35.〈ギルド職員〉シャノンⅡ

 フュジが駆る馬に揺られ、シャノンが〈ルーテル〉の街に到着したのは翌日の日も暮れる頃だった。


 到着するなり、地面に膝から崩れ落ちそうになった。今にもポックリ逝きそうなおばあさんみたいになりながら、「ふお゛お゛」と雑巾絞りみたいな呻き声で、


「ぜ、全身が、張ってるっすぅぅ……んあ゛あ゛」


 ただ後ろに乗せてもらっていただけなのに、まさかここまで体力を消耗するとは思っていなかった。転げ落ちないよう内腿は常に張りっぱなし、揺れに耐えるため全身の体幹は引き絞りっぱなし――完全に馬を甘く見ていた。たぶん今日だけでちょっと痩せたと思う。わーいうれしいなー。


 ぷるぷるしていたらフュジに笑われた。


「はは、しょうがないねえ。普段馬に乗らない人はそんなもんさ」

「だったら、普段サボってばっかなおっさんも同じじゃないっすか~……」


 日頃から「もう歳」とか「若者みたいな体力はない」とか言っているくせに、フュジは顔色ひとつ変えずケロリとしている。シャノンとは下手したら親子くらい歳が離れているはずなのに、なんか悔しい。


「じゃ、まずはギルドで話を聞かないとね。歩けるかい?」

「ふ、ふん、よゆーっすよ……」


 フュジに子ども扱いされるのは癪なので、シャノンは気合を入れて背筋を伸ばすのだった。ぷるぷるしながら。


 シャノンの職場の半分にもならないであろう〈ルーテル〉の小さなギルドは、見る限りではこれといった騒ぎもなく、普段通り業務を行っているように見えた。しかしシャノンとフュジが職員証を提示するなり、顔色を変えた受付嬢にすぐさま応接室へと案内された。

 つくりのいいレザーのソファに座って待っていると、


「ご足労いただき、申し訳ありません」


 やってきたのは、ここの副ギルド長を務めるという壮年の男だった。彼は品格を感じる所作で一礼し、


「ギルド長は……その、少々体調が優れないようで。代わりに私が」

「ま、話ができるなら誰だっていいよ」


 それに引き換え、こっちのおっさんはなんで上から目線なのだろうか。聖都と比べれば吹けば飛ぶようなギルドとはいえ、向こうの方が年齢も役職も上だろうに。


 応接用のセンターテーブルを挟んで、副ギルド長が向かい側に座る。まずは使い古されたお決まりの社交辞令から挨拶が始まるかと思われたが、フュジの柄にもない生真面目な眼差しが先手を取った。


「そんじゃ、まだるっこしいのは抜きで単刀直入に。――ダンジョン〈ゴウゼル〉で踏破承認事故の疑いあり、と」

「……ええ」


 重々しく頷いた副ギルド長曰く。

 発端は一昨日の夕暮れ時、ギルドに突如身元不明の男がやってきたことだった。


「――謎の男? 〈銀灰の旅路シルバリーグレイ〉のメンバーではなかったと?」

「はい、どうもそのようで。申し訳ありません、何者かはわかりませんでした。本人は、偶然通りかかっただけだと」


 フュジは黙して先を促す。


「その男はただ簡潔に、『〈銀灰の旅路シルバリーグレイ〉というパーティが〈ゴウゼル〉深層でボスと思われる魔物を撃破、一人が重傷、教会で治療を受けている』と。併せて、その男が人を抱えて教会に駆け込むのを見た、という目撃者も……」

「っ……」


 今すぐウォルカたちの安否を問い詰めたい衝動に駆られるのを、シャノンはギリギリでこらえる。今は公私を混同してはいけない。踏破承認の手続きを担当した職員として、最低限でも事の経緯は冷静に把握しなければならない。


「それで?」


 フュジに問われ、副ギルド長は呻くように答えた。


「……立ち去りました」


 え、とシャノンの口から思わず声がこぼれる。


「立ち去った……? それだけ言って、ってことですか?」

「ええ……。〈ゴウゼル〉はすでに踏破済みとなっていたダンジョンですから、受付の者も詳しく話を訊こうとしたのですが……」


 副ギルド長は頭の痛みをこらえる様子で、なんとも言いづらそうに、


「……『オレは見たままを報告しただけだ。あとはそっちの仕事だろ』と」

「そりゃ随分とまあ」


 フュジが苦笑している。シャノンも正直、「なんだそいつ」と思った。そのセリフだけで、愛想も協調性も皆無の冷たい人間だというのがありありと伝わってくる。もし対応した受付嬢がシャノンだったら、立ち去る背中に思いっきりあっかんべーをしてやる自信があった。


「正直、信用できたものではありませんでしたが……教会に負傷した冒険者が運び込まれたのは事実だったため、取り急ぎ男の言葉通り、あのようなご報告を」

「教会に確認できなかったのかい?」


 副ギルド長は首を振り、


「その時点では、できませんでした。負傷した冒険者の治療のために、ほとんどのシスターが対応に追われていたようで。加えて、他のメンバーにも面会できず……状況を把握できていない新米のシスターしかいなかったのです」

「――え、」


 シャノンの首筋を、蛇のように嫌な悪寒が這う感覚。


 ――それは。それはなにか、おかしくはないか。『〈銀灰の旅路シルバリーグレイ〉一名が重傷』。重い傷ではあるものの、命には別状がない状態。命の危険がないのに、教会のシスターがほとんど全員で治療に当たるのは大袈裟すぎる気がする。


 いや、違う――もしかして、逆?


 フュジも眉をひそめ、声音を低くした。


「ちょっと待った。まさか――」

「……申し訳ありません。わたくしどもも、つい昨日になってようやく把握できたのです」


 まとわりつく悪寒にそのまま首を絞められるようで、呼吸が詰まりそうになる。

 つまり本当は、『重傷』という表現では到底生温いくらいの。教会が総出で対応しなければならず、ギルドの問い合わせに付き合う余裕すらなくなってしまうほどの――


「どうやら負傷したメンバーが、実際は非常にな状態だったらしく……夜を徹した治療で、奇跡的に一命を取り留めることができたと」

「――、」

「名は、たしか……」


 そして、副ギルド長は間違いなくその名を告げた。

 シャノンお気に入りの冒険者の一人である、彼の名を。


「――ウォルカ、と聞いています」

「――ッ!!」


 頭の中が一瞬で真っ白になり、気づけばシャノンは椅子を蹴飛ばすようにして立ち上がっていた。


 わずかに後ろへ押し出されたソファが、床を滑ってひどく耳障りな音を立てる。驚いた副ギルド長と目が合っていなければ、なにも考えられなくなって衝動のままギルドを飛び出していたかもしれない。

 辛うじて――本当に辛うじて、理性が踏みとどまった。


「っ……す、すみ、ません」


 声が掠れる。視界がぐらぐらしている。痛みはまったくないのに頭が割れてしまいそうで、腹の底から真っ黒い吐き気がこみあげてくる。

 懸命に堪えた。今は、とにかく、座らなきゃ――


「行ってきな、シャノンちゃん」


 少しだけ地に足をつけた、フュジの静かな声だった。


「もう、じっと話を聞くなんて無理でしょ。ここはおっさんが代わりに聞いとくよ」

「――で、でも、」


 シャノンの返事も待たずに副ギルド長を見遣って、


「悪いね。この子、〈銀灰の旅路シルバリーグレイ〉の友達なのさ」

「……そうでしたか。構いません、行ってあげてください。ただ、面会ができるかは――」

「すみません、失礼しますっ……!」


 副ギルド長が頷くのを見た瞬間、もう一秒たりとも我慢していられなかった。シャノンは下げた頭を上げる間すら惜しむようにしてギルドを飛び出し、ぎょっと驚く冒険者たちには目をくれず全力で土を蹴り飛ばす。


 ――教会の経験あるシスターが総出で治療し、夜を徹して、ようやく奇跡的に一命を取り留める。

 それほどの大怪我を、ウォルカが負っていたなんて。


 信じられなかった。ギルドの職員として〈銀灰の旅路シルバリーグレイ〉ともっとも関わりが深いシャノンは、ウォルカたちが若い外見に見合わない一級の実力者であることをよく知っている。ウォルカも、リゼルも、ユリティアも、アトリも、みんなそんじょそこらのベテランにだって負けないくらい強いのだ。仮に〈ゴウゼル〉の事故が事実で、まったく予期せぬタイミングで強大なボスモンスターに襲われてしまったのだとしても、ウォルカが命すら危ぶまれるほどの大怪我を負うなど信じられるわけがなかった。


 同僚たちに言わせれば、シャノンは一度気に入った相手をとことん好きになってしまう犬っぽい女らしい。


 〈銀灰の旅路シルバリーグレイ〉は、そんなシャノンの一番お気に入りの冒険者パーティだった。ウォルカたちがギルドへやってくるとあらゆる仕事を放り投げて、二階から駆け下り、親戚の子どもたちが遊びに来てくれたような気持ちで接してきた。プライベートでも一緒に買い物をしたり、食事をしに行ったり、職員と冒険者の枠を超えた友達同然の付き合いだった。


 だから――ウォルカという青年が、あのパーティにとってどれほど替えが利かない存在だったかもよく知っている。

 パーティのリーダーは、あくまでリゼルだけれど。精神的な拠り所として中心にいたのは、間違いなく――。


「ウォルくんっ……!!」


 ――無事でいてくれなかったら、怒るっすよ……!!


 シャノンは張り裂けそうな胸の痛みに耐えながら、丘の上に見える十字架へただ一心に走り続けた。



 /


「――にしても、その男はちっと気になるねえ」


 シャノンがギルドを飛び出していったあと、開けっ放しにされた応接室の扉を副ギルド長がゆっくりと閉める。フュジはソファの背にもたれかかり、腕を組んで思案げな視線を天井に投げる。


「ウォルカくんの治療は夜通しで行われたんだから、つまりその男はウォルカくんの無事を確認しないまま立ち去ったわけだ。どうも知り合いってわけじゃなさそうだね」


 副ギルド長は頷き、ソファに座り直す。


「命が危ぶまれるほどの大怪我――知り合いならば、治療の結果すら待たずに立ち去るのはありえないでしょうね」


 ゆえに、一緒にダンジョンを探索していた知り合いという線は薄い。そもそも踏破済みのダンジョンを定期調査する程度の依頼で、Aランクパーティがわざわざ外から助っ人を呼ぶ理由などないだろう。


「ウォルカくんを教会に運んだんだったら、そいつも〈ゴウゼル〉にいたんだろうけど……さて、いったいなにをしてたんだか」

「……」


 仮にその男が、冒険者でも騎士でもないとして。

 そんな素性の知れない人間がわざわざダンジョンに潜る理由は、取りこぼされたお宝を狙うか、あるいは人には言えない『なにか』をするため。それくらいしかない。


 しかし後ろめたい理由でダンジョンに近づくような悪人が、魔物と戦い怪我した冒険者を親切に教会まで運んでやるとも思えない。おまけにウォルカの傍から離れられないリゼルたちの代理でギルドに立ち寄り、手柄を横取りするような虚偽の報告は一切せず、見返りのひとつも求めず立ち去る――そこだけ切り取れば、男の行動には真っ当な善性が感じられた。


「その男、見た目は?」

「目算ですが、二十くらいだったかと」

「若いね。他の特徴は?」

「……申し訳ありません。外套でほとんど体を隠していて、赤黒い髪に赤い目をしていたくらいしか」

「赤……」


 ひとつ、思い出す噂があった。


「……〈復讐鬼ルヴァンシュ〉」

「ルヴァンシュ……ですか?」

「なに、ちょっとした噂話さ。冒険者でも騎士でもないのに、たった一人で魔物を狩って回ってる男がいるってね。そいつの特徴が二十歳前後、赤黒い髪に赤目……そして復讐に取り憑かれているとしか思えない、魔物に対する異常なまでの殺意」


 身元不明にして来歴も不明、あいつに魔物を横取りされたせいで依頼に失敗したと罵る者もいれば、仲間の命を救ってくれた恩人だと称賛する者もいる。魔物を殺すためだけに存在するかのようなあまりの強さから、〈復讐鬼ルヴァンシュ〉という名だけが独り歩きする謎の狂戦士。


「そのような噂が……恥ずかしながら、聞いたこともありませんでした。お詳しいのですね」

「ま、知る人ぞ知るって程度の噂さ。そういう情報にツテがあってね」


 〈復讐鬼ルヴァンシュ〉ならば、必要最低限の報告だけしてさっさと立ち去ったのにも納得が行く。彼は人と関わることを好まず、話しかけてもロクなコミュニケーションすら取ってくれないという。素性が一切知れないのも、それを聞き出せるほど会話できた人間が一人もいないからなのだ。

 副ギルド長は腕を組んで思案し、


「……しかし、なるほど。その男を見かけたというウチのベテランが言っていました。見ただけでわかる、寒気がするほどの強さだったと。冒険者であれば、どう低く見積もってもAの最上位。あるいは――」

「――Sだと?」


 首肯。


「そのような人物が、なぜ踏破済みのダンジョンに……」

「さぁね。……でも、『魔物を殺すことしか頭にない』なんて噂されるようなやつさ。道すがら強大な魔物の気配を察知して探っていた……としても、おっさんは驚かないよ」

「そのようなことが……」


 まあフュジも、ダンジョンの外からボスモンスターの気配を察知するスキルなど聞いたことがない。取りこぼされたお宝を狙って潜っていた浮浪者が、なんらかの成り行きで仕方なくウォルカたちを助ける羽目になり、面倒な詮索をされる前にさっさと立ち去った――と考える方がまだ現実的だろう。

 けれどフュジはなんとなく、〈復讐鬼ルヴァンシュ〉なのだろうと思った。


「……」

「どうかしたかい?」


 副ギルド長が浮かぬ顔で考え込んでいる。フュジが問うと彼は正気づいたように、


「ああ、いえ……その男に、いったいなにがあったのかと思いまして。まだ二十ほどの若さで、それほどの強さを持ち、誰とも組まずにたった独りで魔物を狩り続けるなど……」

「……ま、ロクな話じゃないだろうさ」


 魔物を殺すことしか頭にない――いったいなにがあれば人をそこまでの憎悪に駆り立てるのかは、およそ想像に難くない。

 誰とも組まずに独りで戦い続けるのも、おそらくは。


「でもおっさんは、少しほっとしたけどね」

「ほっと……ですか?」

「その男が人を抱えて教会に駆け込むのを見た……ってことは、そいつがウォルカくんを助けたわけでしょ。復讐に取り憑かれてるとしても、は残ってるってこった」


 本当に魔物を殺すことしか考えていないのなら、見ず知らずの他人を抱えて親切にも教会まで走りなどするだろうか。わざわざ代理でギルドに報告を入れるなんて世話を焼くだろうか。

 フュジは歯を見せて笑い、


「案外、噂ほどおっかないやつじゃないのかもね」


 副ギルド長も、口元に少しだけ笑みの影をにじませた。


「そうだとよいですね。まだ若いのですから……」

「ま、その男が本当に〈復讐鬼ルヴァンシュ〉かはもうわからないんだ。――おっさんたちの与太話はこのへんにして、もっと具体的な話をしようか」

「ええ。……現在ですが、ひとまず〈ゴウゼル〉に関連するすべての依頼を停止し、街の冒険者にも立入禁止を通告、ダンジョンの入口は一時封鎖を――」



 /


「――会わせられないって、どういうことですか」


 シャノンの必死に感情を抑え込む声が、小さな教会のエントランスを低く這うように通っていく。小高い丘を力の限り駆けあがり、息を切らせながら教会に飛び込んで、しかし応対に出てきた老シスターから返ってきたのは明確な『拒絶』だった。

 老シスターは言う、


「そのままの意味よ。〈銀灰の旅路シルバリーグレイ〉の子たちへの面会は、生憎だけどまだ許可できないの」

「ウォルく――ウォルカさんになにがあったのかは、聞いてます。だから、他の三人だけでも」


 シャノンが言い終わらぬうちに首を振り、


「ごめんなさい。

「な、なんでですか?」


 一命を取り留めて間もないウォルカが面会謝絶になるのは、もどかしいけれど仕方がないと思う。だからシャノンはせめてリゼルたちの無事な姿を見て、彼女らの口からウォルカはもう大丈夫だと言ってほしいのだ。そうでなければ安心などできるはずがなかった。


「三人とも、無事なんですよね?」

「ええ、怪我をしたのは男の子だけ。……だからこそ、よ」


 老シスターの言おうとしている意味がシャノンにはよく伝わらない。察しろとでも言わんばかりに遠回しな口振りが、未だ呼吸も整いきっていないシャノンの神経をわずかに逆撫でした。

 察しろと言わせて察せるのなら、わざわざ息を切らせてこんなところに飛び込みなどしていない。はっきり教えてくれ、こっちはもう居ても立ってもいられないんだ――そういう目で老シスターを睨む。

 老シスターは眉ひとつ動かさない。


「聖都のギルドから来た職員と言ったわね。あの子たちに事情聴取がしたいってことでいいのかしら?」

「……それも、あります、けど……まずは、友人として無事を確認したいんです」

「彼女たちは無事よ。ただ、面会を許可できる状態じゃないだけ」

「っ、だから……!」


 衝動的に動いてしまいそうになる体を、シャノンは咄嗟の理性で懸命に抑えつける。震える息を深く吐いて、頭を下げる。


「……お願いします。本当に、心配なんです」

「……」


 老シスターから答えが返ってくるまでは、数秒の思考の間があった。


「……やっぱり、あなたの面会は許可できないわ」

「……!」


 顔をあげる。これだけ言ってもこの人は――そう、いい加減文句のひとつでもぶちまけてやろうと思った。

 けれど老シスターが思いがけず優しい瞳をしていて、つい躊躇いが生まれた。


「意地悪を言っているわけではなくてよ。いま会っても、あなたもあの子たちも、辛い気持ちにしかならないと思うの」


 老シスターはシャノンの横を通り過ぎ、開けっ放しになっていたエントランスの扉から一歩外に出て、


「ついてきて」

「……」


 連れて行かれたのは、木々の陰になってあまり目立たないであろう教会の敷地の隅だった。……いかにも大きな声ではできない話を、人目を避けてこっそり交わすためにあるかのような場所だった。


「――私たちもね、あの子たちになにがあったのかはまだよくわかっていないの」


 木陰の下で、老シスターはそう仕切り直す。


「ただ……ダンジョンで、よほど強い魔物に出くわしてしまったみたいね。ウォルカという子が、みんなを守るために懸命に戦ったそうよ」


 パーティが瓦解し、ウォルカが一人でみんなを守るために――想像できなかった。彼らほどのパーティが太刀打ちできないなんて、ドラゴンでも出てきたのか。

 けれど今は口を挟まず、一心に老シスターの話へ食らいつく。


「それであんな大怪我をして、あの子たちもひどく塞ぎ込んでしまっていてね。あまり会話ができる状態ではなくて、私たちも少しずつ、時間をかけて聞き出そうとしているところなの。

 ……あなたをあの子たちに面会させたら、きっとなにがあったのか衝動的に問い詰めようとしてしまうでしょう? すべてを話せというのは、今はまだ、酷なことだわ」


 ……なるほど、彼女が面会を許可しない理由はわかった。

 けれど納得はできなかった。もしも自分が〈銀灰の旅路シルバリーグレイ〉のメンバーだったとして、大怪我したウォルカが無事に一命を取り留めたなら、彼の前で思いっきり大泣きして喜ぶと思う。もう心配はいらないんだと安堵して、ウォルカが一日でも早く復帰できるよう普段通りの自分でサポートすると思う。


 なのにリゼルたちは、会話すらままならないほど塞ぎ込んでしまっているという。ウォルカの無事を喜ぶのでもなく、安堵するのでもなく。

 どうして。


「でも、ウォルカさんは助かったんですよね? もう心配いらないんですよね? なのに、なんで……」

「……」


 そのとき、老シスターがはじめて言葉を躊躇った。シャノンは決して目を逸らさず、強い意思でまっすぐに老シスターだけを見据えた。〈銀灰の旅路シルバリーグレイ〉の実質的な担当をしているおねえちゃんとして、リゼルたちの現状すら知らぬまま尻尾を巻いて帰るのは絶対に嫌だった。

 やがて、老シスターが根負けした。


「……遅かれ早かれ、よね」


 そう、やるせなく吐息して。


「いい、心して聞きなさい。そのウォルカという子はね――」


 そうして、老シスターから告げられた真実は。

 シャノンの覚悟をいとも容易く引き裂き、なにも見えない真っ暗闇へと突き落とした。


「――左足は切断、右目もおそらく失明。助かったのが不思議なくらいの大怪我で、今も意識が戻っていないの」

「…………………………………………ぇ?」



 /


「はぁ~……嫌になっちゃうねえもう」


 副ギルド長との話を終え、ギルドを出たフュジは夕暮れの下でのんべんだらりと肩を揉んでいる。首の付け根を左右に伸ばし、がっくり項垂れるようなため息までついて、いかにも過酷極まる大仕事をやり遂げたと言わんばかりの雰囲気を醸し出している。

 赤焼けの空につぶやく。


「こいつは、にどう報告したもんかねえ……」


 ダンジョン〈ゴウゼル〉で踏破承認事故の疑い。巻き込まれた冒険者パーティのうち一名が、一時は命すら危ぶまれるほどの大怪我。そしてなにがどうなってウォルカたちを助けるに至ったのか、一切の経緯が不明のまま立ち去った〈復讐鬼ルヴァンシュ〉と思われる男。


 まあどう報告するもなにも、すべてを包み隠さず紙の上に書き記すしかないのだが。

 踏破承認事故なんて、この国では数十年振りの厄介事だ。報告書を引き千切らんばかりにわなわな震え、うがー!と頭を掻きむしる〈白亜の聖女〉の姿がありありと想像できる気がした。


「――さてと。シャノンちゃんはまだ教会かね」


 とりあえずシャノンを捜すため、フュジは丘の上に見える十字架を目指して歩き出す。宿屋や道具屋が並ぶ通りを進み、ほどなく教会へ伸びる坂道につながっていく曲がり角で、ふとベンチの上に見慣れた飴色の髪を発見した。


「……シャノンちゃん?」


 シャノンだった。背もたれに体は預けず、両膝の上で固く拳を握って、フュジの位置からではまったく表情を窺い知れないほど深く俯いて座り込んでいる。

 帰り道を見失って途方に暮れる迷子の方が、まだ幾分かは元気に見えそうなくらいだった。

 先に用事を終えてフュジを待っていた――にしては様子がおかしい。不審に思ったフュジはすぐ歩み寄って、


「どうしたのさこんなところで。おーい、シャノンちゃん?」

「――」


 シャノンが、壊れかけた人形ドールのような反応で力なく顔をあげた。

 そして、フュジは。


「――なにがあった」


 己の声音が、急速に冷え込んでいくのを感じた。

 フュジを見上げたシャノンの瞳には、なんの生気も感情も宿っていなかった。覗いた瞬間真っ逆さまに落ちてしまいそうになる、眩暈がするような『虚ろ』だけが広がっていた。


 それでも声をかけてきたのがフュジとわかると、瞳の奥にほんのかすかながら感情の揺らめきが戻った。


「おっ……さん」

「シャノン。俺の声、ちゃんと聞こえてるかい」

「……聞こえてる、っす」


 とりあえず最低限の受け答えはできるらしい。フュジは険しくなっていた眉間から力を抜き、ため息で唸りながら頭を掻いて、


「……なにがあったのさ」


 シャノンの隣に座る。

 十秒ほど待ってみるが、答えは返ってこない。


「教会には行ってきたんでしょ?」


 今度は、小さな首肯が返ってきた。……なら、答えはもうひとつしかあるまい。〈銀灰の旅路シルバリーグレイ〉の現在の状況を考えれば、あのシャノンがここまで打ちのめされてしまう理由なんて、ひとつしか。


「……ウォルカくんだね」


 シャノンが、震えた。

 その震えは心の亀裂となって、塞ぎ込まれていたシャノンの感情を少しずつ外にあふれさせた。


「ウォル、くんが、」


 嗚咽のような吐露だった。


「ウォルくん、右目と、左足っ、……な、なくなっちゃったってっ……!」

「……!」

「今も、意識……! 戻ってないってっ……!!」


 さしものフュジも、そう簡単には返すべき言葉を見つけられなかった。


 フュジも、深い面識があるわけではないがウォルカという青年のことは知っている。まだ十七歳の若者とは思えぬ並外れた技の冴えと、誰も知らない謎めいた剣術を操る凄腕の剣士。こと剣一本の実力に限れば、Sランクにだって届くかもしれないと職員たちの中でちょっとした話題になることもあった。


 そんな冒険者が、右目と左足を失った。

 健康な体こそがなによりの資本となる冒険者にとっては、生命を絶たれたにも等しい重すぎる傷。


 そして彼は、シャノンのお気に入りの冒険者の一人でもあった。

 好きなものをとことん好きになってしまう性格のシャノンが、そんな事実を知ってしまったならば。


「これ、あたしの、せいっすか……?」

「なに言ってるのさ」

「だって、踏破承認の手続きしたの、あたしで。それで、ウォルくんがあんな怪我しちゃったんだったら、」

「バカなこと言うんじゃないよ。シャノンちゃんはただ書類上の手続きをしただけで、実際の調査には無関係」

「でも、そのパーティ決めたの、あたしなんすよ? あたしが、もっとちゃんとパーティ、選んでれば、」


 シャノンの声音は震えに震え、もはや聞き取れるだけの言葉になっているのが不思議なほどで。

 けれど、そこまでだった。


「ウォルくん……!! やだぁっ……ウォルくんっ……!!」


 あとはただウォルカの名を繰り返すばかりで、滴り落ちる涙がシャノンの膝に冷たい染みを作っていく。


 ――魔物に殺された冒険者。遺体を食われてしまい弔うことすらできなかった冒険者。目の前で仲間をなぶられ、殺され、悲劇を受け止めきれず自死を選択してしまった冒険者。旅に出たきり何年も消息が掴めず、やがて書類上で死亡扱いとなって、その名前以外を知る人間が誰一人いなくなってしまった冒険者。


 歴史を掘り返せば、そうして消えていった冒険者など数え切れないほどいる。

 だからたとえ右目と左足を失っても、生きて帰ってこられただけ――。


「……嫌になるね。本当に」


 そう思考してしまいそうになる自分に反吐を吐いて、フュジは乱暴に空を振り仰ぐ。


 この世界は、なにも変わらない。

 一人の青年が片目片足を失おうが、一人の少女が絶望の涙を流していようが、世界はなにひとつ変わらずフュジたちを見下ろし続けている。

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