41. 姉妹Ⅰ

 ルエリィにとって〈銀灰の旅路シルバリーグレイ〉は、紛れもない恩人であり、同時にそれだけでは言い表せない複雑な感情を抱く相手でもある。


 この感情をもっとも近く表現するなら、罪悪感や後ろめたさといった言葉を選ぶ必要があるのだろう。たとえ、姉や仲間を人質にされていたからだとしても。暗い部屋に閉じ込められ、暴力を振るわれ、当時の自分が精神的にまともな状態ではなかったのだとしても。ルエリィが犯してしまった罪を、なかったことにしていいわけでは決してないのだから。


 ルエリィは、運がよかったのだ。ウォルカたちがたまたま強い冒険者だったから助けてもらえただけで、もしターゲットになったのが違うパーティだったら、ルエリィは今でもあの暗い部屋で地獄のような夜を過ごしていたかもしれない。今でもあいつらに冒険者をおびき出す餌として利用され、次から次へとなんの罪もない人たちを巻き込んでしまっていたかもしれない。


 本当に、許されないことをしてしまったのだと思う。

 けれど〈銀灰の旅路シルバリーグレイ〉の人たちは、ルエリィを一言も責めなかった。それどころかもうすべて諦めようとしていた自分をまっすぐに叱りつけ、絶望の底から力ずくで救い出してくれた人がいた。


 それはウォルカという名の、片目片足をなくした青年。


 正気を失って錯乱する姉を、間一髪で助けてくれたのも彼だったと聞いている。自分だって片目片足を失った怪我人なのに、どうして見ず知らずも同然だったルエリィたちのために、我が身すら顧みないほど懸命になってくれたのか。


 その理由を知ったのは、聖都へ行く最初の野営の夜だった。


「先輩は……きっと、この世界が嫌いなんです」

「――え?」


 ユリティアが絞り出した答えに、ルエリィは激しく胸を衝かれる思いがした。

 魔石ランプの淡い光が照らすテントの中、ユリティアの表情は抑えきれない苦しさで張り裂けそうになっていた。


「わたしが知らない昔から、ルエリィさんみたいな人たちをたくさん見てきたんだと思います。……助けられなかった人も、いたんだと思います」

「そんな、」


 思わず否定しようとする一方で、ユリティアの言葉がすっと腑に落ちてしまう自分がいた。


 こんなことで悪党を気取るなと、おまえはどこにでもいる普通の女の子だと叱咤してくれたウォルカの姿。瞳に強い感情を宿し、寡黙な性格が嘘みたいに次々言葉を吐き出して、あのときの彼は誰がどう見たって怒っていたと思う。


 でも――彼が怒っていたのは、果たしてルエリィに対してだったのだろうか。


 『世界』なんて、大袈裟すぎる言葉を使っていいのかはわからないけれど。ルエリィよりもっと遠くの、なにかもっと大きなものに対して憤っていたのだと言われれば――そうなのかもしれないという気がした。


「この世界には、ままならないことがいっぱいで。理不尽なことばっかりで。それが、先輩は大嫌いで」


 本当に、ユリティアの言うとおりだった。カインとロイドが殺された。姉も心に一生消えない傷を負った。それもこれも、〈ならず者ラフィアン〉の罠にむざむざ引っかかった自分たちの身から出た錆なのはわかっている。自分の身は自分で守るという、冒険者として当たり前の心構えができていなかった自業自得だといわれてしまえばそれまで。


 けれどそれ以上に、どうして自分たちなのだと理不尽に思う気持ちもあるのだ。だってルエリィたちは、なにも報いを受けるような悪いことはしていなかった。ごくごく普通の冒険者として、みんなで生きていただけ。それだけだったのに、どうして――そう、『運命』と呼ぶべきものに拳を振り下ろしてしまいたくなる気持ちはたしかにあった。


 ルエリィすら、それほどまでに悔しい思いなのだ。


「だから先輩は、ルエリィさんのような人が目の前にいると……あんな風になっちゃうんだと思うんです」


 なら、ルエリィよりはるかに多くの理不尽を見てきたウォルカは。ルエリィとは比べ物にならないほど、多くを喪ってきたであろう彼は。片目片足を失うという理不尽を、自らの身にも課せられてしまった彼は。


 いったいどんな気持ちで、あのときルエリィを叱ってくれていたのか――。


「……」


 最初は怖い人だと思っていた。人相が悪いというほどではないけれど、目つきが精悍としていて愛想だってお世辞にもよくなくて、果ては厳つい眼帯までつけているお陰でだいぶ近寄りがたい雰囲気があった。命の恩人ともいえる相手なのに、ルエリィは未だウォルカとだけは会話らしい会話もあまりできていないままだ。


 でも。

 あのときウォルカからぶつけられた言葉が、感情が、火傷のようになってルエリィの記憶に刻み込まれている。


 たとえどんな事情があったとしても、ルエリィは悪いやつらの言いなりになっていた。

 たとえ結果として誰も傷つけず終わったのだとしても、ルエリィはなんの関係もない人を罠にかけようとした。

 許されないことを、してしまったのに。



 それでも、こんなルエリィのために、誰よりも懸命になってくれた人。



「――ふ、ぐ……う、うぅ~っ……!」


 今まで抱いたことのない、言葉にならないはじめての感情で思わず涙があふれる。

 胸が苦しくて、切なくて、悔しくて、自分が嫌になって、後悔ばっかりで、申し訳ない気持ちでいっぱいで――でも、温かい、不思議な気持ち。

 握り締めたルエリィの手に、ユリティアが優しく指を重ねて。


「先輩は、そういう人なんです」


 困った風に、そう言うから。


 ウォルカがどういう男なのかを思い知った。たとえ目つきが精悍でも、愛想がよくなくても、厳つい眼帯のせいで近寄りがたい雰囲気があるとしても。


 もう、怖い人だとは、思わなかった。


 だから残りの馬車の旅で、ルエリィはがんばってウォルカと話をしようとした。自分なんかのために誰よりも懸命になってくれた恩人と、ほんの少しでも打ち解けなければいけないと思ったのだ。


 とはいえルエリィは、あまり親しくない男の人とどんな話をすればいいのかよくわからないし、ウォルカもその性格ゆえ会話を膨らませるのが大の苦手で、はじめのうちは一言二言話しては沈黙しての繰り返しだった。

 あるときは、


「ウォ、ウォルカさんっ……!」

「ん?」

「ええと……あの……きょ、今日はいい天気ですねっ!?」

「……? ああ、そうだな」

「……、」

「……」

「……あぅ」


 またあるときは、


「ば、馬車の旅って、意外と大変なのですねっ。座ってるだけなのに、結構体が痛くなっちゃうのです」

「そうだな。休憩したいときはいつでも言ってくれ」

「は、はいっ」

「……」

「……えっと」

「?」

「…………う、うぅ」


 ひたすらこんな感じであった。

 いや違うのだ、普段のルエリィならさすがにもう少しまともな会話ができているはずで、ウォルカが相手だとどういうわけか全身がカチコチになってしまうのだ。そのせいで休憩を挟むたび馬車の陰に隠れ、なんでなのですかー!? と火照った顔を冷ますのに忙しかった。


 ようやく進展があったのは、二日目の夜だった。この日もみんながテキパキと野営の準備を進める中、ルエリィは焚火の土台に使う石集めを手伝いながら、ウォルカとこんな話をした。


「ウォルカさんは……どうして、私を助けてくれたのですか?」


 理由は、すでにユリティアから教えてもらった。けれど……本当にそうなのか、彼の口からも答えを聞いて確かめたかった。

 ウォルカはルエリィが集めた石を使い、あっという間に焚火の土台を組み上げながら、


「……気に入らなかったから、かな」

「な、なにが……ですか?」

「それは……ううむ、あの状況そのものが、というか」


 ウォルカは至極当たり前のように、


「自分の周りでくらい、嫌なことは起こってほしくないだろ?」


 ……それは、そうだ。なんの変哲もない、ごくごく一般的な考え。自分の周りで嫌なことが起こってほしいと思いながら生きている人間は普通いないだろう。

 けれど。


「それだけのために……あんなに、一生懸命になってくれたのですかっ……?」


 だからって、罠と知った上で真正面から飛び込んでいけるものなのか。

 だからって、あわや姉に殺されかけたのをすんなり水に流せるものなのか。

 誰かのために、そんなにも命を懸けられるものなのか。


「それだけってことはない。俺にとっては大事なことだ」


 ウォルカはくべた薪に、魔法で火をつけて。


「――本当に、見たくないんだ。そういうの」

(――あ、)


 赤い揺らめきを映すウォルカの左目が、ここではないどこか遠くを見ているのだとわかった。

 目の前に広がる景色ではなく――忘れたくても忘れられない、過去の記憶。


 ――わたしが知らない昔から、ルエリィさんみたいな人たちをたくさん見てきたんだと思います。……助けられなかった人も、いたんだと思います。


 ユリティアの言葉が、ふっと脳裏に甦った。


「……なんで、あんなやつらがいるんだろうな」

「ウォルカさん……」


 なんて不器用で、危うい人なんだろう。

 見ず知らずの他人なんて気にしなければいいのに、放っておけばいいのに、ウォルカという男にはそんな割り切った生き方ができない。いや、もうできなくなってしまったのだ。あまりに多くを、喪いすぎたせいで。


 そして極めつきは、大聖堂でウォルカがかけてくれたこの言葉。


「おねえさんが目を覚ましたら、二人で元気な顔を見せてくれ。待ってるからな」


 ああ――これは本当に、困った人なのです。


 この世界が大嫌いだから、理不尽な現実を許容できないから、もう喪いたくないから。そのために本気で命を懸けてしまえて、誰かの代わりに自分が傷つくなんてぜんぜんへっちゃらで、だからなにもかも一人で背負い込んでしまって。

 ほったらかしにしていたら、いつかどこかで傷だらけになって倒れてしまいそうな人だった。


 けれどきっと、彼だって、そんな人間になりたくてなったわけではないはずだから。


 だからルエリィは、ウォルカが願うとおりのルエリィでいよう。

 それでウォルカの傷をほんの少しでも軽くできるなら、いくらでも元気な姿を見せてあげよう。


 「ごめんなさい」ではなく、「ありがとう」を言い続けよう。一日でも長く、一回でも多く。

 ルエリィを救ってくれた、不器用で困ったさんな恩人のために。



 /


 ルエリィのおねえさん、シアリィが目を覚ましたらしい。


 俺にとってはなによりも待ちわびていた朗報だ。容体が安定しており面会しても問題ないとのことだったので、残念ながらこのあと予定があるというアンゼに場所だけ教えてもらって、俺たちは早速二人が静養する病棟まで足を延ばしていた。


 大聖堂の病棟は、礼拝堂がある建物を裏から出て、敷地内の庭園を横切った反対側に位置している。さすがに大聖堂と比べれば多少見劣りはするが、こちらも聖都の医療を支える大黒柱にふさわしい立派な建物だ。なにも知らない人がもしこちらの病棟を先に見れば、なるほどこれが大聖堂かと勘違いしてしまってもおかしくはないだろう。


「あ、ルエリィさんっ」


 その病棟の入口近くで掃き掃除をしていたルエリィに、いち早く気づいたのはユリティアだった。

 冒険者のローブを脱ぎ去り、杖の代わりにほうきを握って、ブラウスにスカートとすっかり女の子らしい装いをしていたので気づかなかった。ロッシュが言っていた社会奉仕の最中なのだろう、傍にはルエリィの指導をしていると思しき老シスターさんの姿もあった。


「はい? ……あっ、みなさん!」


 俺たちに気づいたルエリィが、ほうきを投げ捨てるようにあどけない笑顔で駆け寄ってくる。すかさず老シスターが口を挟もうとしたものの、寸前で思い留まり、結局なにも言わず緩いため息で肩を落とした。邪魔してしまって申し訳ない。


「おはようございますです、みなさん! もしかして、会いに来てくれたのですか?」

「うむ。聞いたぞ、おねえさんが目を覚ましたそうじゃな」


 師匠が答えると、ルエリィの笑顔はいよいよ弾けんばかりになって、


「はいっ! 昨日の夜に目を覚まして、もうすっかり元気なのですよ!」


 ルエリィはとびきり嬉しそうで、見ているこっちまで思わず頬が緩んでしまうくらいだった。元気そうでよかった。今だけなら、アンゼの光り輝く祝福オーラにだって負けはしないだろう。

 ルエリィにとって、それだけ大切で大好きなおねえさんだったのだ――そう微笑ましく思っていると、


「もしよければ、会っていきませんか? 実はねえさまも、ウォルカさんに会ってみたいって言ってるです!」


 え、俺?

 思いがけないご指名に俺は面食らった。俺たちパーティに……じゃなくて、俺に? なんでだ、直接名指しされるような心当たりはひとつも――


 ……いや、そうか。もしかするとシアリィは、『あのとき』のことを覚えているのかもしれない。死に物狂いで俺に刃を振り下ろしたあの瞬間を。シアリィが意識を取り戻していたのは、ほんの一分にも満たないあのわずかな時間だけだったのだから。

 なんにせよ、お互い会いたいと考えているならちょうどよかった。


「俺たちも、おねえさんの様子が気になってたところだ」

「はい! 待っていてください、いま――」


 そこでルエリィはぎこちなく、おそるおそるといった様子で老シスターを振り返って、


「……だ、だめ、でしょうか? 少しの間だけ……」

「……」


 ルエリィが若干へっぴり腰になっている。〈ルーテル〉の街で俺が世話になった老シスターさんも大概そうではあったが、こちらもひと目見ただけで大ベテランだとはっきりわかる、いかにも口うるさくて厳しそうなご婦人だった。更生プログラムの内容がどのようなものかはわからないけれど、相当ビシバシと教鞭を振るってもらっているのが窺える。

 老シスターは鼻で吐息し、


「奉仕活動中なのだからダメ……と言いたいところですが」


 シャープな形の眼鏡をくいっと持ち上げて、


「まあ、今回だけは目を瞑りましょう。今回だけですよ。午後になったらすぐ再開ですからね」

「あ、ありがとうございます!」


 単に厳しいだけの鬼教師というわけではないらしく、意外にもすんなり許可を出してくれた。


「突然やってきてすまんのう」

「いいえ、事情は多少聞いていますから」


 師匠のこともまったく子ども扱いせず、


「ただ……『当時』のことは極力触れないよう、ご配慮いただけると」

「……うむ。そうじゃな」


 容体が安定しているといっても、シアリィはまだ目を覚ましてから間もない状態だ。辛い記憶を思い出させてしまわないよう、会話には気をつける必要があるだろう。師匠とシャノンみたいなすれ違い方はしんどいからな。


「では、こっちなのです!」


 ルエリィの案内で病棟にお邪魔する。シアリィの病室は四階の北側、遠くに港と海の景色を望める見晴らしのいい位置にあった。ルエリィがドアをノックし、


「ねえさま、お客様なのですよー」

『ふぐ? うぐ。……ふあーい、どうぞー?』


 ……なんか、思っていた以上にだらしない感じの声が返ってきたな。開けて大丈夫なのかこれ。

 と俺は嫌な予感を覚えたのだが、ルエリィは早くおねえさんと俺たちを会わせたくてうずうずしていたからか、なんの疑いもなくドアを開けてしまった。


「ほらねえさま、ウォルカさんたちが来てくれたで――」

「……むぐ?」


 沈黙。

 だいたいこういうときは、なんとシアリィが着替え中で――なんて展開がお約束テンプレなのかもしれないが、まあそんなわけはなく。

 いや、もしかするとシアリィにとっては、そっちの方がある意味ではまだ傷が浅かったかもしれない。


 シアリィが、めちゃくちゃごはんを食べていた。

 ベッドに腰かけ、テーブルにドカ盛りの料理を置いて。

 頬をリスよろしく膨らませ、口にパンを突っ込んで、それはもう乙女らしからぬ爽快にして豪快なまでの食べっぷりであった。


「……」

「……」


 シアリィがリスみたいなまま時間の流れから切り離され、指一本動かせない哀れな彫像と化した。


 一方俺たちは、全員が「ああ、こういうときなんてフォローしてやればいいんだろう……」とやるせのない無力感を味わっている。いや違った、アトリだけが羨ましそうに自分のお腹をさすって、


「おいしそう……」


 そんな食欲旺盛なアトリでも、ここまでがっつくようなワイルドすぎる食べ方はさすがにしないだろう。

 俺が今まで出会ってきた中で間違いなく、一番めちゃくちゃ食べている女の子がそこにいた。


「…………」


 シアリィの口に半分突っ込まれていたパンが、ぽとりと膝の上に落ちた。

 ルエリィがこちらを振り向いた。時限爆弾みたいに物騒な笑顔をしていた。


「ごめんなさい、少し待っていてくださいですっ」

「あ、ああ……」


 俺たちをその場に残し、ぴしゃりと素早くドアを閉める。少しだけ間があって、


『――ふんっ!!』

『ぶっふぉぁ!? ごふ、うぐ――』


 なにやら、ハリセンで思いっきり人の頭をぶっ叩いたような空気音。

 それからはもう、


『……げほっ、なにするのルエリィ!? おねえちゃん、暴力はいけないと思いますっ』

『そんなこと言ってる場合じゃないのですよ!! 台無し!! いきなり台無しなのです!! なんでごはん食べてるですか、まだお昼じゃないですよね!?』

『だ、だって、朝ごはんぜんぜん足りなかったんだもん……。今のおねえちゃんね、あれなの、エネルギー欠乏症なのっ。だからいっぱい食べないと』

『ウォルカさんに思いっきり見られたですよ!?』

『あああぁぁそうだった!! ちょちょちょっ待って待って、なんでウォルカさんがあそこにいるの!? なんでルエリィが連れてくるのー!?』

『言ったですよね! いつウォルカさんたちが来てもいいようにダラダラしちゃダメだって、私ちゃんと言ったですよね! 入る前にノックもしたですよねぇ!?』

『こんなすぐ来てくれるなんて思わないでしょー!? わ、私てっきり、教会の人がおかわり持ってきてくれたんだと……!』

『いやそんなわけ――嘘ですよねこれだけ食べてまだおかわり頼んでるですか!?』


 もう、ドタンバタンと、


『とにかくちゃんとするですっ! 今ならまだ……えっと……なんか奇跡的になかったことにできるかもですからっ!』

『はっ――そ、そうだった。待っててね、すぐ食べるから』

『食い意地!! どう考えても食べてる場合じゃないですよね!! あっコラ、もぉ――――――っ!!』


「「「……」」」


 俺たち四人の間に流れる、そこはかとなく生温かい感じの空気。

 ユリティアが、「えっと、えっと」とがんばって言葉を探しながら、


「こ、こういうのって、見なかったことにした方がいいんでしょうかっ?」

「……そうなの?」

「いや、これはもう無理じゃろ……」


 俺もそう思う。……で、でもまあ、本当に元気みたいでよかったじゃないか。昨日目を覚ましたばっかりで、あんなに食欲があるってのはいいことだ。だから俺たちも寛容な心で受け止めてあげよう、決して「ルエリィのおねえさんってこんな人だったんだ……」とは思わずに。


 ドタバタ物音が聞こえなくなるまでしばらく待っていると、ようやくドアが三分の一ほど開いて、ルエリィが大変気まずそうに顔を覗かせた。


「お、お待たせしましたっ。あは、あはは……」


 笑顔がだいぶひきつっている。「は――――も――――ほんとやめてくださいよねえさま私まで変な目で見られるじゃないですかううう恥ずかしい恥ずかしい」と心の声がはっきり聞こえてくる。


「ね、ねえさま、準備はいいですかっ?」

「うん」


 さっきとは打って変わって、落ち着きのある上品な少女の声。一応言っておくけど、もう手遅れだからな?


 ルエリィにぎこちなく促され、若干入りづらさを感じつつも病室にお邪魔してみると。


 一見するときれいに片づけられた病室で、一見すると儚げな少女がベッドから遠くの景色を見つめている。半分ほど開かれた窓からそよ風が吹き込み、少女の菫色の髪をさわさわと優しく揺らしている。


「あっ――」


 少女が、静かにこちらを振り向いた。

 彼女はそよ風に揺れる髪をそっと押さえ、初手がアレでなければ完璧だったであろう柔らかく可憐な表情で、


「あなたが、ウォルカさん……ですか?」

「もう手遅れだからな?」

「ふえええええんやっぱり無理だった――――っ!!」


 今更エモい感じのボーイミーツガールを演出しようとしても、ダメなもんはダメである。


 とまあ、そんなこんなで。

 ベッドに勢いよく泣き崩れてぷるぷる震えるこの少女こそが、ルエリィのおねえさんことシアリィであり。かつて誤解だったとはいえ、業火のごとき殺意で俺を殺そうとしてきた相手であり――


「私の第一印象、終わった……。まだお昼まで一時間以上あるのにもうご飯食べて、あまつさえお昼になったらまた食べる女だってバレちゃった……うう、『こいつ一日に六回くらいメシ食ってそうだな』って思われてるんだ。違います六回は食べてないです、今のところ五回で収まってますうぅぅ……」


 とりあえず、一回だけこう思うことを許してほしい。


 ルエリィのおねえさんって、こんな人だったんだなぁ……。

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