21.〈天巡る風〉Ⅳ

 ――――――


 今日、私たちのパーティがCランクになりました!


 冒険者パーティとしては、中級者の仲間入りだそうです。ギルドのおねえさんも褒めてくれました。田舎者の私たちがこうして立派な冒険者になれるなんて、なんだか夢みたいです。


 ねえさまも、たくさん褒めてくれました。

 カインとロイドは、今夜はご馳走だって小躍りしてるです。本当に食い意地が汚いですね、少しはねえさまを見習って――


 ねえさま、よだれ。よだれが出てるです。


 もう。昇格したとはいえ、私たちはまだまだ零細パーティなんですから、ちょっとだけですよ。お金は大事なのです。


 ――――――


 ねえさまが、私に新しい杖を買ってくれました。

 Cランクになったんだから、もっと立派な武器を使うべき! だそうです。


 私にはもったいないくらい、本当に立派な杖でした。

 ありがとうございます、ずっと大事にするです!


 ……でもねえさま、お金はどこから持ってきたですか?

 パーティのお金が減ってる気がするのです。

 この間ねえさまが高い料理をいっぱい頼んだせいで、今月はもうカツカツだって言ったですよね?


 ねえさま??


 ――――――


 護衛の依頼を受けることになりました。

 このままでは毎日きのこ生活になってしまうので、早急にお金を稼がなきゃなのです。


 依頼人のスタッフィオさんはとても親切な方で、なんと道中の食事はすべて用意してくれるとのことでした! うう、もう携帯食も満足に買えないので本当に感謝ですよ……。


 依頼人さんの知り合いだっていう二人の冒険者さんが、一緒に手伝ってくれるらしいです。なんだか、二人ともちょっと軽薄そうですけど……でも、人手が多いのは助かるです。


 ほらカイン、ロイド、お肉が食べたいならきっちり働くです!

 ねえさまも、これが終わったらちゃんとお腹いっぱい食べられますから!

 がんばるですよ!


 それにしても……、直接依頼を頼まれることもあるんですね。

 知らなかったです。



 ――――――


 ――あ、れ。


 なんだか、変なのです。

 体が、しびれて。

 目が、回って。

 ねえさまも、カインも、ロイドも、みんな動けないです。


 ……食事に、毒?


 でも、この食事って、あの冒険者さんが。

 ……え? なんで、笑って、


 ――あ。

 大変、なのです。

 この人たち、悪い人――――――




 ――――――


 目が覚めたら、私はどこかの小さくて薄暗い部屋にいました。

 床も壁もぜんぶ石でできた、硬くて冷たい部屋でした。


 手を縄で縛られていて、ねえさまも、カインもロイドも、どこにもいないのです。

 必死にみんなの名前を呼ぶと、部屋に誰かが入ってきました。


 ……あの依頼人、でした。


 あんなに親切な人だったのに、まるで別人みたいに不気味な笑顔をしていました。


 依頼人の傍には、あの冒険者の二人もいました。

 本当に敵なのが信じられないくらい、二人とも優しそうに微笑んでいましたが――私は、それが怖くて仕方がなかったです。


 まるで、仮面を張りつけているみたいで。


 ――――――


 縄を無理やり引っ張られて、連れていかれた先は大きな部屋でした。

 そこには、怖い男の人たちが、何人もいて。


 ねえさまたちが、私と同じように縄で縛られていました。


 ねえさまが、顔を真っ白にして私の名前を呼びます。

 私もすぐに駆け寄ろうとしましたが……縄を引っ張られて、転んでしまいました。


 男の人たちの笑う声を聞いて、ようやくわかりました。


 依頼人は、最初から悪い人で。

 あの依頼は、最初から罠で。

 私たちは、悪い人に捕まってしまったのです。


 ……そう理解した瞬間、私は恐怖で我を忘れてしまいました。

 だから、そこから先のことはあまり覚えていないです。


 ただ自分が、みんなの名前を必死に呼んでいたこと。

 その子には手を出すな、やるなら俺たちにしろと、歯を噛み砕くように叫んでいたカインとロイド。


 そして、ねえさまの――嘘みたいに、優しい笑顔。


「大丈夫だよ。ルエリィは、おねえちゃんが守るから」


 覚えているのは、それだけなのに――。

 それだけは、こびりついてしまったように、忘れられないのです。



 ――――――


 その日の夜は、地獄のようでした。


 私は、男の人たちからなにもされませんでした。

 なにもされず、薄暗い部屋に閉じ込められました。

 装備や〈保管庫ストレージ〉はすべて取られてしまいましたが、乱暴はされませんでしたし、食事も毛布も与えられました。


 けれど――けれど、聞こえてくるのです。

 遠くの部屋から、かすかに。


 カインとロイドの苦しそうな声が、

 ねえさまの悲鳴が、

 男たちの、欲望にまみれた笑い声が。


 怖かった。

 自分のいる場所が、現実だと思えなかった。


 聞こえるのです――ろうそくの明かりがただひとつだけ、自分の手のひらすらロクに見えない闇の中で、声が、声が、声が、声が、声が、声が、声が――――


 気が狂ってしまいそうになって、私は大声で泣いてしまいました。

 あの二人に殴られて、お腹を蹴られました。

 依頼人が止めに入らなかったら、もっとひどいことをされていたかもしれません。


 依頼人は、こいつにも使い道がある、余計な傷をつけるなと二人を叱責していました。

 でも、助けてもらえたとは思えませんでした。


 その『使い道』が、いったいなんなのか。

 私は、これからどうなるのか。

 ねえさまたちは、どうなっているのか。


 なにも、わからなくて。

 なにも、できなくて。


 どれほど押し殺そうとしても、涙が、どうしても止まりませんでした。




 ――――――


 なにか、大きな物音が聞こえました。

 たくさんの物を薙ぎ倒す音、砕く音と――怒号、のような。


 ……それっきり、カインとロイドの声が、聞こえなくなりました。



 ――――――


 たぶん……一夜が明けたのだと、思います。


 結局私は、一睡もできませんでした。

 今は、ねえさまの声も聞こえません。大丈夫、きっとねえさまたちは眠っているだけ。それだけだから、絶対に悪い想像はしちゃいけない――そう自分に言い聞かせるのに必死で、眠れるはずがありませんでした。


 やがて私の部屋に、あの二人がやってきました。

 お腹を蹴られたときの苦しさを思い出して、私は部屋の隅で怯えてしまいます。


 二人は、私の前で膝を折ってこう言いました。


「ねえ、おねえちゃんを助けたくない?」

「ちょっと俺たちのこと手伝ってくれたら、おねえちゃん、助けてあげるよ」


 ……信じられるわけが、ありませんでした。

 信じられるわけ、なかったのに。


 私に、選択肢などなかったのです。

 ねえさまたちの苦しむ声が、一夜中聞こえていました。

 私は、なにもできずただ耳を塞いで震えるだけでした。



 たとえ、嘘だとわかっていても。

 みんなのためになにかをしなければ、おかしくなってしまいそうだったのです。



 ――――――


 私は、悪い子です。


 悪い人たちの言いなりになって、

 あの二人がカインとロイドのふりをすると笑いながら言い出したとき、腸が煮えくり返るようだったのに、そんなの絶対に許してはいけなかったのに……なにも言えませんでした。


 それから〈ルーテル〉という街に行って、二人が前から目をつけていたというパーティを、一緒になって騙しました。

 そのパーティには、私と同じくらいの女の子も、私より小さな女の子もいました。

 今度は、この子たちが私と同じ目に遭う――そう考えると、罪悪感で体を引き裂かれてしまいそうでした。


 でも、それでも、本当にみんなが助かりさえするなら――。


 そう安心しようとしてしまう自分がいることに、ぞっとしました。




 私は、悪い子です。

 どんな罰でも受けます。だからどうか、お願いします。


 誰か、助けて。

 助けてください。

 私は、どうなってもいいですから。


 お願いします。

 ねえさまを。みんなを。


 助けて、くださいっ……!!

 誰かぁ…………!!






 /


 もちろん最初は、人を殺すなんて絶対に無理だと思っていた。


 今でこそ『原作知識』というものを思い出してしまったけれど、俺も昔はこの世界を剣と魔法の王道ファンタジーだと思い込んでいた身だ。人類が戦うべきは魔物という名の脅威であり、そのために人と人は手を取り合って生きているものだという先入観が当然のようにあった。


 それがとんでもない勘違いだと思い知らされたのは、かつてジジイの修行がスパルタ化してしばらく経ち、そこらの魔物程度なら問題なく倒せるようになってきた頃。


 発端は、村の近辺に〈ならず者ラフィアン〉が流れてきたことだった。最初は誰もがそのまま通り過ぎてくれることを祈ったが、やつらは夜な夜な村に侵入して食料を強奪、挙句目撃した村人に襲いかかって大怪我を負わせるという事態にまで発展した。


 どのような経緯でそう決まったのかは覚えていないが、とにかく、その悪党を俺とジジイの二人で倒すことになったのだ。



 戦い自体は、なんの問題もなく勝った。〈ならず者ラフィアン〉は大した武術の心得もない三人のゴロツキで、魔物と戦うよりもよっぽど簡単なくらいだった。

 だがその直後、ジジイから静かに投げかけられた問いの衝撃を――俺は今でも、昨日のことのように思い出せる。



 ――貴様、こやつらを殺せるか。



 当然、断固拒否だ。できるわけがない。魔物を斬るのとはワケが違う。前世を平凡な地球人として生きた俺にとって、人を殺すなど絶対にやってはならない禁忌のひとつだった。


 〈ならず者〉は三人全員、涙と鼻水を垂らして洪水のような命乞いをしている。申し訳なかった、もう二度とあんな真似はしない、改心することを神に誓う、だからどうか、どうか命だけは――。


 村の人が殺されたわけでもない。なのにここまで必死に悔い改めているやつらを、殺す必要はないだろうと。

 俺の反論にジジイは目をすがめて、


「――そうか」


 俺の拒絶に憤るどころか、理解を示すように。それだけ言って、ジジイは〈ならず者〉を解放した。

 恐怖の涙を感動の涙に変え、思いつく限りの感謝の言葉を並べて立ち去った三人の男。その姿が間もなく木々の向こうに消えようとする、間際で。


「後をけるぞ。気配を消せ」


 ジジイが、俺の返事も待たずにいきなり歩き出した。俺は慌ててジジイの背中を追いかけ、いったいなんなんだと文句のひとつでも言おうとして、


「よい機会だ。貴様の慈悲に救われたあやつらが、なにをしでかすか――よく見ておけ」


 口を噤んだ。

 ジジイが眉間に皺寄せた怖いツラをしているのはいつものことだ。だがこの形相は、彼方で間もなく姿を消そうとしているあの男たちに、今にも背中から斬りかかろうとするような。


 とうの昔に剣を納め隠居した身とはいえ、かつては仲間からも鬼と呼ばれ恐れられたという男だ。まさしく生涯を通して剣の道に殉じた男は、それゆえ道義にもとる悪漢の前では強い感情をたぎらせるのも珍しくはなかった。


 嫌な予感がした。



 ――そして俺が情けをかけてから数時間後、村から大きく離れた森の中で。

 その男たちはなんの躊躇いもなく、パーティからはぐれていた若い女冒険者を襲った。


 数時間。

 鼻水垂らした必死の命乞いから、たった数時間で。

 やつらは俺の前で並べた言葉をすべてドブに捨て、笑いながら少女をなぶろうとしていた。



「――……」

「――これが現実だ、ウォルカ」


 男の笑い声が、聞こえる。

 少女の叫び声が、聞こえる。


「貴様が情けをかけて命だけは見逃した、これがその結果だ……!」


 今にも爆ぜるような義憤を力ずくで抑えつけ、ジジイが俺を諭す。


「いるのだ。この世には……救いようのない悪党というものが」

「……」


 自分の中にずっと昔からあったなにかが、跡形もなく破壊されて、崩れ去っていく感覚。


 魔法というものをはじめてこの目で見た『感動』よりも、

 魔物の動く姿をはじめて目撃した『驚愕』よりも、

 夢にまで見た抜刀術へ日に日に近づいていく『高揚』よりも、



 ――すべての感情が死に絶えていくようなこの『失望』こそが、ここが俺の知る世界とはもう決定的に違うのだということを、最も強く刻み込んでくれた瞬間だったと思う。



「躊躇うなとは言わん。だが、情けだけはかけるな」


 ジジイの言うとおり、こんなクソみたいな現実をまざまざと見せつけられてなお、抵抗はあった。

 だが、少なくとも。


「……それが結果的に、誰かの命を守ることにつながる」


 再び剣を抜き放つ俺の手から、慈悲は、消えていた。



 ――ここは、腐れ外道ダークファンタジーの世界である。



 日本という、武器の所持すら法で禁じられた平和な世界で培った倫理観を、武器を持つのが当たり前なこの世界にそのまま当てはめられるわけがなかったのだ。


 ……本当に、十歳そこらのガキが学ぶようなことじゃないだろうが。

 まったく唾棄以外の何物でもない忌まわしい記憶だが、結果的にはあのとき舐めた辛酸が今の俺に大きくつながっている。人を斬るということを、心から肯定できたわけではないけれど。少なくとも自分なりの信念をもって、斬った人間の命を背負う覚悟ができるようになった。


 もしかすると、剣以上に。

 これがジジイに叩き込まれた、一番大きなことだったのかもしれない。




 /


 馬車が揺れる。外から見ればそう大袈裟な速度は出ていないはずだが、乗っている身からすればまるで斜面を転げ落ちているかのような錯覚に襲われる。これがなんの変哲もない馬車の旅だったなら、いい加減にしろと御者に猛抗議しているところだ。

 なんの変哲もない、馬車の旅だったならば。


「そんじゃまあ――命が惜しかったら、大人しくしてもらおっか」


 カインとロイドが――否、偽のカインと偽のロイドが、木箱に腰掛けたまま片腕を膝の上に乗せ、挑発するような前のめりで俺と師匠に短剣ショートソードを突きつけている。陽気で爽やかだったはずの笑顔は露と消え、歪んだ口端には舌なめずりをするような悪意が発露している。


 俺は小さく息をついて答える。


「冒険者ごっこは、終わりか?」

「……なんだよ、気づいてたの? がっかりだわー」

「そりゃあな」


 決定打になったのはアンゼの裁定だったが、仮にアンゼがいなかったとしても俺たちは同じ結論に至っていただろう。

 師匠が冷たい眼差しで答える。


「随分と露骨な席決めじゃったな。わしらのパーティを分断させようってのが見え見えじゃ」

「あー、やっぱり? ルエリィちゃんくらいの子だったら、あれくらいは言ってもおかしくないかなって思ったけどねー。さすがに怪しまれちゃうかぁ」


 他には? と楽しげに目で問うてくる。今度は俺が答える。


「……教会に、ルエリィのおねえさんはいなかった」

「あっははは、あれね! あれは俺も、いやいやルエリィちゃんそれはさすがに嘘だってバレちゃうよー! ってツッコみたかったよ。あんたの怪我見ればさ、教会で治療受けてるってどう見たってわかるじゃん? なのにおねえちゃんは教会にいるって、ねえ?」


 偽カインは、笑っている。


「別に、三人パーティってことにしちゃえばよかったと思わない? まあルエリィちゃんっておねえちゃん大好きだから、いないことにはできなかったんだろうねー」


 どこまでも他人事のように。どこまでも、愉快な寸劇を楽しんだあとの観客のように。


「でも、あんま悪く言わないであげてよね」


 笑って、言うのだ。



「――だからさ?」



 ――ああ、やはり、そういうことだったのだろう。

 こいつらは、単にルエリィを餌として利用していただけではなかった。

 のだ。仲間を盾に、無理やり、こいつらは。


「今まで誰も騙したことないような子だったんだし、そのへんは仕方ないよ。


 偽ロイドもつられて口を歪める。馬車が絶えず軋むおかげで、この不快な笑い声が向こうには聞こえていないだろうことだけが救いだった。


「ルエリィちゃんにさ、こう言ってあげたわけ。俺らに協力して上手く冒険者を誘い出してくれたらぁ、大好きなおねえちゃんは解放してあげるって。そしたら、ッハハハ、もう見てらんないくらい必死になっちゃってさぁ」


 師匠の爪が俺の腕に食い込む。師匠、まだだ。気持ちは嫌というほどわかるし、俺だって我慢する気も失せてきているが、もう少しだけ耐えてくれ。


「……なぜそこまでさせた。あの子にやらせる理由なんてひとつもなかったはずだ」

「あー? わかってないなぁ」


 わかりたくもない。



「――



 そんな反吐が出るような思考回路、理解などしてたまるものか。


「させる必要がないことをさせるからいいんだって。考えてもみなよ。あんな小さな子が泣く泣く俺らの言いなりになってさ、本当はやりたくないのに人騙す方法を必死になって考えて、必死に嘘ついて、必死に演技して……もう最っ高に笑えるじゃん?」


 そう……こいつらにとっては、ただの遊びなのだ。人を騙すことなど。人を弄ぶことなど。人を苦しめることなど。すべてただの。

 自分たちが愉しむだけの、面白おかしい見世物に過ぎないのだ。


「……」


 正直俺はこのとき、心の中で少しだけ安堵したと思う。こいつらが救いようのない悪党で、本当によかったと。


 ――これでもう、斬るのを躊躇わずに済む。


「でもさ、俺らの正体がわかってたんだったらなんでのこのこついてきたわけ? ルエリィちゃんが放っておけなかった? カッコいいね~」


 慌ても騒ぎもしない俺たちをどう受け取ったか、偽カインは少し不快げに目を細めて、


「でもおたくらみたいなガキがさぁ、人とまともにり合った経験とかあるわけ? あっちなみに、こっちはこわ~い元傭兵とか結構いるから」

「……」

「あの騎士も、めんどくさそうだったから俺らの仲間が足止めさせてもらったよ。ってかクロスボウとか〈紙片スクロール〉とか結構いい装備持ってってたし、普通に殺されちゃうと思うなぁ。残念だったね~」


 馬車の速度が落ちてくる。偽カインは今の状況がよほど気持ちよいのか、べらべらとしたお喋りが止まらなくなっている。


「ユリティアちゃんとアトリちゃん、街で最初見かけたときからいいなって思ってたんだよねぇ。ああいう子を数でなぶってさぁ、ルエリィちゃんみたいに無理やり言うこと聞かせるのってマジで気持ちいいんだわ。だから、あんたには文字通り足手まといになってもらおうってわけ!」


 獣道が開けた場所に出る。馬車が止まるのと同時に、森から複数の人影が周囲を囲んだ。こちらの馬車に四人、向こうの馬車はざっと十人。先ほどロッシュの足止めでも十人近くは出てきていたはずだから、これで二十を優に超える集団ということになる。

 ただのゴロツキにしては、規模が大きい。


「――よぉ、首尾はどうだぁ?」

「よゆーよゆー」


 後方から、前世は大鬼オークだったと思しき筋骨たくましい大男が荷台に足を乗せてきた。この手のありがちな悪漢に俺は一言物申したいのだが、そこまで体を鍛える熱意があるなら真面目に働けよと心底思う。〈ならず者ラフィアン〉なんぞに身を落とす必要ないだろうが。


「悪ぃなあんちゃん。あんたの仲間はみんな俺らが有効活用してやるから、大人しく諦めてくんな」


 御者の男も、もう一般人のフリをするのはやめたらしい。こうして数で囲んだ時点で勝利が決まったと思っているのか、余裕たっぷりに葉巻を吹かそうとしている。


 まあたしかに、普通の若いパーティならもはや一巻の終わりだろう。パーティが分断された状態で倍以上の人数に囲まれた上、敵には腕利きの元傭兵も混じっているという。それに偽カインが言っていたとおり、魔物は大丈夫でも人間相手だと躊躇う冒険者が、とりわけ若いやつらに多いのも事実だ。冒険者のランクに人を殺せるかどうかは関係ないからな。


「ほら、降りな。なーんもできず人質にされちゃったカッコ悪い姿、仲間のみんなに見せてあげなよ」


 こいつらの認識はなにも間違っていない。状況だけ見れば怪我人と魔法使いはされるがまま人質となり、抵抗の道を絶たれた剣士と重戦士も為す術なく捕縛される。

 状況だけ見れば。


「さっさとしないと、こういうの使っちゃうよー? あんたらの面白い顔が見れなくなるから、あんま使いたくないんだけどねー」


 偽カインが短剣を左手に持ち替え、右の腰袋を漁る。まあ当然、ただ人数で囲んで脅す以外にも手は用意しているだろう。さしずめ、俺たちを動けなくさせるなんらかのアイテムといったところか。


「えーっと……ああそう、これこれ」


 しかし随分と余裕綽々しゃくしゃくだな、武器を利き手から持ち替えて目まで逸らすなんて。

 おまえが突きつける短剣の間合いに、俺の首は入っていないぞ。それでいったいなにを脅すつもりだ。



 逆に、おまえらが棒切れのように突き出したその腕は――――俺の間合いだ。



 ……別に、俺がでしゃばる必要はないのだと思う。偽カインの取り出すアイテムがなんであれ、師匠なら即座に防ぐなり無効化するなりしてみせるだろう。俺はなにもする必要などなく、ただ黙って見ているだけでいい。

 だから、これは完全に俺のエゴ。



 ここに来るまで、まあいろいろご高説を垂れてくれたみたいだが。

 ――それでおまえは結局、〈摘命者グリムリーパー〉よりも強いのか?



「じゃーん。これなーん」


 斬った。




 /


 ――あの日義足を壊してしまったあと、修理を待つ間もウォルカは剣を振り続けていた。


 具体的には、『片足がない条件でもどういう体勢ならどの程度まで剣を振れるのか』を模索し、同時に『片目だけの視界で剣を振る感覚を掴む』ために鍛錬していた。聖都へ帰る途中で魔物や〈ならず者ラフィアン〉と戦闘になるかもしれない可能性を考慮すると、現状の体でどの程度動けるのかを正確に把握するのは重要なことだったのだ。


 なお、そのせいでウォルカの背を見つめるリゼルたちがまた曇った目をしていたのだが、それはひとまず置いておき――


 かつては祖父の下で、五体が満足に動かせない状況で戦う修行もさせられた経験があったためか、思考が馴染むのは早かった。

 片膝をついた体勢ではどうだ。木や壁に背を預けた状態ならどうなる――等々、やり出したら存外面白くて止まらなくなってしまったウォルカは、当然座ったまま剣を振るのも試していた。結果、足に体重をかけないで済む分、今の体ならむしろ座ったままの方が楽だと気づいた。また脳筋一辺倒な〈身体強化ストレングス〉ばかりに頼らず、アトリの力強くしなやかな戦いぶりを参考に、脱力を駆使して抜刀するコツを掴んだ。


 やはり剣の道は奥深い……! とすっかりのめり込むウォルカの姿に、リゼルたちがなにも声を掛けられなくなっていたのはさておいて――


 無論、座ったままでは彼本来の全力には遠く及ばない。しかし義足の修理が完了する頃には、それでも常人では視認も反応も困難なまでの抜刀が可能になった。ふふん、俺にかかればこれくらい――と内心ドヤるウォルカに対し、リゼルたちは以下略。


 なんにせよ今のウォルカは、座ったまま戦ってもだいぶ強い。


 たとえ、全力には遥か遠く及ばずとも。

 抜刀術やりてえ! という気持ちだけで頭のおかしい修行に耐え抜き、

 死神の名を冠する怪物を瀕死の状態からたった一人で討ち倒し、

 死の淵で『扉』をこじ開け、いよいよ極限の領域へ片足を踏み入れつつある剣鬼バカの太刀筋を――


 命を懸けたことすらないチンピラ程度に、見切れる道理などありはしなかった。


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