39.〈白亜の聖女〉レスターディアⅠ
聖都〈グランフローゼ〉には、四人の聖女がいる。
〈白亜の聖女〉。
〈
〈
あと一人は……なんだっけ。たしか、〈天剣の聖女〉だっけ? たぶんそんな感じだったはずだ。
人の身でありながら天より神の力を賜った彼女たちは、すなわち神の化身であり、〈
これは原作知識ではなく、俺がウォルカとして生きてきた十七年の中で得た認識である。『原作』は前世俺が生きている間に完結せず、結局『四人のすごい聖女がいる』という伏線から先を知ることはなかったからな。
ではウォルカとして十七年生きてきた今なら聖女について詳しく知っているかといえば、正直なところそうとも言えない。
俺は元々政界や芸能界など有名人にまったく興味を持っていなかったタイプで、今世でも貴族やらなにやらといった高貴な人々に対しては、基本的に知ったこっちゃない精神で生きてきたというか。世の中にはそういう住む世界が違う人たちもいるんだ、くらいにしか考えていなかった。
だが原作を思い出してしまった現在の俺にとっては、ある種の危険人物として格上げが検討されている方々である。
結局原作ではわからずじまいだったが、作中最重要クラスのキャラクターとして華々しい登場が予定されていたのはまず間違いない。つまり彼女たちは『未登場の原作キャラ』であり、その周囲には様々なフラグがゴロゴロと転がっているのであり、なにかの拍子に関わってしまえば原作に引きずり込まれてしまう可能性を否定できないのだ。
そんなキケンな聖女様が、なんと三人も、いま俺たちの目の前にいる。
考えてみれば、そうおかしな展開ではないのかもしれない。〈
しかし実際もらう側としては、青天の霹靂以外の何物でもないのだった。
「……なあ、師匠。こういうときって、片膝ついたりした方がいいのか?」
「ふえっ? あ、えっと、ど、どうじゃろ……?」
師匠はまだ頭が再起動しきっていない様子だ。どうなんじゃろうなあ。騎士みたいに片膝ついてひざまずくマナーなんて知らないぞ。
みんなで顔を見合わせて困っていると、〈白亜の聖女〉のクスクスと微笑する声。
「どうかお気になさらず。特にウォルカ様はそのお体ですから、楽になさってくださいな」
「あ、ああ……いや、ええと、御心遣い感謝いたします……?」
「敬語なども不要ですよ。どうか、普段通りのあなた様を見せてはくださいませんか?」
――〈白亜の聖女〉レスターディア。
雪を映したような真白の髪を、首のラインに沿ってうなじが隠れる程度のショートカットにした、一見爽やかでボーイッシュな印象を受ける聖女様だ。背はさほど高くなく、ちょうどアンゼとユリティアの中間で150くらい。顔かたちからはまだ幼さが抜けきっていないものの、頬に浮かべた微笑はなんとも端麗で、聖女の名にふさわしい落ち着きと上品さが感じられる。
瞳が宝石みたいに澄んだ赤色をしていて、これは……もしかしてアルビノってやつだろうか? こうして実際目にするのは、前世含めても生まれてはじめてだ。前世ではその神秘性から信仰の対象とされることもあったと聞くが、なるほどたしかに、その清浄な容姿は思わず畏敬の念を抱いてしまうのも無理からぬものだった。
そこらのシスターとは比較にもならない高い地位だとひと目でわかる、壮麗さを極めた純白の祭服に身を包んでいる。袖口や裾などにピンポイントで入った赤いアクセントが白を一層引き立てており、その美しさはまさしく、聖女が俗世とは違う世界の存在であることを俺たちに教えてくれるかのようだ。
そして頭を飾るきらびやかなティアラには、『雪』の結晶を象ったと思しき小さな紋章が付けられていた。
「申し訳ありません、驚かせてしまいましたね」
そんな〈白亜の聖女〉ことレスターディアは少し眉を下げ、
「〈
「そ、そうか……」
身に余る光栄すぎて、俺の胃が涙を流して喜んでいる。俺が前世読んでいた範囲ではほぼ登場していなかったとはいえ、だ。師匠たち以外の原作キャラと対面するのはこれがはじめてで、完全な不意打ちだったせいもありついつい体が警戒してしまう。
車椅子の聖女様も、澄んだ声音でほころんで、
「本当に、気を遣っていただく必要はありませんよ。ただのシスターがいるとでも思ってください」
思えるわけないだろが!
……さておき、この車椅子に座った少女が〈
「こんな恰好でごめんなさい。私、ご覧のとおり目と足がよくないもので……」
つくりのいい車椅子にちょこんと体を預け、布を巻くように大きな眼帯で両目を覆っている。おそろいなんて表現するのは甚だ失礼だけれど、俺も片目が眼帯な上にちょっと前までは車椅子だったので、そこだけ切り取れば少し親近感を覚えないでもなかった。
「みなさんのことは伺っています。たしかウォルカ、あなたは私とおそろいで――いえ、こんな言い方は失礼ですね。ごめんなさい」
「いや……俺も少しそう思った。お互い様だ」
「あら……ふふ、お気遣いありがとうございます」
――〈
先ほど言ったとおり師匠と同じくらい小さくて、ぱっと見は聖女と呼ぶにも幼すぎる印象の少女だった。不思議な文様の眼帯に隠され素顔はわからないものの、たぶん十歳そこらじゃなかろうか。けれど滑舌よく堂に入った話しぶりは俺なんかよりもずっと大人びていて、いきなり「ウォルカ」と呼び捨てにされてもまったく変な感じがしない。
あたかも宇宙の空をそのまま落とし込んだような、黒とも紫とも青とも言い難い不思議な色の髪をしている。肩がすっかり隠れる程度のセミロングを精緻なアクセサリーで飾り、きめ細かに光を反射する様子はまさしく星空そのものだ。
身にまとう祭服はレスターディアと同じデザインで、基調となる白がわずかに紫がかっている他、袖口や裾のアクセントも淡い群青色という色違いバージョン。そして、ティアラにつけられた紋章は『星』の形をしていた。
眼帯で覆っている以上目は見えていないはずだが、俺はどうも彼女と目線が合っているのを感じていた。
「俺たちが見えてるのか?」
「いいえ、みなさんのお姿はわかりません。ですが気配というか、ぼんやりと輪郭みたいなものはわかるんですよ」
俺たちを順番に、
「一番大きな男の方がウォルカ。次に大きな女の方がアトリ。私より少し大きいのがユリティア。そして……ふふ。私よりも小さいのが、リゼルアルテですよね?」
「はー!?」
微笑ましげに名前を呼ばれて師匠が早速キレた。
「小さくないが! 別にそんな小さくないんだがー!? おぬしと大して変わらんじゃろがっ!」
今にも胸倉掴んで背比べを始めそうな師匠の剣幕も、聖女の肝っ玉なのかそもそも見えていないからなのか、ユーリリアスはこれっぽっちも動じることなく、
「私の目は、あまり物を見るのには向いていないみたいで……」
物を見るのには向いていない、ね。じゃあなにに向いているのかといえば、そこでアンゼが言っていた『あらゆる罪と嘘を見抜く』という話につながるのだろう。
「それに、昔からよくないモノを呼び寄せてしまうこともあって……どうか顔を隠すことを許してください。こうしていれば、みなさんに害は決してありませんから」
あー、アニメや漫画でよくあるよな、こういうの。『○○の魔眼』みたいな。常人には見えないものが見えたり、変なモノを呼び寄せてしまうというデメリットがあるところまで教科書通りだ。
俺もかつては右目が疼いていた経歴を持つ健全な男児なので、ちょっとカッコいいかもと思ってしまった。
それはさておき、表情はわからぬもののユーリリアスの声音に不安が混じったのを感じた。勝手な憶測にはなってしまうが、おそらく目と足のせいで昔から苦労することもあったのだろう。
でも、俺の前でそういうのはナシだ、ナシ。女の子は笑ってこそが一番だからな。俺は『聖女』という肩書に対する警戒心を一旦捨て去って、
「そうか。……なら、変に畏まるのはなしにしようか」
「はあ、人を子ども扱いしたかと思えば腰が低いやつじゃな。わしらはそんなの気にせんから安心せい」
ユリティアとアトリも頷き、
「はい! お、お気遣いなくっ」
「ん、心配ご無用」
目を隠している状態でも、俺たちが嘘をついていないとわかるだろうか? どうあれユーリリアスの口元が、ほっと小さな笑みの形を作った。
「ありがとうございます。みなさん、お優しいのですね」
そうだろうそうだろう、俺の自慢の仲間だからな。そんなつまらんことで人を差別するようなやつらじゃないぞ。最近ちょっと病んでるときあるけど……。
さて、これで残す聖女様はあと一人。
宙に浮かぶ大きな三日月型のゆりかごというか、クッションというか、人をダメにするソファというか。そんな物体にうつ伏せでもたれかかり、すやすやと穏やかな寝息を――寝息?
「……ぐう」
「アルカ様」
「はっ。……寝てないわ」
レスターディアに名を呼ばれて目を開ける。いや寝てたよな? 思いっきりすやすや寝息立ててたよな?
「ふあぁ……」
眠たげなあくびを隠そうともせず、最後の聖女様はゆりかごと一緒に俺の前までふよふよ漂ってきて、
「……きみが、ウォルカ?」
「あ、ああ……」
寝ぼけ眼のまま俺を上から下まで観察し、「ふーん、そう……」と意味ありげなつぶやきをするのだった。
――〈
この三人の中では、一番摩訶不思議な出で立ちをしている聖女様だといえる。なにせ大きな三日月のゆりかごらしき物体をふよふよ宙に浮かべ、その上でいかにもやる気がなさそうに寝そべっているときた。つまりは、空中浮遊している聖女様なのだ。ここまでインパクトのある見た目もそうそうない。
見る角度によって白くも青白くも、淡い燐光を帯びているようにも映る神秘的な髪は嘘みたいに長く、彼女が浮遊しているのは俺の目線とほぼ同じ高さなのだが、それでもゆりかごからカーテンのように垂れ下がって床まで届いてしまいそうだ。もし彼女が普通に立ち上がれば、間違いなく足元が散らばった髪で青白く染まってしまうだろう。師匠よりも髪が長い女の子は、ちょっと人生ではじめて出会ったかもしれない。
背丈はおそらくアンゼよりやや高いくらいで、この場にいる三人の聖女の中では一番年上に見える。透き通る碧眼はとにかく眠そうで、今にもうつらうつらと船をこぎ始めそうだ。青白い燐光を帯びて気ままに宙をたゆたう少女――三日月のゆりかごもあいまって、まるでこの世界の月が人の姿を取ったかのようではないか。
まとう祭服は例によって、青みがかった白を基調にした色違いバージョン。頭のティアラについた紋章も、案の定というべきか『月』の形を象っていた。
……それにしてもこの空飛ぶゆりかご、どういう原理なんだろう。魔法で浮かべているにしては、なんの魔力も感じないけど。
俺の目線に気づいたアルカシエルは、寝落ち寸前みたいにぼんやりとした声音で、
「ああ、これ……これはね、〈
「どうやって浮いてるんだ……?」
「それは……聖女ぱわー、的な?」
割と適当らしい。まあ聖女様だしな。原作で華々しい登場が予定されていた存在と考えれば、これくらいクセがあってむしろ当然なのかもしれない。
ふあぁ、とアルカシエルはまたあくびをして、
「……ねえ、なにか困ったことはある?」
「は? いや……特には」
脈絡のない質問に俺は戸惑う。なんだいきなり。
「そう。もしなにか困ったことがあったら、そこのアンゼに相談しなさい。教会が力になったげるから……」
いや、なんの話だ。なんで俺たちを教会がサポートするなんて話になってるんだ? アンゼが
アルカシエルはどこまでも眠そうに、
「あたしはね、楽がしたいの。なんにもしないで、一日中だらだら、ぼーっと寝ていたいの……」
「はあ……」
「きみたちみたいに優秀な冒険者が多ければ多いほど、聖都が平和になって、巡り巡ってあたしも楽できるでしょ。……だから、期待してるわ」
つまり、「これからも聖都のためにキビキビ働けよ」ってこと? 俺、片目片足なくした大怪我人なんですけど……。
この聖女様、さてはあれだな?
もしかしなくても、結構ぐうたらでダメなタイプの聖女様だな?
「ふあぁ……ねむ」
やる気のないあくびが雄弁な答えだった。かの聖女様がこんなぐうたらでいいのだろうか……まあ実際、聖都が立派な都市として発展し成功を収めているのだから、いいのだろうか。
「それで、ウォルカ様。今回お渡しする、〈
俺はレスターディアに向き直る。レスターディアが目を遣った先――祭壇の説教台に、今回の褒賞金を収めていると思しきいくつか質のいい布袋が置かれている。
「全額をお受け取りになりますか? それとも、一部のみにしましょうか?」
「……ん?」
質問の意味がわからず小首を傾げる。一部のみ受け取るってどういうことだ?
「何分、金額が金額ですので……もし大金を持ち歩くことに抵抗がおありでしたら、今回は一部のみ受け取って、あとはご入用の都度に教会へ申し付けいただく形でも構いません。一部のみの場合――」
レスターディアは説教台の傍に立ち、丸々とした金色の布袋を手のひらで示して、
「こちらの金の袋をお渡しいたします。中身は金貨です」
「……全額の場合は?」
その隣、刺繍まで入った一番高そうな銀色の袋を示す。
「こちらの銀の袋を。……中身はすべて、星銀貨です」
「せ、」
変な声が出そうになった。
星銀貨――金貨よりもさらに上、この世界でもっとも大きな価値を持つ貨幣である。遥か太古に流れ星が落ちた場所から産出される、『
袋いっぱいの金貨でも相当なのに、それが星銀貨ともなれば――。
レスターディアの言う意味がよくわかった。たしかに俺みたいな一般人が袋いっぱいの星銀貨なんて持ち歩いたら、かえってトラブルの元かもしれない。つまり彼女は、教会を銀行のように使っていいと提案してくれているわけか。
「……わかった。一部だけにしよう」
「ええ、わたくしもその方がよいと思います。聖都といえど、盗難や強盗の危険がないとは限りませんから……」
もし今までの俺だったら、金貨の方だけで充分だと思わず腰を低くしてしまっていたかもしれない。
しかし今の俺は隻眼隻脚の体で、義足だけでも今後どれだけ金がかかることになるのか見通しがつかなくて、師匠たちになるべく余計な苦労もかけたくないのである。ならばここは、死に物狂いで戦った報酬として堂々受け取っておこう。世の中金ですべて解決できるほど甘くはないけれど、少なくとも金があれば、その分だけ様々な選択肢が生まれるのだから。
レスターディアは上品に手のひらを合わせ、
「それでは、授与式を執り行いましょう。仰々しい空気はお嫌いと伺っていますので、どうかお気兼ねなく受け取ってくださいな」
大袈裟なのは困るという俺たちの意向を汲んでくれたらしく、授与式はわざわざ『式』と呼ぶほどでもない実に簡略的なものだった。退屈な余興や長ったらしい挨拶は一切なく、レスターディアから金色の布袋を受け取る。師匠たちにも〈
そしてユーリリアスとアルカシエルからは、〈
〈
師匠たちは最初、「わしらにそんな資格はない」と拒否しようとしていたが、
「みなさまも、〈
「んむ……」
そうアンゼに説得され、しばらく悩んでからついに受け取ることにしたようだった。そうそう、師匠たちにだってちゃんと受け取る資格はあるさ。ロッシュだって言ってただろ、胸を張っていいんだって。
「――よし。これで一応、唾をつけたってことになるかしら……」
その片隅でアルカシエルがぽつりとなにかつぶやいていたが、師匠たちに気を取られていた俺はあっさりと聞き逃してしまうのだった。
そんなこんなで、授与式は五分もかからず終了した。アルカシエルが〈
「ふあぁ……それじゃあ、あたしとユーリは戻るから。あとはよろしくね」
「ロッシュ、車椅子をお願いしてもいいですか?」
「仰せのままに」
ユーリリアスの指名を受け、ずっとニコニコと扉を守っていたロッシュが速やかに馳せ参じた。こいつ、ヒラ騎士のくせに聖女様の車椅子を任されるとは……だが、この場では的確な人選なのだろう。女性の扱いならお手の物だからな、こいつは。
横を通り抜けていくロッシュの背中に俺は一言、
「おまえ、今日のことは覚えとくからな」
「ふむ? なんのことか僕にはさっぱりだよ。はっはっは」
白々しいにもほどがあるだろ。おまえもグルだって言い逃れできねえからな。いつかどうにかして見返してやるから覚悟しとけよ……!
ユーリリアスがぺこりと可愛らしく会釈し、アルカシエルは最後までぐーたらのまま、
「それでは、失礼します。また、こうしてお話できるといいですね」
「いい義足、見つかるといいわね。きみには期待してるから……」
普通の冒険者だったら、聖女様から直々に応援の御言葉をいただくなんて最高の名誉に違いない。
だが俺は、なぜだろうか……受け取ったこの銀の褒章が、なんだか『首輪』のように見えてくる気がして、捨て去ったはずの警戒心がふつふつとぶり返してきそうになるのだった。
まあ、だからといって褒章を突き返すつもりは今のところない。片目片足を失ったモブキャラの俺と、原作最重要キャラクターの聖女様が関わるなどどうせこれっきりだろう。ハッピーエンドのためには俺が社会復帰せにゃ始まらんのだ、そのために活用できるものは活用させてもらうとしよう。
さて、ユーリリアスがロッシュに車椅子を押され、アルカシエルもふよふよとクラゲみたいに漂って礼拝堂を去っていく。なので、あとは俺たちも慎み深くこの場を失礼するだけ――と思ったのだが。
「ウォルカ様。差し出がましいお願いかもしれませんが……少し、二人でお話できませんか?」
「……?」
なぜか、レスターディアに俺だけ呼び止められた。当然、俺が返すのは疑問符である。
「二人で?」
「はい、二人で」
え、なんで。この場にいるのは俺たちパーティとアンゼ、そしてレスターディアだけだ。別に部外者もいないのだから、このまま普通に話せばよいのでは?
同じことを考えた師匠が、眉間に不信感をにじませて尋ねる。
「なぜ二人になる必要があるんじゃ。わしらに聞かれるとなにか困るのか?」
「内密に、お話したいことなのです」
内密にって、聖女様から内緒話されるような心当たりなんてまったくないんだが。
いかにも怪しさ満点であり、当然師匠も承服しない。
「ダメじゃ、わしだけでも一緒に……」
「ご安心ください、リゼルアルテさま」
アンゼが優しく割って入ってきた。
「ここは大聖堂ですから、ウォルカさまに万が一は絶対にありえません。ほんのいっとき、扉の向こうでお待ちいただくだけでよいのです」
「む、むう……」
最近の師匠は、アンゼにまっすぐな目でお願いされるとちょっと弱いところがある。レスターディアも丁寧に頭を下げて、
「決して、みなさまを失望させる真似はいたしません」
「……」
アンゼとレスターディアを交互に見て、やがて師匠はため息をついた。
「……わかった。じゃが少しでも妙な気配を感じたら、この礼拝堂、当面のあいだ使い物にならなくなると心得ておけ」
「はい。〈白亜の聖女〉の名に誓って」
師匠すげえ、教会トップの聖女様を真正面から脅すのかよ。さすがは偉大で尊大な大魔法使い――と俺が思ったのも束の間、師匠はこちらを振り向くなりぷんすこ頬を膨らませて、
「ウォルカもっ、こんなきれーな人だからって流されちゃダメだからね!? 聖女とか関係ないんだからね! 変なことされそうになったら、ちゃんと抵抗して助けを呼ぶんだからね!?」
いったいなんの心配をしてるんだろうか。師匠、俺がなにされると思ってんだ?
なにかあったらすぐ助けるからねーっ! と手を振り回し、みんなに引っ張られたり押されたりしながら師匠が退室していく。うん、やっぱり師匠は師匠だったな。
……で、だ。ステンドグラスからまばゆい陽光が差し込む礼拝堂で、俺は完全にレスターディアと二人きりになったわけで。
どんな話かは皆目見当もつかないが、聖女様と一対一は心臓によろしくない。なので俺はさっさと済ませてしまおうと思い、
「それで、話って――」
「……だぁ~~っ、あー疲れたぁ!」
……はい?
なんの前触れもなかった。俺と二人だけになった途端、レスターディアが突然――本当にいきなり、なんというか、
「あーやだやだ、やっぱ猫被って愛嬌振りまくのはおれの柄じゃねえわ。疲れるったらありゃしねえ」
「…………」
「聖女って肩書もめんどくせーよなー。あんたもそう思わねえ?」
別人になったというか。
礼儀正しく気品のある佇まいを影も残さず吹き飛ばし、
綺麗に整えていた白髪を手でくしゃくしゃにして、
近くの長椅子に行儀悪くも背中から座り込み、
まるで少年のように無邪気な言葉遣いで、
「それじゃ、ここからはお互いラフに行こうぜ。あんたも堅苦しいのは嫌いだろ?」
彼女は俺の顔を斜め下から覗き込むと、白い歯を見せて人懐っこく笑うのだった。
「改めて、〈白亜の聖女〉レスターディアだ。……ディア、って呼んでくれてもいいぜ?」
……あのー、どちら様ですか?
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