23.〈天巡る風〉Ⅵ

 戦闘が終わったのを確認した俺は馬車から降り、納めた愛刀を杖代わりにしてユリティアたちの下へ向かう。


 俺が斬ったのは二人。偽カインについては、一切情けをかける必要もなかったと言っていい――けれど、やはり、気分はよくない。たとえ救いようのない悪党であっても、人を殺すというのは何度経験しても決して慣れることはない。


 斬ることへの躊躇い自体は、とうの昔に捨てた。だが斬ったあとの……血飛沫を上げて崩れ落ちていく相手の、恐怖、後悔、怒り、苦痛、失意、不可解、そういった感情が渦巻いた奈落のような瞳を見たときの――遣り場のない、空虚感のような。


 慣れる必要はないとジジイは言っていた。それは貴様が、命の重さを理解している証だからと。守るために斬る覚悟さえできるなら、わざわざ捨てる必要はないものだと。

 だから俺はこれからも、誰かを斬るたび、この感情に折り合いをつけながら生きていくのだろう。


「ウォルカ……」


 隣に並んだ師匠が、俺の指先を小さく握った。気遣うような眼差しを感じた。どうした師匠、いつもなら「ふん、これが天罰じゃ!」ってふんぞり返ってるところじゃないか。普段通りの師匠の方が俺も気が軽くなるから、変に心配しなくていいんだぞ。


 戦闘が終わったのを察して、アンゼとルエリィが馬車から降りる。ルエリィがそこかしこに転がった賊の成れ果てを見て顔を青くした一方、アンゼはまるで目もくれずこちらに駆け寄ってきて、


「ウォルカさま、お怪我はございませんかっ?」

「ああ……」


 愛刀を支えにする俺の左手を、慈しみに満ちた両手でそっと包み込む。冒険者の俺たちから見ても結構な有様になっているのに、まさか顔色ひとつ変えないとは……。大聖堂のエリートシスターはメンタルもお強いようだ。


「〈ならず者ラフィアン〉の掃滅にご協力くださいまして、感謝申し上げます。聖都にお戻りの際は、ぜひ褒賞をお受け取りください」


 別にどこの都市でも同じではあるが、人道を重んじる信仰都市である聖都は、とりわけ悪党の取り締まりや討伐に力を注いでいる。悪人もみな救われるべきで云々と御立派な理想を掲げるのかと思いきや、〈聖導教会クリスクレス〉は悪党に対して極めて冷淡であり、厳格なのだ。


 ただ、もうすべて片付いたように話をするのは気が早いだろう。

 あそこにまだ、最も無視できない相手が残っているのだから。


「――い、いやあ、さすがですな。まさかここまでお強いとは、ハハ……」


 馬車からやや離れた場所で、言葉もなく腰を抜かしていた男――依頼人、スタッフィオ。正気に返った彼は慌てて立ち上がり、なんとも急ごしらえの愛想笑いを張りつけて、


「まだお若いのにここまで勇敢に戦えるとは、驚きました」

「……」


 俺たちは全員応えず、武器を手にしたまま鋭くスタッフィオを睨み返す。


「い、いかがなされましたかな?」


 白々しい。自分でももう誤魔化せると思っていないくせに。


「手綱を握っていたのは、あんただろう。スタッフィオ」

「それは、馬が――」

「……」


 しばし、沈黙があった。

 スタッフィオは嘆息し、眉間を揉み解して――それから返ってきたのは、人が変わったような冷淡な声音だった。


「……やれやれ、まったく誤算でした。この国の若い冒険者は、人と争う経験が浅い者ばかりと聞いていたのですがね……。実際、先日捕らえたAランクパーティは他愛もなかったのですよ」


 〈天巡る風ウインドミル〉はCランク……ということはこいつら、他にも若い冒険者パーティを襲っていたわけか。


 加えて「この国の」という言い回しからすると、どうも他国から流れ込んできた集団らしい。たしかにその方が自然だ。これほど規模の大きい集団が前々からこの国で悪事を働いていたのなら、とっくの昔にギルドから注意喚起がされるなり、騎士が討伐するなりしているはず。ごく最近この国に入り込んできて、暗躍を始めて間もない段階の連中なのだろう。


 そしておそらく、こいつはその頭目だ。


「――わかりました。ワタシたちの負けです」


 しかしてスタッフィオは、不可解なほどあっさりと白旗をあげた。


「今すぐアナタたちから手を引き、二度と姿を見せないと誓いましょう。それどころか、この国からも一刻も早く立ち去ります」

「つまり、黙って見逃せと?」


 師匠が不快げに両目をすがめた。今まで何人も襲っておいてしっぺ返しを食らった途端に見逃してくれとは、なかなか虫のいい話ではある。


「少なくとも、捕らえている連中を解放してもらわんと話にならんぞ。ルエリィの仲間以外にもいるんじゃろう?」

「……」


 スタッフィオは、束の間思考し――師匠の問いには答えなかった。代わりに『彼女』へ優しく声をかける。

 馬車から降りたその場所で足を縫いつけられ、一歩も動けず震えるだけだった彼女へ。



「――ルエリィ、戻りなさい」



 ルエリィの震えが、止まった。

 凍りついた、と言い換えてもいい。スタッフィオがもう一度、


「戻りなさい。――戻れ」

「ひっ……!」


 ……ああ、この男は、ルエリィにいったいなにをしたんだろうな。

 心まで凍りついて、ひび割れるような。そんな恐怖の表情を、人は魔物相手にだってそうそう向けやしないのに。


 なんにせよ効果はてき面だった。ルエリィは凍りついた足でぎこちなく動き出し、今にも転びそうになりながらスタッフィオの下へ向かおうとする。一番近い場所にいたユリティアが引き留めようとしたが、


「ルエリィさ、」

「ルエリィ!!」

「――ッ!?」


 スタッフィオの怒声。伸ばされかけたユリティアの手を強く払いのけた、ルエリィは。


「ごめんなさい――ごめんなさい」


 身をよじるような声音で、泣きそうになりながら、俺たちの視線を振り切って。

 スタッフィオの下に、戻っていった。


「……困りますなぁ」


 スタッフィオが首を振って嘆く。


「彼女はワタシたちの仲間です。引き留める真似はやめていただきたい」

「ッ――違いますッ!! 誰が……誰がおまえたちの!!」

「仲間でしょう? この方々をどうやってここまで連れてくるか、


 ルエリィが呼吸を失ったのが、遠目でもはっきりとわかった。


「ち、違っ……それは、おまえたちがねえさまを……!」

「理由など些細なことだ。キミは自ら練った策で自らこの人たちを騙し、ここまでおびき寄せた。――ワタシたちと同じ、立派なだよ」

「――ぅ、ぁ……」


 崩れ落ちる。体を支えるだけの力すら失ってへたり込み、投げ出された杖が地面を転がる。両手で髪を掻きむしり、うわ言のように、


「違う……違うのです……私は……私は、ねえさまを…………」

「…………」


 なんというか……陰惨なんだよな、やり口が。人間が他の動物より悪辣あくらつなのは、肉体的のみならず、こうやって精神的にもいたぶる真似が容易にできてしまうところだ。


 きっとルエリィはこんな風に心を追い詰められて、縋りつくようにやつらの言いなりになるしかなかったのだろう。「おねえちゃんは助けてあげる」――その言葉が嘘だとわかっていても、それでも。


「さて……ワタシとしても、手ぶらでは帰れない事情があります。できる限り抵抗させてもらう他ありません」


 そう言いスタッフィオが胸ポケットから取り出すのは、手のひらにも収まる試験管のような細長い小瓶。しかし中には液体ではなく、淡い魔力を帯びた一枚の紙片が入っている。

 あれは、


「――〈紙片スクロール〉か」

「ええ。ただの〈紙片スクロール〉ではありません……精霊魔法、〈暴食の弔客グラトニア〉が記録されています」


 師匠の片眉がぴくりと跳ねた。


 まず〈紙片スクロール〉とは、一言で言えばが記録された媒体である。たとえば魔法に関する知識を詳細に綴った魔導書は、突き詰めてしまえばそれ自体ただの本に過ぎず、いくら読もうとも当人の努力と才覚なくして魔法を習得することはできない。


 しかし〈紙片スクロール〉にはそれがない。魔法のことをなにひとつ理解しておらずとも、始動キーとなる一滴の魔力さえあれば、誰でも即座に記録された魔法を発動できる。その代わり回数制限があり、とりわけ強力な魔法の〈紙片スクロール〉は一回限りの使い捨てである場合が多い。


 次に精霊魔法。これは俺たち人間が一般的に使用する魔法とは体系をまったく別にする、精霊の力を根源とする魔法だ。師匠譲りの小難しい蘊蓄うんちくを抜きにして要点だけ言えば、基本的に人間が扱えるものではなく、どれも通常の魔法より数段上の力を秘めている。


 すなわち、精霊魔法の〈紙片スクロール〉とは――人間が作り出せるシロモノではなく、ダンジョンでごく稀に入手できる高レア中の高レアアイテム。


「どうかワタシに、これを使わせないでいただきたい」


 なるほど、わかりやすく脅してきたな。このままやられるくらいなら、一かバチかに出ようって腹か。

 師匠が剣呑に答える。


「よいのか? 〈暴食の弔客グラトニア〉……使えば貴様も無事では済まんぞ」

「ハハ、それならそれで仕方ありますまい。悪運尽きるというやつでしょう」


 どうやら本当にそう思っているらしく、スタッフィオは朗らかに笑って隣へ視線を落とした。

 見つめるその、先には。


「ああ……しかし、ひとつ残念でなりませんな」


 もはや自らの足で立ち上がる力も失い、虚ろな瞳でへたり込んでいる――



「ルエリィがこのような形で巻き込まれてしまうとは……本当に残念でなりません」



 スタッフィオは言う、


「この子は本当によく働いてくれました。おねえさんを助けるために、望まぬ悪事に一生懸命力を貸してくれました。……その結果『悪党』として死を迎えることになるかもしれないとは、いささか哀れでなりませんな」


 言う、


「もう一度だけでも、おねえさんと会いたかったでしょうに」


 言う、


「彼女のおねえさんも、嘆き悲しむでしょうなぁ。いったいなんのために、自分が犠牲になる選択をしたのか……」


 言う、


「まあ――この子も滅ぶべき『悪党』だというのなら、あとはアナタたちの好きにするとよいでしょう」


 ……よくも、まあ。よくもまあ、白々しくも言ってくれるものだ。言うだけ言ってあとは丸投げして、すべての責任を押しつけてきやがった。自分はすでに負けを認めて譲歩しているのだから、あとはおまえたちの選択次第だと。

 戦力的に見れば追い詰めているのは俺たちだが、決断を突きつけられているのもまた俺たちというわけだ。


 さて――どうする。


 こちらとスタッフィオ、彼我の距離は十メートルほど。微妙な距離と言わざるを得ない。仮にスタッフィオが全員道連れにするつもりで、誰かが飛び出した瞬間即座に〈紙片スクロール〉を発動させるとすれば、この距離でルエリィを助けるのは俺たちにとっても博打だ。


 とはいえあれが本当に精霊魔法の〈紙片スクロール〉という保証はなく、時間稼ぎのハッタリという可能性もあるが――


「……」


 師匠が首を横に振る。どうやら、正真正銘あいつの切り札のようだ。

 俺は〈暴食の弔客グラトニア〉がどういう魔法か知らないが、使えば術者も無事では済まないと師匠が言うからには……そういうことなのだろう。


「この子を想ってくださるのなら……なにもせず、見逃してくれるだけでよいのですよ」


 更にスタッフィオは小さな青い結晶体を取り出す。転移輝石――ダンジョンの中で使えば、どれほど深層にいても一瞬で入口まで転移できる強力な効果を持つ希少アイテム。一方ダンジョンの外ではごく近距離の転移しかできず、更には発動まで時間がかかることから咄嗟の避難にも使えずと、ダンジョン以外での使用は金の無駄遣いと言われるアイテムでもある。


 だがルエリィを盾に時間を稼ぎ、この場から行方を晦ます程度なら充分だろう。


「皆さん……いいのです!」


 ルエリィが、叫んだ。

 へたり込んだまま、肩を震わせて。今にも壊れてしまいそうな声音は、不自然なまでの空元気で。どこからどう見ても、「いい」とは欠片も思っていない下手クソな表情で。


「も、もう、いいのです! 私のことは気にしないでください! き、きっと、バチが当たったのです。こんな悪いやつらの言いなりになって、皆さんを、だ、騙すようなことをしたからっ」


 ――ああ、本当に、この腐れ外道な世界が嫌になる。


 この子はいま何歳だ。ユリティアと同じ十三歳かそこらだろうが。そんな子が「もういい」と、助かることを諦めて、悪いことをしたせいだと自分を責めて、ボロボロに涙を流しながら、それでも精一杯に笑おうとしている。


 それは、どんな気持ちで。

 どんな気持ちがあれば、できることだと思っていやがる。


「もう……いいのですっ」


 ルエリィ――笑うな。


 そういうときはな、素直に泣けばいいんだよ。泣いて、「助けて」と一言叫べばそれでいいんだ。そうすれば俺たち全員が即座に、全身全霊でおまえを助ける。一瞬だ。みんなの戦いぶりは見ていただろう? 惚れ惚れする強さだっただろう? そんな簡単なことすらできない連中に見えるか?


 だから、笑うな。


「もう、…………もうっ、」


 ……でもまあ、昨日出会ったばっかりだし、いきなりそこまで信用するのは難しいかもな。


 じゃあ、俺が手ずから教えてやる。おまえとは馬車も別で、まだほとんど話もできてなかったしな。改めて自己紹介だ。

 いいか、よく頭に叩き込んでおけ。



「…………………………………………やだぁっ……たすけてっ……!」



 ――――俺は、こういうバッドエンドが腹の底から大ッ嫌いなんだよ。





 /


 直後、スタッフィオはウォルカの不可解な行動を見た。


 義足の左足を一歩後ろに引き、その場で片膝を折ったのだ。まるで、高貴な相手の前で跪くように。

 本来なら不審な行動を許すべきではなかったが、あまりに突拍子もなく、また清く整然とした所作だったため虚を突かれた。


「……? まさか、この子を返せと頭でも下げるつもりですか? 勘違いしないでいただきたい、彼女は――」

「ルエリィ。目ェ瞑ってろ」



 スタッフィオの見る世界から、音が消えた。



 もちろんそんなのはただの錯覚であり、気のせいに決まっていた。しかしその刹那たしかにスタッフィオは、音が途絶え、風が凪ぎ、葉擦れが止まり、まるで世界そのものが真っ白に静止したかのような感覚に囚われたのだ。


 呼吸に喘ぎ、指一本動かせず、耳が痛くなるほどの須臾しゅゆの静寂の中で――己の全身が一気に総毛立ったことだけは、はっきりとわかった。


 ――紫電一閃。

 俗に研ぎ澄まされた剣閃を光に例えて言う言葉だが、そのとき走ったのは紫の電光ではなかった。


 たとえ、無辜むこな少女を盾にする悪党であろうとも。

 たとえ、死神の名を冠する怪物であろうとも。

 紫電を超越し、すべての知覚を置き去りにして、空間という名の絶対的な理すら捻じ伏せ――銀の雷光。



 銀雷一閃。



 ――静寂の砕け散る音がした。

 知覚できなかった真っ白な空白があり、気づけば燃える色の空を見上げてようやく――スタッフィオは己の終幕を理解した。


 鈴のように。

 澄んだ鍔鳴りの音だけが、聞こえた。

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