36.〈ギルド職員〉シャノンⅢ
次の日、シャノンは自分がどう一日を過ごしたのかあまりよく覚えていない。
そんな状態でもいつもとほとんど同じ時間に目覚め、顔を洗って制服に着替えて、宿の食事で空腹まで満たすことができたのは、ギルド職員として生活を送る中で染みついた習慣に他ならなかった。こんなときでも図々しく空腹を訴えてくる自分の体に、少しだけ嫌気が差したのをぼんやりと覚えている。
その後はフュジに連れられて彼の仕事を手伝ったはずだが、具体的になにをしたかはいかんせん曖昧だ。もしかするとシャノンは、ただ邪魔になっていただけだったのかもしれない。けれどフュジは決して文句を言わなかったし、シャノンに多くを求めることもしなかった。
――いい、心して聞きなさい。そのウォルカという子はね。
――左足は切断、右目もおそらく失明。助かったのが不思議なくらいの大怪我で、今も意識が戻っていないの。
昨日の老シスターの言葉が、意識の裏側から片時も離れてくれなかった。
シャノンが手配した踏破承認の調査に不手際があって、まったく予想だにしないタイミングで強大な魔物に襲われてしまった――それは、もう、間違いのない事実なのだと思う。けれど、だとしても、〈
なんで、どうして、彼らがこんな目に遭わなければいけないのか。
それだけが、頭の中を延々と堂々巡りしていた。
「シャノンちゃん」
フュジがそう諭すように言ったのは、いつのことだったか。
「明日、もう一度だけ教会に行って……ウォルカくんたちに会えても会えなくても、あとはこっちの人に任せて引き上げるよ。向こうもおっさんたちを待ってるからね」
そう、シャノンとフュジはあくまで聖都のギルドとして、事故の事実調査と支援のために駆けつけただけ。〈
それでも、みんなの姿を一度すら見ないまま帰るなんて絶対に嫌だった。
瀕死の大怪我で片目片足を失い、今も意識が戻らないウォルカ。その事実に絶望し、打ちひしがれ、シスターが面会を許可してくれないほど塞ぎ込んでしまっているリゼルたち。
どんな言葉をかければいいのかはわからない。もしかすると、今のシャノンにかけてあげられる言葉なんて存在しないのかもしれない。
でも、だとしても。
ほんの束の間だけでもなにかをしなければ、シャノンの心は押し潰されてしまいそうだったのだ。
/
翌朝、シャノンは帰り支度を完全に整えてからもう一度教会に向かった。
ウォルカたちに、ひと目だけでいいから会いたい――そう願っていても、不安と恐怖で足取りは重かった。もしシャノンの願いが通じて面会を許可されたとしても、右目と左足を失い横たわるウォルカの姿に、絶望し塞ぎ込むリゼルたちの姿に、自分はいったいどこまで堪えられるだろうか。このまま引き返した方が後悔しないで済むのではないかと、頭の片隅で意気地なしな自分がずっとささやき続けている。
教会へ続く長い坂道に差しかかったところで、斜め前からフュジが肩越しに尋ねる。
「大丈夫かい、シャノンちゃん」
「……大丈夫じゃないっすよ」
シャノンは自嘲するようにそう返す。大丈夫なわけがない。自分の一番お気に入りな冒険者パーティにこんな悲劇が起こってしまって、平然としていられる方がおかしい。この気持ちを当たり散らす先さえあるのなら、今すぐにでも思いっきり拳を振り下ろしてしまいたいくらいだ。
けれど、
「でも、リゼルたちは、もっと辛いはずだから……」
「……」
坂道を進む。するとほどなく、向かいから坂道を下ってくる人影があることに気づいた。このときシャノンは頭の中が淀んだ思考でぐちゃぐちゃになっており、ゆえにそれが誰なのかよく見ようともせず、教会から下りてくるんだからシスターさんだろうと適当に考えていた。
「アトリちゃん?」
「え――」
手前から聞こえたフュジの声で、ようやく正気に返った。
頭をぶん殴られた思いがした。幾分かクリアになった視界で目を凝らせば、その人はどこからどう見てもシスターではなかった。この国では珍しい浅い褐色の肌と、少しだけ露出が目立つ遠い異国の装い。
今度こそ、見間違えるはずはなかった。
「ア、アトリっ……!!」
「……?」
脇目も振らず駆け寄ったシャノンに、少女――アトリは小さく首を傾げて、
「シャノン?」
「う、うん」
「や、アトリちゃん」
「フュジ……」
シャノンの後ろから追いついてきたフュジにも、意思が薄いぼんやりとした視線を返す。シャノンは少しだけ安堵した。感情をあまり表に出さず、なにを考えているのかわかりづらいクールな不思議ちゃん――そんな、シャノンが知っているいつも通りのアトリだった。
しかしだからこそ、かける言葉に迷ってしまった。
「え、えっと……」
まさかこんなところで会えるとは思っていなかったのもあるが、状況を考えればいつも通りのアトリである方がおかしいからだ。ウォルカが生死を
そしてシャノンが結論を出すより先に、アトリの方から言葉が来た。
まるで赤の他人に対するような、なんの感情も宿らない冷たい言葉が。
「なんの用?」
「え、」
「用がないならどいて。邪魔」
ほっと撫で下ろしたばかりの胸に、爪を突き立てられるような苦しさを感じた。
息が、詰まった。
「……ア、アトリ? えっと、その、」
「邪魔しないで」
アトリのこの声音を、シャノンは知っている。
たとえば、ユリティアに見知らぬ男が言い寄ってきたとき。たとえば、みんなで食事をしているときに酔っ払いが騒ぎ出して興を削がれたとき。そういう、相手に対してなんの興味も関心も抱いていないときの――
「アトリちゃんは、なにか大事な用事かい?」
言葉が出てこないシャノンに代わって、フュジが尋ねた。アトリの返答はやはり冷たい。
「外。魔物を狩ってくる」
シャノンは耳を疑った。
「え? まさか、一人で行くわけじゃ――」
「それがなに?」
答えるアトリは、本当にすべてがどうでもいいように無関心で。
――おかしい。こんなのいつものアトリじゃない。
たしかにアトリは人付き合いが得意とはいえず、必要以上の会話もほとんどしたがらないぶっきらぼうな性格だ。シャノンがはじめて彼女と知り合った頃も、いつもこんな風に素っ気のない返事ばかりで近寄りがたい雰囲気があった。けれどギルドの職員として〈
なのに、目の前のアトリは。ひょっとすると、はじめて出会った頃よりも――。
やっぱり彼女も、ウォルカが大怪我をしてしまって精神が危うい状態なのだ。仲間としてウォルカを守れなかった無力感と後悔から、自分を責めて自暴自棄に陥っているとしか思えなかった。
当然、シャノンはすぐさま引き留めようとした。
「ま、待って、今はウォルくんが――」
「――うるさい」
それは決して、殺気というほどではなかったけれど。
シャノンの言葉をねじ切り、胸倉を掴み、牙を剥くような。
明確な、威圧だった。
「どけ」
「……!」
言われるがまま道を開けたのは、アトリの威圧に負けて怖気づいたからではない。
一歩も動けずにいたところでフュジに腕を引かれて、思わず後ろにたたらを踏んだからだった。
アトリがシャノンたちから完全に視線を外し、別れの一言もなく淡々と坂道を下っていく。立ち塞がるものすべてを薙ぎ払わんばかりの、寒気すら感じさせるほどの張り詰めた背中。
なにかに取り憑かれているようにしか見えなかったが、フュジが腕を離してくれなかった。
「アトリちゃんなら心配いらないさ。〈アルスヴァレムの民〉は、そういう命の使い方はしない」
「っ……」
自分のやろうとしていることがなんなのか、改めて突きつけられた思いがした。
精神的に一番打たれ強いはずのアトリすらあれなら、リゼルとユリティアはいったいどれほどひどい状態なのか。シャノンはたったいま、アトリの背中になんの言葉もかけられなかった。そんな自分が教会に行ったところでなにができるのか。あの老シスターが言っていたとおり、もう諦めて、彼女たちをそっとしておくべきではないのか。
フュジが気遣わしげに言う。
「本当に行くのかい、シャノンちゃん。あとの二人も、今はああいう状態かもしれないってことだよ」
「……」
「誰も逃げたなんていいやしないさ。会わないのも、立派な選択のひとつだと思うけどね」
結果からいえば、このときのフュジの意見は正しかったのだろう。
けれどシャノンは、認めたくなかった。
「いやっす……! こんなのっ、こんなの納得できるわけないじゃないっすか……!」
みんなが辛い思いをしているのに、なにもできないなんて嫌だから。なにもしないなんて堪えられないから――そんな自分本位な考えで、愚かにもつまらない意地を張ってしまったのだ。
/
「……また来たのね」
教会で応対に出てきたのは、一昨日と同じあの老シスターだった。彼女はシャノンの顔を見るなり困った素振りで吐息して、
「残念だけど、あの子たちにはまだ――」
「お願いします」
わかりきっていた老シスターの言葉を遮り、シャノンは深く頭を下げて嘆願した。
「ほんの少しだけで、いいんです。……会わせて、ください」
「……」
老シスターがフュジに目を遣る。フュジは昼行燈な笑みで、
「会わせられないっていうおたくの考えはわかる。……でもおっさんには、会いたいっていうこの子の気持ちもわかるよ」
「…………」
老シスターは、随分と長いあいだ判断を迷っていた。教会のエントランスに重苦しい沈黙が落ち、もうこのまま答えなど返ってこないのではないかとシャノンが不安に思い始めた頃、
「今さっき、褐色の子が出ていったばかりなのだけど……彼女には会った?」
シャノンは慌てて顔を上げ、
「は、はい」
「もう二人は、あの子よりもひどいわよ。……それでも、会いたい?」
唇を引き結び、軋むような胸の痛みをこらえながら――答えた。
「――はい」
「そう……」
ずっと厳しく凝り固まっていた老シスターの表情に、ほんのわずかな根負けの色が浮かんだ。
「わかったわ。案内してあげる」
「……!」
「ただし」
すぐ元の眼差しに戻り、
「発言には心から気をつけて。刺激するようなことや、事故を無理に思い出させることは絶対に言っちゃダメ。特にあの、リゼルという魔法使いの子は……なにが引き金になるか、わからない状態だから」
「……」
「私がこれ以上いけないと思ったら、その瞬間に終わりよ。……いいこと?」
シャノンは老シスターの瞳を見据え、頷いた。
「はい」
「……ついてきて」
老シスターのあとに続いて歩く教会の廊下はひどく長く、一歩進むにつれて、外から隔絶された違う世界に迷い込んでいくかのようだった。
老シスターがある部屋の前で立ち止まる。当たり前ではあるが、他の病室となんら変わらないごくありふれた普通のドアだった。
「少し待ってて」
ドアを優しくノックし、まず老シスターが一人で病室に入った。
一分くらい待ったと思う。ゆっくりとドアが開き、老シスターが目で「入って」と合図をくれた。シャノンはその場で一度深呼吸をしてから、意を決して、
「し、失礼します……」
意識が戻らない重傷人を休ませているからといって、部屋の空気が凍てついていることはなかった。朝の陽射しが注ぐ病室は覚悟していたよりずっと明るくて、いっそ嫌味に思えてくるほど暖かかった。
――ベッドの上のウォルカは、ブランケットをかけられて体が隠れているのもあってか、本当にただ眠っているだけに見えた。
そしてベッドのすぐ傍に並んだ二つの椅子に、二つの小さな背中。
「リゼル、ユリティア……」
声を絞り出して二人の名を呼ぶも、反応は返ってこない。シャノンは近づいても大丈夫か目で老シスターに問い、首肯を確認してからおそるおそると歩みを寄せた。
両膝を折り、横から二人の顔を覗き込んで、
「っ――!!」
その瞬間シャノンは、あふれる感情のまま二人を思いっきり抱き締めてやりたい衝動に駆られた。
ベッドのウォルカを見つめる二人の瞳には、なにも映っていなかった。光も、感情も、心も、生気も、なにも。なにひとつとして。
濁ったガラス玉をはめた方が、まだ人間らしい温かさを感じられるくらいだった。
「リゼル、ユリティアっ……!」
「――あ、」
もう少しだけ強く二人の名を呼ぶと、ようやくユリティアが反応した。なにも映っていなかった彼女の瞳に、ほんのわずかなぼやけた感情の光が差し込んだ。
数秒、間があった。
「……シャノンさん? どうしてここに……」
「……えへへ、どうしてっすかね」
シャノンは空元気な笑顔を必死に張りつける。そうしていないと、自分も心がおかしくなって壊れてしまいそうだった。
「心配、したんすよ……」
「……ごめんなさい」
ユリティアが唇を噛んで俯く。ユリティアもリゼルも髪がやつれていて、目元が赤く擦り切れてしまっている。涙が枯れるまで幾度となく泣き腫らし、まともな食事も睡眠も摂れぬまま衰弱して、いつ気を失ってもおかしくないほどに憔悴しきってしまっている。ここまで抜け殻のような人間を、シャノンは未だかつて一度も見たことがなかった。
「――っ」
胸が詰まる。なにかをしたいとあれだけ強く願っていたはずなのに、いざ二人を前にするとまるで言葉が出てこない。発言に注意しろと釘を刺されたせいもあるのだろうが、自分ではなにを言っても二人の心に届かない気がして体が竦んだ。
天辺が見えない断崖絶壁を前にしたようで、めまいがした。
逃げるように立ち上がり、ベッドのウォルカへ目を向ける。体に沿って上下するブランケットの輪郭が、左足の部分だけ不自然に沈んでしまっている。そこに本来あるべき部位がないからだ。右目には額から頬まで引き裂かれた
胸がズタズタになってしまいそうだった。シャノンですらそうならば、リゼルたちが味わった絶望はどれほど途方もないものだったのだろう。
ウォルカはまだ、ほんの十七歳の青年なのに。
まだまだこれからだったはずなのに。
悲しみを通り越して、悔しさすら覚えた。こんなにも重い傷を負ってしまったら、もう、ここから先の彼の人生は――。
「なんで……どうしてっ……」
おぞましい思考に頭を侵食され、シャノンは無意識にそうこぼしてしまっていた。
それがいけなかった。
「――――――――――――――――――――なんで?」
感情が死に絶えた真っ黒な声。
リゼル。椅子に座って俯いたまま、微動だにせず唇だけを動かしている。
「なんで? ……なんで、って――――――」
「……え?」
シャノンが振り向く。老シスターが表情を歪め、なにかをするために足を前に動かそうとする。
遅かった。
「――そんなの、こっちが知りたいよッ!!!」
布を無理やり引き千切るような、怒号とも悲鳴ともつかない痛々しい叫び。
リゼルが椅子を
リゼルは、誰も見てはいなかった。誰もいない床を見下ろしたまま、耳を押さえるように体を曲げて、
「なんで!? なんでウォルカなの!? なんでっ……ねえどうして!! 教えてよッッ!!」
「え、ぁ――」
「なんでっ……なんでなんでなんで、どうしてぇっ!!」
リゼルの体から魔力が噴き出して、銀の髪が美しくも歪んだ光を帯びていく。強大な魔法を操る者に起こる、魔力の暴走現象。制御が利かなくなった魔力はざわめく風を生み、波濤となって窓ガラスを軋ませ、次から次へと周囲の物体に見境なく干渉し始める。
「リゼルさんっ……!」
おそらく、これがはじめてではなかったのだろう。ユリティアがすぐにリゼルを自分の方へ向かせ、噴き出す魔力ごと力いっぱい抱き締めた。
それから、まるでなにも起こっていないように優しい声で、
「リゼルさん、そんなことしたら危ないですよ。わたしがここにいますから、ね?」
そして立ち竦むシャノンは老シスターに腕を掴まれ、有無を言わさず入り口の方まで引っ張られた。老シスターの険しい叱責、
「だから言ったでしょう、気をつけなさいって……!」
「……ち、違、あたし、」
半ば放り投げるように手を離されて、頭の理解が追いつかないシャノンは床にへたり込んだ。なにが起こっているのかわからなかった。
「なんで」――たったそれだけ。
その、たった一言だけで。
「出ていってっ……関係ないやつは、みんな出ていって……! 放っておいてよぉッ……!!」
自分たちの身を守るためか、それともリゼルの魔力暴走を止めるためか、老シスターが魔法使いにも劣らぬ速度で術式を構築していく。フュジがシャノンを庇う位置に立って浅く身構える。一触即発ともいえる二人の反応を見て、まるでゆっくりと毒が回るように、ようやくシャノンは目の前でなにが起ころうとしているのかを理解し始めた。
結果をいえば――幸い、暴走するリゼルの魔力がなんらかの術式を暴発させることはなかった。
「出ていって――出ていけッッ!!!」
激昂とともに放たれた魔力が窓ガラスにヒビを入れ――それで終わりだった。
魔力の暴走が止まり、収束して、あとにはユリティアに縋りついてすすり泣く少女の声だけが残った。
シャノンはもう、なにも言えない。なにもできない。言葉をかけることも、立ち上がることも、なにも。
自分ができることはなにひとつもないのだという、血も涙もない理解だった。
「……行こう、シャノンちゃん」
へたり込んだまま呆然とするシャノンの肩に、フュジがそっと手のひらを置いた。
「おっさんたちにできることは、なさそうだ」
「――……」
ああ――どうして自分は、こんなにも無力なのだろう。
なにかをしたいと思っていた。〈
なのに結局シャノンがやったことといえば、アトリを苛立たせ、リゼルとユリティアを余計に悲しませてしまっただけ。
これだったら、なにもしない方がよっぽどマシだった。
シャノンは最初から、この街に来ない方がよかったのだ。
「――リ、リゼル、ユリティア、」
涙がこみあげてきて、情けなく声が震えた。せめてでも笑顔を作ろうと必死にがんばったけれど、到底見られたものではなかっただろう。
「あ、あたし、待ってるから。聖都に帰ってくるの、待ってるっすからね……!」
結局、自分に言えたのはたったそれだけで。
そしてそれすらも、今のリゼルとユリティアの前では、誰にも届くことなく虚しく響くだけだった。
途方もない無力感でまっすぐ歩くこともままならず、フュジに手を引かれながらなんとかエントランスまで戻ってきた。
壁際に並んだ来客用の椅子に座らされる。真っ黒く閉ざされてしまいそうな意識の片隅で、老シスターとフュジのやるせない会話がとても遠くに聞こえる。
「……私の言った意味が、わかったでしょう。なにがあったのか訊こうにも、私たちが少しでも言葉を間違えると……ああして手がつけられなくなってしまうの」
「迷惑かけちまったね」
「いえ……」
リゼルの叫びが、未だに頭の中で響き続けていた。
情けない。普段から一丁前な顔しておねえさんぶっておいて、いざリゼルたちが苦しんでいるときにはこのザマだ。なんの支えにもなれなかった――いや、結果だけ見ればむしろ目障りな真似をしただけだった。己の不甲斐なさと愚かさに、引き裂いてしまいたいほどの失望を覚えていた。
「それでもみんなが、一生懸命がんばってくれて……聞けたことは、これに書いておいたから」
老シスターが、フュジに一枚の小さな紙を手渡す。フュジはそこに書かれた内容へ無言で目を通し、最後まで表情を変えないで四つに折り畳んだ。
「……ありがとう」
「これもシスターの仕事だもの。辛いけれどね」
「ああ……まったくだ」
たとえ、なにが書かれていたとしても。
(――あたしのせいだ)
アトリの苛立ちを、ユリティアの失意を、リゼルの絶望を思い出す。彼女たちが今あんなにも悲しんでいるのはどうしてだ。踏破承認の調査に不手際があったというのなら、ギルドで手続きを担当したシャノンにだって責任がある。
そう、シャノンはそれがわかっていた。だからリゼルたちのためになにかをしたいと固執した。でもそれは、本当にみんなを考えての行動だったのだろうか。本当にみんなを思うのなら自分の感情を律し、老シスターやフュジの意見を聞き入れて、そっとしておく選択が取れたはずではないのか。
シャノンは、自分のことしか考えていなかったのではないか。
ただなにかをしたつもりになって、自分の息苦しさを少しでも軽くしようとしていただけではないのか。
(あたし、が)
何年も昔の嫌な記憶を、思い出しそうになった。
〈
けれど、もう嫌われてしまったかもしれない。
自分たちをこんな目に遭わせた聖都なんて、もう信用できなくて、二度と帰りたくないと考えてしまうかもしれない。
もしこの日を最後に、みんながどこかに行ってしまったら。
今までの大切な日常が、砕け散って、崩れ去って、だから必死にかき集めたいのに、
「帰るよ、シャノンちゃん。シャノンちゃ――」
心がじくじくと痛んで、こみあげる涙を何度も手でぬぐった。
ぬぐった。
ぬぐった。
ぬぐった。
何度も、何度も、ぬぐって――
「……悪いね。少しだけ、休ませてもらっていいかい」
「……ええ」
自分の体のことなのに、自分だけではもう、こぼれ落ちる声をどうしても止められなくて。
随分と久し振りに、自分自身とこの世界のことが、嫌いだと思った。
/
「――だからあたし、もう、ウォルくんたち聖都に帰ってきてくれないんじゃないかってっ……嫌われちゃったんじゃないかってぇ……! ふぐ、う゛え゛え゛」
「……お、おぉ」
――というのが、俺が眠っている間にみんなとシャノンの間であったことらしく。
いくらなんでも重すぎるだろうが……!! と、俺は心の中で白目を剥くのだった。
胃っ……胃があああああ。
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