその仄暗いつぶやきはあまりに小さすぎて、俺の耳までは届かなかった。



 /


 その頃、大聖堂の建物から天へとつながるきざはしがごとく立つ長大なる塔、通称〈アルナスの塔〉にて。部外者はもちろん教会の関係者ですら原則立ち入りが禁じられる『聖処』に、地上から三人の人物が戻ってきた。


 ゆりかご〈月天げってん〉とともに宙を漂う聖女アルカシエル、車椅子に座る聖女ユーリリアス、そしてその介助者を務める聖騎士ロッシュハルトである。


 聖処とは、この塔の最上エリアすべてを使って華々しくこしらえられた、聖女たちが普段の生活を送るための燦爛さんらんたるプライベート空間だ。限られた者しか使用できない転移魔法で塔の一階から飛び、認識阻害や退魔の結界が何重にも張り巡らされた回廊を越えると、ちょうどいまロッシュたちがいる『リビング』の空間に辿り着く。


 リビングと書けば大したことのないように聞こえるが、それがかの聖処ともなれば、ここだけで都民の平均的な生活空間を何倍にも凌駕してしまう。もしこの場にウォルカがいれば、間違いなく心の中で「高級タワマンかよ」とツッコむだろう。


 そしてこの空間があくまでリビングに過ぎない以上、他にも聖女四人それぞれの私室であったり、お勤めを行う執務室であったり、礼拝堂、リラクゼーションルーム、神聖魔法の訓練場、書斎、空中庭園、浴場などなど……その気になれば一生地上へ下りずに生活していけるだけの施設が、たった四人の少女のためだけに完備されているのだ。


 話をロッシュたちに戻そう。


「それではユーリ様、失礼します」

「ええ」


 ロッシュがユーリリアスをいわゆるお姫様だっこで抱えあげ、車椅子からソファにそっと座らせた。聖騎士という肩書のおかげか、それともあくまでロッシュ個人の人格によるものか、女性に一切の不安を感じさせない優雅で品位ある所作であった。


「いつも苦労をかけますね」

「滅相もない。僕にとって、もっとも光栄な勤めのひとつです」

「ふふ、普段会っている女性たちにもそう言っているのですか?」

「ユーリ様、お戯れを」

「ふあぁ……はあ、疲れた」


 遅れて漂ってきたアルカシエルのゆりかごが、ソファのすぐ隣で停止する。ユーリリアスはくすくすと、


「アルカ、少し下に下りただけではないですか」

「あたしにとっては重労働だわ……」

「でも、運動した甲斐はあったでしょう?」

「まあ……」


 聖女二人の傍らに控える位置から、ロッシュが尋ねる。


「いかがでしたか? ウォルカのやつは」

「ん……〈摘命者グリムリーパー〉を倒しただけのことはあるんじゃない? たしかにあれは、もう普通の領域を外れちゃってるかもね」

「まさしく剣そのもの、ですね。でも、聖剣や魔剣ではない。誰が打ったのかわからず、神や精霊が特別な力を込めたのでもない。ただその切れ味だけをもって、聖剣にも魔剣にも匹敵しうる――そんな名もなき一振り」

「……ええ、あいつにはぴったりの評価かと」


 ロッシュは満足げに目を細めた。どうやら、二人がウォルカを評価してくれたのが嬉しいらしい。


「では、我々がウォルカを支援する件は」

「予定通り、進めていいわよ。あたしは……後ろから応援してるから」

「私個人としても、彼には興味をそそられますね。もし体の問題をクリアできたなら……彼の剣は、いったいどれほどの次元に到達するのでしょう?」

「ええ……僕もまったく、そう思います」


 無論、極めて過酷な道のりになるのはロッシュも理解している。たとえどれほど優れた義足を使ったとしても、それが義足である以上、自分本来の体を動かすのとはまったく感覚が異なるはずだ。騎士の中にも任務の中で手足を失った例は少なからずあるが、その後怪我をする前より強く復活を遂げたという話は聞いたことがない。


 片目にしたって同じだ。足ほど致命的ではないにせよ、やはり両目が見えるかそうでないかでは天と地ほどに話が変わる。


 けれど、ウォルカなら。死の運命すら真っ向打ち破ってみせたあの男なら。

 いつかきっと、やってのけてしまうのだろう――そう、本気で思わせられるのだ。


「〈創生の法典〉エルフィエッテ……彼女のように優れた智慧を持つ専門家が、聖都にもいればよかったのですが」

「……そも、彼女の協力を得るのは現実的に可能なのでしょうか?」


 ロッシュの問いにユーリリアスは首を振り、


「少なくとも、こちらから依頼して対等な協力関係を築くのは不可能でしょう」

「不可能、ですか」

「ええ、不可能です」


 最高意思決定機関〈七花法典セブンズ〉が第二席、〈創生の法典〉エルフィエッテ――この国でもっとも魔法史の発展に寄与し続ける大賢者であり、同時に、この国きっての奇々怪々な問題児。

 アルカシエルが〈月天げってん〉の上で頬杖をつき、この上なく億劫そうに、


「たしかにあの人なら、いろんな方法を知ってるでしょうけどね」

「自分で自分の体をしているような方ですからね」


 神の力を授かって聖女となったわけでも、精霊や魔族の血を引いているわけでもない。生まれも育ちも純粋な人間でありながら、六十年以上の歳月を生きて未だ若々しい少女の姿を保っている。


 その理由が、数え切れぬほどの人体実験によって得た知識を体系化し、自分自身の体をいるからだ――というのは、ごく限られた人間しか知らない事実である。


「彼女は己の好奇心を満たすためにしか動きません。彼女の協力を得る方法はただひとつ……ウォルカ自身が、彼女の好奇心を勝ち取ることだけでしょう」

「結局、その話はお流れになったんでしょ。ほっときなさい、その方がいいわ……」

「ええ。彼女に借りを作らず済むなら、それに越したことはないでしょう」


 せめてエルフィエッテがもう少しだけでも常識的な人物だったら、〈聖導協会クリスクレス〉と〈魔導律機構マギステリカ〉の関係も今ほど険悪ではなかっただろうに。


「噂には聞いていますが、よほど気難しい御方なのですね」

「気難しいといいますか、あれは……」

「ちょー自分勝手。疲れる。ウザい……」


 散々な言われようである。お陰でその頃王都の〈魔導律機構マギステリカ〉にて、件のエルフィエッテが「ふえっぷしょーい!」と気合の入ったくしゃみをして、


「む、どこかで誰かがうちの悪口を言ってる気がする! どう思うノンちゃん!」

「はい、マスター……今月、〈魔導律機構マギステリカ〉からマスターに届いている投書・通達類は三十九件です。うち不平不満、苦情の訴えは二十四件。先月比でおよそ五十パーセント増加しているため、どこでマスターの悪口が言われていてもおかしくはない、とノンは忌憚なく推測します」

「あは、凡人の嫉妬って醜いよね☆ 残りの十五件は?」

「主に実験で破損した設備や備品の請求書です。総額は――」

「つまんないなー。実験台ももうすぐみんな使い切っちゃうし、どっかに面白いこと転がってないかなぁー?」

「ところで、マスター」

「んぅー?」

「ノンちゃんの今日のおすすめ:『適切な魔力のコントロール』。爆発まであと一、ゼロ」

「あ゛――――――――ッッ!!」


 実験中に無駄話をしたせいで術式が暴発、請求書がさらにもう一枚増えたらしいというのは――完全な与太話である。

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