22.〈天巡る風〉Ⅴ

「じゃーん。これなーん――」


 その刹那、今現在カインと偽称する青年は、ウォルカの右手に抜き身の片刃曲刀タルワールが現れるのを見た。

 武器をアクセサリー状に変えて持ち運ぶ、〈装具化アクセサライズ〉の魔法を解除したのだ。カインが腰袋からアイテムを取り出す隙を突いて、攻勢に打って出ようというわけだ。

 しかしカインとて、それを読んではいた。


 ――バカだよねえ。魔法を解除する分、普通より無駄な時間がかかるってのに。


 〈装具化アクセサライズ〉をどんな武器でも手軽に持ち運べる便利な魔法としか見ておらず、得物をなんでもかんでも装具に変えている冒険者は珍しくない。しかしカインに言わせれば、それは考えなしのバカがすることである。〈装具化アクセサライズ〉は解除に一~二秒ほど時間がかかるため、その分咄嗟の状況では敵に対しおくれを取ってしまうことになるのだ。


 事実ウォルカは今ようやく状態だが、カインはすでに目当てのアイテムを右手に掴んでいる。ここからやつが剣を抜き放つより、カインがアイテムを発動する方がどう考えても早い。

 もう少し楽しみたかったけれど仕方がない。反撃を許して調子づかせるのも癪なので、カインは即座に右手のアイテムを――



 そこでようやくカインは思い至る。――そういえばこいつ、



 〈装具化アクセサライズ〉を解除した直後なら、次やるべきは当然剣を抜き放つことだ。しかし目の前の青年は、剣を納めるという真逆の行動をしている。まるで、といわんばかりに――



「――――――――は?」



 カインの右手首が、こぼれ落ちた。

 自分の左肩から右腰にかけて、細長いバツ字を描くように血がにじんでいた。


 …………ん?

 あれ?




 /


 ――〈装具化アクセサライズ〉を瞬間解除して愛刀を抜き、カインの右手首ごと胴体を一閃、返す刃で更にもう一閃斬り捨てる。


 ウォルカがこれをコンマ一秒でやったと、完全に視認した上で理解できた者はリゼル以外この場にいなかった。


「……………………へぁ、」


 カイン自身の手首すら、今になってようやく斬られたらしいと理解が追いついて、戸惑うように血を数滴だけ噴き出した。


 ウォルカとしては、向かってカインの右に座っているロイドまで、横薙ぎ一閃で斬ってしまいたかった。しかし右半分の視界が潰れ、更に自身の右隣にもリゼルがいる状況でそれをやるのはリスクが高かった。


 とはいえ、ひとまず及第点ではある。

 なぜならここには、安心して尻拭いを任せられる頼もしい師匠がいるのだから。

 荷台に足を乗せていた大男が正気づく。なにかを叫ぼうとして唇を動かす、


「〈波濤ヴォルテクス〉」


 ――よりも、偉大で尊大な大魔法使いが遥かに速かった。リゼルを中心に放たれた逆巻く衝撃波が、カインもロイドも、大男も、そして馬車のほろすらも、邪魔なものをすべて一撃で宙に弾き飛ばした。


 〈波濤ヴォルテクス〉――魔力で衝撃波を放つ極めてシンプルな魔法で、主に敵の接近を許した魔法使いが距離を取るために使用するものだ。本来なら敵の体勢を崩してひるませる程度の威力しか持っていないはずだが、それもリゼルが使えば、巨大な鉄塊で殴り飛ばすがごとき攻撃魔法へと変貌を遂げる。


「ぐおおおおおおっ!?」


 大男は辛うじて反応したが、それでも衝撃を殺しきれず激しく地面を打ち転がる。カインとロイドに至っては、もはや声すら上げられず棒切れのように宙を飛んで、何メートルも向こうの木に強く体を打ちつけてブラックアウトした。




 ――殺気を感じてウォルカは即座に行動を起こす。リゼルの肩を掴んで己の方へ引き倒す。リゼルが「うみぅ」と小さな声をあげて倒れると同時に、そのまま馬車の前方へ抜刀。放たれた銀閃は、リゼル目がけて足場を蹴ろうとしていた御者の男を真一文字に斬り捨てた。


 驚愕を通り越し、理解不能の形相で男が為す術もなく崩れ落ちていく。

 一方、ウォルカの胸中には静かな理解が広がる。いま自分は、。やはり、義足の体ではじめて剣を握ったときに覚えた、あの感覚は――。


 ウォルカはそれ以上の思考を冷静に打ち切る。戦いの火蓋はすでに切った。戦場が動き出す。少なくとも全員の無事が確認できるまで、雑念にリソースを割くべきではない。


 その判断を肯定するように、リゼルもまた動き出した。




 予期せずウォルカと密着してしまい思考が暴走したものの、リゼルはすぐさま再起動した。動きは四つ。先ほど打ち飛ばした大男が立ち上がり、怒りで燃え上がる反撃の炎を瞳に宿そうとしている。更にそれより近い位置に、大男の手下と思しき連中がもう三人いる。まだ状況に頭が追いついていないようだが、咄嗟の判断で利き手自体は武器を掴んでいる。


(もうウォルカったらっ、やっぱりぜんぶ自分でやろうとするんだから……!)


 リゼルは立ち上がる。月と星をかたどった銀の杖で足元を打ち、遮るものを失った荷台の上で屹立きつりつする。


「任せて」


 これ以上気負わせないように、愛弟子へ優しく微笑んだ。


「大丈夫。あとは、みんな私がやっつけるから」

「ハッ――やってくれんじゃねえか、嬢ちゃんよぉ!!」


 リゼルが杖を掲げると同時に、口端の血を拭い取った大男が咆哮とともに飛び出した。ただの〈ならず者ラフィアン〉とは思えない練度の〈身体強化ストレングス〉と、立ち塞がるものすべてを粉砕するような堂々とした踏み込み。あるいは〈ならず者ラフィアン〉に身を落とす前は、それなりの傭兵か冒険者だったのかもしれない。


 唱えた。



「――〈極光の討手アルテミス〉」



 直後、天空から光がした。


 そうとしか表現できない威力だった。大人の背丈ほどもある光の矢が飛来して男の胴体を貫通、その速度を微塵も落とさぬまま地面すら撃ち砕いて深く突き刺さった。


 突如あらゆる制御を失った男は激しく地面を転倒。起き上がろうとするも体に力が入らず、なにかを言おうとするも言葉ではなく血を吐き、


「――――、」


 呆けた。

 意識が黒で潰される間際、リゼルの頭上に、月のごとく弓引く美しき女神の姿を見た気がした。




「――〈ならず者ラフィアン〉ども。わしは、ウォルカのように優しくはないぞ」


 桁違いの魔力が空間を呑み込み、リゼルの長い長い銀髪が燐光を帯びて揺らめいている。そのきらめきはやがて彼女の瞳まで及び、月と星の杖が再度足元を打つと、鈴のような音色とともに広がる波紋が世界に夜をもたらす。


 もちろんそれは、リゼルの魔力に呑まれた者が見た幻視に過ぎないけれど。


「そのまま前から射抜かれるか、逃げて背中から射抜かれるか――好きな方を選ぶとよい」


 力の差など、問うことすら無意味である。

 降り注ぐ三筋みすじの光芒が、残る〈ならず者ラフィアン〉をすべて等しく撃ち抜いた。




「――よぉ嬢ちゃんたち、ちょいと失礼するぜぇ」


 〈極光の討手アルテミス〉発動より少し前。魔物の毛皮でこしらえた粗野な外套をまとう男が、荷台の後方からのそりと片足で踏み込んでくる。表情を凍らせたのはルエリィだけで、アトリ、ユリティア、アンゼの三人は眉ひとつ動かさず獣臭い男を見返した。


「おっと、変な気は起こさないでくれよ。向こうの馬車も俺らの仲間が囲んでるからな。……ちっこいガキと、片足怪我した兄ちゃんが乗ってるって話じゃねえか」


 アトリの指がぴくりと動き、ユリティアの瞳から感情が消え、アンゼは微笑んだまますっと双眸そうぼうを細めた。

 アトリはぽそりと、


「……やっぱり、人質にするんだ」

「まあそういうこった。安心してくれや。嬢ちゃんたちが大人しく言うこと聞いてくれりゃあ、ガキと兄ちゃんも痛い目見ないで済むからよ」

「ふうん」


 アトリに動揺や焦りは一切ない。なぜなら、その『ちっこいガキ』がどれほど強くて頼りになる存在かをよく知っているから。

 アトリたちパーティの中でも、とりわけリゼルはこの手の輩から大いに見くびられる。身長が130ちょっとしかないせいで、十歳くらいの子どもが魔女の真似っこをして遊んでいる風にしか見えないからだ。


 しかし、そうやってリゼルを侮った連中が辿る末路はいつも決まっている。

 なぜなら彼女は――偉大で尊大な大魔法使い、リゼルアルテは。



 アトリでも遥か遠く及ばない、パーティぶっちぎりの火力と殲滅力を誇るなのだから。



 それを証明するように、向こうの馬車から突如として轟音が響いた。アトリの位置からではほろが邪魔して見えないが、魔力の余波からリゼルが魔法を発動したと察知。

 同時に、そのリゼルから〈精神感応テレパシア〉が飛んでくる。


《アトリ、ユリティア、こっちは問題ないのじゃ。思いっきり暴れ――うみぅ》


 以下、師匠モードが完全崩壊した超絶早口で、


《あわっふわわわわわウォルカのふっふふふっきん!! わわっわわわわわうぉうぉっウォルカのににっにに匂――ごめんなんでもない》


 は?

 どさくさに紛れてなにをやっているのかあの幼女。どうやらすべて片付けたら詳しく話を聞く必要があるらしい。


「……あん? なんだぁ?」


 轟音を不審に思った男が外へ体を反らした、その瞬間にアトリの行動は完了した。


「――ずどーん」


 アトリは両腕をバネにする要領で椅子代わりの木箱から跳躍、外へ身を躍らせながら男の顔面に回し蹴りをお見舞いし――着地へ向かう落下に乗せて下へ振り抜き、叩きつけた。


 「ずどーん」どころではない、血も涙もない破砕の音が響き渡った。


 〈アルスヴァレムの民〉が誇る、人類最高峰の〈身体強化ストレングス〉から放たれる蹴りである。食らえば命がいくつあっても足りはしない。蹴りを打ち込んだ時点で明確に頭蓋の砕ける音が響き、叩きつけた衝撃で地面が割れ、反動で跳ね上がった男の体は縦に三度も回転してようやく倒れた。


 アトリが視界にかかった髪をさっと払う、二秒の沈黙があった。


「――て、てめ、」


 少し離れた場所でクロスボウを持っていた別の男が、弾かれたように正気づいてアトリへ照準した。あくまで脅しのつもりだったのか、それとも仲間の仇を取るため本当に撃とうとしたのか、真相は結局わからず終いとなった。


 とっ――――と馬車から音もなく身を翻したユリティアが、すり抜けざまで刹那に一閃した。風が花びらを散らすがごとき、流麗にして目にも止まらぬ所作。鮮血が舞い、膝から崩れてようやく男は自らが斬られたのだと理解した。


 馬車を包囲する〈ならず者ラフィアン〉たちが全員凍りつく。瞬く間に逆転しようとしている目の前の現実に対し、どう行動を起こすべきか咄嗟に理解が追いつかない。


「こっちはおまかせ」

「はい」


 アトリは左、ユリティアは右。


 アトリは〈装具化アクセサライズ〉を解除し、右手に相棒のハルバードを顕現させる。正面の〈ならず者ラフィアン〉たちが驚愕の声で後ずさる。異国の少女が持つにはやや不釣り合いな、格式高く精緻な装飾を彫り込んだその偉容。光り輝く銀はあまりに美しく――そして、龍すら屠りうる巨刃はあまりに凶悪だ。

 並の筋力では持ち上げることすら不可能なそれを、右手だけで軽々と回し、前に突きつけて。


「じゃ――やろっか」


 リゼルをガキと侮り、ウォルカを人質に取ろうなどと考えるのだ。よほど命が要らないのだろう。

 だからアトリはどこまでも淡々と地を蹴り、振り抜く。


 〈ならず者ラフィアン〉が恐れ慄きながら構えた剣は――アトリの腕力と相棒の前では、ただの小さな枝の切れ端に過ぎなかった。




 地を蹴ったアトリの風圧を背に感じながら、ユリティアは剣を握る己の右手を見つめる。


 やはり魔物と違って、人を斬った感触は嫌に手に残る。たとえ相手が情けをかける余地のない悪人だとしても、頭ではわかっているのにどうしても胸が締めつけられるような感傷を覚えてしまう。


 最初は、これを切り捨てなければならない甘さだと考えることもあった。

 だが、実際はむしろ真逆――これは、切り捨ててはいけない大切な感覚なのだ。


 一年くらい前だろうか。ユリティアはウォルカに一度だけ、先輩は人を斬るのが平気なのか、躊躇ってしまう自分は甘いのだろうかと問うたことがあった。

 そのとき、ウォルカはこう答えたのだ


「……俺だって、人を斬るのは何度やっても嫌だぞ。何年も前に斬った相手を、未だに夢で見るくらいだ」


 ――でも先輩の剣には、迷いがないです。

 ――嫌かどうかと、迷うかどうかは別の話だ。


「相手が悪人だろうと、人を斬るのに正しさもなにもない。……だから、信じるしかないんだ」


 自分が今ここで振るう剣が、きっと誰かを守ることにつながると。守るために剣を抜く覚悟――あるいは、信念とも呼ぶべきもの。


 若くして確固たる考えを持つウォルカに当時は感銘を受けるばかりで、なんの疑問にも思っていなかった。しかし今になって思い返すと、あの答えも意味深に聞こえてくる。


 この国で生まれる若者はみな一様に、悪しき行いが決して許されるものではないことを〈聖導教会クリスクレス〉で学ぶ。『悪』は人道に反する罪であり、罪を犯せば相応の罰であがなわなければならないと。国の若き芽が悪に染まらぬよう教え導く、何年も昔から繰り返されてきた情操教育の一環だ。


 しかしウォルカは、たとえ紛れもない悪人を下すためだとしても、斬ることを決して正しいとは思っていなかった。

 なぜ。「正しさもなにもない」「信じるしかない」という、まるで彼自身では選択の余地がなかったかのような言葉。



 ――なにが正しくてなにが間違っているのかの価値観すら育たぬうちから、もはや『守るため』と縋って殺すしか道がなかった。



 そう言っているようには、聞こえないか。幼い頃のウォルカは、そういう境遇に身を置いていたのではないか。

 そしてそれが、彼が世界に対して抱く深い失望につながっているのだとすれば。


「先輩……」


 やっぱり自分は、ウォルカのことをなにひとつ理解できていなかったのだろう。


「先輩っ…………」


 ウォルカは本当に、『剣にその身を捧げる求道者』なのだろうか。

 それは、ユリティアたちから見える仮初の顔に過ぎないのではないか。

 本当はユリティアたちにも話すことができない、暗い過去を歩んできたのではないのか。


「せん、ぱぃ……っ」


 感情が止まらなくなる――理解したい。追いつきたい。支えたい。助けたい。寄り添いたい。力になりたい。傍にいたい。慈しみたい。求められたい。委ねてもらいたい。抱き締めてあげたい。癒してあげたい。ウォルカの苦しみを、ほんの少しだけでも取り除いてあげたい。


「こ、このっ……なにぶつぶつ言って……!」


 一人の〈ならず者ラフィアン〉が魔法を使おうとした。ユリティアはとうに剣を振り切っている。魔法によって形作られた刃がくうを駆け、男を袈裟に斬り裂く。

 崩れ落ちる男を最後まで見つめ、ユリティアは剣を強く握り直す。


「先輩……絶対に、絶対に、独りになんてしませんからっ……」


 アトリは元から戦いのために生まれたような存在だし、リゼルも人ならざる血を引いて見た目より何倍も長生きしているから、人を討っていちいち感傷に浸ることはない。


 人を殺すことへの躊躇い。殺した相手への感傷。

 ウォルカと同じ感覚を持っているのは、ユリティアだけだ。

 人を斬るのに正しさもなにもなく、ただ信じるしかない――ウォルカがあの言葉に込めた本当の想いを理解し、寄り添えるのはきっとユリティアだけなのだ。


 だから――わたしも、先輩みたいに。


「――参ります」

「…………!!」


 〈ならず者ラフィアン〉たちは、事ここに至ってようやく思い知る。魔女の真似っこをしているだけとしか思えないガキ、戦場より酒場で舞う方がお似合いな異国の少女、本当に冒険者なのかも怪しい可憐な子ども、そして一人だけ隻眼隻脚の剣士――どこからどう見ても、男に守られながらぬくぬく育った馴れ合いパーティだろうに。


 とんでもない大ハズレを持ってきやがったなと、文句を言う相手すらすでにいない。

 ウォルカが剣を抜いてから、戦いの音がやむまでは――三十秒もかからなかった。

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